第五話
扉が閉まる音が、思った以上に重く響いた。
職員棟の最奥にあるエルド先生の部屋は、外から見た印象以上に狭かった。
壁一面を埋める古い書棚。机の上には書類と水晶片が雑然と置かれ、窓から差し込む夕方の光が、それらを淡く照らしている。
「そこに座るのじゃ」
指示されるまま、木製の椅子に腰を下ろす。
ぎし、と小さく軋む音がした。
エルド先生は俺の正面に立ち、しばらく黙ってこちらを見ていた。
測定晶でも、書類でもない。
まるで――俺自身を確かめるような視線だった。
「……緊張しとるかのう」
「いえ。ただの再測定ですよね」
そう答えたつもりだったが、声は少し硬かったかもしれない。
「まぁ、そういうことにしておこうかの」
エルド先生は机の引き出しを開け、中から小さな水晶盤を取り出した。
教室で使ったものより簡素で、装飾もない。
「これは簡易測定具じゃ。精度は落ちるが、その分、癖が出にくい」
癖、という言葉が少し引っかかったが、何も言わずに頷く。
「手を置くのじゃ。今度も、自然に魔力を流すだけでよい」
言われた通り、水晶盤の上に手を置いた。
――何も考えない。
そう意識した、その瞬間。
ひやりとした感触が、掌から腕へと伝わる。
測定具が微かに震え、淡い光を帯びた……ように見えた。
だが、それは一瞬だった。
光は形になる前に歪み、まるで逃げるように散っていく。
色は定まらず、魔力量を示す光の強さも、形を成さない。
「……ふむ」
エルド先生は、特に驚いた様子もなく、水晶盤を静かに引き上げた。
「やはり、か」
その一言に、胸の奥がわずかにざわつく。
「壊れて、ますか?」
「いや。壊れてはおらん」
即答だった。
「測定具は正常じゃ。ただ……君の魔力が、測れる範囲におらんだけの話じゃな」
測れる、範囲。
その言葉の意味を考えようとしたが、うまく形にならない。
「反応不能、というのはな」
エルド先生はそう前置きしてから、低い声で続けた。
「才能がないという意味ではない。むしろ逆じゃ。
測定晶というのは“基準”を前提に作られておる。
その枠から外れたものは……正しく映らん」
部屋の中が、急に静かになった気がした。
「じゃあ、俺は――」
「焦るでない」
言いかけた言葉を、やんわりと遮られる。
「今はそれ以上、考えんでよい。
少なくとも学園生活を送る上で、支障はない」
本当にそうだろうか。
胸の奥に、小さな違和感が残る。
測定晶に触れた時、一瞬だけ感じた、あの妙な感覚。
どこか懐かしくて、同時に思い出してはいけないものに触れたような――。
「一つだけ、忠告しておこうかの」
エルド先生はそう言って、俺をまっすぐ見た。
「学園では、魔力を無闇に解放するでない。
目立たぬことじゃ。君自身のためにもな」
その言葉の裏に、別の意味が隠れている気がしたが――
今の俺には、それを問い返す勇気はなかった。
「……わかりました」
そう答えたものの、どこか釈然としない感覚は残ったままだ。
エルド先生は測定具を元の引き出しへ戻し、俺に背を向けた。
書棚の前で立ち止まり、一冊の古い本に指をかける。
「君の件は、記録上は“反応不能”として処理しておく」
淡々とした口調。
だが、それは配慮であると同時に、線引きでもあるように聞こえた。
「教室で騒ぎになる必要はないし、他の教師にも深入りはさせん。
ただし――」
そこで一度、言葉を切る。
「自分から目立つ真似だけは、絶対にするでない」
念を押すような言い方だった。
「……はい」
それ以上、話はなかった。
質問を許さない空気でもあった。
「もう下がってよい。遅くならんうちに寮へ戻るのじゃ」
それが、事実上の退室の合図だった。
俺は立ち上がり、軽く頭を下げる。
「失礼します」
扉を開けると、夕暮れの空気が一気に流れ込んできた。
職員棟の廊下は静まり返っていて、自分の足音だけがやけに大きく響く。
――反応不能。
才能がないわけじゃない。
そう言われたはずなのに、胸の奥は落ち着かない。
測定晶に触れた瞬間の感覚。
魔力を流した、というより――
何かが、勝手に目を覚ましたような。
「……気のせい、か」
小さく呟いて、首を振る。
考えても仕方がない。
今の俺はただの学園生で、特別なことなんて何もない。
そう、自分に言い聞かせるように、歩き出した。
⸻
一方、扉が閉まった後。
エルド・グラニスは、しばらくその場から動かなかった。
書棚に手を置いたまま、深く息を吐く。
「……測れん、のではない」
誰もいない部屋で、ぽつりと漏れた独り言。
「測定晶のほうが、耐えきれんのじゃ」
彼はゆっくりと振り返り、机の上に置かれた古文書へ視線を落とした。
そこに描かれているのは、複数の属性光が重なり合う、歪な魔術陣。
――2000年前の記録。
「まさかな……」
そう呟いた声には、否定と同時に、わずかな確信が混じっていた。
エルドは文書を閉じ、再び引き出しを開ける。
そこには、先ほど使った簡易測定具が静かに横たわっていた。
表面には、肉眼ではほとんど見えないほどの、細かな亀裂。
「……運命というのは、皮肉なものじゃのう」
窓の外、夕焼けが学園を赤く染めていた。
それが、嵐の前触れであるかのように。




