父さんの会社、倒産したんだ
……公園のベンチがやけに冷たくて。
……晴れ渡る空がやけに遠く見えて。
「全部、、終わったんだなあ」
口からほろりとこぼれた言葉が
実感となって脳に染み渡った。
残ったのは虚無と喪失。
少し前までの華々しい人生とかけ離れた絶望は、
俺の気力を奪うには十分すぎるものだった。
「なあ、父さんの会社。倒産したんだ」
ベビーカーの中でキャッキャと楽しそうにしている息子に話しかける。
その言葉の意味も分からないような純粋な存在は、
俺を見て可愛らしく笑った。
こんな父親の元に生まれて、
これから先どれほどの苦労が待っているかもしれないで、ただ無邪気に。
「ごめんな……こんな父親で」
俺のしけた思いに気が付いたのか。
無邪気な笑顔を振りまいていたその子は、
心配そうに俺の方を見てきた。
こんな小さい子にそんな表情を強いた自分を不甲斐なく感じる。
この子には笑ってほしくて。純粋に育ってほしくて。
そのためには俺が笑ってこの子を安心させなければいけないのに。
袋小路の現状を考えると、笑うことなんて不可能だった。
年商十億。年収五千万。
急成長を果たしたベンチャー企業の社長。
美人妻を抱え、これからさらなる躍進を魅せる。
そんな風に言われたなあ。
それが今となっては――。
地震によって営業停止を余儀なくされ、
そのまま立ち行かなくなり倒産。
妻には逃げられ、優秀な人材は離れていき、
残ったのは息子と俺と――。
「ジュース買ってきましたよ。先輩」
大学時代からずっと俺についてきてくれた後輩の城田だけだ。
俺が会社を成功できたのは、こいつのおかげといっていいだろう。
それほど優秀で、頼りになる後輩。
彼は俺の首筋に冷えたコーヒーを当てると、
俺にそれを渡してきた。
「後輩におごらせないでくださいよ? 百円、借金増えちゃいましたね」
彼はケタケタと笑うと俺の隣に座った。
目の前にいる息子の笑顔とは違う。
全てわかっているのにこんな風に笑える彼が、
俺には理解できなかった。
「なんでお前は俺から離れないんだ? お前ほど優秀なら、どこでもやっていけるだろ?」
俺は城田に聞いた。
昔から変わった奴だとは思っていた。
ただ、俺みたいな疫病神と一緒にいて、
人生の貧乏くじを引きにくるほどの者とは思えなかった。
「う~~ん。百円返してもらうため、ですかね」
こいつは今勝手に作った借金をその理由に挙げた。
百円なんかより大切な無数のものを
俺と一緒にいたら失うことくらい分かってるはずなのに。
「理由になるわけねえだろ……お前は優秀な癖に肝心なとこだけバカだよな。俺と一緒にいて何になるっていうんだよ!! 俺と一緒に地獄に落ちたいのか? お前はもう、お前らしく生きればいいのに……」
俺は城田の軽薄な態度に怒鳴った。
俺と一緒にいたって損するだけ。
こいつを無職にしたのは俺で、こいつの時間を奪ったのも俺。
だから彼の輝かしい未来だけは奪わないと、
そう思って怒鳴ったのに――城田はそんな俺を見てまた笑った。
「僕が優秀なバカなら先輩はクソバカですね。自分で答え言ってるじゃないですか」
何を言ってるんだ?
城田はへらへらと笑いながら、
先ほど俺のものと一緒に買ってきたコーヒーを飲む。
そして数秒の無言を過ごしたあと、俺に言った。
「自分らしく生きたいから、先輩についていくんですよ。だって先輩以上に一緒にいて楽しい人なんていないんですから」
城田は続けた。
「会社を成功に一から運営できたのも、ちょっと短い栄光を掴めたのも、転落して挫折を経験できたのも、全部先輩のおかげなんですから。それに――」
城田は俺のことは一切見ず、公園の遊具を見つめながら口を動かした。
「僕は優秀ですから、どんな環境だって生きていけます。地獄だろうと、隣に疫病神がいようと、ね」
そのにやけ面が、すごく眩しく見えた。
俺は泣きそうになるのを必死にこらえ、
彼に表情が見えないように顔を逸らすと、ちょうど息子と目が合った。
俺の表情を心配そうに見ていた彼がまた、
屈託のない笑顔を浮かべた。
「俺は全てを失った。守るものが出来た矢先にこの体たらくで……」
「失うものがなくなって軽くなったじゃないですか。守るものがあるから腐ってらんないじゃないですか」
もう、返す言葉がなかった。
何も言えなくて、でも何かをしたくて。
手持ち無沙汰を解消するため、
俺は彼がくれたコーヒーを口につけた。
ほろ苦くて、その奥に甘味があって。
この味を返すために人生を賭けていいと思えるほど、
そのコーヒーは美味しかった。




