3話 俺と奈々さん家
まだまだ日差しの厳しい中を俺は奈々さんと二人並んで歩く。日傘を差す奈々さんはすごく大人の女性という雰囲気があってどうにも近づきがたい。
「なんでそんなに頑なかなぁ……」
当然相合い傘はお断りした。筋肉は日焼けしてこそだし、誰かに見られでもしたらとんでもないことになる。とはいえできるだけ木陰を選んで歩く。
汗は出るけど、何でもないようなことを話しながら歩くのは結構楽しい。奈々さんもなかなかの読書家らしく、小説の話ができる人だったのは思わぬ収穫だった。結構俺も本を読むから、ゲームばかりのクラスメイトとは時々話が合わないことがあるのだ。
「そうそう、スーパーに寄ってから行くよ。ほらこっち」
俺でも馴染みのある大手のスーパーへ寄り道する。
「何を買うんですか? あ、かごは持ちます」
「ありがと。さすがに二人分の食品は用意していないからね。茄子と豚肉で味噌炒めなんてどう?」
「良いと思います。濃いめの味付けでお願いします」
「君はたくさん食べてくれるから作りがいがあるね」
「成長期ですから」
家族以外とこうやってスーパーにいるのはちょっと不思議な感じがする。真剣な目で茄子の袋を見つめている奈々さんの後ろで、キュウリの袋を眺める。あんまり女性の後ろ姿をじろじろ見るものではない。
また、万一誰かクラスメイトがいた場合でも大丈夫なように、はぐれない程度に距離をとっておけば万全だ。が、俺のもくろみは奈々さんの手招きで簡単に打ち砕かれる。
「こらこら、かご係が離れてどうするの。すぐに入れられるようにそばに控えてなさい」
「あの、俺にも体面というものがありまして、誰かに見られるとちょっと……」
「君の体面はかご係より大事? 自分でやるって言ったくせに?」
うっと言葉に詰まる。いや、確かにとっさにかごをとったのは俺だけど。観念して奈々さんの隣を歩く。満足げな奈々さんは小さく鼻歌を歌っている。俺を良いように使い回してご機嫌だよな全く。しかし幸いにもクラスメイトや友達とも遭遇することなく無事にレジを通過できた。マイバッグの中に野菜と肉を詰めていく。
「意外と袋詰めはちゃんとしているね」
「狭いところにものを詰めるのは好きです。頭を使っている気がするので」
「君はなんというか、頭でっかちだねぇ……。こりゃ確かに筋肉付けないとすぐ転んでしまうね」
なんかよく分からないけれど、とりあえず頷いておく。どうも奈々さんは俺よりも頭がよいみたいだから。
そのまま店を出ると強い日差しにげんなりする。片手で庇を作り空を眺めるけれど、雲一つなく快晴がどこまでも続いている。仕方ないから再び影を探そうとすれば、どこからともなく俺の影が何かに覆われる。奈々さんの日傘だ。
「君のこだわりは分かるけど、今は生ものを持っているでしょう? 大人しく傘に入ること」
有無を言わせぬ圧を感じる。買ったばかりの生肉のことを考えると拒絶しにくい。こういところは大人のずるさを感じる。けど実際のところ、影があるだけで随分と涼しい。大人しく奈々さんの隣を歩く。
スーパーの中に入ってからはずっと隣にいたから、いい加減慣れてきたのもある。実際傍目から見れば姉弟にしか見えないだろうし、姉ということにしておけば誰かに見られても言い訳が利く。
一緒の傘に入ってみて分かったけれど、やはり奈々さんは背が高い。一歩の距離が違うから、俺の方がちょこちょこと脚を動かす必要がある。それが少し悔しい。ちらりと見上げてるけど、そんなこと気にした風もなくゆったりと歩いている。別にペースが速いとは思わないけれど、自分の方がせわしなく動いている気がして少しかっこ悪いように思う。
俺の視線に気付いた奈々さんが俺を見る。どうしたのと目が言っているが、特に理由もなく目線を逸らしてしまう。あんまりかっこよくないことを考えていたと思ったから。今のところ奈々さん相手には負け越しているから、あまりみっともない姿を見せるわけにはいかないのだ。この人だって、俺が越えるべきライバルの1人なのだから。
「ほらほら、見えてきたよ。あそこのマンションの3階が私の家だ」
奈々さんが指さした先には、5階建てのマンションがある。入り口には暗証番号を入れるパネルがあって、なんだか先進的だ。手慣れたようにパネルを操作する奈々さんがなんともかっこよく見える。
「一応ね、女の一人暮らしだからセキュリティのしっかりしたところを選んだんだ。その分ちょっとお高めなんだけどね」
「良いと思います。セキュリティ意識は大事ですから」
「ふふふ、君は今ちゃんと考えてないな? だんだん分かってきたよ、君のこと」
「いえ、ちゃんと考えてますし、俺は複雑なのでそう簡単には分からないと思います」
「じゃあ何を考えていたのかな? 教えてくれる?」
言葉に詰まる俺に、奈々さんがクスクスと笑う。いつも人と一緒にエレベーターに乗ると、不思議と気まずい沈黙が降りるのだけど、奈々さんの笑い声はそんなことを一切俺に思わせることがなかった。それこそ不思議な話だ。
「さあ、ここが私の部屋だ。ほらお入り」
「……はい。お邪魔します」
「いらっしゃい。実は君が来客一号だったりするから、光栄に思ってもいいんだよ?」
冗談めかして奈々さんがいう言葉に、友達いないのかな? と俺の頭に余計な考えがよぎる。けど、一瞬でぽいとその言葉を投げ捨てる。俺だって中学から友達を家に呼んだことないし。言葉に出すのにあまりに酷い言葉だと思ったから。
代わりに出してもらったスリッパについてを日頃から思っていることを言う。
「奈々さんは、この馬のスリッパが好きなんですか? うちでも使ってますし、自分の家でも使っているのはそうとしか思えません」
「かわいいでしょう? 一目惚れしてしまってね。あ、シマウマもあるよ?」
嬉しげに物入れを開けようとするその手を止められず、俺の足元に新しいスリッパが並べられる。馬でも微妙なのに、縞が入ったら余計に間が抜けている。このひどいスリッパを履くのかと暗い気持ちになる。だからもうこのことをさっさと忘れるために、お肉を冷蔵庫に入れましょうと先へと促す。そうだねという奈々さんはまだ話したりなさそうだったけど。
***
「さあさあ、どうかな私の部屋は!」
フツーでしょうと俺の両肩に手を置きながら、なぜかやけにテンションの高い奈々さん。とりあえず身長の差を感じるのが嫌で肩に置かれた手を払う。
初めて入る女性の部屋である。どこをどう見たら良いのか。そもそも見ていいものなのかに迷う。とりあえずきれいに整頓されていると思う。白い壁紙に木のテーブル。椅子も揃いの奴だ。特に目に付くようなヘンテコさはなく、むしろ妙に良い匂いがすることに俺は動揺している。おかしなものと言えば今はいているスリッパくらい。あまり見回すのも気が引けて、とりあえずシマウマと目を合わせている。
「……? ああ、リビングじゃあフェアじゃないかな。ちょっと待っててね」
そういうと奥にある扉を抜けて奈々さんが姿を消す。俺はそんなこと言ってないんだけどと、言う暇もない。ただ、奈々さん本人がいなくなったことで息を付くことができた。俺は自分で言うのもなんだけど、頭は良い方で理屈っぽいとよく言われる。何かおかしなことが起きたらまずどんな仕組みかを考えてみたりする。多分理系の考え方なんだと思うけれど。
そんな俺が、思いっきり感情に振り回されている。なんで普段通りにいられないのか、その原因は分かるのに理由が分からない。だけどこの理由を人に聞くのはよくない気がする。特に奈々さんには。なんというか、その──。
「刺激が、強すぎる……」
落ち着くために深呼吸をしてみたが、それすらなんだか悪いことをしているような気がする。
ドアの向こうからは何か物音がする。今のうちにどうにかいつもの俺を取り戻さないといけない。が、俺の平常心がどんなだったかもよく分からなくなってしまった。
心の中のシュワちゃんに助けを求める。頭の中に浮かび上がってきたのは満面の笑顔。にこやかに銃を構えている。笑いながら乱射する姿に勇気をもらう。そうだ、体を動かすべきだと、俺はそう結論づけた。
とりあえず準備としてアキレス腱を伸ばしていると、ドアが開いた。
「なんでアキレス腱……?」
「落ち着かないので……」
「そう? 自分の家、とは思えないだろうけど、そんなに気を張らなくてもいいからね」
そして俺を手招きする。
「ほら、もじもじしてないでこっちにおいで。怖くないよー」
「怖がってはいませんけどね!」
ちょっとドキドキしながらドアの中を覗く。中は6畳くらいの部屋だ。リビングと同じ白い壁紙で、左手側には机とベッドが合体したような不思議な家具が置いてある。中央には丸い絨毯と、同じくらい丸い小さな折りたたみの机がある。
「確かに、それなりに普通って感じですね」
「……改めてそう言われるとちょっと微妙な気持ちになるね」
「でもそのベッド? はあまり見ない気がします」
はしごで出入りする高い位置にあるベッドは、小学校の林間学校で泊まった宿泊所に似ている。あれは2段ベッドだけど、奈々さんの部屋にあるそれは、下の方に勉強机が設置されているのだ。なんとなく、落ち着きそうなほどよい狭さな気がする。
奈々さんがどうぞ、と言ってくれた。なので遠慮なくその机に座る。椅子はキャスター付きで、俺にはちょっと高い。けど、座ってみるとなかなかちょうど良い。奥行きはそこそこだけど、左右に広いからノートと教科書、それに資料集を広げても余裕がありそうだ。隣に立った奈々さんがパチリとどこかのスイッチを入れた音がした。天井、というかベッドを支えるフレームに取り付けられた電球が光る。
「これは、いい感じですね」
「でしょう?」
左手側を見れば、コルクボードに何枚かの写真が貼られている。バレーのユニフォームで笑っている奈々さんとその友達が映っている。
「それも良い写真でしょう?」
「はい。良い笑顔です。ここは奈々さんの秘密基地なんですね」
「ン。まあ遠からず。でも気に入ってもらえて何より」
「正直こっちの人形はよく分からないですけど」
コルクボードの下にはいくつかの人形が置いてあった。指人形くらいのサイズなのだけど、どれも目がぎょろっとしていてちょっと不気味だ。
「かわいいでしょ?」
「……」
「かわいいね?」
「……」
「かわいいね?」
結局ハイというまでその質問は続いたのだった。やっぱりこの人おかしいよ!
***
「上はベッドになっているんだけど、さすがにそっちには入れられないかなぁ」
「奈々さんより体重は軽いですよ」
「……。君はまだひょろいものね。まあさすがにね」
そのさすがの意味はよく分からなかったけれど、ちょっと残念だ。林間学校の時はじゃんけんで負けて下で寝たから、上で寝る感覚を試してみたかったのだけど。背伸びしてどんな風か覗いてみれば、ベッドの奥側にある何かと目が合った。びくりとした俺に、奈々さんが笑う。そしてはしごを少し登って、置いてあるそれを見せてくれた。
「これはね、魔除けの置物兼目覚まし。ほら、ボタンを押すと目が光るんだよ」
多分シーサーとかだと思うその置物は、奈々さんがボタンを押すたびに目を光らせている。確かにシーサーが口に時計の盤面を咥えていて、時計ではある。けど見にくすぎるし、そもそも魔除けを目覚ましにする意味が分からない。なにか言おうとしたけれど、奈々さんは次のものを取り出してきた。
「こっちはお面! 高校の学祭で作った奴だよ。オーダーメイドで私の顔にぴったりなんだ」
自分の顔にはめて見せてくれたが、不気味の一言しか出てこない。土偶とかはにわとか、多分そういうのをイメージしたんだと思うけれど、うっすらと空いている目の穴が妙に怖く見える。
何も言わず目をそらす。奈々さんも落ち着いたらしく、無言でお面をベッドの奥へと戻した。
とりあえず目を向けたのはベッドと反対側の壁だ。どうやら奈々さんはあまり家具を置かないみたいで、白い壁紙は広大なスペースとなっている。これくらいあれば、俺の部屋のポスター全部を貼っても余裕があるな……。
「ここに──」
「遠慮しておくよ。私は肉体美を目指してはいないからね。というか人の部屋にポスター貼ってどうするの」
確かにそうだ。いや、でも参考にはなる。いつか俺が一人暮らしをしたら、このくらい大きいスペースに好きにポスターを貼るのだ。これもイメージトレーニングかもしれない。
「なんだか不穏なことを考えているな? でも頭の中だけにしておきなね」
「そうします。でも俺はいつか自分だけの広い壁を手に入れますよ!」
「そう……」
なぜか全然興味のなさそうな奈々さんだが、気を取り直したように手を叩いた。
「そろそろご飯の支度を始めようね。今日は手伝ってくれるかな?」
「良いですよ。お味噌汁くらいしか作れないですけど、それでよければ」
「……なんでお味噌汁は作れるの?」
「小六の時、家庭科の調理実習で作ったことがあります」
「なるほど。じゃあお味噌汁係を頼むね」
俺は快諾した。
その日は奈々さんの宣言通り、豚肉と茄子の味噌炒めものだった。俺のちょっと味の濃い味噌汁と一緒に食べたのだけれど、俺はこれがもしかしたら一番好きな食べ物になったかもしれない。
流石に帰り道送ってもらうことは断った。だけど、人のうちで夕食をご馳走になるというイベントをこなした俺は少し大人になったのではないかと1人うむうむと頷いてしまった。




