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2 「あテテまる」と「あたたまる」

全32話!毎日更新


 

 入口の扉の鐘がカランコロンと軽快な音をたてて来客を告げる。緑の木の扉から姿をのぞかせたのは、本日ふたりめのお客様だ。

 浴衣にも似た黄色い衣装に太めの赤い腰布姿はあまり見ない。鼻の頭を赤くして縮こまるように肩を竦めて入ってきた男性は、薪ストーブに温められた店内に入るや、ホッとこわばりをとく。


「いらっしゃいませ。おひ、お、ひとり、デスか?」

 

 ひとりという言葉が合っている自信がなくて、人差し指をたてて1を示すと、少し怪訝そうにしながらも頷いた。

 

 昼を過ぎた時刻。来客が増えるのはこれからだ。

 四つある四人掛け席はまだ全部空いている。けれど、この後のことを考えると、ひとりでの来店ならば、壁際のカウンター席を勧めたい。


 「あちら」「席」「座ってください」


 頭のなかから覚えたての単語を引っ張り出す。


「アチら、の……」

『お、そこいいかい?』

「エ、」


 いいかい? はなんだっけ。えーと、許可を求める言葉で。

 考えているうちに、お客さんはたった今、私が拭いたばかりの四人掛け席の椅子をひいた。


『娘さん、見ない顔だね。新入りさんかな?』

「あ、えと……」

『……? まあいいや。今日の日替わりはなに?』


 今日。のあとがわからなかった。もう一度言ってもらわなくちゃ。


「モウ一度、お願いシマ、した」

『なんだ、嬢ちゃん、耳でも悪いのか? 今日の、日替わりは、なんだい?』


 男性の野太い声が一段大きくなる。

 怒っている顔には見えないけれど、二度も言わせてしまったから気分を悪くさせてしまったんだろうか。

 そう思って焦ると、ますます言葉が出てこなくなる。


 今日。日替わり。なに。それは聞き取れた。


 きっと今日の日替わりメニューはなにかきかれたんだろう。バクバクする心臓を宥めながら「今日は、」と口を開き駆けたところに、店主であるリゼさんが厨房から戻って来た。


『なんだい、大声で。あら、久しぶりね。またヤフェエール(おとなり  )で商売かい?』

『お、リゼ。なんだ、この店もちいと来ない間に若い娘に代替わりしたのかと思ったぜ』

『ふふ、それはもうしばらくは先かしらね。今日の日替わりはトマティーヌのシチューよ。さっき息子(ノクス)がランシュアのパイも焼いていたから、甘い物が食べたけりゃそっちもおすすめね』

『おぉ、シチューか。そりゃいいね。今日も風が冷たいったらないさ。この時期は南でだけ商売したいもんだが、そうもいかんしな』

『違いないわね』

 

 お客さんと笑い合ったリゼさんは私に向き直ると、「日替わり、ひとつだよ。ノクスに、言っておいで」ミワにもわかるように言葉を句切って伝えてくれる。

 こくこくと頷いて厨房へと向かうべく背を向けると、リゼさんがさりげなく励ますように背中をポンポンと叩いて送り出してくれた。


『あの娘っこは耳でも悪いのかい?』

『あの子は遠くの国から来て、まだこっちの言葉に慣れてないのさ。大目にみてやってね。とってもいい子なんだから』


 背後ではリゼさんとお客さんとで会話が弾んでいるのが声のトーンでもわかる。けれど、何を話しているのかまではよくわからない。


 この食堂カローレはヤフェエールとの国境近くにあり、フェルディリアから隣国へと行き来する商人が多く立ち寄る町にある。

 そのため、訪れる客は旅人、主に商人が多かった。場所柄、町ではフェルディリア( この国  )ヤフェエール(となりの国)との共通言語であるヴルグス語を使う人がほとんどだ。

 おかげで覚えなくてはならない言葉は目下一言語で済んでいる。もっとも、まだ覚えているというレベルにはほど遠いけれど。


『遠くの国? そりゃまたどこから? まさか遠き彼方の楽国( てんごく )あたりじゃないだろうな』

『何言ってんだい。でもまあ聞いたこともない国さ。ニホ、ン? って国の出だそうよ』

『ニホン? はあん、どこだいそりゃ。聞いたことはねぇな。若い娘が遠路はるばるご苦労なことだ』


 かろうじて「ニホン」は聞き取れたから、私がどこから来たかなんて話しでもしているのかもしれない。


 聖女として別の世界から呼ばれたんですよ。急に。無理やり。強制的に。


 なんて言ったって、きっと誰も信じてくれないし、それを説明できるだけの語学力もない。

 零れそうな溜め息をぐっと飲み込んで、店の奥の厨房カウンターからノクスに声をかける。


「ノクス」


 オーブン窓を覗き込んでいた琥珀の瞳は、すぐにこちらに向けられた。

 

「日替わり、ひトつ。オ願い」

 

 先ほどお客さんにしたのと同じように人差し指をたてて、一人前の注文であることを示す。

 トマティーヌのシチューは、忙しくなる前にと先ほどまかないで食べさせてもらった。

 トマトに似た、もう少し酸味のある野菜と、ごろごろの塊肉を煮込んだシチューだ。

 ほろほろと口の中でほどけていく肉にはよく味がしみていて、本当においしかった。

 寒い中移動してきたお客さんなら、なおさら体に染み渡るだろう。


「日替わり、ひとつ、だな。わかった」


 よかった。ちゃんと伝わっている。ホッとして言葉をつないだ。


「今日、寒イ。シチュー、おいしい、あテテまる、ね?」


 伝わったかな? と様子を窺うと、ふと真顔になったノクスは、すぐにやわらかなまなざしで軽く首をふった。


「あたたまる、だ」

「あたたまる、だ」


 オウム返しに呟くと、小さく笑って頷いてくれる。


「あたたまる、だ。……だ? あたたまる? あたたまる」


 覚え込むように、口の中で幾度も繰り返す。

 彼はそんな私に背を向け、厨房のテーブルに行くと、マグカップを手に戻ってきた。

 白い湯気をたてたマグカップからは、さわやかなミントのような香りがしている。最初に来ていたお客さんの食後のお茶だろう。


「カウンターの、男、ガル。わかるか?」


 軽く顎でカウンター席をさすノクスに頷いて、カップをトレーにのせる。


 カウンター席の男──名前はガルさんというそうだ。ブラウンレッドの髪が目を惹く彼は、ここ三日、続けて昼を食べに来ている。

 ノクスやリゼさんとも元々の知り合いのようで、気安く話す姿も目にしていた。

 私にも話しかけてくれるけれど、まだほとんど言葉がわからない私は、誤魔化すように愛想笑いを返すのがやっとのことが多い。


「お待たせ、シタよ」


 マグカップを目に前に置くと、手にした新聞から顔をあげた男は、「ありがとう。ねえ、きみ、ニホンから、来たの?」と尋ねてきた。


 よかった。今日はわかる単語ばかりだ。安堵して頷いて背を向けようとすると、


『"ニホンてどこにあるの?"』


 ニホン以外なにひとつ聞き取れない。


『……アーム語( これ )も駄目か。"いつからここで働いているの?"』


 まさか口説かれているのかとも思えるほどの甘やかな声音で言った彼は、それも通じないと気付いたのか『おいおい』と天を仰いだ。


コムーニス語( こっち  )も駄目なのか。わからないふり……でもないか。"きみ、かわいいよね"』


 困った。こんなにいろいろ言葉を投げてくれているのに、わかる単語が全然ない。

 どうしようと視線をめぐらせると、つかつかと歩み寄ってきたリゼさんが両手を腰に当てて口を開いた。


『ちょいとガル、ミアをからかうんじゃないよ』

『からかったわけじゃないよ、知ってる言語で意思の疎通を試みただけ。ね、ミアちゃん』


 名前を呼ばれたことだけはわかり、愛想笑いで誤魔化す。

 

『うーん……ニホンねぇ。ひとつくらい掠るかと思ったのに、どの言葉もわからないなんて、ここいらの国とは交易もなにもない国なのかな? そんなところから、なんでフェルディリアに来たわけ?』

『人には事情ってもんがあるんだよ。ましてや女の事情を詮索するなんて、男の風上にもおけないね』

『詮索って、かわいい女の子のことを知りたくなるのは男として当然じゃない?』

『おい、いい加減にしておけ』


 振り返ると、ノクスが先ほどきた客の料理をテーブルに置いていた。

 私がすぐに戻らなかったから、彼に運ばせてしまったようだ。ホール係失格だ。

 

「ノクス。ごめん、ネさい。私、遅い」

「大丈夫、だ」


 あ、今のはわかった。大丈夫って言ってくれた。

 ホッと肩の力を抜きつつも、もう一度「ごめん」と返す


 大丈夫、と。

 初めてこの世界に来てから、幾度となくそう言ってくれた。

 


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