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第三章 月夜(つくよ)無霜(むそう)


食卓にかぶりついて夢中で食べている庄莫言しょうばくげんと、テーブルの上で子犬のように匂いを嗅ぎまわっている月夜無霜を見つめながら、樊清雪はん・せいせつはそっと額に手を当てた。


──自分、おかしくなったのかな。いや、これはもう、あの絶世の美少女・霜霜しもしもに魂を奪われたんだ。完全に沼。沼ですわ。


だって、どうして抗える? あの小さな人形ひとがたの、純真無垢にして九分の清澈せいてつ、一分の怯えと期待を宿したあの瞳──。もう、いっそ奪っちゃって自分で育てたい! と、樊清雪はこれで十八度目の「霜霜強奪計画」を胸中で練り直した。


眼前にあるふっくらとした愛らしい顔立ち。眉は遠くの青山のように凛として、瞳には二分の気高さと八分の清らかな冷気。庄莫言はふと、あの老詐欺師・元天罡げんてんこうがよく口にしていた一編の詩を思い出す。


夕暮れに雪が降りしきり

清き寒さは眠るに最適

寒氷は臘月ろうげつを映し

鳳の竹が紅顔を染める


莫莫もも、お願いだからそのニヤけた顔やめてくれる? まるで豚の発情期よ。恥ずかしすぎる! 見なさい、旺財おうざいを。あれこそが“我こそ絶世の美”って堂々とした構えってものでしょ?」


──霜霜の冷たく不満げな声が、庄莫言の脳内に直接響いた。


隣を見ると、いつものように「忘憂ぼうゆうレストラン」に来るなり勝手に一席を占領し、「金鶏独立きんけいどくりつ」の姿勢のまま、まるで彫刻のように微動だにしない我らが絶世の美ニワトリ──旺財が鎮座していた。


「ここね、クルー専用の非公開食堂なんだ。旺財はここに来るといつもああなるの。だからレイロ隊長──つまり船長ね、レストランに“忘憂”って名付けたんだ。『旺財みたいに、自立して無憂であれ』って願いを込めてね。」


「なるほど。で、旺財はそのために訓練されたわけ? 一足立ちはまっすぐ、もう一足は曲げて収納…レイロ隊長、マジで天才だわ。脱帽どころか、土下座したいくらいよ。」


樊清雪はまたもや額に右手を添え、左手をぎゅっと握りしめた。


なるべく優しい声で尋ねる。


「もう…お腹いっぱい、ですか?」


「霜霜は、俺の親父が遺してくれた唯一の存在なんだ。自分で造ったか、どこかで手に入れたかはわからない。でも霜霜は俺にとって“家族”だ。大切な、大切な血のつながり以上の存在。だから…霜霜をただの人形扱いするのはやめてほしい。……ごちそうさまでした、美人さん。」


その言葉に、樊清雪はハッとした。

ひ弱そうな少年が、その瞬間全身から不思議な威圧感を放ち始めたのだ。

あの紫の瞳には、人の心を見透かすような光が宿っていた。

──彼の視線に晒されると、己の心の奥底まで洗いざらい見透かされている気がした。


数年後、樊清雪は本当に月夜無霜が庄莫言にとって何を意味するのかを理解した時、

彼女は心から願った。──どうか、あの時理解しないままでいられたらと。

いや、神にも悪魔にも誓って、願わくばあの時、消えるべきだったのが自分であってほしかったと。


なぜなら、それは庄莫言の人生で最も暗い瞬間の始まりだったから。

彼が闇に堕ちていく心を、自分の全てを賭けても救うことはできなかった。

──それは、もう以前の彼ではなかった。

それは、月夜無霜のためなら世界全てを敵に回しても構わないと、

自ら暗黒の災厄の始まりを引き起こすような、別の庄莫言だったのだ。


「モモ、あんたほんっっっと卑怯よっ! なんで正眼法蔵なんて使ってんの!? あれ教えたの、そういう使い方のためじゃないからっ!」


霜霜は、庄莫言の頭に飛び乗ると髪をぐいっと掴んで叫びはじめた。

焦りすぎて、意念通信テレパスすら忘れてしまっているらしい。


樊清雪はその様子を見て、はっと我に返った。あの不思議な紫の瞳の残像も頭の中から消え去り、慌てて言った。


「い、いえいえ、慌てなくて大丈夫です。足りなければ、まだいくらでも注文できますから。あっ、そうだ、自己紹介してなかったわ。私は樊清雪。ニナ号の艦長補佐です!」


「うん、もう満腹です。本当に感謝。俺、庄莫言。で、こいつが霜霜。月夜無霜。『月』ってなんだか知らないけど、母星の衛星の名前らしいです。」


そう言いながら、庄莫言は霜霜の体を丁寧に整えた。髪を引っ張られてる痛みなんて、感じてないかのように。


庄莫言は決して忘れない。

父が家を出てからというもの、暗黒の司命城で生き延びてこれたのは、霜霜がそばにいてくれたからだ。


食うにも困る時期、霜霜は自らを“眠り”に落としてまで、庄莫言からエネルギーを吸わないようにしていた──ナノ人形にとって眠りとは、死とほぼ同義だというのに。


霜霜はただの人形じゃない。

世界に一つだけの存在。喜怒哀楽があり、意念で会話でき、感覚も共有できる。

さらには霜霜から学んだ知識や技術は、到底“人形の知識バックアップ”では説明できないレベルのものだった。


霜霜には、他にも特異な能力がある。

それは、他者の“感知”を遮断する力だ。

動物や植物の知覚すら封じてしまうのだ。


この星では、植物ですら危険を察知すれば攻撃してくる。

それでも、庄莫言が何度も命拾いできたのは、まさに霜霜のその能力のおかげだった。


だから彼女は、常に“感知遮断”をデフォルトとしている。

にもかかわらず──なぜ、元天罡と樊清雪には霜霜が見えているのか?


──霜霜の能力が失われた? いや、旺財は今でも彼女を認識できていない。


元天罡は……例外中の例外。どうやって感知したのか、霜霜自身すら分からない。

七日七晩付きまとわれて、無理やり三種類の飛天変化──引路、簪花、捧果──まで演じさせられた。


では、樊清雪は? なぜ彼女も霜霜を“視る”ことができる?


正眼法蔵を試みたが、またも霜霜に遮断された。見えたのは、彼女の性霊根器のほんの一端──「通明つうめい」という資質だけだった。

しかも、うっかり見えたのが……え、意外とナイスバディ……?


「モモ、鼻血出てるよ……」


「人間、食べすぎると鼻血が出るものなんだよ」


──これが、後に「絶対に腹一杯食べない」を信条とする、樊清雪の“樊式ライフ哲学”第一条となるのであった。



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