第十七章 奈落の歾
奈落の氷山は、まさに天を支える柱のごとくそびえ立っていた。しかし内部の幽藍色の光点は次第に減り、やがて一つ残らず消え去り、山全体が深い闇に包まれた。
その山頂に、一本の瑠璃色に輝く高大な光の樹が地から伸びていた。数えきれぬほどの青い枝の下には無数の白い光点が雨のように降り注ぎ、樹下で眠る庄莫言と冷凝霜を全身覆い尽くした。光点は静かに二人の内へ吸い込まれ、神魂の傷を癒やしていく。二人のあいだには、まるで呼吸するかのように淡く輝く巨大な白い光の繭が立ち上っていた。
樹のそばで覚醒していたのは、夏后星命と雷鳴の二人だけだった。
「雷鳴、おまえには自覚があるはずだ。この『奈落の心』という空間とおまえの命は繋がっている。おまえの肉体は飓風奈落が収集したかつての断片から再生された器であり、その内部に本源霊識を宿すための容器なのだ。ゆえに、おまえがこの空間を離れれば死ぬ。高通星の潜在的な選別機構が、おまえの存在を完全に消し去るだろう。だが、ここに留まっても、おまえは死ぬ。私が奈落の霊識をすべて使い果たせば、この空間も他のハリケーンと同じく消滅するからだ」
雷鳴は静かに頷いた。
「それでも、ここにいる。妹を見守るためなら、どこへも行かない。自分は本当の雷鳴ではない。脳裏の記憶も雷洛が『旧夢』で与えた幻でしかないかもしれない。だが、心だけは真実を告げている。俺が生きる意味は、妹・雷洛を守ることだけだ」
「雷洛、心配はいらない。彼女にはすでにこの空間の霊識エネルギーの60%を分け与えてある。小娘よ、大難を逃れれば必ず福がある。彼女が自らの結晶核を見つけられれば、天位への道は開ける。至親を守るというのは尊いことだ。だが雷鳴、おまえは知っているか? 九年前、なぜ飓風奈落は啓明城を襲ったのか? そして九年後、なぜ再びこの地に戻り、啓明城を再び標的にしたのか? それが単に『生きたハリケーンだから』というだけなのか? 彼らには意識がある。思考がある。そして啓明城に執着している。これこそが最大の問題であり、最大の破綻だ! おまえもそう思うだろう、奈落?」
夏后星命は法神の眼で奈落の氷山に残る無数の幽藍色光点を見抜いた。それは千百年にわたり飓風奈落が積み上げた意識エネルギーの残滓だった。封鎮針でその霊識を縛り、純白のエネルギーに変えて雷洛、冷凝霜、庄莫言の神魂を回復させたのだ。
やがて、腕ほどの長さだった木杖は光の樹の幹へと変じた。幹には幽藍から青へと移ろう螺旋の紋様が刻まれ――それは「奈落の魂印」と呼ぶべき、飓風の形を成していた。
夏后星命はその青き刻印をにらみつけ――
「奈落、死んだふりはよせ。聞こえているだろう?」
すると、中性的な声が魂印の奥から響いた。
「夏后様、なぜそんなにご執心を……私には、千年のあいだ蓄えた力を奪われてなお、何かお望みがあるのですか?」
「ははは、奈落よ、私が本当におまえを滅ぼせないと思ったか? この封鎮針を壊せると?」
夏后星命は小さな拳大の紫晶を取り出した。これは「神念晶印」と呼ばれるもので、神念を一部切り離して実体化したものだ。最強の高位法神しか作れない逸品である。失われた神念は二度と戻らないため、通常は作られないが、鮮烈な一撃を放つには必要な装備だった。
「これは『崩拳晶印』、私の夫・庄重の術式だ。奈落、この晶印がこの封鎮針を砕くと思うか?」
「夏后様、ご勘弁を! きちんとお話しします!」
「なら、三つだけ答えよ。
一、なぜ二度にわたり啓明城を襲ったのか?
二、おまえに封鎮針を植え付けたのは誰か、あるいはおまえを操る黒幕は誰か?
三、おまえは死にたいのか、生きたいのか?」
夏后星命は淡々と神念晶印を指先で弾きながら、氷の樹に浮かぶ奈落の魂印に問いかけた。
奈落の心――その頂に立つ青き光の樹は風に揺れ、幹は微かに震えていた。そして飓風状に渦巻く青い奈落魂印が応答する。
「夏后様、私が啓明城を襲ったのは、啓明塔にある『晶歌自由の門』のためです」
まさしく『晶歌自由の門』――飓風奈落が二度にわたりその門が開く瞬間を狙って現れたことは、偶然などではなかった。
「夏后様、封鎮針にまつわる記憶は、私は一切ありません。私が初めて意識を芽生えさせた時には、すでに針は刺さっていました。大小双日の真実に誓って、私は本当に知らなかったのです」
「小太陽イダス、大太陽リンクス――おまえの力の源とされてきた双子の星は、飓風の信仰の的だった。しかし真実は違うのだろう?」
「封鎮針を見ればわかります。一方ではおまえの本源霊識の傘であり、針が砕けぬ限り霊識は不滅だ。だが他方で、千年のあいだおまえを縛りつけてきた牢獄でもある。風相水命という運命を司り、高通星を巡るおまえを抑制する道具……命環を自在に漂うおまえが、なぜ一度も天位へと進めなかったか、考えたことはあるか?」
「夏后様、私は遅まきながら気づいただけです。だがもう手遅れだ……本源霊識が制御されている以上、どうにもなりません。どうか手をお貸しください! 千年に一度の、生きた飓風なのです!」
奈落は、夏后星命こそが高通星唯一の純化精神力による天位の封印師であると知っていた。彼女こそが、奈落の唯一の生き延びる道なのだと。
夏后星命は少し考え込んだ後、宣言した。
「百年の誓いならば受けよう。しかし、おまえが仕えるのは私ではない。彼――庄莫言に誓うのだ。
そして、おまえはあそこの大男を生かしてここを離れさせよ。
最後に伝説だが、すべての飓風の皇は天賦の神匠である。だからおまえがあの二人の武器を精錬し、修復すること。以上だ」
「夏后様、お望みならば――私は生きるために、まず『歾』を遂げます。死すれば生まれ、生まれれば死す――それが私の道です」
……
時が白馬のように駆け去る間に、いつの間にか三日が過ぎていた。
ニーナ号は吉吉島沖に三日間停泊していた。樊清雪と月夜無霜は甲板に立ち、船体外壁を執拗に攻撃し続ける無数の海蟹を見つめていた。果てしない蟹の波が船を取り囲み、絶え間なく押し寄せてくる。月夜無霜の小さな顔は緊張でこわばり、眉は深く寄せられていた。彼女の身にまとわりつく凍気は日に日に強まり、外の寒気を増幅していた。
司命城以来、月夜無霜は庄莫言と脳波で結ばれていた。だがあの断絶以来、二人がこれほど長く離れ離れになったことはなかった。焦燥と不安が月夜無霜の胸を焼き、やがて制御不能なほどの核心――天演之球を揺るがせた。内では心火が激しく燃え上がり、外では凍てつく表情が固まっていた。
吉吉島沖の海上――ニーナ号の甲板で、月夜無霜は初めて人間の感情の奔流を味わっていた。
突然、どこからともなく「チン、チン」という鐘のような音が脳裏に響き、蝉の声さえ思わせる澄んだ余韻が広がった。
樊清雪の驚きの視線のまま、月夜無霜の姿は静かに変化した。天青色の優雅な飛天人形の衣をまとい、璎珞の宝冠をいただいた従来の姿から、一転して黄金の羽衣に身を包み、金色の翅を広げる大鵬へと生れ変わった。瞬く間に羽ばたくと、一条の金色の閃光となって空へ消え去った。