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翡翠の兆し-龍を孕む都市- 4


 鉄扉の向こうは、静かだった。

 だが、密閉されたはずの空間には、かすかに空気の脈動があった。

「……ここです」

 佐久間が低く言った。手には、タブレット。そこにはビルの設計図が映し出されている。指でなぞるように示した先は、今いる立ち位置のすぐ下だった。

「再開発前、この位置に古井戸がありました。今は排水制御のためのタンク扱いで、地図からも抹消されてますが——明らかに埋めた跡があります」

「答え合わせといこうか」

 ケイがスマホを操作しながら軽く笑い、非常用ライトを点ける。

 昊天は無言のまま、黙って先に歩み出る。

 地下三層、使われなくなった旧施設の奥。

 そこに、重く錆びた扉がひとつ、斜めに歪んでいた。


 ——ギィ……


 扉を開けた瞬間、三人の鼻腔に、湿った気のにおいが入り込む。

 ただの湿気ではない。水と鉄と、何かもっと古くて重い記憶のような気配。

 中は、吹き抜け構造のタンク状の空間だった。

 中央には水が溜まっており、その水面は黒く、濁っている。

 非常用のライトの光を受けると、一瞬だけ翡翠色の輝きがゆらめいた。

「……あれ、なんですかね」

 佐久間が指をさす。

 水面に、小さな何かが浮かんでいた。

 それは——破片。だが、ただのガラスではない。

 翡翠色に淡く輝く、鋭利でうねりのある鱗のようなかけら。

 龍の気配が結晶化したかのような異質な存在だった。

「……龍の鱗のメタ(結晶)だ、なんであんなとこに」

 ケイがぽつりとつぶやく。

 その声が、タンクの壁面に反響し、わずかに揺れる空気と重なる。

 昊天が一歩、床の継ぎ目に手をつき、瞑目する。

「……この空間、まだ呼吸している」

 確かに、そうだった。

 誰も話していないのに、風が通り抜けるような音が聞こえる。

 水面が、周期的にわずかに揺れる。

 まるで何かが——下から息を吐いているかのように。

「……こいつ、通り道を確保しようとしている」

 ケイがスマホをかざし、専用アプリを起動すると、ARレイヤーに淡い青色の霧状の気が井戸の底へ渦巻いている映像が浮かぶ。

「このままだと……また、出てくる」

 沈黙のなか、翡翠の破片が、ひとつ、ゆらりと水中へ沈んでいった。

 濁った水の中央、ゆるやかにうねる気の渦を見据えながら、懐から八卦鏡を取り出す。

 昊天が静かに右手を上げた。

 指の間には金色の符が挟まれ、静かに呪を唱え始めた。

 彼の周囲に、淡い光の輪が浮かび上がりはじめた。

「天清地寧、急々如律令——六合封陣、展開」

 低く静かな声とともに、結界が張られていく。

 昊天の足元に現れたのは、伝統的な道教術の陣——八方位に展開する符術の軌跡が、床に淡く輝く。

 一方、ケイも指を素早く動かし、スマホ画面をタップすると画面上に複数の符が展開される。ARレイヤーには都市の電力網と接続された青白い光のネットワークが空間全体に広がっていく。

「こっちは龍の気の流れに干渉してみる。現代風に、な」

 アプリが符を次々と自動的に展開し、空間内にデジタル結界を構築し始める。都市全体の力を借りて井戸の気の流れを押さえ込んだ。

 ——しかし。

「……っ、なんだこれ……」

 気の流れが一瞬、大きく乱れた。

 昊天の八卦陣がぐらりと揺らぎ、ケイのAR表示がノイズを帯びる。

 陣と術式の周囲で、空気がびりつくような反応を起こした。

「術式が干渉してる……?」

 佐久間が驚きに声を漏らすと、昊天が睨むようにケイの方へ視線を向けた。

「異質すぎる。……術式が噛み合っていない」

 彼の声は冷静だったが、その眉間には明確な苛立ちが滲んでいた。

「おまえの術は、気の形を映すが、抑えるには不向きだ。その不安定さが、こちらの結界を揺らがせている」

 ケイはスマホを見下ろし、肩をすくめた。

「けどさ、兄貴の術式だけじゃ、もう抑えきれてないってことだろ?」

 昊天の表情が一瞬だけ固まる。

「……何?」

「こいつ、もう都市を通じて気を増幅してる。古い結界だけで蓋をしても、内圧に負けて破裂する。だったら、こっちも都市の方法で動かすしかないだろ?」

 ケイはAR表示のノイズを抑えるように、さらに一手加える。

 新たに浮かび上がったのは、都市の電力網と結びついた術式回路。まるで街全体を結界の補助装置として利用する構造だった。

 昊天は言葉を返さなかった。

 確かに、ふたりの術式は異質だ。正統と邪道、古式と現代。

 交わるはずのなかった系統。

 だが、佐久間はふと考える。

 今は術式同士が干渉し、かえって気の流れを乱している。

 けれど——もし、龍の正確な居場所が定まれば?

 それぞれの術式が、ひとつの目標に向けて調律されれば——きっと、共鳴は可能なはずだ。

「……俺が視た。なら、多分、座標に使えるはずです」

 ケイと昊天の間に、佐久間が一歩踏み出して割って入った。

「龍の気配……俺、あれを確かに視たんです。映像じゃない、記憶じゃない。今もまだ、胸の奥に残ってます。だから多分、追えるはずです」

 昊天の目がわずかに揺れる。

「……術式の中心に立てば、気のすべてがそこに集束する。媒介として力を通す以上、代償を伴う可能性がある。生身の人間には……重すぎるかもしれない」

「けど、それ以外に方法はないだろ」

 ケイが肩をすくめ、スマホを再起動しながら言う。

「行けるか、佐久間?」

 佐久間は、一瞬だけ目を閉じた。

 脳裏に、あの翡翠の鱗と、割れた空間を駆け抜けた龍の残像がよぎる。

 そして——静かに頷いた。

「……はい。俺がやります」

 水面の淵に立ち、佐久間はゆっくりと中央の石板へ歩を進める。

 まるで井戸の中心が呼吸するように、気の渦が足元にまとわりついてくる。

 それでも、彼は躊躇わなかった。

 ケイがスマホを高く掲げる。

 ARレイヤーが再び起動し、井戸の周囲に気の流れを描き出す。

「龍の気、全解放——安定波動へ同期」

 その光が佐久間を中心に集まり、ゆっくりと螺旋を描いて渦をなす。

 同時に、昊天が八卦鏡を掲げ、結界の起動符を空中に放った。

「六合封陣、極点指定——中央結節点を定座とする」

 昊天が八卦鏡を掲げると、符術の八方向の光が佐久間の足元へと集中し、昊天の術式とケイのデジタル術式が融合した光の柱が爆発的に立ち昇った。

 彼の身体を媒介にして、二つの術式が共鳴を始めた。

 気の奔流が轟音のように吹き上がり、タンクの壁面に反響する。

 龍の気配が暴れ、まるで井戸の中から戻ろうとしているかのように渦を巻く。

 ——その一瞬、佐久間の意識が、ふわりと浮いた。

 背骨を伝って何かが這い上がってくるような、奇妙な感覚。

 視界の奥で、翡翠の光が揺れる。

 輪郭を持たない、しかし確かにそこに在る龍の気配。

 魂ごと引きずり込まれそうな感覚に、思わず膝が震える。

 何か巨大なものに「見られている」と感じた。

 だが、それでも——視線を逸らさなかった。

 その瞬間、ケイのスマホが軌道修正をかけ、昊天の八卦鏡が蓋のごとく結界を形成する。

 暴れる気の渦が急速に収束し、光の柱が中心へと収斂していく。

「——いけ!」

 最後の一声とともに、術式が重なり、佐久間の身体を中心に光の柱が立ち昇った。

 本来なら混じり合わないはずの術式が、佐久間を媒介にして共鳴を始める。視えた器を通して、ひとつの呪が紡がれてゆく。

 翡翠色の破片がふわりと浮き上がり、やがて光の渦に吸い込まれる。

 そして——井戸が、静かになった。

 黒く濁っていた水面は、ゆるやかに平らになり、気配は、底へ底へと沈んでいく。

 その中心に、八卦鏡がひとつ、静かに降りていった。

 翡翠色にきらめいていたガラス片が、ゆらりと水面を漂い、やがて静かに——沈んでいった。

 井戸の口には、八卦鏡がぴたりと収まる。

 音はなかった。だがその瞬間、空間を満たしていた気のうねりがふっと消える。

 上下に渦巻いていた気の流れが断たれ、空気が静まり返った。

 昊天がゆっくりと歩み寄り、目を閉じたまま、結界の気配を確認する。

「……収束」

 それは、淡々としていながらも、どこか深い安堵を含んだ声だった。

 佐久間はふらりとバランスを崩し、その場に膝をつく。

「はぁ……、よかった」

 肩で息をしながら、ぎこちなく顔を上げる。

 視界が少し揺れていたが、意識ははっきりしていた。

「はーい、お疲れさん」

 軽い調子の声とともに、ケイが佐久間の前にしゃがみ込む。

 手にはスマホ。専用の風水アプリを起動したままだ。

 ケイはスマホを佐久間の方にかざして、画面に向かってひとこと。

「龍脈の封印終了っと。ログ、保存ね」

 画面に表示された術式の履歴が、完了の文字とともに記録される。

 データ化された気の流れと、封印の座標。

 都市の奥底で交わった術式の痕跡が、スマホという現代の器に保存された。

 佐久間はぼんやりと笑う。

「記録って、そういう感じなんですね……」

「そ。俺はアナログの巻物持ち歩く趣味ないから。あとでクラウドにあげとく。共有しよっか?」

「いや、いらないです」

 ケイがクスクス笑いながらスマホをしまう。

 その後で昊天が歩み寄って佐久間を見下ろした。

 表情は変わらないが、声色はわずかに柔らいでいた。

「……術者ではない者が媒介になった例は少ない。君のような立場で術を成した記録は……ほとんど存在しない」

 佐久間は何も答えなかった。

 ただ、あの井戸を静かに見下ろしていた。

 もはや気配はない。

 けれど——彼の内側には、確かに視えたものが焼きついていた。

 その横で、ケイが腕を組みながら小さく笑った。

「な?正解じゃなくても、成立はするんだよ、兄貴」

 昊天はふと視線を向けたが、返す言葉は短かった。

「否定はしない。……ただし」

 淡々と告げる。

「次も、通用するとは限らない」

 ケイは肩をすくめて目を細めた。

「そうやってまた、世界を型で閉じようとする……それ、癖だよ、兄貴」

 ふたりの視線が交差し、また静かに外れる。

 井戸の封印は終わった。

 だが、誰ひとりとして「終わった」とは言わなかった。



 【観察ログNo.0425/収束後記録・抜粋】


 ——観察終了。

 ——対象は「人工龍」の発芽段階で一時停止。

 ——媒介の使用は予想外の展開。

 ——だが、まだ未成熟である。

 ——育成の余地あり。


 井戸に八卦鏡が静かに沈み、

 龍の気配が完全に封じられた空気の中——誰もいないはずのフロアの影に、ひとりの男が佇んでいた。

 白い髪を後ろに流し、琥珀色の瞳が、残された空間を静かに見下ろしている。

 教授プロフェッサーことヘンリー・ティエンロンだった。

 その掌には、さきほどまで井戸の水面に浮かんでいた翡翠の破片が一枚だけ、残っていた。

「……なるほど。兄弟で陰と陽を補完し合うとは、悪くない構図だ」

 教授はくすりと笑い、破片を指先で撫でる。

 その瞬間、翡翠の破片は淡く結晶化し、記録媒体のように輝きを帯びた。

「しかし……視えないはずの者が、視たものを通して術を成した、か──」

 教授は破片を掲げ、まるでレンズのようにそれを覗き込んだ。

「あの子も悪くない。予定外のノイズは、ときに最良の記録になる」

 彼は破片を迷いなくポケットに滑り込ませる。

 まるで、最初からそれが鍵だったかのように。

「さて、まだ眠っている龍脈の方はどうなっているかな」

 小さく笑ったその声は、誰に届くこともなく、ただ闇へと溶けていく。

 ——静かに、記録帳のページが一枚、音を立てて閉じられた。


追記


【観察ログ No.0426/龍脈応答記録・第二段階】

 ──記録開始。

 対象地点:九龍再開発区・旧井戸封鎖地点 座標:22.31N / 114.18E 封印状況:安定(外見上)/実質的抑制状態(一次封鎖) 媒介反応体:佐久間 遼(人間)

【注目事項】

1. 龍の気配、沈静化確認。八卦鏡による封印成立。

2. 媒介による術式統合──異質な術式同士の共鳴実例:稀。

3. 媒介体に霊感はなく、視覚情報を通じた一時的共鳴が成立。 推察:視えた"情報そのもの"が、術の演算因子として機能した可能性。

【分析】

・術式間の位相差が、媒介体の記憶情報によって一時的に調律された。

・都市構造(現代)×道術結界(古式)──人間媒体により中和・橋渡し。

・これは『封印術の第三系統』を構築する可能性あり。

【懸念】

・封印は安定。ただし、龍の気配そのものは消滅していない。

・観測装置(設置済)によれば、微弱な振動が継続中。

・外部刺激、特に"信号の再接続"があれば、再活性化の恐れ。

【備考】

・翡翠結晶(サンプルA)──採取・保存済。

・媒介体の観察継続を推奨。精神的影響、夢などの無意識反応に兆候が現れる可能性あり。

・対象者は未だ本質を自覚せず。

・面白い。


──記録終了。


【補記】 人工の龍脈は未成熟。 都市はなお呼吸している。

次回接触:未定(変化を待つ)。


──Henry tianlong

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