心ギブ&テイク
「これ、裏の中野さんの奥さんからもらったの」
母がそう言って、小花模様の小さなビニール袋に入ったクッキーをちょいと掲げた。
「中野さん」の名前は知っているけれど、我が家とはそんなにお付き合いのない人だ。確か70代前半の方だったな、それぐらいの情報しか私にはわからない。
「手作りなんだって。美味しかったわよ」
母は感心してそう言うと、コロコロとしたボール状のクッキーを私にお裾分けしてくれた。粉砂糖をまぶされて表面が真っ白くお化粧されている。まるで雪をかぶったかのよう。――確か、スノーボールって名前のクッキーだ。
どうしてそんな関係のご近所さんから手作りクッキーを……と考え始めていると、
「このまえね、庭に咲いていた花を欲しいというからね、あげたの」
と説明された。
門柱に覆いかぶさっている木香薔薇が、小さなピンクの花をいっぱいにつけていたので、きっと目を引いたのだろう。
そのお礼という訳だ。
この令和の東京に於いてそんな微笑ましいやりとりがされているとは。なんとも、ほっこりする話である。
何かを差し上げて、何かをいただく。
何気なく人にしてあげたことが、思いがけない形で返ってくると、私は幸せな気持ちになる。
物のやりとりではないけれど、かつてこんな経験をした。
私は珈琲党で、美味しい珈琲が飲みたくてこだわりの豆を取り寄せている。
こだわりの豆は、当然ながら値段もお高めである。だから私は通販サイトで、比較的お手頃価格な店を探し出した。
数年前からすっかりお気に入りのその店は四国にある。
あるとき宅配された箱を開くと、店の珈琲豆説明書の脇に「いつもありがとうございます」と書き添えられていた。私はクーポンを最大限活用しようと2~3か月置きにガッツリ買うから、いいお客さんだったのだろう。
その後も商品が届くたびに手書きのお礼は書かれていた。一言ではあるけれど、それなりに手間のはずだ。
お客だからドンと構えておけばいいのかもしれないが、私はなんとなくそのままにできず、ネットで注文する備考欄に「いつも美味しくいただいています云々」と書きこんだ。すると、簡単な文ではあったがそれに対するお返事をいただいた。
――ちょっと、嬉しい。
その後、バレンタインやクリスマスの時期には小さなチョコバーやクッキーが一緒に入ってくるようになり(それには次の注文時に備考欄にお礼を書いた)、ある年はとうとう年賀状を頂戴した。店を背景にオーナーのご主人と店を支える奥さんと、小学校低学年ぐらいの男の子。溌剌とした笑顔が素敵な写真だった。
――かなり、嬉しい。
店と客。それだけの関係だけれども、そこには温かい交流がある。
職場の人間関係で、こんなやりとりの経験もある。
私はフリーランスなので、職場では業務委託されて働いている。その職場にとってみれば、私は外部の人間だ。だから時折、その職場の女性上司が顔を出してくれ、業務話や世間話をしながら快適に働けているかを確認してくれる。
彼女はよく気がつく細やかな人で、私もずいぶん助けられた。少々ややこしいことも、彼女が間に入って上手く立ち回ってくれたおかげで、スムーズに進んだ件は多い。
とある春、人事異動の煽りを受けて、「彼女の負担が増えてかなり大変そうだ」という噂を耳した。しかし彼女はその多忙のなか、わざわざ私のいる部屋まで足を運んでくれた。
いつもなら話が終わる頃合いになっても、その日は珍しく終わらなかった。話題は彼女の趣味だというドラマやアニメ鑑賞の話に及ぶ。
「へえ、そんな趣味があったんだ」と内心興味深く拝聴していると、帰宅が遅いので毎晩22時ごろ夕食をとり、それからついつい深夜まで番組を見てしまうという。
いつもとは違って、珍しく羽目を外しながら趣味のお喋りに興じる彼女は、仕事の強いストレスから逃れようとしている様子だった。
私のような外部の人間は、毎日一緒に働いている同僚ではないぶん、仕事の顔から解放されて気安く話せる相手でもある。
そんな存在だから、ついつい話が弾んだのだろう。
面と向かって大変だと言われたわけではないけれど、好きなものの話に本気で笑って、それで元気を補給できれば。
お互いに大変なときは、お互いの肩を借りる。
いつも助けてくれる彼女に、そんなヘルプが出来ていたのなら、私は嬉しい。
さて、母があげた花のお礼にと、手作りクッキーをくれた中野さん。
ちょっと筆者の都合のいい想像をしてみた。
花を飾って、華やいだ部屋になって、なんだかいつもより心も軽やかな中野さん。
花のお礼に何か買ってきてもいいけれど、かえって気を遣わせてはいけないわ。それじゃあ、とクッキーを作ろうと思い立つ。
以前作ったことのあるあのクッキーはどうかしら。でもクッキー作りって大変なのよね、材料を測るところから始まって、焼いて、洗い物までしたら、少なくとも2時間はかかる。でも、クッキー作ろう、好きだし。
うふふ、作ってみたらやっぱり楽しいわね。うん、出来上がりも大丈夫。気に入ってくれたら、嬉しいわ。
――そんなクッキーが、母のお裾分けによって、私の目の前にやって来た。
中野さんの気持ちを勝手ながら想像してみたら、なんだかとってもありがたくなった。
お気に入りの店で注文した珈琲とともにいただくことにする。
スノーボールを口に放りこむ。
粉砂糖がジュワッと溶けて、アーモンドパウダーを含んだ生地がホロホロとほどけて。わあ、美味しい! あ、クルミが入っている。珍しいなあ、と小さな驚きがまた楽しい。
中野さんのお顔も知らないのだけれど、私は裏の中野さんの家の方に向かって一礼する。
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」
もしかしたら、中野さんも今、花を愛でながらクッキーを口にしているかもしれない。
(了)
お読みいただきありがとうございました。
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