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奴隷宰相  作者: 近衛翡翠
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第1話 大命降下

朝日が部屋に差し込むとともに、リュカは宮殿で目を覚ます。ここから、リュカの普段と変わらぬ一日が始まる。まだ日も昇らぬ時間帯に寝室を出て、応接室を通って使用人室へと向かう。そこで、普段通りのメイド服に着替える。リュカは男の子ではあるものの、女装、特にメイド姿がよく似合う。リュカはカトゥル帝国の皇帝に仕える奴隷で、帝国の王宮であるスンサーン宮殿においてメイドを務めている。


 着替え終わると、ガチャリと更衣室のドアが開く。「おはよう。リュカ。」と声をかけてくれるのは、同僚のリル だ。リルは宮廷のメイドを率いるメイド長を務めていて、そのテキパキとした的確な指示により、他のメイドたちから厚い信頼を勝ち取って得ている。ちなみに、男の子のリュカがメイドを務めているのは、リルが認めてくれたおかげだ。「おはようございます。リル様。」「も~う、リュカくん。リルでいいのに。いつもの玄関先のお掃除、お願いね!」とそう言って、少しふくれっ面をしたリルは、リュカのおでこをコツンとしてそう依頼した。


 庭先を掃きながらリュカは昔を回想する。リュカの母親は帝都の路上で生活をしていた。彼女は、いつしか身ごもってリュカを生んだが、リュカは自分の父が誰であるかわからぬまま育った。その後、母親が生活に困り、幼いリュカを育てる余力も無くなったため、苦渋の決断でとうとうリュカを奴隷商に売り渡さざるを得なかった。そして十数年が経ち、奴隷商の店頭にある商品陳列スペースという名の、奴隷を保管収容する檻の中に入れられている際に、お忍びのお出かけをする皇帝に就き従っていた宮廷メイド長のリルが目をかけてくれて、彼女に引き取られた。その後、リルが皇帝陛下にとりなし、推薦してくれた。おかげで、宮廷でメイド見習いとして雇われている。また、本来男子禁制のメイド室に出入りし、異性であるメイドたちと寝食を共にしているのだ。


そんなこんなで、8年くらいたっただろうか。最初は、メイドとしてのお仕事も失敗続きだったが、今では要領よく、そつとなくこなしている。玄関先での掃除が終わると、みんなで朝食の準備をする。陛下とそのご家族が取られるので、毎朝厳しくチェックする。特に、異物の混入には細心の注意を払う。蠅みたいな虫が入ったら、そのお皿はもちろん取り換えるし、飾りつけに使う金属が破片になってしまっていたら、それも取り換える。陛下たちのお食事が終わると、暫しの休憩だ。陛下たちは普段政務や式典やら儀礼やらで忙しいので、僕達メイドのお仕事はこの朝から夕にかけてはほとんどない。強いて言うなら、メイドごとに担当する各部屋の掃除やら整頓やらを任されるが、それが終われば特に何もすることがないので、各々自由時間を過ごす。ときたま陛下のご要望より、急にお呼びだてがあることもあるものの、それは極めて稀なことだ。


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そんな自由時間は、僕はよく王宮の図書室で本を読んでいる。本はただでさえ高価なもので、まして貧民窟にいた時は毎日を生きるのに精一杯で、読書というものをする経験がなかった。そんなものだから、メイドとなって図書館が使えると聞いた時、最初は何のことかわからなかった。しかし、リルが幼い僕を毎日図書館に連れてきてくれて、閲覧室を借りてたくさんの絵本や童話を読み聞かせてくれた。それが大いに嬉しくて、すっかり本好きになった僕は、気付けば毎日ここに通っていた。今日も司書のおじさんと、司書見習の女性のマリーさんに「毎日来てくれるなんて、歓心だねぇ」とほめられた。図書館の入口の扉と対面する定位置に椅子を構えて、今日も自由に読書タイムだ…と思っていたのだが…


 「はぁ…はぁ…」とそこの廊下を駆けてくる人がいる。僕は、読書に集中しているから、声の主までは判別できない。次の瞬間、図書館の扉がバーンと開いた。その音にびっくりして、僕は本に向かって俯いてた顔をとっさに上げた。扉を開いたのはリルだった。彼女はすぅっと息を吸って叫んだ。「リュカ君!は、早く来て!」普段冷静沈着な彼女が、なんだか慌てている。「ど、どうしたんですか?」と普段見せないリルの様子に驚いて動揺しつつ、何事が起きたのか尋ねる。「へ、陛下がリュカ君を…」陛下が?リルのその慌てようだと、僕解雇されるのかな、などと思っていると。「リュカ君を宰相に任命するって!」

 

 「え」一瞬、僕は何を言われたのか、わからなかった。リルから言われた内容を理解した次の瞬間、「えー!」という叫び声が聞こえてきた。叫び声の主は、見習い司書のマリーさんだ。

「そうでしょ!この歳で宰相なんて聞いたことがないですよ!前代未聞です!おめでとうございます。」とリルは僕のことを誇らしという想いと、満面の笑みが混じった顔を向けてくる。「「リュカ君!宰相になるの⁉すごい!宰相のお仕事って大変そうだけど、まずはおめでとう!」とマリーも憧れと尊敬が混じった、満面の笑みを向けてくれる。でも、大の親友である2人からの祝福を受けても、僕は困惑するばかりだった。なぜ僕が?こんな若輩なのに?そんな思いが頭の中をぐるぐるとめぐる。


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 とりあえず、陛下の面前へと拝謁に赴くことにした。陛下が今おられるのは謁見室ではなく、プライベートで使う遊戯室らしい。その遊戯室に赴くため、延々と廊下を歩いていた。廊下では、行く先々で人々がこちらを指さしながらひそひそと噂話をしている。どうやら、僕が宰相に任命されたというニュースは、すでに宮中じゅうを駆け巡り、なかには快く思わない方々もいるようで、驚きの声とねたむ声が半々といったところだろうか。

 「リュカ君!」遊戯室へむかう途中に、廊下で声をかけられた。マリーと同じく、僕にとって聴きなじみのある声だ。ふりむくと、そこにヘレナがいた。

「リュカ君、宰相に任命されたと聞きました。本当なの⁉」

僕が、コクンと頷くと、ヘレナは満面の笑みを浮かべて「おめでとう!」と祝福してくれた。

「でも、僕は受けるつもりはないよ。」と否定する。もちろん、本心だ。一国の宰相職なんて、経験の浅い僕にとっては重荷でしかない。それに、彼女たちに対して嘘をつきたくはない。


「リュカ君ほど、宰相にふさわしい人はないのに!」とリル。

「リュカ君がリーダー…なんて素敵な響き・・・」とマリー。

「リュカ君、首相宰相になれば、大出世だよ!」とヘレナ。

ダメだ。3人とも、首相宰相になった僕の姿を想像して、僕の話が耳に入っていない。



「おやリュカ殿、どうなさいましたかな?」そこに片眼鏡をかけた好々爺の男性が来た。「あ、宮廷執事殿、こんにちは。」とあいさつをする。僕に声をかけてくれたのは、宮廷執事のナッシュ さんだ。宮中執事は、陛下の身の回りを世話をする僕らメイドや、陛下の意を受けて貴族たちと交渉する侍従たち、そして後宮をも取りまとめる。いわば、陛下のプライベート空間の取りまとめ役で、直属の上司というわけではないものの僕の上司にあたる。

「リュカ君が、宰相に任命されるんです!」とリルが喜びを隠しきれない様子だ。

「ほほう…それはそれは。とても、めでたいことですな。」とのナッシュが返答する。

「とってもめでたいのです!リュカ様が任命されれば、最年少の宰相!」彼の返答に起源をよくしたのか、マリーの誇らしげな声が廊下に響く。

「そうですな。宰相の重責は軽からぬものでしょうが、くれぐれもお体にはお気を付けください。」とナッシュ。「リュカ様は文武無双のお方、どんな困難にも負けはしません。」間髪入れずにヘレナが淡々と、でも自信にあふれた様子で告げる。

「はっはっはっ、そうですな。なにかあれば、拙者にもお声がけください。尽力いたしますぞ。」「ナッシュ殿、かたじけないです。では、陛下の面前に行きますので、これで」

陛下をお待たせしてはいけないと、ナッシュとの別れを告げたリュカは、足早に遊戯室へと向かう。彼らが廊下の角を曲がったあたりで、ナッシュが小声で独りつぶやく。

「ふん、こわっぱめが。」

そう言い捨てて、ナッシュは足早に その場を立ち去った。


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陛下がおられるという遊戯室の部屋の前まで、リュカ達は4人でやって来た。リュカがコンコンとドアをノックすると、「入るがよい」という声がした。

リュカが扉を押して入ると、そこには3人の人物がいた。まず中央にある四角いテーブルにこちらに向って坐っているのは、テレサ・コンスタンツ・ド・カトゥル。カトゥル帝国の現在の女帝である。その陛下から向かって右脇にあるクッションを敷いたソファーに座るのは、テレサ女皇陛下の一人娘であらせられるリゼ・コンスタンツ皇女殿下だ。そして、陛下から向かって左脇には、現在の宰相であるサクゼン公のカルロ殿もおられる。

部屋へはリュカが先頭に入り、陛下の許可を得たため、リュカについてきたリル、マリー、ヘレナの3人も続いて入ってくる。


「皇帝陛下、リュカでございます。」

「リュカ殿、ここまでご足労をかけましたね。」とテレサ陛下が労いねぎらいの言葉をかけてくれる。それを合図に陛下の横に控えるカルロ殿が、軽く咳払いをして巻物を開く。

「それでは、皇帝陛下の勅旨をお伝えする。リュカ・チェザーレ。身分は宮廷奴隷。貴殿をカトゥル帝国第100代首相宰相に任命することとする。」

「もちろん、引き受けてくれますね。」とテレサ陛下がお声がけくださる。リゼ皇女殿下は、なにやらハラハラするような面持ちでこちらを凝視なさる。

「もちろん」という言葉に続けて、僕はここで来る途中で頭に考えてきた結論を伝える。「辞退させていただきます。大変光栄ではあるのですが。」

 リゼ様は咄嗟に「えっ」という驚きの声を上げた。その音量は微かながらも、澄んだよく通る声で発せられたので、遊戯室の全体に響いた。返答を聞いた陛下と宰相は、ともに何やら険しい顔をしている。



 「リュカ君、宰相だよ。この国で、皇帝と皇太子に次いで偉いんだよ? 」

リゼ様が言うように、この国で宰相といえばNO.3にあたる。だが、実質は名誉職である。なぜなら、この国は貴族や軍部などの多様な政治勢力が、それぞれの利権や権限といった権益を保持することに汲々としている。支配階級に属する多様な勢力が癒着と対立を繰り返し、なかには「宰相などは、いっそよく燃えるダイヤモンドでできていればよい」と放言する者もいる。

そんな宰相職は貴族の間で、就くことで箔を付けるためだけのポストであると認識されている。いわば権限はないけど名誉はあるから、「家格上昇」のためにもなれるならなっとくか、みたいな程度にしか重視されない。しかし逆を言えば、奴隷のような世間一般で差別の対象になっている身分の者がそのような地位につけば、奴隷でありながら貴族の仲間入りを果たすことになるため、社交界からの反発は必至である。


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「奴隷の私が宰相に就くなど、前代未聞でございます。なにとぞお考え直しくださいませ。」

優しく諭すような声で、カルロ殿が再考を促してくる。「リュカ殿、たしかに生まれつきの奴隷が宰相になった先例は、ありませぬ。しかし奴隷戸籍にある人物が、宰相に就任した事例ならば、過去に1度だけございます。」

「うむ。此度はその先例に則った形で処理しておく。だから安心せよ。」

たしかに、図書館の本にも歴代宰相の図録があり、そこにも奴隷出身の宰相が1人だけいたことが確認できる。しかし、奴隷身分であるためか、詳しい記録は何もなく、ただ奴隷の宰相がいたという噂が残るだけだ。噂は真実なのかと思うと同時に、記録が抹消されるほどの悪行を成したのかと少し想像してしまう。この任務引き受けたら、まずい予感しかしない。

しかし、他に固辞する理由が思いつかない。と、その時「あの」という声がした。僕の後ろで控えていたリルが、恐る恐る手を上げている。「リル・コッポラ子爵令嬢、いかがなさいましたかな。」とそれに気づいたカルロ殿が声をかける。謁見の場という、今まで経験したことのないこの未知のイベントのせいか、リルは普段とは珍しくとっても緊張している。

 リルは「すぅーはぁー」と深呼吸をした。それから意を決したように、二の句を告げた。「陛下に、一つ質問があります。」「よいぞ、なんなりと申せ。」リゼ陛下が仰せになる。そのあと一拍の間をおいて、リルは質問した。「リュカ君が宰相になれば、私達との会う時間はどうなるのでしょうか。」


その発言のあと、この部屋がシーンとした。そして、一つの笑い声がこぼれた。「普段あまり笑わない」と宮中でもっぱら噂され、「沈黙の天使」と呼ばれるあの陛下が、おもわず笑ったのだ。

「それならば問題はない。3人とも、新設の大臣職に就いてもらい、閣内からリュカを支えてもらうぞ。」その発言のあと、リル、マリー、ヘレナの表情がパッと明るくなり、対照的にリゼ王女の顔が曇り空のように暗くなった。

「リュカくん、おねがい!」「リーダーになって!」「国難に立ち向かおう!」と3人から、口々に言い寄られる。こうなったら、もう逃げられない。覚悟を決めた僕は、ため息をついてから、陛下に返答した。

「わかりました!首相就任の件、お引き受けいたします。」

陛下は急に顔がパッと明るくなった。「おお、そうか!引き受けてくれるか。いや、ありがたい。のう、カルロ」「さようでございますな。陛下。」給仕用の台車を横に付け、そこでおかわりのお茶を注いでいるカルロさんが、陛下に相槌を打つ。僕は緊張のせいで、出されたお茶に口すらつけなかったが、僕についてきた3人の淑女たちは、会話の間にもかわるがわるいろんな種類のお茶を楽しんでいたらしい。さすが、肝っ玉が据わっている。

 「それでは、リュカよ。明日までに、閣僚の人事を朕わらわに提出せよ。」

「明日ですか…?」「そうじゃ、明日までにじゃ。」

早速、陛下からムチャ振りが来た。これは、今晩の徹夜を覚悟して窓の外を見ると、王宮の庭で咲いている一本の桜に、急に東風が吹いて、ぶわっと花吹雪が舞う様子が綺麗だったのを今でも覚えている。

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