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第五話『筆頭魔導士官アルベルト・アエイバロン颯爽登場!』



(11)



世界が丸い(まあるい)フレームに収まった。


映る景色は全て○枠の中に切り取られる。


なぜならそれは、今物語の舞台を眺めている人物が双眼鏡を覗いているから。


その人物とは、あのサー・アレクサンドラ・ユスティアス分隊長その人。


その目に映る景色は、これまでの大都市とは打って変わった雄大な大自然(フィヨルド)


視界いっぱいに広がる雄々しい山麓。


雪を被った山頂、険しい岩肌にはすがりつくように低木が茂っている。


その膝元には青く透き通った湖が静かに凪いでおり、連々と続く山々を縫ってどこまでも伸びている。


空は青く晴れ渡り今日は絶好のハイキング日和。


この湖には昔から太古の怪獣が潜んでいるとされ、それを捕まえようとする探検家なんかが年中を通して張り込んでいるのだが、今日はその姿も見る事が出来ない。


それどころか、平常時ならピクニックに出かける町人がちらほら見え、湖に小舟の一つや二つ浮かんでいるものなのだが、今日は違う。


それもそのはず、今日は国賊ウイリアム・ウィルオウウィスプ捕縛及びエレオノーラ姫救出大作戦の為、この辺り一帯には非常線が敷かれ、一般人立ち入り禁止が敢行されているからだ。


分隊長は双眼鏡を忙しなく左右に振って山々を監視し、ウィルが現れるのを今か今かと待ち構えている。


その背後では捕縛隊の近衛兵たちが装備を整え、小舟での出向の用意を完璧に済ませて準備していた。


そうしていると何の前触れも無く、



『ドッ、 ッカァアーーーンンッツ!!!!』



対岸の山の方角から爆発音が!


すぐさまそっちに双眼鏡を向ける分隊長。


対岸の山の奥っ(かわ)から黒煙が立ち上っている。


次いで聞こえる複数の爆発轟音。


そしてそれからすぐに、


「出たっ!」


分隊長が興奮気味に覗き込む先には、山の麓からふらふらと逃げ出してくるファフロツキーズの姿が。


哀れにも墜落寸前、見るからに高度が落ちている。


アルベルト直下の精鋭魔導士部隊、変身魔法を用いて太陽神の乗輿車駕(じょうよしゃが)を引く幻の神獣【 鷲獅子(グリフィン) 】に姿を変え、ファフロツキーズを墜落させようと無数に群がっている。


ファフロツキーズは身をよじり振り払おうと必死な様子。


その内部ではウィルが、


『クッソォッッー!!』


必死に操舵輪にしがみついて舵を取っている。


分隊長は双眼鏡を部下に預け、


「よぉーし、手筈通りだ。各員っ出航準備! これより作戦を開始するっ!」


羽織った半肩掛けコート(ペリースコート)をひるがえして衛兵たちに開戦を告げる。


「 「 「 サーイエッサーーッツ!! 」 」 」


衛兵たちは舫い綱(もやいづな)を外して、ギイコラバッタンすぐさま湖に漕ぎ出していく。


          ⁂   ⁂   ⁂


ファフロツキーズはグリフィンが巻き起こす局地的突風によってまっすぐ飛べず、高度が取れないでいた。


姫とカボチャ頭たちはじゃんじゃか暖炉に薪をくべて瞬間的出力を上げ、ウィルは舵輪にかじりつかんばかりの勢いで舵にしがみつく。


「おのれッ、アルベルト・アエイバロンッツ!!」


そうして忌々し気に一人の男の名前を叫ぶ。


          ⁂   ⁂   ⁂


無数に飛び交う鷲獅子(グリフィン)の群れの中、魔法のホウキにすっくと立ち乗り。


自分の身の丈ほどもあろう金の長弓をまっすぐ構え、鷲獅子たちを指揮する一人の美男子。


「さあ、ここが年貢の納め時。ウイリアム・ウィルオウザウィスプ」


筆頭魔導士官アルベルト・アエイバロン、颯爽登場。




          ⁂   ⁂   ⁂




時はさかのぼって、お昼時。


ウィルとアルベルトが接敵する前の話。


白い雲がたなびく山岳地帯を眼下に、最新鋭の爆撃機が飛んでいる。


近隣の軍事大国のフルメタル航空機の流れを汲んだ王国製の重爆撃機で、そのフォルムは海鷂魚(エイ)にも似ており、ちょっと前の大きな戦争では、その意匠から『スティングレイ』の通り名で知られていた。


その機体の上部、ブリッジの後ろ、プロペラエンジンの間にその男はいた。


トロピカルジュース片手に半裸でビーチチェアに寝そべり、サングラスをかけて日光浴を絶賛満喫中。


高度何千メートルで、凄まじい気流に吹き飛ばされることも無く、いかにも快適そうにくつろいでいる様はまるで合成写真の様。


それもむべなるかな、彼こそが王国随一と謳われる筆頭魔導士官アルベルト・A・アエイバロンその人だから。


そうして薄着の女性が写った雑誌をニヤニヤしながら眺めていると、


「大将閣下にご報告いたします。索敵部隊より「南西方面、距離500の地点で目標と思わしき飛行物体を発見」との報告が入りました。いかがしましょうか」


ブリッジ側のハッチが開き、部下が報告に顔を出す。


「んあ? あっ、おっけおっけ。すぐ行く行く」


アルベルトは雑誌から顔を上げて気の無い返事をし、のっそり立ち上がる。


立ち上がった途端これまでビクともしなかったビーチチェアが吹き飛ばされていった。


アルベルトはヒタヒタと機体の上を歩いて、ハッチからブリッジの中へ。


敬礼する乗組員を横目に、使い魔の(人間に変身した)白ネズミのから無線機を受け取る。


「あー、あー、魔導士諸君、僕だよ、アルベルトだ」


艦内にアルベルトの声が響き、兵士たちがスピーカーに注目する。


「今、入電があって「魚が針にかかった」、との事だ。これよりファフロツキーズ強襲作戦を開始する。各員準備したまえ。でも……、あと十分してからね。僕はその間にシャワーを浴びる。君たちも、気負うことはない、リラックスしてその時を待ちたまえ…………プツン」


無線機を置いて、代わりにお風呂セットを白ネズミから渡され、アルベルトはブリッジを去っていく。


その去り際、機長に、


「高度を上げて、魚に進路をとれ」


と言い残してシャワー室に向かう。




          ⁂   ⁂   ⁂




一方その頃。


堅牢なフィヨルドの谷に隠れるようにして、プロペラを止め、のーんびりファフロツキーズは漂っていた。


格好の洗濯日和につき溜めこんでいた洗濯物を一斉に吐き出し、ロープに繋いでさながら吹き流しや鯉のぼりのようにひらひらと空に漂わせている。


さらに、腹部ハッチからはバケツを吊り下げたロープが何本も垂らされ、カボチャ頭たちが湖の水をくみ上げている。


その水で温室の人食い植物たちに水をやり、陽光を受けてキラキラと輝いている。


中の洋間ではウィルと姫が魔術の本片手に、パイ菓子(ガロッテデロワ)(フランスのお菓子。パイの中に陶器製の人形が入っており、いわゆるそれがアタリ。人形を引き当てた子供がパイを囲っている紙製の王冠を貰えて、幸せに過ごせるというレクリエーション菓子。)をお茶請けにティータイムを楽しんでいた。


二人の間に会話は無く、洋間には本のページをめくる音と暖炉で薪がパチパチ燃える音だけが響いてた。


なんと優雅な午後の昼下がりであることか。


窓からは午後のうららかな日差しが差し込んでおり、時折、獅子(ライオン)の身体に大鷲(ワシ)の頭と翼を持つ怪物、鷲獅子(グリフィン)が窓を横切っている。


「んんッツ!? 今のはなんだッツ!?」


暖炉の火から火の玉を精製し、ふよふよ浮かせて優雅に煙草に火をつけようとしていたウィルは、窓に差し込んだ影を見て思わず席を立つ。


「ん? なにが?」


姫は見てなかったようで、なんともないような顔をしてティーカップに口をつけている。


ウィルは窓に張り付いて、目を皿にし、宮仕えだった時に見た事のあるグリフォンを探していると、突然ファフロツキ―ズに衝撃が走り、姫が紅茶を取りこぼす。


そして窓の外を飛び交うグリフィンを見て目を剥き、ウィルと同じく窓にへばりつく。


窓の外には、無数のグリフィンが飛び交い、空気を魔法で圧縮したブレスをクチバシにため込み、一斉にファフロツキーズに向かって吐きつけている。


押し固められた空気はやがて破裂し、ファフロツキーズは爆発の反動で大きく傾く。


ファフロツキーズはテーブルテニスのピンポン玉のように右に左に揺れに揺れ、ウィルと姫は立っていられずに転んで尻もちをつく。


ウィルは床を芋虫のように這いつくばってロフトによじ登り、なんとか杖を突き立てて総舵輪を出現させ、操縦席にしがみつく。


ロフトの壁に外部の状態を映し出すと、フィヨルドの絶景をバックに羽虫のように飛び回るグリフィンたちの姿が。


「人のランチ時に、押しかけてきやがってクリスマスチキン共がっ」


ウィルは「最大戦速っ!」とスロットルレバーを『ヂリリン、ヂリリン』と動かし、全てのスイッチをオンにしてやみくもにアクセルを踏み込み、グリフィンたちを引き離そうと舵を切る。


節約の為に止めていたプロペラエンジンが轟音を立ててフル回転し、オールに似た尾鰭がせっせか空気をかき分け始める。


速度を上げたことで洗濯物がいくつか吹き飛び、水汲みのカボチャ頭たちが何匹か落下したが、それでもグリフィン達を引きはがす事は出来ずに、依然として追いすがってくる。


フィヨルドの断崖絶壁を避けながらのドッグファイト。


空飛ぶ魚の癖に対空防御の武装がほとんど無いもんだから、カボチャ頭たちを吐き出すしかない。


敵わないと分かっていても出撃する兵士のなんと哀れな事か。


時計塔追突事件同様、カボチャ頭たちを囮にして、逃げる時間稼ぎをしようとするも、排出したそばからグリフィンに狩られて行く。


暖簾に腕押し、ぬかに釘、まるで歯が立たない。


それでもそのグリフィンがカボチャ頭を狩る微々たる時間を使って、逃げ場の少ないフィヨルド谷から高度を上げて脱出しようとするも、小回りの利くグリフィンが頭上に先回りして、ブレスを吐きつけ、ファフロツキーズを上昇させまいと妨害する。


「小癪な真似をっ!」


ウィルは何とか状況を打開しようとレバーを操作して速度をさらに上げる。


がその直後、ファフロツキーズが何か引っ張られたかのように片側に向かって大きく傾く。


これまでのブレス攻撃のように左右にグラグラと揺さぶるものではなく、ガクンっと90度近く、ファフロツキーズが斜めに向きを変える。


「うわぁーッツ!」


ウィルの背後では姫が、滑り落ちてきた本棚やテーブルに潰されかけている。


レバーをいじった直後に傾いたもんだから、ウィルは操作を誤ったかと思ってレバーを入れた先のギアを思わず確認したが、間違ってはいない。


背後で窓にぐちゃりと押し付けられた姫が、


「亀っ!! 翼の上ッ!!」


と叫ぶ。


それを聞いたウィルがロフトの壁に翼側の様子を映し出す。


なんとそこには、グリフィン達が翼に取り付いて寄り集まり、巨大な亀に姿を変えていたのだった。


亀に加わるグリフィンは尚も増加し、重心が集中した片翼側に向かってファフロツキーズは急速に落下し始める。


ウィルは大慌てで舵輪を亀の乗っていない側にまわして体制を立て直そうとするが、焼け石に水。


落下の勢いはとどまることなく、大きく弧を描いてフィヨルドの岸壁に向かって墜落していく。


「ええいっ! 背に腹は代えられんッツ!!」


ファフロツキーズが岩肌に激突する寸前、残り少ない石炭の燈を使って、辺獄の門を開き、暗闇(くらがり)の世界へ離脱する。


移動遊園地を楽しんでいたウィルオウウィスプの一族たちは、突如として暗闇に出現した空飛ぶ魚に注目するが、そのほとんどが大して警戒するでもなく、グラスを片手に賑やか&煌びやかな空飛ぶ魚に乾杯している。


「見ろよっ! ありゃウイリーじゃないか?」

「ああー、長老が言ってた古代の魚ってやつか」

「あいつが死んだらあの魚もこっちに来んのかねぇ?」

「そうなったらここは益々愉快になるなぁ!」

「いえーい、国賊ウイリーに乾杯!」


辺獄の果てしない空間を使って態勢を立て直すウィル。


「腐れ先祖が好き勝手言いやがって!」


態勢を若干持ち直したところで再び門を開き、再度現世へ。


戻った先はさっきまでの狭苦しいフィヨルド谷から一変、それらを遥か下に見た、陽光まぶしい青空と白雲が視界いっぱいに広がる大空へ。


ウィルは逃亡生活の中で身に着けた飛行技術を遺憾なく発揮し、現役軍人パイロットもかくやと思われるほどの曲芸飛行を披露する。


亀の重さを逆手にとっての急降下、からのエンジン全開、急上昇。


舵輪を力の限り手前に引っ張り、アクセルも床板と並行になるくらいのべた踏み、暖炉の火も枠組みを飛び出さんばかりに燃え盛っている。


そこまでしてようやっと翼に引っかかっていた亀が、Gに耐えかねてずり落ち始める。


しかしずり落ちた亀は空中でグリフィンにばらけて、また追いかけてくる。


門を開いてフィヨルド谷に置き去りにしてきたグリフィンもすぐに追いついて、亀だったグリフィン達と合流。


ファフロツキーズを取り囲むように上下左右に交差した円陣を組み、ファフロツキーズの行く手を阻む。行く手を阻まれてやむをえず速度を落とすファフロツキーズ。



そこへ大きな◇形(ひしがた)の影が差す。


「あー、あー、天下の国賊、ウイリアム・ウィルオウウィスプに告ぐ。こちら老いぼれ捕縛用特設分隊支援航空魔導士部隊 隊長、ご存じアルベルト・アエイバロン筆頭魔導士官である」


ファフロツキーズの目玉がギョロっと動き、頭上を見上げるとその光景がロフトの壁に映し出される。


ファフロツキーズ上空には海鷂魚(エイ)にも似た王国制のフルメタル爆撃機が悠々と並走し、その影をファフロツキーズに落としていた。


そして、その下部の爆弾投下用のハッチからアルベルトが身を乗り出し、拡声器片手に憎たらし気な笑みを浮かべている。


「やぁっぱり、あいつか」


ウィルはがっくりと鬱陶し気にため息をつく。


アルベルトは拡声器を白ネズミに渡して口元に保持してもらい、代わりにウィルの罪状リストをもらって、それをいちいちオーバーなリアクションを取りながら読み上げる。


「えーなになに貴殿には現在、王族侮辱罪! これまたヘヴィな罪が……(ほとほと呆れた表情)えーそれから、重要文化遺産の盗難と不法占拠、さらに無免許魔導行使ぃ? うーわ、最低(サイッてぇ)(害虫を見るような目をし)魔法使いの風上にも置けないね。さらには、首都への放火と国家シンボルの破壊活動、ストロベリー・フィールドでの騒乱罪に凶器準備集合罪。ウイリアムさんほっとんどテロリストじゃないですかぁ!?(信じらんないといった様子)そんで極めつけは~、エレオノーラ第一王女誘拐監禁罪の容疑までもがッ、かかっているそうですよぉ~ッ!! これはもう助かりませんねぇ~。弁解の余地なし! 法廷では国家転覆を目論む稀代の極悪犯として、裁かれることになるだろう。さあっ、大人しく投降したまえよ!」


恐ろし気なアナウンスをするアルベルトに、


「ダレが投降するかァァァッ!!」


ウィルが口角泡を飛ばしてツッコミを入れる。


そうしていると、家財道具の山から脱出した姫がロフトに登ってきて、ウィルの背後でいたたまれなさそうにモジモジしている。


「まったくとんだ冤罪だ。何一つとして身に覚えがない。王女の誘拐? はん、誰がそんな事するものか、流儀に反するわ。なあエナっ、お前もそう思うだろうが?」


鈍感なウィルが一人で素っ頓狂な事を言って、あまつさえ姫に同意を求めてくる。


この段になっても分かっていない様子のウィルを見かねて、姫は使い魔の白ミミズク「グラウコービス」を読んで手に乗せ、エレオノーラ()()使()()()()()()白ミミズクを従えているところを見せる。


それでも「フクロウがどうした?」と首をかしげているウィル。


姫は大きなため息をついて、ミミズクにパイ菓子(ガロッテデロワ)の王冠を取らせて、それを頭に載せて見せる。


そして出回っている肖像画と同じポーズを取ってみると、ウィルはしばらくキョトンとしていたが、次第に顔がだんだんと青ざめていき、ウィルの髭はわなわなと震え始める。


「黙っててごめんね☆」


トドメに姫がウィルの迷いに確信を持たせ、


「お、おまおま、お前、もしかしても、そ、そのひ、ひめひめめめッ。ヒッ────。申し訳ございませんでしたぁッ! 姫殿下様ッ、これまでのご無礼の数々、平に、平にご容赦をっ!」


ウィルが電光石火の勢いで操縦席から飛びのき、その勢いのまま地べたに這いつくばってひたすら平伏し奉る。


これまでの傲岸不遜な態度とは手の平を返したように正反対の態度を取るウィルを見て、姫は思わず吹き出し、


「あっはっはっ、ウィル爺さすがに変わり身が早すぎるよっww」


腹を抱えて大笑いしている。


ウィルは床に打ち付けて赤くなった額を上げ、姫の笑い転げる様子を見てやや安堵する。


二人がじゃれあっているのも束の間、


「無駄な時間稼ぎはやめるんだー、おまえは完全に包囲されているー、おとなしく出てきなさーい」


再びアルベルトのアナウンスが。


それを聞いた姫が、


「ほら、早く逃げないと捕まっちゃうよ」


といつもの調子でウィルを焚きつける。


「い、いやしかし、姫殿下を連れて逃げるという訳には……」


それに反していつに無く消極的なウィル。そうして未だ床にひれ伏しているウィルに対し姫は、


「そう気張るなウイリアム君。今は窮地の時、つまり無礼講だ」


言ってウィルを立ち上がらせる。


立ち上がったウィルを、前に姫はかかとを鳴らして敬礼し、


「さあ、大総統閣下、ご命令を!」


と、いつかのようにうそぶいてみせる。


ウィルはそんな姫の冗談に乗っかって、


「よおし、反撃の時だっ、目にもの見せてくれる」


いつも通りの偉そうな態度を取る。


「すぐに迎撃準備だ! カボチャ共に新型アーマーを装備させて全員出撃。おまっ……ぇ、姫殿下は【 奴隷の王冠コルディセプス・シネンシス 】を使ってグリフィンの無力化をお願いします……態勢が整い次第すぐにでも離脱するぅ、ます!」


ウィルはまだ慣れない様子で早々にまくしたて、操縦席に取って返る。


姫は変わらず、


「アイアイキャプテンッ!」


と冗談めかして、変装用のカボチャヘッドを被ってカボチャ頭たちを招集しにロフトを駆け下りていく。


ウィルはそれを見送ったのち、総舵輪を握りなおすが、


「なんてこったぁぁ……」


愕然とした表情をしている。



ところ変わってアルベルトの爆撃機。


強風吹き荒れる中、爆弾投下用のハッチから足をぶらぶら投げ出し、


「返事がないねぇ~」


使い魔の白ネズミに話しかけるアルベルト。


ファフロツキーズの周りにはキレイな円を描いてグリフィンが取り囲み、依然として何かしてくる気配はない。


「絶対言い返してくると思ったのに、顔を出しもしやがらないの。このまま黙って捕まるつもりなんだろうかなぁ?」


アルベルトが拍子抜けといった様子で退屈そうにしていると、突然ファフロツキーズに動きが。


「んんっ!?」


メガネの奥の目を爛々に輝かせ、アルベルトがファフロツキーズを覗き込むと、そのの下部から「サボテン」で作った「鎧」と「こん棒」を装備したカボチャ頭が無数に噴きだし、グリフィンを撹乱(かくらん)し始める。


『今だっ!』


グリフィンが隊列を崩した隙にウィルがエンジンを全開にしてファフロツキーズを前進。


急速に速度を上げて逃走を始める。


グリフィン達は追いかけようとするもカボチャ軍団が立ちはだかって追いかける事が出来ない。


一匹のグリフィンが前足についた鋭利な鍵爪でカボチャ頭を蹴とばすも、サボテンアーマーの強度は見た目に反して目を見張るものがあり、傷一つ着ける事はできない。


ニヤリと笑うアーマードカボチャヘッド。


驚くグリフィンにサボテンこん棒の鋭い反撃が。


グリフィンのクチバシが欠け、態勢を崩した隙にカボチャ頭に群がられ【奴隷の王冠:Mini】を植え付けらてしまう。


小さなキノコが見る見るうちに群生し、菌床グリフィンは力を吸われて徐々に変身の魔法が解け、元の軍人の姿に戻ってそのままふよふよと緩やかに降下していく。


それを目撃した周囲のグリフィン隊は戦慄。


「あ、あのキノコはなんだ!?」

「落ちていったアイツは大丈夫なのか!」

「やっぱり腐っても宮廷魔術師! 得体の知れない魔法を使うぞ!」

「カボチャの顔が怖い!」


そうしてグリフィン隊が臆していると、カボチャ頭のまとまった一団がアルベルトめがけて一心不乱に突撃して行く。


「危ない先生!」


グリフィン隊はアルベルトの身を案じるが、当の本人は破顔一笑。


見るからに上機嫌になり、


「見ろよ、野菜が襲ってくるぞ」


とカボチャ軍団を笑い飛ばす。


無線で機長に、


「任務ご苦労、君たちはここまででいい。高高度で待機していたまえ」


と告げ、返事も聞かずに爆撃機から飛び降りる。


「ハァーッハッハッハッ!! そうでなくてはっ! 存分に抵抗したまえっ!」


落下しざまに腰の笏杖を引き抜き【二匹の蛇が絡みついた黄金の長弓】に変形、弦に光の矢をつがえてよっぴき、突っ込んでくるカボチャ軍団目掛けて、矢を放つ。


放たれた矢は無数に拡散し、強固なサボテンアーマーごとカボチャ軍団を脳幹狙撃(ヘッドショット)


すかさずアルベルトの胸ポケットに入っていた白ネズミが飛び出して、空飛ぶホウキに変身。


落下するアルベルトはそれにサッと飛び乗り、スノーボードさながら中空を滑り回り、迫りくるカボチャ軍団の攻撃をするりするりと(かわ)していく。


そして躱し様、後ろ手に弓矢を打ち込みカボチャ頭の後頭部を撃ち抜いていく。


グリフィン隊の側にいるカボチャ軍団の一掃しながら、


「臆するな諸君。たかが野菜だ。我々の敵ではない」


短いセリフでグリフィン隊を鼓舞していく。


「僕が適度に間引いておくから、覚悟が出来たら追いかけてきたまえ。ああ、あと脱落した奴もちゃんと助けに行くように!」


アルベルトはそう言い残し、


「ヒヤッホーウッ!」


ルンルン気分で、逃げるファフロツキーズめがけて飛び去って行く。


グリフィン隊はその様子に勇気を貰い、アルベルトの後に続いていく。



グリフィン隊を大きく引き離し、一人で矢面に立つアルベルト。


そのスピードの速いこと速いこと。


ホウキが雲を引く程。


眼前からは、こん棒や火炎放射などで襲い来るカボチャ軍団、それをさながら的宛てゲームのように撃ち抜て行き、撃ち漏らしを処理しようと後ろに控えるグリフィン達にはただの一匹も回ってこない。


文句なしの百発百中。


カボチャ軍団もさすがにやられっぱなしではいられず、飼い主由来の悪知恵を使って、自身の(つる)を伸ばしてネットを作り、アルベルトを逆に捕縛しようとする。


「おっと、ステージが難しくなったねぇ……でもっ!」


アルベルトはスピードを一ノットも落とすことなく、むしろ加速してカボチャ軍団に突っ込んでいく。


そうして正確にネットに連なるカボチャ頭を拡散する弓矢で同時に撃ち抜いていく。


今度はカボチャ軍団が臆する番。


互いに顔を見合わせ、わたわたと慌てている。


が、ズル賢い一匹が一計を案じ、ネットに『奴隷の王冠』を付着させることを提案。


触れれば即退場のトラップネットを、しかも早々撃ち落されないようにツルを伸ばすカボチャ頭の数を倍にして、突撃させる。


「さらなるレベルアップ!」


それでもアルベルトは余裕綽々の態度を崩さず、矢を三本つがえてネット自体を撃ち抜こうとより強力な矢を放つ。


が、さすがの『奴隷の王冠』、撃ち込まれた光の矢三本全てを一飲みにし、三個のキノコがむっくり生えてくる。


それを見たアルベルトはさすがに驚いて速度を落とし、その場で停止。


「野菜の癖に生意気な」


と余裕の笑みで吐き捨てる。


次いでゆっくりと、手に持つ『二匹の蛇が絡みついた黄金の長弓』に超常の矢をつがえ、向かい来るトラップネットに狙いを定める。


その様はこれまでの曲芸じみた突飛なフォームではなく、全身の均衡がとれた、競技大会や式典で披露されるような、その道の者でなくても見惚れるような美しい佇まい。


それから一子相伝の呪文を唱え始める。



  『輝かりしはその御名よ


   天陽の化身 恩寵を広める者 雷の子


   詩と美と救いの使徒を崇め奉れ』



弓に絡みついていた二匹の蛇が、目を覚まして動き始める。


弦をつたって、矢と並行に螺旋を描き、弓に対して垂直に長く伸びていく。



  『私は生まれてすぐに、母を傷つけた地母神の子(ピュートン)をディロスの島で射殺(いころ)した


   私たち姉弟を卑しんだニオベには、その子共十四人を皆殺しにする事で罰とした


   私の敬虔なる仕者を捕らえた、愚鈍なアカイアの軍勢をこの矢一本で殲滅した』



対の蛇によって照準が合わされ、より一層に力が増殖・収縮されていく。


光輝く矢もその輪郭がぼやけて見える程に。


それに比例して、つがえた矢は蛇の螺旋を通って徐々にその矢柄を伸ばし、増幅した力を元に(やじり)(つるぎ)のように鋭く尖っていく。



  『黄金の弓矢は男を殺し、白銀の弓矢は女を殺す


   その矢は病魔を振りまき その矢は治癒を振りまく


   この矢は制裁の矢、死に逝く光』



アルベルトが呪文を口ずさみ終わる頃には、その弓矢につがえられた矢は騎馬兵の槍と見紛うばかりの大きさに。


その不吉な矢が放たれるのを防いでいる指が、いともあっさり離される。


しかし放たれたそれは単なる「巨大な矢」などではなく、


極太の【  破  壊  光  線(レーザービーム)  】。


張り詰めた弦に後押しされ、螺旋の蛇の輪を通り、放たれた光の矢はその瞬間、粒子となって解け、アルベルトの背丈以上のデタラメなサイズになって放出されていく。


眩いばかりの可視光線を前に、


「カビョぉッ!?」


カボチャ頭が断末魔を発する事もできず、トラップネットを構えたカボチャ軍団は消し飛ばされ、さすがの『奴隷の王冠』も膨大な力を吸収しきる事が出来ずにカボチャ軍団と運命を共にした。


被害はそれだけには収まらず、その射線上にいたカボチャ軍団は光に飲まれて軒並み蒸発。


衰え知らずのビーム砲はそのまま進んで、周囲にそびえるフィヨルドの山々を喰い千切って新しい谷を創りあげるに至った。


赤く焼け上がった大地を、その惨状を見てアルベルトは、


「さすがにやり過ぎ?」


かわい子ぶって小首をかしげるも、


「別にそんな事ないか!」


特段気にも留めていない様子。


爆砕地を反射させるメガネでその表情は窺えないが、アルベルトは、


「ぬはははははははははははッツ!!」


狂喜しながら変わらずファフロツキーズを追っかけていく。


後方のグリフィン隊は改めて上官の、この国最強の魔法使いの実力を目の当たりにして背筋も凍る思いをしていた。



一方で姫も垂下銃塔から、その光景を目の当たりにし、急いでウィルに報告へ。


「ビ、ビビビ、ビ、ビームがっ!!」


洋間に上がってきた姫は、今見た物を説明しようと後方を指さすも、出来事が出来事なのでそのインパクトで一番印象に残った事柄しか口から出てこない。


「ああ、分かっておる! だからアイツが筆頭魔導士官なんだ!」


ウィルも姫の言いたい事は分かっているので聞き返したりはしない。


さすがのウィルも額に汗を浮かべ、操縦桿を握る手にも力が入る。


「あんなのに捕まったら、ほんと何されるか分かったもんじゃない」


 ウィルは身震いし、残りの石炭の移し燈とにらめっこする。




          ⁂   ⁂   ⁂




アルベルトが【蒼天の魔法使い】と呼ばれるからには、彼と太陽光は密接な関係にある。


彼がしょっちゅう日向ぼっこをしているのは、魔法の力をその身にため込むため。


魔法使いは魔法が使えてこそ、その役職足りえる。


そして魔法を使う為にはその力の源が必ずどこかある。


それは術士によって千差万別だが、アルベルトにとっては、アエイバロン家にとってはそれが太陽の光なのだ。


彼らが代々王国一の魔法使いの地位をほしいままにしてきたのには、そこに秘密がある。


まずもって宮廷魔術師に選抜される条件の一つとして、「特異(ユニーク)な術士たれ」というのがある。


彼らは総じて何か一つ、他人ではとても真似できないような、その人物を象徴する、属人性の高い術を一つ、二つ心得ている。


例えば【送火の魔法使い】であれば次元を超えた死霊術を、【増殖の魔法使い】であれば完璧な変身魔法を。


しかし、それらも力の源泉あってこそ。


【蒼天の魔法使い】は無限の力を有する。


()の一族は、太陽の光を力に還元する術を会得している。


この門外不出の魔術によって、彼らは、


「一秒たりとも魔法使いとしての責務を果たせない」


という時間を作ることが無くなった。


当然、「太陽の沈む夜」すらも長年の研究によって克服され、日中貯め込んだ力を夜間開放するという技も身に着けた。まさに不滅。


さらにはその無限の力を応用して【 死に逝く光(メルクリウス) 】という最強の攻撃手段すらも彼らは手に入れた。


不撓不屈の彼らはその力を持ってして代々国王の懐刀として活躍し、幾度となく王国に利益をもたらしてきた。


何人を以てしても彼らを打倒する事はできない。


彼らは場所を選ばず、時間を選ばず、相手を選ばず、全てに対して強い最強の魔法使いなのだから。


そんな連中の血と業を受け継いだ、今一番(いっちばん)やる気があってフレッシュな男。


名実ともに王国最強。


太陽の神の名を冠する血族の現当主にして、最もカリスマ性にあふれた才児。


この世の全ての魔法使いの筆頭。


【アルベルト・(エース)・アエイバロン】


我らがウィルをとっ捕まえに来たのはそんなやつ。


でもそんな彼には、その特性故に致命的な弱点があったりする。




          ⁂   ⁂   ⁂




「ヌァーッハッハッハッハッハッハッハ!!!!」


アルベルトはトリガーハッピーを発症して、空飛ぶホウキでくるっくる曲芸飛行をしながら狂ったようにやたらめったら一族の秘術をぶっ放す。周囲の地形は(えぐ)られに(えぐ)られ、荘厳な山麓が面白おかしく細切(こまぎ)れにされていく。


ビームが照射された湖は一瞬で干上がり、その下の谷底を深く掘り上げる。


ファフロツキーズには一国の姫が乗っている関係上、公僕として直撃させる訳にはいかないので、わざと当てないようにしているがその分周りに被害が及ぶ。


しかしファフロツキーズ直撃ギリギリを狙って遊んだりするから、ファフロツキーズを操縦するウィルはビームがかすめる度に冷えた肝を縮めている。


「あいつこそ環境破壊の罪で捕まってしまえっ!」


そんなウィルの気も知らず、


「老いぼれの寿命縮めるの楽しいィィィッ!」


などと倫理観皆無な事を叫んで一人で狂喜乱舞している。


と思ったら、急に冷静になり、


「ふえぇー、撃った撃った~。あの爺さん相手だと撃ちたい放題撃てるからいいよねぇ」


懐からクリップで止められた、すぐに書き直されることになるであろう周辺地図を出して、


「そろそろサーシャちゃんとのランデブーポイントだったはず」


と、もう無くなってしまった山を目印に、


「多分あの焼け跡がこの山だろう」


目星をつけ、


「おっとそっちじゃないんだな、それが」


再びビームを撃ってファフロツキーズの進行方向を操作する。


ホウキに化けたネズミから無線機を受け取り、


「さあ、みんな。結局僕がほとんどやっちゃったけど、そろそろサーシャちゃんとの合流地点に着くよ~。もう僕はこの後あんまりビーム撃たないから。君たちが誘導するがいいさ。さあ行って行って」


そう部下たちに伝えると、これまで遥か後方を飛んでいたグリフィン隊がアルベルト追い越してファフロツキーズに群がっていく。


「はあ~、もう帰ってもいいな」


アルベルトは空飛ぶホウキに寝転がり、青空を見上げ、再び日向ぼっこを始める。




          ⁂   ⁂   ⁂




そして今。


追い立てられたウィルとファフロツキーズは、分隊長の待ち構えるインヴァネスの湖へ。


舵を切っても切っても振りほどけないグリフィンの群れとアルベルトの背後がからの威圧。


カボチャ軍団も全く歯が立たず、ウィルはいっこうに打開策を打ち立てられずにいた。


ぎりぎりと歯を食いしばり、ロフトの壁に映ったニヤケ面のアルベルトを睨みつけるウィル。


──それを知ってから知らずか完全に勝ち誇った顔でウィルを見返すアルベルト。


そしてもう勝ったとばかりにリーサルウェポンの弓矢を王笏に戻して腰に差し直す。


──一番の脅威が去ったにも関わらず眉をひそめるウィル。


──アルベルトは使い魔に無線機を貰って、部下に何事か指示を出す。


それを受けてファフロツキーズを包囲していたグリフィン隊が陣を崩し、やや距離を取り始める。


──ウィルは嫌な予感を感じながらも今が好機と離脱を開始する。


シッポならぬ尾ビレをまいて、開いたグリフィンの隙間目掛けてまっしぐら。


が、そのうしろ姿めがけてアルベルトがスッと腕を伸ばし、ファフロツキーズを押さえつけるような仕草をする。


これは()()()が最も得意とする魔法の、さらにその発展型。


『落チロ』


短く一言。


アルベルトが手を振り下ろすと同時、ファフロツキーズは見えない何かに叩き落されるようにして一瞬で湖に墜落。


盛大に水しぶきが噴き上がり、辺りが一瞬白む。ファフロツキーズは頭までザップリ水に沈んだが、すぐに浮上。


ファフロツキーズにかけられている【浮遊】の魔法によって水面を離れようとするが、プロペラや尾ビレは水を空しくかくばかりで空に飛び立つことはできない。


無様にもがくファフロツキーズを見下し、アルベルトは静かに一言。


「突入しろ」


それまでファフロツキーズの周りをグルグル飛び回っていたグリフィン達が、一気にファフロツキーズに飛びついて行く。


さながらパンくずに群がるハトのよう。


グリフィン隊は、一部の変身だけを解き、翼だけを残しあとは人間に。


腰から杖を抜き取り窓やベランダ、玄関扉へ『開けゴマ』の魔法をかける。


ガチャガチャッ、ガチャガチャッと、窓枠が揺れ、扉が揺れ、ドアノブが激しく揺れ動く。


危機的状況に姫は焦りに焦り、ドタドタと慌ただしくロフトに駆け上る。


「ウィル爺っ、追手がすぐそこまで来てるっ!」


とウィルに指示を仰ぐ。


しかし当のウィルは舵輪に頭を預けてうなだれている。


見かねた姫が、


「ウィル爺っ!」


とウィルに駆け寄って急かす。



…………しばしの塾考の後、ウィルはガバっと顔を上げ、


「背に腹は代えられんっ!」


と叫び、勢いよく席を立つ。


舵輪の杖を外し、操作方法を隠蔽。暖炉に駆け寄り、火床からボウボウと燃え盛る大きな薪をかき出して絨毯にくるんで水をぶっかけ姫と一緒に踏みつける。


残された僅かな火がチロチロと燃えている。


暖炉からひるがえって、テーブルの上に置きっぱなしの魔導書や作りかけの魔導具を軒並みかっさらい、両手いっぱいに抱え、


「目にもの見せてくれるわ!」


とアルベルトへの恨み言を吐きながら、家の奥へと逃げ込んでいく……


          ⁂   ⁂   ⁂


半分沈みかけのファフロツキーズ。


翼もプロペラも沈みきり、さながらパニック映画に出てくるサメのように背びれ近くだけが浮き上がっている。


グリフィン達が入り口に群がってまだ鍵開けに手こずっている。


するとそこへ、


「なにしてんの、早く開けないさいよぉー」


アルベルトが下りて来て、ちょちょいと扉を開けてしまう。


ちょうどそこへボートをえっちらおっちら漕いで来たユスティアス分隊長ら捕縛隊が近づいてくる。


小舟は全部で5隻。


先頭の船首で仁王立ちの分隊長を合わせて近衛兵は20人ほど。


沈みかけの翼の上に上陸し、ファフロツキーズにハシゴをかけて玄関小屋に登ってくる。


その一団を見下ろす様にして、突き出た玄関小屋の屋根の上に腰かけるアルベルト、


「やあ、サーシャちゃん。今日も凛々しいねぇ。目標はこの通りバッチグー」


そういって屋根瓦をコンコンとノックして見せる。


対する分隊長はそんなアルベルトを見上げ、感謝の言葉を述べるでもなく、むしろ不服そうな眼差しを向けていた。


何か返事をするわけでもなく、黙って、


「総員突撃だっ!」


と近衛兵らを中に突撃させる。


アルベルトは分隊長のつれない態度を肩をすくめて受け流し、


「じゃあ、君らは周辺の警戒を。窓から泳いで逃げるかも」


と言って、再びグリフィン隊を空に飛ばす。


突入部隊を見送り、自分もそれに続こうとする分隊長。


と、その目の前に、頭上からすっとアルベルトが王笏を差し入れて、分隊長の入室を阻害する。


怪訝な顔をする分隊長を置き去りに、アルベルトは玄関小屋を飛び降り、ふわりと(魔法で表面を乾かして熱殺菌し、そこだけ新築同様に綺麗になった石レンガの上に)に降り立つ。


そして、ちょっと待ってと人差し指を立て、自分と白ネズミに魔法をかけて、その姿を黒服を着込んだ要人警護のSPに変える。


耳には通信機を付け、目元はサングラスで覆い、手には何やら金属探知機のようなものを持っている。


これは王笏を変身させたもの。


アルベルトは耳に手を当て何処へ報告をしているのか、


「これより突入を開始する」


とか小声で言っている。


それを見た分隊長は、まーた茶番が始まったと天を仰ぎみる。


先頭を行くアルベルトは階段を一段一段、壁や天井も逐一入念にチェックし、分隊長を挟んで殿を務める白ネズミが、


「一段目、安全確保。右壁異常なし。二段目ややきしみます」


などといらん確認をしている。


早く部下を追いたい分隊長は、アルベルトを押しのけて強行突破しようとするが、アルベルトはそれを、


「殿中でござる! 殿中でござる!」


などと訳の分からない事を言って、分隊長を自分たちの間に押しとどめる。


分隊長は不満そうな顔をしながら、せめてもと思い中腰のアルベルトの背中をぐいぐい押し込んでさっさと進むように促す。


短いのに長い階段を数分かけてようやっと降り、異様な洋間へ。


洋間に降り立った瞬間一同は息を飲んだ。


茶番を演じながら階段を降りている最中に、目に入った洋間は、


「散らかった洋間だな」


程度の認識だったのに、最後の階段を降り、洋間の床を踏みしめた瞬間、その光景は一変。


そこは人が住んでいるというには、あまりに年季の入った場所だった。


壁も天井も床も全てがボロボロ。


壁なんかすっかりくすんで、元の柄も分からないくらいの壁紙はズルズルと剥がれ落ち、中の崩れた石壁が覗いている。


天井には無数のクモの巣がかかって靄のようになっている。


そこから落ちたであろう虫の死骸が床中に点在し、塵芥に絡まっている。


それなのに、窓から煌びやかな陽光が差し込み、そのミスマッチさが一層不気味さをかきたてる。


ファフロツキーズが半分浸水しているにも関わらず、外が水中ではない事には誰も気が付かない。


一連の状況を異様に思った分隊長が、


「おい、こんなところに本当に奴は住んでいたのか?」


と思わずアルベルトに尋ねる。


既に変身を説いたアルベルトは、チロチロと燃える蒼い炎をたたえた暖炉の前のソファアに腰かけ、


「いたんじゃない? ほら」


とテーブルの上を指さす。


テーブルの上には、まだ新しい菓子パイと紅茶が並べられていた。


もうもうと湯気を立てて。


あたかも、さっきまでここで誰かがティータイムを楽しんでいたかのように。


白ネズミがカップに触れると、


「まだ暖かい……」


と率直な感想を述べる。


灰皿に置かれた葉巻が燃え、ぽとりと新たに灰を落とす。


さしもの分隊長も怖気づいたかに思えたが、


「王女殿下と部下が心配だ」


とますます闘志を燃やしている。


そんな職務熱心な分隊長とは反対に、アルベルトはソファに座って手近にあった魔導書を手に取ってパラパラめくっている。


白ネズミはテーブルの上を片付け、パチンと指を鳴らし、アルベルトお気に入りのティーセットを出現させる。


チョロチョロと紅茶をカップに注いでアルベルトに渡す。


受け取ったアルベルトは、分隊長に、


「君もどう?」


とお茶を勧める。


そうでなくてもアルベルトの茶番によって時間を取られた分隊長は、


「いらんっ」


と一括。


それに続いて、


「本当を言えば今日の作戦だってお前(魔法使い)になど、頼りたくはなかったのだがな」


心に留めておいた愚痴が思わず口をついて出る。


アルベルトは紅茶をすすりながら、


「陛下の命とあってはしかたあるまい?」


紅茶をすすりながら、毒を回避する。


そのどこか他人事のような態度に、腹が立った分隊長は、


「土台、魔法使いという連中はどうも信用ならん。お前らと私達とでは忠義のありかが違う気がする」


と、兼ねてから抱いていた不満を吐露する。


がアルベルトはどこ吹く風。


元々あったパイ菓子(ガロッテデロワ)に手を伸ばし、パクっと一口。


しかしすぐに舌を出し、


「うええ、カボチャ味だ……」


口に含んだフォークごとパイ皿に戻す。


無視されたことにムッとし、ますます腹を立てる分隊長だったが、


『パァンッ!』


突如、家の奥から発砲音が轟き、


「何事だっ!」


家の奥へと駆け込んで行った。



────。


分隊長が家の奥へと姿を消し、取り残されるアルベルトと白ネズミ。


白ネズミが沈黙を破り、


「一緒に行かれなくてもよろしいのですか?」


アルベルトに尋ねる。


アルベルトは紅茶を一口含み、


「ぅんん? ここだけの話。できれば僕はあの爺さんにここで捕まって欲しくないと思ってる。あいつ面白いからね♪」


楽しそうに笑う。


それを聞いた白ネズミは、


「またそのような事。御父上が知ったらまたお怒りになりますよ」


とたしなめる。


がアルベルトはそれを鼻で笑い、


「『あんなぽっと出の田舎(まじな)い師にいつまでもデカい顔をさせておくつもりだぁっ~。早々にアエイバロン家の威光を示すだぁ~』ってね。僕には関係ないっつの」


わざと滑稽に父親の物まねをして見せる。


白ネズミは呆れてた様子で大きくため息をつく。


「偉くなると周りがイエスマンばっかでつまんなくなる。ああいう手合いは長持ちさせないと。でもまぁ、いざとなればきちんと務めは果たすさ。これは単純な鬼ごっこだからね」


ふふん、とどこか得意げなアルベルト。




          ⁂   ⁂   ⁂




ほんのちょっと前。


突入した捕縛隊が()()()()()()()洋間を出ると、そこは薄汚れた廊下だった。


カビの生えた壁紙は柄がくすみ、床に敷かれた絨毯も壁同様。


それなりに警戒する捕縛隊が一歩進む毎に、床に積もった埃が舞い上がり、壁にかかったロウソクに照らされてキラキラしている。


隊員の一人が視線を感じてそちらを向くと、そこには誰か分からない男性の肖像画が。


まるで侵入者たる自分たちを咎めるかのように、険しい視線を額縁の中から向けている。


それに引っ張られてか、柱などの木目さえも自分たちを監視する目のように見えてくる。


左右に並ぶ無数の扉は、いずれも針金でドアノブがグルグル巻きにされ、扉に板が打ち付けられて中に入る事は出来ない。


本当にこんな所に人が住んでいるのか? 


ましてや姫さまがいるのだろうか?


という疑問が尽きないまま、一団は武器を構え、寄り集まり、怯え腰で廊下を進んで行く。


すると、廊下の突き当り、T字になった部分を人が横切って行った。


奇抜な柄のマントをなびかせ、街灯のような長杖(スタッフ)を持った老人。


本作戦のメインターゲット「ウィルオウウィスプ」が横切って行った。


「いたぞっ!」


慌てて廊下を走る捕縛隊。


T字を左に曲がって追いかけていくと、そこにはもうウィルオウウィスプの姿はなかった。


これまでと同じ先の長い直線の廊下、左右の扉もバリケードが設置されて逃げ込むことはできない。


忽然と姿を消したのだ。


一同は驚愕。


互いに顔を見合わせたり、後ろを振り返ったりしている。


が、副隊長が、


「どこかに隠し扉があるのかもしれない。探せっ」


機転を利かして命令を下し、一同は壁を叩いたり、絨毯をめくったり、扉が本当に開かないか確かめている。


そうやっていると、一人の隊員が、


「姫さまっ!」


と驚愕の声を上げる。


その声につられて他の隊員も声の上がった方を振り返る。


すると、確かにそこにエレオノーラ王女はいた。


しかし様子が少しおかしい。


普段のありあまった元気はどこへ行ったのか、その顔は正反対の全くの無表情。


着ている服も姫が普段好んできているような機動性重視の物ではなく、年相応の女の子が着るような可愛らしい水色のフリフリドレス。


捕縛隊はやや困惑したが、それでもとりあえずは姫を見つけられて安心する。


服装は違えど、そのバターブロンドの金髪と翡翠の瞳は間違いなくエレオノーラ王女殿下の物。


副隊長が、棒立ちの姫の前にひざまずき、


「姫殿下、お怪我はありませんか。我々は近衛の者です。貴女様をお救いに参りました」


と話しかけると、姫は副隊長の方に顔を向け、


「どっちの?」


無表情のまま聞き返す。


副隊長が質問の意味を図りかねていると、姫の後ろからもう一人、背格好も顔も全く同じエレオノーラ姫がひょっこり姿を現した。


二人は手を繋いで廊下の中央に立つ。


ますます困惑する捕縛隊。


姫さまは双子ではなかったはず。


しかし現に今、目の前には姫が二人いる。


どちらかがニセ者なのだろうか? 


しかしその判断はつかない。


動揺する捕縛隊へ、双子の姫は、


「ねえ、どっち? どっちを助けに来たの?」


と質問の回答を急かす。副隊長はどちらとも判断つかず、さりとて王族の顔が分からないなんて言えるはずも無く、口をパクパクさせている。


それを見た双子の姫が、


「ヒヒッ」


顔を歪ませ、


「ケタケタケタケタケタケタケタァッ!」


壊れた人形のように頭を揺さぶって笑い始める。


そしてその勢いのせいで、長い金髪が『ズルリ』と頭から滑り落ちる。


そして髪の毛が抜け落ちた下にあったのは、不気味に笑う、顔がくりぬかれたカボチャ頭。


一同は悲鳴こそ上げなかったが、眼前の不気味な光景に度肝を抜かれてその場で硬直する。


しかしそれも束の間、二人の姫カボチャの背後の昇降機(エレベーター)が、


『チン』


子気味いい音をたてて降りてくる。


はて? 


昇降機などあっただろうか? 


たしか、ここは長い長い廊下だったはず。


昇降機があったら、ウィルオウウィスプがそこに逃げ込んだとして周辺の捜索などしなかったはず。


冷静に考えればその通り。


しかし彼らには家の間取りが刻一刻と入れ替わっている事に気づく余裕は持ち合わせてなかった。


なぜなら、彼らの意識は開いた昇降機の扉の中にあったものに釘付けになったから。


まず一番最初に彼らを襲ったのは、その強烈な腐敗臭。


腐った卵、牛乳を噴いた雑巾、堤防に転がるハエのたかった魚の死骸。


生臭く、ランチを思わず戻してしまいそうな、ツンとした酷い臭いが昇降機から吹き出し、廊下全体を包み込む。


隊員らは思わず顔がくしゃっと歪み、つぶった目から涙がこぼれるような耐え難い悪臭に苛まれる。


次に彼らを襲ったのは、身の毛もよだつようなグロテスクなゲル状の物体。


一言で言うなら吐瀉物(としゃぶつ)のそれ。


白濁したドロドロとした液体に、野菜くずや残飯などの生ごみ、失敗作の魔導具や壊れた家具など、とにかくありとあらやゆる廃棄物が流動性のある粘液に絡めとられ、昇降機の中いっぱいに満たされていた。


当然、それらはあふれでてくる。


四枚扉のかなり大型な昇降機(エレベーター)の扉が悪臭と共にさながら洪水のように、凄まじい勢いで吐瀉物の津波が捕縛隊員らを襲う。


彼らは今度こそ悲鳴を上げ、尻尾をまいて逃げ出し始める。


ケタケタと笑い続ける二匹のカボチャ姫が、波に飲まれ、一瞬でバラバラになったのを見て隊員らがますます恐怖する。


彼らは恥も外聞も捨てて、一目散に元来た道を戻るが、一向に洋間にたどり着く気配がない。


ここまでは角を一本曲がっただけなのに。


彼らの背後では、白濁した濁流が壁いっぱい、天井すれすれまで満ち満ちて、あたかも昇降機から湧き出てるかのようにとどまる気配がない。


恐怖に耐えかねた隊員の何人かは馬鹿正直に津波の正面を走るのを止め、少しでもこの容認できない悪状態を脱しようと、角を曲がって独断で逃走を始める。


しかしそれがさらなる恐怖を呼ぶことになる。


先ほど飲み込まれたカボチャ頭が洪水の中から浮かび上がってきて、残飯を絡ませた顔を歪ませ、はっきりと自分の前を逃げる隊員を認識する。


カボチャがニタァっと笑ったかと思うと、ドロドロの液体が束ねられ、手足のような形状を取り始める。


その歪な手足を何本も生やし壁や天井をひっつかんでグングンスピードを上げて追いかけてくる。


当然曲がり角も内粘液をぶちまけながらカーブしてくる。


最早泣きさけびながら逃げ回る捕縛隊員。


その後も独自に角を曲がって逃げる者が後を絶たず、その度、吐瀉物が意思を持って追跡を始める。


道中、半開きの扉や上り階段、天井裏から伸びたハシゴなど、明らかに捕縛隊を分断させる為の罠と思しき脇道にかどわかされ、完全に突撃部隊は崩壊する。


ここからさらなる怪奇が彼らを襲う。



一人は逃げる最中天井裏から伸びるハシゴに飛びついて難を逃れた。


後に続こうとした者もいたが、一人が飛びついた時点で既に後ろから奴が迫ってきていたため、天井裏に避難できたのは彼一人だった。


ハシゴを上った先には、真っ暗で狭い所に蜘蛛の巣が満ち満ちている陰気な屋根裏ではなく、縦に長い手狭な食堂だった。


中央にはクロスのかかった長机が鎮座し、それに準ずるようにアンティークの椅子が十二席。


椅子と壁の間の隙間は狭く、給仕がやっと通れるくらい。


天井から吊り下げられたシャンデリアも部屋に不似合いなほど大きく、より一層部屋に圧迫感を与えていた。


食卓の上には銀の釣鐘蓋(クローシュ)が席の数だけ並んでいる。


そして食卓の上座、ハシゴを登ってきた穴の正面にはさらに奥へつながる扉が。


彼が恐る恐るその先へ進むと、そこは調理場だった。


食堂と同じく狭苦しい調理場には食料棚や食器棚が窮屈そうに押し込まれ、コック帽を目深に被ったコックが一人、まな板で肉を切っていた。


捕縛隊員は、


「わ、私は王国近衛騎士団サー・ユスティアス隊所属の騎士だ! 国王陛下の命でお前の主人を捕らえに来たっ、大人しくウィルオウウィスプの元へ案内してもらおうか!」


一応の口上をビクビクしながらコックに向かって告げる。


それを聞いたコックは肉を切る手をピタリと止め、ゆらりと捕縛隊員に向き直る。


またしてもカボチャ頭。


それも、より一層狂気的な笑みを彫り込まれた個体。


それが両手に鉈のように巨大な包丁を握りしめて、


「キシャアアアアアアアアアアアッツ!!」


甲高い奇声を上げ、服の隙間からナイフやアイスピックなどの刃物をボロボロこぼしながら、襲い掛かってくる。


隊員は血相変えて食堂に逃げ込み、椅子や調度品を扉に押し付けてバリケードを作る。


これで一安心かと思いきや、


『ドスッ!』


扉から鋭い包丁が突き出てくる。


殺人コックは木製の扉を包丁で突き刺し、(えぐ)り、穴をあけようとしてくる。


恐怖で縮みあがる近衛騎士。


壁際に張り付く。


殺人コックが叩き割った穴から顔を覗かせ、怯える隊員を見て凶悪な笑みを浮かべる。


『Here's Johnny!』


人外の言葉で脅しかけてくる……




          ⁂   ⁂   ⁂




一方で半開きの扉に駆け込んだ連中は。


ハシゴと違って扉は複数名逃げ込める余裕があり、それなりの数の捕縛隊員が逃げ込んでいた。


扉の先は石造りの広大な図書館だった。


思わず捕縛隊員たちも、


「わぁお」と感嘆の声を漏らす。


その広さたるや。


天井までは何十メートルもあり、図書館の果ては奥の壁が霞むほど遠い。


蔵書の数も王国図書館と同等かそれ以上。


何十メートルもある壁一面が本棚で、それと同じ高さの本棚が何個も(そび)え立っており、それらにはいくつもの中二階が設けられ、そこへ至る為の橋や階段が設置されている。


床には底一面に書見台が寸分違わず並び立てられ、それは図書館の果てまで続いている。


捕縛隊員たちはバカみたいに本棚を見上げ、キョロキョロと部屋中を見渡しながら図書館の中を探索していく。


すると、突然壁の本棚からポトリと一冊の本が落ちてくる。


何事かと思って一行が集まると、分厚い革表紙のタイトルに、


『It is no use crying over spilt milk.(後悔先に立たず)』


と書かれている。


「なんのこっちゃ」


と一行が思っていると、隣にもう一冊落ちて来てそこには、


『While there is life, there is hope.(命あっての物種)』


と書かれてある。


鈍感な近衛兵たちが首をかしげていると、次は、


『No princesses !(ここにお姫様はいないよ!)』


『Get out!(さっさと帰れ!)』


と直接的なメッセージへ。


それでやっと意味が分かってきた一行。


しかし、その真意に沿って動こうとはしない。


むしろこう言う風に脅してくるという事は、その逆なのではないかと勘繰り始め、それらの本を投げ捨て、幼稚な悪戯だと嘲笑しながらそこを後にしようとする。


その直後、図書館全体が怒ったように振動し始め、本棚の本がバタバタと零れ落ち始める。


途端に慌て始める近衛兵たち。


やがてあまりの揺れの大きさに立って歩くことができず這いつくばって本棚の前から脱しようとする。


一人の近衛兵の頭の上に本が一冊落ちて来て、見開かれたページには、



    Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

    Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

    Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

    Get out! No princesses !  Get out! No princesses !


    Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

    Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

    Get out! No princesses !  Get out! No princesses !


    Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

    Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

    Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

    Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

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    Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

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Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

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     Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

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        Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

Get out! No princesses !  Get out! No princesses !

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                               』


と、これでもかというくらいびっしりと書かれており、めくってもめくってもこれらの文言が全てのページに書き連ねられている。


気味悪くなった近衛兵がその本を払いのけると、揺れはさらに大きくなり、全ての本棚から雪崩のように蔵書が零れ落ち始める。


近衛兵たちは一目散に入ってきた半開きの扉に駆け寄ったが、押しても引いてもびくともしない。


ドアノブを力任せにガチャガチャとまわし、扉を叩き、


「誰かっ!」


助けを呼ぶも返事は無し。


彼らの背後には書見台を押し流しながら、本の津波が迫りくる……




          ⁂   ⁂   ⁂




最後は、廊下の壁に隠れるようにしてあった急な登り階段。


副隊長とその近辺に居た者以外は全員こっちへ。


薄暗い階段を登った先は、意外な事に西洋庭園であった。


風情のある噴水にお洒落な薔薇のアーチ、小川に囲まれた東屋。


それらを取り囲むツタの張った高い石壁。


石壁に窓は無く、完璧な箱庭になっている。


上を見上げると四角く切り取られた曇り空が見える。


今にも雨が降り出しそうだ。


しかし、今日は予報によると一日中気持ちのいい秋晴れだったはず。


それにここが外なら筆頭魔導士官直下のグリフィン隊が見えるはず。


ここはどこだ? 疑問点は数え上げればきりがない。


一団がうーんと頭を悩ませていると、そんな考えを払拭するように、庭園の奥の扉へウィルオウウィスプが駆けて行くのが見える。


「あっ! 待て!」


隊員たちは思わず駆け出すが、振り返ったウィルがニヤリと笑い、地面から何か引き上げるように、街灯長杖を頭上に向かって振り上げる。


途端、庭園を囲む四面の石壁が背後へ後退し箱庭の面積を大きく広げる。


噴水や薔薇のアーチ、東屋や小川は引き延ばされた庭園に合わせて散り散りになり、その隙間を埋めるようにして、人間の身長の何倍もあろうヒイラギの生け垣が地面からにょっきり生え上がって、捕縛隊をも分断してしまう。


生け垣は巨大な迷路となっており、隊員たちは突如出現した迷路によって右も左も分からない。


ただ、ウィルオウウィスプの、


「ここにお姫様はおらんっ! さっさと帰れ!」


という声と高笑い、扉が閉まってウィルが逃げおおせた音だけが聞こえる。


上司譲りの血の気の多い隊員が地団駄を踏んで悔しがっていると、自分たちを隔てているヒイラギの生け垣がもぞもぞと動き始め、横着な隊員が枝葉を押しのけてやってきたのかと予想したが、姿を現したのは犬のマスクを被ったタキシード姿の男だった。


手には血濡れた斧を持っている。とたん頭に登っていた血が急速に引き始める。


それと同時、生け垣一つ挟んだ向こうで隊員たちの悲鳴と、刃と刃を交える戦闘音が鳴り響き、慌てて自分も抜刀。


向き直った迷路には、両端の生け垣からポコポコと草刈り鎌やチェーンソー、枝切りバサミやスコップなどの園芸道具(凶器にもなりうる)を装備した犬マスクタキシードが湧き出していた……




          ⁂   ⁂   ⁂




薄暗い浴室の扉を開けて、


「どんな様子だ?」


ウィルが嬉々として入ってくる。


トイレの上に胡坐をかいて、なにごとか装置を動かしている姫が、


「混乱のドツボッ!」


これまた嬉々として答える。


ウィルは「にっしっしィっ!」と笑い、


「人んちにビーム撃って、無理くりおしかけて来るからこういう目に合うんだ。もっともっと恐怖のズンドコに落とし入れてくれる!」


腕を振り上げて宣言する。


今はバスルームがファフロツキ―ズ奪還作戦の秘密会議室。


ウィルと姫によって開発された、【鍵】の魔法の応用術式増幅装置によって、直接鍵穴にファフロツキーズの鍵を刺さずとも、自由自在にファフロツキーズ内の内装・間取りをいじくりたおせる状態に。


今、姫がカチャカチャと遊んでいるルービックキューブのようなおもちゃがそれ。


それを南京錠型のスタンドに鍵を刺し込み、淡い赤と青の二本の管(ケーブル)で接続している。


ウィルが家の中を走り回って捕縛隊をおびき出して、姫が分断し、ウィル考案・姫制作の【レッドラムの魔法】の産物らがおもてなしをする。


ファフロツキーズの内部は完全にウィルと姫の手のひらの上。


姫の前に置かれた水晶モニターには、殺人コックと格闘する近衛兵や、本の海で遭難する近衛兵、しんしんと雪の降る巨大迷路で犬マスクタキシードと乱戦状態の近衛兵たちの惨憺(さんたん)たる有様が映し出されている。


さらに姫がつまみをいじって次のチャンネルに切り替えると、未だに廊下を、意思を持った吐瀉物の濁流──【廃棄物ゴーレム13号】──から逃げ回っている副隊長らの姿が映りだす。


そしてとうとう恐怖に耐えかねた副隊長が廃棄物ゴーレムに向かってライフル銃をぶっ放す。


いまいち効果は無かったが。


次いでモニターにはその銃声を聞きつけて洋間から飛び出すユスティアス分隊長の姿が。


「隊長さんが学園長先生(アルベルト先生)と離れたよっ!」


姫の報告を受けて指を打ち鳴らすウィル。


「よおしっ、作戦をフェーズ2に移行! さあて、外のアホ鳥にも仕返ししてやらにゃあいかんな」


ウィルはタイル張りの壁に立てかけてあった跳ね上げ戸(ハッチ)を床に倒し、姫に言って船底に繋げてもらう。


ハッチを開くとそこは湖の底。静かに深い水が湛えられている。


ウィルは風呂場の棚に飾ってあった金魚鉢を持って来てその中身を湖の中にぶちまける。


緑色の濁った水と共に黒いオタマジャクシの様な生物が解き放たれる。


ウィルはすぐさま水晶モニターにとりついて、外の様子を観察する。




          ⁂   ⁂   ⁂




ファフロツキーズの外。


フィヨルドの谷にできた大きな湖の真ん中に空飛ぶ魚が沈没しかけている。


その周囲を飛び回る鷲獅子(グリフィン)たちは、ウィルオウウィスプが水中から逃げてこないか監視中。


すると案の定、沈みかけの翼近くから気泡がブクブク上がってくる。


先生(アルベルト)の言ったとおりだと、一匹のグリフィンがあぶくに向かって急降下。


魔法で水の上に立ってウィルオウウィスプが浮かび上がってくるのを待つ。


しかし水中から姿を現したのはしわくちゃの老人などではなく、見目麗しいブロンド髪の美女だった。


思っていたのとは違うのが出て来て思わず足が水に沈みかけるが慌てて気を引き締め魔法を保つグリフィン。


しかしその女性のなんと綺麗なことか。


まさに絵に描いた様な絵にも描けない美しさ。


免疫のない初心(うぶ)な職業軍人の(グリフィン)は、水面に霞む一糸まとわぬ女体から目をそらすことができず、徐々に変身の魔法が解けていく。


水にも沈んでいく。


湖の君はおもむろに腕を彼の頭の後ろに回し自分の顔と彼の顔の距離を近づけていく。


軍人の彼は突然のアプローチにどうしたらいいか分からず、しどろもどろになっている。


しかしこの直後、彼の甘い夢は打ち砕かれる事になる。


文字通り目と鼻の先にあった彼女の顔は見る見るうちに腐り落ち、その下からぶよぶよにズル向けた青白い水死体が顔を覗かせる。


さっきまで突き合わせていた目や鼻がアイスクリームのようにとろけ落ち、あんなに魅力的だったブロンドも今では水草の様にグズグズになっている。


水ゾンビは腐った声帯で『ゲボゲボ』と笑い、軍人の彼を水中に引きずり込もうとする。


彼は恐怖のまま再びグリフィンに姿を変え、その怪力を持って水ゾンビを引き裂いて空へ逃げる。


急いで彼の元に同僚のグリフィンが心配して声をかけるが、件の彼は静かに泣いていた。


以降彼はこの時のショックから女性恐怖症になる。


          ⁂   ⁂   ⁂


「いひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃッツ!!!!」


その様子を水晶モニターで見て、膝を叩いて大笑いするウィル。


それを後ろから姫が覗き見て、


「あぁーっ! ウィル爺まぁーたあたしの組んだ術式勝手に変えたでしょう!」


非難する。


「こっちの方が絶対面白かろうて!」


ウィルは全く反省の意を示さない。


姫は、


「悪趣味ぃ~」


とウィルを白い目で見る。


そんな視線にも気づかず、ウィルはモニターを指さして、


「そら真打が来るぞ!」


と一人ではしゃいでいる。


          ⁂   ⁂   ⁂


ファフロツキーズの中同様、外もまた混乱のドツボ。


あの後水ゾンビが大量に湖から湧き出して、水草を束ねたロープをカウボーイよろしく空に投げ、空飛ぶグリフィンを引きずり降ろそうとしていた。


そこに、ウィルの言う『真打』登場。


仄暗い湖の中を泳ぐ青白い影。


それはファフロツキーズよりも巨大。


そのシルエットは「腕の生えた鮫」のようにも見えるが、頭部は魚のそれではなく人間のそれ。


毛髪は無く皺だらけの丸い頭部。


虚ろに開いた黒い眼孔に、無感情に吊り上がった口元。


鼻はない。


その名状し難い生き物がファフロツキーズの下を仰向けで泳ぎ回り、痩せ細ったその長い腕を水中から伸ばして、これもグリフィン達を捕まえようとする。


彼らは総じて女性恐怖症と海洋恐怖症を併発することになる。


          ⁂   ⁂   ⁂


「外が何か騒がしくありませんか?」


洋間で家探しの末見つけたクッキーをかじりながら、白ネズミがアルベルトに尋ねる。


「うん? 気のせいじゃない?」


アルベルトは一瞬、玄関の外に耳を傾けたが、すぐにけろっとした顔をして茶をすすり始める。


洋間とて姫の手中。


既に外とは隔絶されており、もう玄関を開けても湖には出られないし、ロフト下の扉をくぐっても廊下には出られない。そんな事も知らずにのんきに茶を飲むアルベルトたち。




          ⁂   ⁂   ⁂




時間は戻って、分隊長が銃声を聞きつけ、洋間を飛び出した所。


分隊長は廊下を駆けながら、左右の壁に違和感を覚えていた。


──扉が一枚も無い。


廊下は先も見えないほど直線的に長いのに、部屋の一つもないのはおかしい。


まるで、何者かに誘導されているかのよう。


分隊長は眉間に皺をよせ、この状況への不快感を露わにしていたが、前方から現れた人影によってその感情は取り除かれる。


突如として現れたのは先に突入した副隊長とその他数名。


彼らは完全に肝を潰され、ほうぼうの(てい)で廊下を敗走してくる。


そして目の前に現れた頼れる分隊長を発見し、マッチョで大男の副隊長も思わず涙がこぼれる。


「お前たち一体どうした!?」


分隊長は、屈強な部下たちが幼子のように泣きついてくる事に動揺を隠せない。


「隊長ッ、早く逃げないと! アレが来るっ! アレが来てしまうッツ!」


いつも冷静沈着な副隊長がこれほど取り乱すという事は尋常ではない。


分隊長は部下の素振りだけで事の重大さを図り取る。


しかし、それは頭で考えるよりも早く、鼻腔の奥に侵攻してきた。


ツンと鼻に来る何かの腐敗臭。


反射的に嘔吐(えず)き、刺激が強すぎて無意識に涙が零れる。


その後はすぐに視覚攻撃。


名状し難い、何とも言えない醜悪さ。


吐瀉物の様なゲル状の身体に廃棄物を纏い、それらを撒き散らしながら廊下いっぱいに広がって這いずって来るナニか。


おそらく頭部と思われる歪な顔のカボチャ頭はニタニタとあざけ笑い、汚らわしい触腕が壁や天井を握りしめながらこちらに向かって来る。


「なんだあれは……!?」


さすがの分隊長も「廃棄物ゴーレム」の尋常ならざる不快さに言葉が出ない。


廃棄物ゴーレムが視界に入った途端、


「キタぁぁぁぁぁッツ!!」


隊員たちは泣きじゃくりながら這いつくばってでも逃げ出す。


「お、おい待てっ! 逃げるな!」


分隊長はそう言いつつも、逃げる隊員を追って踵を返す。


その脚力を持ってすぐに先発に追いつき、


「説明しろ副長! あれは一体なんだ! 経緯を説明しろ!」


並走しながら状況報告を求めるが、ムキムキマッチョな副隊長は、


「わかりませんッツ!! 何もわかりませんッツ!!」


と顔の穴と言う穴から体液を溢れさせ、恥も外部も捨てて真っ正直な見解を述べる。


それがまずかった。


その情けない態度が溶岩(マグマ)のように熱い分隊長の魂を逆撫でし、



「お前はそれでも、栄えある王国騎士かァァァァあああああ───ッッツツ!!!!」



怒髪天を衝いた分隊長の拳が副隊長を容赦なく襲い掛かる。


「どぅんがらべぇっしゃぁっ!」


と妙な断末魔をあげ副隊長は壁に叩きつけられそのまま泡を吹いて失神。


一緒に逃げていた近衛兵も殴り飛ばされた副隊長を見て失禁寸前、お互いに抱き合ってわなわなと震えている。


横たわる副隊長の腰から手榴弾をもぎ取り、


「そこで見ていろッ! 軟弱者どもめが!」


なきじゃくる部下を一括。


分隊長は迫りくる廃棄物ゴーレムの眼前に、すっくと立ちはだかり、眼光鋭く目線だけで相手を射殺しそうなほど睨みつける。


それから、手榴弾のピンを抜いて、


「こんな奴アァなぁッツ!」


と足を高く上げて投球フォームをとり、


「こおだッツ!」


廃棄物ゴーレムに向かって剛速球を投げつける。


『ズボッ!』


廃棄物ゴーレムの体内に手榴弾は抉りこみ、その瞬間に体内で、


『パアッッーンッツ!!』


大爆発。


廊下全体に体液をぶちまけ廃棄物ゴーレムは爆発四散。


当然、その吐瀉物ボディは最前面に屹立する分隊長にも飛び散ったが、当の分隊長は一切きにしない。


凄まじい悪臭を放っているはずなのに、顔色一つ変えず、顔に飛び散った吐瀉物を返り血よろしく袖で拭い去る。


尚も鬼の形相で後方を振り返り、


「早く立て! 他の連中にも喝を入れてやるっ」


部下を叱責。


慌てて隊員たちはは立ち上がり、伸びてる副隊長を引きずって分隊長の後を追う。


          ⁂   ⁂   ⁂


「  (°д°)……」


水晶モニターを見ながら開いた口が塞がらないウィルと姫。


「つ、次だ! 殺人コックの所に誘導しろ!」


衝撃から帰ってきたウィルは慌てて姫に指示を飛ばし、姫は、


「え? あ、アイアイサーッ!」


と急いでパズルを組み合わせ、分隊長と殺人コックがかち合うように間取りを組み替える。


          ⁂   ⁂   ⁂


ズンズン廊下を進んでいく分隊長。


どこまでも続くかに思えた廊下に突然曲がり角が出現。


そこには、洋間を出てから一つもなかった扉がついてる。


バリケードは一切なくドアノブもすんなり開く。


それが分かった途端、分隊長は、


『バタンッッツ!!』


扉を勢いよく押し開き、


「ウィルオウウィスプッ、御用だっ!」


室内に殴りこむ。


ふぁ()っ、ふぁいひょう(隊長)!」


扉の中は食堂で、長テーブルの真ん中で一人の近衛兵が縛り上げられ、豚の丸焼きよろしくパンツ一丁で口にリンゴを詰められて、ディナーにされかけていた。


その側には全身に刃物を括り付けた殺人カボチャ頭コックの姿が。


「おんどりゃァッ!」


それを見た途端、分隊長はカッ! と鬼瓦の様な表情を浮かべ、足元に落ちていた包丁を拾って自前のサーベルを抜き放ち、驚異の二刀流、三メートルはあろう長テーブルを、


「ヒイヤアアアアアアッツ!!」


一っ飛び。殺人コックの頭上から切りかかる。


まさか机を飛び越えて来るとは思わなかった殺人コックは初動が遅れ、大振りの肉切り包丁を構えようとした右腕を分隊長ご自慢のサーベルで斬り飛ばされる。


そして間髪入れず逆手に持った包丁で残った左腕を壁に突き刺し固定する。


殺人コックは何が起こったのか理解するより早く、サーベルで袈裟斬りにされて塵になって四散した。


コックが最後に見た光景は、両目をこれでもかというくらいガン開きにし、口角を歪曲させた女傑の姿だった。


分隊長が殺人コックを瞬殺している間に、晩御飯にされかけていた近衛兵はついてきた隊員に救出され、


「怖かった、死ぬかと思った……」

「その気持ち分かるよ……」

「俺たち、生きててよかったなぁ」


と互いを慰めあっている。


それらを押しのけ、


「メソメソするなァッ!」


分隊長が食堂から出ていく。


          ⁂   ⁂   ⁂


ウィルはモニターに噛り付きながら、


「おのれやりおるっ、次は知識の海で溺れるがいい!」


と悔しがっている。


姫はニコニコしながらパズルを動かし、次は図書館に行きつくように間取りを組み替える。


          ⁂   ⁂   ⁂


次いで彼女らが行きついたのは、暴風雨が吹き荒れる本の海だった。


部屋中を本のページが嵐のように吹き荒れ、本棚からは絶えず洪水のように蔵書があふれ出ている。


そしてそれらが床を埋め尽くし、さながら海の様。


そこでは大量の蔵書が大きな波を作って荒れ狂い、遠くでは本の孤島に置き去りにされた近衛兵が遭難していた。


「おい! あれを見ろ!」

「隊長だ! 助けが来たんだ!」

「おぉーーい、おぉーーい」


それを見た分隊長は、未だ失神している副隊長からロープをふんだくって自分にしっかり結び、これまで救出してきた部下にその反対を託す。


羽織った半肩掛けコート(ペリースコート)を華麗に脱ぎ去り、分隊長は勇敢にも嵐の海に単身飛び込んで、見事な泳ぎっぷりで孤島まで泳ぎ着く。


「たぁいちょぉぉおおー」


泣きついてくる隊員を殴り飛ばし、全員を縄で縛って再び海に飛び込む。


「隊長、危ない!」


道中、吹き荒れる嵐の中明らかに意思を持ったと思しき分厚い書物が、分隊長目掛けて特攻してくる。


が、分隊長はあろうことかサーベルを口に咥えて頭と首をひねってそれを撃墜。


それも一度や二度ではなく岸にたどり着くまでずっと。


時には逆方向から挟み撃ちにするような連携を取ってくる本も見事な剣技でこれを一閃。


孤島から岸まで何十メートル、ただの一度も被弾することなく無事に遭難者を救出してみせる。


          ⁂   ⁂   ⁂


「まだまだぁっ!」


ウィルは声を張り上げ腕を振り上げ髭を尖らせ、それに釣られて姫も、


「はいはいはいはいっ!」


っとパズルをせっせこ動かして最後の箱庭へ行きつくように間取りを入れ替える。


          ⁂   ⁂   ⁂


箱庭はまさに混乱のドツボの最たる所。


元々、出口も入り口もない巨大な迷路。


その中で残った近衛兵全員と、園芸用品で武装した犬マスクタキシードが乱戦状態。


分隊長は扉を抜けて部屋に入るなり、すぐさま戦場(いくさば)の匂いを嗅ぎつけ、


全体(ぜんたぁーい)突撃(とぉつげぇぇき)ッツ!」


命令を下しながら自らが先陣を切って生け垣の迷路に突っ込んでいく。


それに習い分隊長に鼓舞された近衛兵たちも後を追う。


それからの事は、文章だけではとても表現しきれない。


分隊長の活躍っぷりといったらまさに王国無双。


迷路の中を駆け巡り、時には生け垣を突き破ってまで敵を見つけ出し、敵が視界に入ったそばから切り捨てていった。


万が一にも分隊長に襲い掛かろうものなら次の瞬間にはお魚よろしく三枚におろされている。


今回のハイライトは何といっても驚異の空中五人斬りだろう。


まず、迷路の曲がり角に突っ立っていた犬マスクに飛び掛り、眉間にサーベルを突き刺す奇襲攻撃。


その後、崩れる頭を踏み台に、次の犬マスク(角を曲がった先にいる)に飛び掛かる。


その際一体目が持っていた草刈り鎌を奪い取り、空中で身体をよじって勢いを付けてから二体目のこめかみに鎌を突き刺す。


次いで、二体目に鎌を突き刺す勢いを殺さず、むしろ二体目を鎌もろとも押し戻して勢いをつけ、構えたサーベルをフェンシングの要領で、眼前にいる三体目と四体目の喉元をまとめて串刺しにする。


そしてここからが凄まじきカウンター。


五体目は分隊長の背後から奇襲を仕掛てきた。


分隊長の身体はサーベルを三体目と四体目の犬マスクを串刺しにする動作で完全に伸び切っており、ここから反撃するには一度伸ばした腕とそれを伸ばす為の今の姿勢を一度引っ込めなくてはならない。


回避行動をとる余裕もない。


もうすぐそこまでクワを振りかぶった犬マスクが飛び掛かってきている。


この時の光景を目撃した隊員は「目の前で何が起こったか分からなかった」と語る。


分隊長は、伸ばした身体を元に戻す時、身をよじって後方から振り下ろされるクワを回避し、そしてバネのごとく引き絞った腕を力の限り振り上げ、振り上げたサーベルを返す刀で振り下ろす。


逆V字。


まさに電光石火の早業。


目にも止まらぬ剣の妙技。


見事、三枚におろされた犬マスクがその場に倒れる。


ここまでが僅か数秒の事


素人なら彼女と対峙した瞬間、刀を抜く動作の間に細切れにされている。


これを素の肉体能力だけでやっているのだから信じられない。


これこそ「魔法」と言われた方が納得がいく。




          ⁂   ⁂   ⁂




「全部ひとりで倒しおった……」


ウィルは水晶モニターに映る、分隊長のアクション映画顔負けの大活躍を見て度肝を抜かれている。


姫も一緒にそれを見て、


「これは決戦ゴーレムもパワーアップしないと勝てないね」


と楽しそうに笑っている。


しかしウィルの表情は対照的に、


「いや。お前はここまでだ」


と、酷く真剣な表情を浮かべる。


髭も落ち着きを取り戻す。


姫がここに来て早三ヶ月、これだけの長い間家に帰られないのは「おてんば」では済まされない。


時たま「心配しないで。そのうち帰ります」という手紙を出していたとはいえ。


現に捜索隊が組織され、ウィルに誘拐犯にされかけている。


寄越された手紙も誘拐犯がカモフラージュに送って来たものと思われている。


今、姫とウィルが一緒にいる所を分隊長やアルベルトに見られると確実にしょっぴかれて、名誉を挽回する機会は二度と訪れない。


悲しいが姫とはここでお別れをしなくてはならない。


ウィルもその事は前々から考えていたし、姫もずっとここにはいられない事は分かっていた。


ウィルの告白を聞いた姫も顔から次第に笑みが薄れ、やがて穏やかにウィルへ微笑みを返す。


「そうね。さすがにこれ以上はダメよね」


姫は名残惜しそうに手から操作パズルを離し、ウィルに渡す。頭のアンテナも落ち着きを取り戻す。


ウィルはパズルを動かして、バスルームの扉を姫の自室に直結させる。


「吾輩は連中を足止めする。お前はその間に帰る準備をしろ」


ウィルは姫に背を向け、しゃがみこんで床に散らばる魔導具の中から足止めする為の道具を探して準備をし始める。


姫は何も言わず、静かにコクリと頷いてから大人しく浴室を出ていく。


ウィルは立ち上がって、閉じきった扉を横目で見る。


しかしすぐに視線を扉から外して、手元の装置を瓶漬けのキノコとケーブルで繋ぎ、侵入者らを最後の試練の間へと誘い込む。




          ⁂   ⁂   ⁂




分隊長の活躍ですべての隊員は救出され、捕縛隊は無事合流。


分隊長がやたらめったら駆け回ったお陰で生け垣迷路はズッタズタ。


捕縛隊は噴水の広場に集結し、ウィルオウウィスプが消えていったとされる、園庭の奥に場違いにある扉の前に立つ。


分隊長がノブに手をかけ突入態勢を取る。その背後には、分隊長に喝を入れられ、士気が高揚した隊員たちがライフル銃を携えて腹をくくっている。


「行くぞっ」


分隊長が静かに叫び、ノブを押し込んで勢いのまま突入する。


その後ろ姿に近衛兵たちがワァーッと後に続く。


そして一団は最後の試練が待ち受ける恐怖の空間になだれ込む。



一団がなだれ込んだ先は、なんとも不思議な世界だった。


天井は遥か高く、頭上は大きく開けている。


まるで屋根がないかのようではあるが全くの野外という感じはしない。


地面は木材でも石材でもなく、何かは判断つかない。


ただ、どこまでも真っ白で、ツルツルしている。


ところどころ水の塊が散乱しており、頭の中で既視感を覚える。


天井は見えないが横は見える。


はっきり、とではないが、床の素材がそのまま壁になっているようで、人間の身長より遥かに高い壁を築いている。


当然、ツルツルしていて登る事は出来ない。


そして空間全体が湿気を帯びているようで、壁を登ろうにも足が滑る。


ただ歩いているだけでも転ぶ者が続出。


分隊長を先頭に一団が一塊になって進んでいくと、謎のオブジェクトが姿を現し始めた。


それはデフォルメされた水鳥の模型。


クチバシはオレンジで身体は黄色。


丸っこい身体とつぶらな瞳がなんとも愛くるしい。


他には、ポンプと管で繋がれた緑のカエル。


横たわるゴム製の熱帯魚たち。


ゼンマイ仕掛けの小型船。


それらはいずれも人間の身長よりも大きく、小型船などは実際に乗って動かせそうなくらい。


頭の中でどんどん晴れぬ既視感が募っていく。


やがて一団は入ってきた扉からまっすぐに進み、遂に謎の白空間の端っこにたどり着く。


立ちふさがる壁は、地面から緩やかな弧を描いて屹立している。


「おい穴だ。気を付けろ」


分隊長が指さす先には地面にぽっかり穴が開いており、穴の先は真っ暗で深度がはかれない。


隊員たちが警戒しながら壁周辺を探索していると、


「隊長っ、あれを!」


一人の隊員が声を上げた。


急いで全員が駆け付けると、壁から数珠玉繋(じゅずだまつな)ぎの鉄球が一筋ぶら下がっており、それはそのままさっきの地面にぽっかり空いた穴の近くに落ちていた、ゴム栓に繋がっている。


「お風呂の栓だ……」


一人の隊員がボソッと呟き、全員が先ほどまでの既視感の正体に納得がいく。


その直後、『カチッ』と辺りが明るくなり、


「正解ッツ!! ようこそ吾輩愛好のバスルームへ!」


ウィルオウウィスプの声が響き渡る。


その声は異様に大きく、まるで巨人の咆哮の様。全員が耳を塞いで鼓膜を守る。


そして声のした頭上を見上げるとそこには、ウィルオウウィスプの巨大なヒゲ面が捕縛隊を覗き込んでいた。


明るくなって改めて辺りを見回すと、そこは明らかにお風呂の浴槽の中。


先ほどまでの謎のオブジェクトは全てアヒルやカエルのおもちゃだったのだ。


捕縛隊員たちは、扉をくぐった瞬間に体の大きさを変えられる魔法にかかり、まんまとウィルの浴槽の中に囚われてしまった。  


ウィルはその憎たらしいニヤけヒゲ面で分隊長らを見下している。


分隊長はすかさず、


「ウイリアム・ウィルオウウィスプッ! よくも私の部下を虐めてくれたな!」


ウィルにふっかける。


ウィルはバスタブの縁にもたれかかり、気どった口調で、


「これはこれは近衛騎士団副団長サー・ユスティアス隊長殿。先のチャンバラ、実にお見事。さながらオルレアンの乙女の如き活躍っぷりに……」


と、敵を褒めるエレガントな敵役を演じようと思ったのに、


「私はオマエと無駄話をしに来たのではないっ、エレオノーラ王女殿下をどこへやった!? 言わんとお前を逮捕するぞ!」


と、分隊長に話をさえぎられてしまう。


ぶすくれるウィルは、


「ここに王女などおらんわい」


と言って小さな本を一掴みバスタブの中に落とす。


山になった蔵書が、落ちて来た拍子にいくつかページが開き、そこには、


「Get out! No princesses !」


と書かれている。


それを見た何人かの隊員がビクゥッ! と体を震わせる。


分隊長は本の山を一瞥した後、


「馬鹿も休み休み言え。オマエが姫様を誘拐したというネタはとっくに上がっとるんだっ。姫様が最後に目撃された付近で、オマエの姿が報告されているし、先のビック・ベル襲撃事件の際も、姫様らしき女性がこのファフロツキーズに同乗している所を、オマエの弟子が目撃しているんだっ!」


と淡々と証拠を並べていき、


「襲撃じゃない! うっかりぶつかっただけだ、だからあれは事故だ!」


それにウィルは慌てて弁明する。


「王にあだなす国賊の言葉が信じられるものかっ、大人しく姫を解放してお縄にかかれ!」


分隊長はウィルをまっすぐ指さして、降参を迫る。


「だからワシは(さら)っとらんとちゅうとろうが!」


ウィルもあくまでしらを切る。


「嘘つくなっ!」

「嘘じゃないっ!」

「さらったと言えっ!」

「わしはさらっとらんっ!」

「国中で酒が消失する事件もオマエが犯人だなっ!」

「なんでもかんでもわしのせいにするなっ!」

「逮捕するぞぉっ!」

「やってみろぉっ!」


分隊長とウィルの白熱した水掛け論が続く。


先にしびれを切らしたウィルが、


「弁護士を呼んでくれぇぇッ! 黙秘権を行使する! それに、どうせオマエらはここから出られんのだ! 吾輩をどうこうできるもんか!」


と叫んで水掛け論に終止符を打つ。


「吾輩を怒らせるとどうなるか思い知らせてくれるわっ!」


準備していた作戦を実行しようゴソゴソしていると、ハッと何かに気づいた隊員の一人が、


「ま、ま、まさか僕たちをこのまま溺れさせようってことじゃ!?」


と残酷な作戦を口にする。


それを聞いた周囲の者も、


「なんだってっ!?」

「この鬼畜っ!」

「ぼく泳げないよっ!」


口々に不安を口にする。


それを聞いたウィルはきょとんとした顔をして、


「まさかっ! もっと恐ろしいことじゃよ……」


と言って「ニタアァァ」と満面の笑みを浮かべる。



ウィルは軽く咳払いをして気を取り直し、腕をにゅっと浴槽の中へ。


その先にあるのは近衛兵たちが入ってきた箱庭への扉が。


ウィルは手品師のような口調で、


「衛兵隊諸君、君らのお帰りはこちらだが……」


と、ウィルはミニチュアの模型をいじるようにそっと扉を開く。


扉の枠の中は未だしんしんと雪が降る庭園の景色が見える。


それをゆっくりと締め直し、もう一度開くと、なんともうそこは園庭ではなく、ファフロツキーズに最初に突撃した洋間だった。


向こうではのんきにティータイムを楽しんでいるアルベルトの後姿が見える。


衛兵たちがその不思議ドアに見入っていると、


「しかしそこへ門番が立ちはだかる」


と洗面器に入った『 ()() 』を浴槽にぶちまける。


近衛兵たちはそれを見た瞬間、背筋が凍りつくように戦慄した。

 


最初に襲ってくるのは形容しがたい悪臭。


そしてその発生源たる、白濁し、泡立ち、炭酸水のように表面で絶えず何かが弾けているようなドロドロとしたゲル状の液体。


そこに混じる残飯や生ゴミの破片。


その様はまるで吐瀉物のそれ。


それが徐々に盛り上がり形を成し始める。


ブクブクと盛り上がる胴、そこから無秩序に生えたデタラメな手足。


頭部に位置する登頂の部位には彫り損じた歪んだ笑顔のカボチャ頭が、半分沈みかけで浮かびあがっている。


それを見た近衛兵たちは再びトラウマを想起し、悲鳴を上げそうになる。


そして産み落とされた廃棄物ゴーレムの膨張はとどまるところを知らず、既に昇降機(エレベーター)から噴き出した個体より格段に巨大になっていた。


今やバスタブすれすれまで山のようにそびえている。


さらにそこへ追い打ちをかけるように、そのそびえ立つ吐瀉物の身体を突き破って、殺人コック、犬マスクタキシード男、腐敗した人魚などが軍団で姿を現し、近衛兵たちはいよいよ失神しそうになる。


 

ウィルは廃棄物ゴーレムの後ろに手を突っ込み、洋間に繋がった扉を持ち上げ、プラプラと見せびらかし、廃棄物ゴーレム背後の壁に置きなおす。


「さあて。栄えある王国騎士は、この怪物を倒して無事に脱出できるかな?」


ウィルは悪人面を浮かべて分隊長らを嘲っている。


「おのれッ、ウイリアム・ウィルオウウィスプッツ!」


分隊長はバスタブの縁からフェードアウトしていくウィルに向かってその名前を忌々し気に叫ぶ。


「諸君らの健闘を祈るよ。吾輩はその間に逃げる準備をする」


その言葉と同時にバスルームの扉がガチャリ閉まる音がする。


眉間に皺を寄せて頭上を仰ぐ分隊長。


その間にもトラウマ軍団は迫りくる。


少しは骨のある近衛兵らが否が応でも抗戦を強いられ、危うい防衛線を築いてる。


ウィルが去った方向を未練がましく睨んでいる分隊長の元に、慌てて副隊長が駆け寄ってきて、


「ご指示を!」


と命を仰ぐ。


分隊長はハッと我に返り、迫りくる怪物らを見て思考をフル回転させる。


今すぐにでもウィルオウウィスプを追いかけたいが、この身長ではそれも難しい。


姫さまの救出さえままならない。


まずは元のサイズに戻ることが先決。


しかし私は魔法の解き方など分からんし……


またしてもアイツ(アルベルト)を頼らねばならんのかッ……


結論が出たところで、苦々し気に、


「総員、傾注せよ!」


と、部下たちを呼びつける。


防衛線を築いている部下はそのままに、


「まずは元のサイズに戻ることが先決だ。そこで、出張ってきている筆頭魔導士官の助けを借りる。その為に部隊を二つに分ける。一つはアルベルトのいる洋間への扉の回収班。もう一つはその間の怪物らの注意を引きつける役だ」


集まった部下に作戦を指示する。


「回収はどのように」


一人の隊員が質問を投げかけ、


「浴槽の栓をつたって縁まで登り、怪物をまわりこんで扉を回収しろ。回収班の指揮は副隊長が取れ」


分隊長が数珠玉繋ぎの栓から、バスタブの縁、そして廃棄物ゴーレムの後ろを順に指さし、作戦の内容を説明する。


「他に質問は?」


分隊長が質問を促すが、皆首を横に振って完全に理解したことを示す。


「よしっ、行動開始だ!」


「 「 「 サーイエッサーーッツ!! 」 」 」


部隊は再び士気を取り戻し、(とき)の声を上げながらトラウマに立ち向かって行く。




          ⁂   ⁂   ⁂




ウィルはバスルームを出て来た瞬間、さっきまでの意地悪な笑みは顔から消え去り、その代わりにつまんなそうな冷めた表情が置き換えられていた。


見慣れた短い廊下をポケットに手を突っ込んで歩き、姫の自室へ。


扉をノックしようとして、途中でやめ、一回煙草に火をつける。


一服してから再び扉をノック。


「どうぞぉ!」


中からいつも通りの陽気な返事が返ってきて、扉を開ける。


部屋の中は綺麗さっぱり整頓されており、部屋の中央に佇む姫はここに来た時と同じ魔法学校の学生服に着替え、肩には白ミミズクを載せて、大きなリュックをしょっている。


すっかり荷造りが終わった姫に、ウィルは、


「用意できたか」


と、事務的に尋ねる。


 姫は、


「ばっちしっ」


元気に答え、親指を立てる。


ウィルは淡々と、


「じゃあ、繋げるぞ」


姫の部屋の扉にファフロツキーズの鍵を刺し込み、ロウソクに灯る『愚者の燈(イグニス・ファトス)』を掲げて『門』と部屋の扉を同時に開く。


「愚者の燈」と「鍵の魔法」の合わせ技。


最早鍵の魔法に制限はなくなり、どことだって繋げる事が出来る。


で、繋げたその先は姫の実家、ウィルの憧れの地、アンブロシウス城だった。


ウィルはちょっと顔を出して、扉の中を覗き上手く繋がったかどうか確かめる。


広々とした豪華絢爛な廊下や優美なシャンデリアが見える。


ウィルは顔を引っ込めて、


「繋がったぞ」


姫に淡々と告げる。


そっぽを向いて煙草を咥え、顔を合わせようとしないウィルに、姫はニコッと微笑み、


「あたしがいなくなってそんなに寂しいのっ?」


とわざわざウィルの顔を覗き込んで尋ねる。


ウィルはギョッして煙草を取り落として火の粉が足に当たり、「アチチッ!」とズボンを叩いて小躍りしてる。


姫はそれを見て笑いころげ、ウィルが顔を赤くして、「笑うなっ」と怒っている。


そして態勢を立て直したウィルが、


「誰が寂しいものか、今生の別れという訳でもあるまいしっ」


と先の姫の指摘を否定する。


その様子を、すっかりウィルの笑い方が伝染った姫が、


「ニタアァァ」


満面の笑みを浮かべながらじっと見ている。


「なんだその不愉快な顔は!」


ウィルはすかさず抗議に出るが、姫はすぐにいつもの元気な笑顔に戻ってにこっと笑う。


それからパチンと指を鳴らして小さな紫の花を魔法で出す。


その花をウィルの襟に差しながら、


「そうよ。これは『しばしのお別れ』」


気障(キザ)な事をやってのける。


ウィルは少し目を丸くしたが、すぐに不敵な表情を作り「ふん」と鼻を鳴らす。


そしてとうとう扉をくぐって出ていこうとする姫。


ウィルも今度は顔を背けず、きちんと姫を見送っている。


「エナ、吾輩は必ずや……」


ウィルはその背中に別れの言葉を投げかけようとしたが、


「「あの栄華の時に返り咲く」でしょ? あたしあなたの事気に入ってるんだから絶対帰ってきてよね」


姫に全て言われてしまう。


姫はくるっとターンしてウィルの顔を一目見てから、そのまま何も言わずに扉を抜け、帰って行った。


パタリ、と閉じ切った扉をウィルが再び開けるとそこはもう、ファフロツキーズの見慣れた廊下。


ウィルは姫の自室を抜けて廊下へ出る。


後ろ手に扉を閉めて、新しい煙草に火を点け、煙を吐く。


「……しばしのお別れ」


ウィルはそのままファフロツキーズの奥へ。




          ⁂   ⁂   ⁂




バスタブの中では再び分隊長無双が繰り広げられていた。


羽織った半肩掛けコート(ペリースコート)をはためかせ、トリコロールの影がバスタブの中を縦横無尽に飛び回る。


足場が悪い故に敵の頭を踏み台とし、殺人コックや犬マスクから奪った獲物をサーカスのナイフ投げよろしく、敵に投げ込んでいく。


それに加えて時たま廃棄物ゴーレムが触腕を伸ばして襲い掛かるが、分隊長は瞬時に腰に差したレバーアクション式散弾銃を引き抜いてこれを粉砕。


弾がなくなれば部下に「弾ッツ!」と言って投げつける。


残った足止め班の仕事は分隊長に気を取られた敵を後ろから撃って間引くだけ。


え、流れ弾? 


分隊長に鉄砲の弾が当たる訳ない。


順調にその数を減らしていくウィルの刺客たち。


その間、副隊長率いる回収班は風呂の栓を登り、バスタブの縁をつたって廃棄物ゴーレムの背後へ。


迫りくる廃棄物ゴーレムの触腕をものともせず、何とか扉の上へ。


ロープを下ろして扉を回収。


「隊長! トビラ確保しましたッ!」


副隊長が声を張り上げ、


「そこで入っていい! 奴を呼んで来い!」


分隊長が指示を出す。


しかしその声に気づいた廃棄物ゴーレムがのっそりと振り返り


(と言っても、廃棄物ゴーレムに前後の区別がある訳ではなく、顔に位置するカボチャ頭が沈んで背後に浮かび上がって来て)


副隊長らが扉をくぐるのを妨害してくる。が、副隊長らはそれよりも早く扉に滑り込む。


「筆頭魔導士官どのっ! どうかお助けをっ!」


半死半生の体で洋間に飛び込んできた捕縛隊員を見て、


「うわっ! びっくりしたぁ、君たちどっからでてきたの!?」


アルベルトは目を丸くしている。


アルベルト側からすれば優雅にティータイムを楽しんでいたら、突然大人数が暖炉わきの戸棚からあふれ出て来て、何事かと思う。


白ネズミがその戸棚を調べて、


「結びの魔法の類かと」


と端的に意見を述べる。


アルベルトは、


「なるへそ」


と全てを察したような返事を返す。


「で? なんだって?」


アルベルトは紅茶のカップを持ったまま、近衛兵の前にしゃがみこんで尋ねる。


未だ、なだれ込んできた姿勢のまま折り重なっている副隊長は、


「どうか私たちにかかっている魔法を解いてくださいっ! 元の大きさに戻してください!」


と懇願する。


が、アルベルトは副隊長の全身を見渡してから、キョトンと首をかしげ、


「特になんの魔法もかかってないようだけど?」


と聞き返す。


副隊長は、「そんなはずない」と思って抗議しようとしたが、すぐに洋間の中での縮尺がおかしくない事に気が付いて、いつにまにか元の大きさに戻っている事に困惑している。


アルベルトも事情がよく分からないといった様子で、クッキーを一枚咥えて副隊長らが飛び出してきた戸棚の扉の中を覗き込む。


するとそこはバスルームの浴槽の中、その縁。


そこから見える景色は何もかもが巨人サイズで、まるで自分の身長が縮んで小人になったかの様。


「ああ、そゆことか」


とまたも全てを理解したようなことを言うアルベルト。


眼前のバスタブの中では分隊長らと吐瀉物のお化けが戦闘中。


扉から顔を出すアルベルトに気づいた廃棄物ゴーレムが触腕を無数に伸ばしてアルベルトに攻撃しようとするが、アルベルトは差し伸ばした片手でそれを粉砕。


触腕はアルベルトに近づくにつれ表面がゴボゴボと沸騰しみるみる内に蒸発。


内容されていた生ごみや破棄物は瞬時に焼け焦げ炭になってボロボロ零れ落ちていく。


アルベルトは戸棚から頭だけを引っ込め、副隊長らに、


「あれやっつけたらいいの?」


と尋ねると、副隊長は、


「そ、それは是非っ。隊長と筆頭魔導士官どのがいれば怖い物はありませんっ」


アルベルトに出動を要請する。


アルベルトは爽やかに微笑み、


All(オー) right(ライッ)! そーゆうことなら、僕が出るからにはもうダイジョーブ!」


意気揚々、将校マントを脱ぎ捨てて戸棚の中に飛び込んでいく。




          ⁂   ⁂   ⁂




バスタブの縁に立てかけられた扉から飛び出したアルベルトは、


「はぁーっはっはっはっはっ!」


さながら大泥棒かの様な高笑いを発って宙を駆ける。


廃棄物ゴーレムを軽々飛び越えたところで、腰の王笏を弓矢に変化(へんげ)させ、光の矢を弦に一本つがえる。


そして放たれた矢は無数に散乱し、たった一射で殺人コックも犬マスクも、ゾンビ人魚も、その全てを灰燼(かいじん)()した。


そこから地面に落下するまでの僅かな時間、一子相伝の呪文「輝かりしはその御名よ~」を唱え、例のレーザービームを廃棄物ゴーレムのどてっぱらに撃ち込む。


廃棄物ゴーレムはドーナツのように腹部に大穴を開け、しばしたじろいでいたが、流石は流体のボディ、ゲル状の吐瀉物が再び寄り集まって元の状態に返り咲く。


ちなみにレーザーの威力はかなり抑えられており、吐瀉物を貫通したビームがバスタブに焼け焦げを付けるにとどまった。


そのせいで倒し起きれなかったのかもしれない。


レーザービームを撃ちこんだ後は、空中ブランコよろしく身体をひねって落下の勢いを殺し、すかさず弓を地面に突き立てその上にチョコンとバランスよく乗っかる。


どうしても濡れた床に立ちたくないアルベルト。


それを見た分隊長が、


「潔癖症めっ」


と吐き捨てる。


そしてアルベルトが地面に降り立ったと同時、背後の廃棄物ゴーレムに動きが。


ゴーレムは、身をよじって新たに兵隊を生み出そうとしていたが、何も出てこない。


どころか再生したと思われた穴はまるで塞がっておらず吐瀉物が覆っていたに過ぎなかったのだ。


そしてそのドーナツ穴の輪郭、黒く焦げ付いた縁から次第に光り輝くヒビが走り全身を駆け巡る。


ひび割れから眩い光を噴き出したかと思った途端、


「KABOOM!!!!!!」


アルベルトが手の平を開くと同時、廃棄物ゴーレムは体内から爆発四散。


その肉片をバスタブ内は当然、壁に床に天井にぶちまける。


捕縛隊員たちは、自分たちがただ逃げるしかなかった強敵をものの見事に瞬殺してのけたアルベルトに、思わず賞賛の拍手を送る。


それを舞台がかったお辞儀で受け止めるアルベルト。


そこへ分隊長が武器を鞘に納めながら、


「余計な事をっ」


文句を言いに行く。


アルベルトは、


「君の手を煩わせるほどの奴じゃないよ」


などとおためごかしをぬかす。


分隊長は大きなため息をついてから、


「もういいっ、早く私たちを元の大きさに戻せっ」


アルベルトに魔法を解くよう急かす。


それを聞いたアルベルトは、


「ああ、それならあの扉をくぐればすぐに解けるよん」


言って洋間の戸棚に繋がる扉を指さす。



その時だった。


アルベルトの伸ばした腕の袖口に、ポタリと吐瀉物にまみれた残飯が落ちて来た。


それは天井に飛び散った廃棄物ゴーレムの残骸。


よくよく観察するとそれは焼き魚の皮の破片だった。吐き出された小骨も一緒。


それを目撃した瞬間、アルベルトの全身はわなわなと震えだし、顔からは笑みが消え去って、死体もかくやと思われるほど、生気の感じられない青ざめた表情が浮かべられる。


分隊長は瞬時に、


「まずいっ!」


とアルベルトに駆け寄る。


「落ち着けっ、ほんの少し汚れただけだ。取り乱す事じゃないっ」


今にも悲鳴を上げそうなアルベルトをなだめ、袖に着いた残飯をデコピンで弾き飛ばす。


されどその下には吐瀉物の汁が染みとなって軍服に染みついている。


一応ブツがなくなったことで少し平静を取り戻したアルベルトが、その染みを手で撫で、服を綺麗にする魔法をこれでもかと言うくらい何重にも重ね掛けし、染みをキレイさっぱり取り払う。


これで一安心、ふうっと安堵の息を吐くアルベルト。


しかしこれは絶望の序章に過ぎなかった。


微量の残飯はその本隊の先兵に過ぎず、デカいのはこれから来る。


天井にへばりついた残りの肉片、残骸の本隊が、


ベチャッツ! 


とアルベルト目掛けて落下してきたのだ。


当然さっきの『ポタリ』の比ではない。


小動物の体重ほどもある吐瀉物がバラエティー番組のドッキリパイ並みのテンションでアルベルトに襲い掛かる。


脳天直撃。


純白の軍服も、美形に整った顔も、全身びっちょりゲロにまみれる筆頭魔導士官。


お気に入りの三角帽子(ロビンフッドハット)にも吐瀉物が溜まってヒタヒタと垂れている。




「────────ッツ!!」




白目をむいたアルベルトは、



「ぅ、うわっ、ウギャああアアアァアアアあアアアアアーアアあアアアアアアあああアアアアアアアアァァァアアアアアアアあああアアアアアアアアアアアアアアアアアア”アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああアアアアッッツ ツ!!!!!!」



と奇声を上げてのたうちまわる。さながら水揚げされた魚のごとし。


服を脱ぎ捨てようとしてゲロに触って再び奇声をあげ、走り回るから浴槽内に点在する水たまりに足を突っ込んですっころび、さらに事態を深刻に。


これ以上事態を悪化させないために分隊長はアルベルトを押さえつける。


そこへ、


「マ、マママ、マスターッ! お気を確かにっ!」


主人の声を聴きつけて洋間から白ネズミも駆けつける。


白目をむいて、口から泡を吹き、小刻みに痙攣するアルベルト。


捕縛隊員たちもただ事ではないと駆け寄り、分隊長や白ネズミに混じってアルベルトの汚れた服を脱がしていく。


「ああっ! ぅぁわああ! ああぁぁあああッツ!! ッツ!」


アルベルトはすっかりパニックを起こしている。


撤退(てったぁぁい)っ! 撤退だっ!」

「衛生兵っ!」

「筆頭魔導士官どのが負傷なされたっ!」


全員でパンツ一丁になったアルベルトを担ぎ上げ、出口の洋間に走りこむ。


道中、分隊長が、


「着替えはっ?」


と白ネズミに尋ねるも、


「それが長旅だった故に、道中で全て袖を通してしまわれて……」


ともう申し訳なさそうに答える。


「何が長旅だっ! 首都(ランドニオン)からここまで飛行機で一時間もかからんだろうが!」


分隊長はつくづくアルベルトの潔癖症に呆れかえる。


一団はそのまま洋間へと撤退。


          ⁂   ⁂   ⁂


「…………ゲロはアルベルトに極めて有効、っと」


ひっそりバスルームに戻ってきたウィルは、一連の様子を見てアルベルトの弱点をメモに取る。




          ⁂   ⁂   ⁂




分隊長らはバスルームから洋間の戸棚へ、洋間から玄関へ直行し、捕縛隊のボートまで瀕死のアルベルトを輸送する。


湖にはびこっていた水ゾンビや海洋恐怖症発症ゴーレムはグリフィン達の多大な犠牲を出しながらすでに討伐されていた。


故に上司の変わり果てた姿を見て絶句。


外傷は一切無し。


身ぐるみはがされ、陽の光のような金髪は謎の不快物質にまみれてボサボサ。


おしゃれメガネもレンズにヒビが入って、トレードマークの三角帽子も今は被ってはいない。


「先生っ! アルベルト先生っ!」

「目を開けて!」

「気をしっかり持ってっ!」

「死なないでっ!」


と人間に戻った魔導士たちがアルベルトが乗せられたボートに集まってくる。


          ⁂   ⁂   ⁂


「もう……、誰もおらんな? 全員出て言ったな……?」


ウィルは抜き足差し足で洋間に入り込み、扉のガラス窓や部屋中の窓を覗いて、アルベルトらが外に逃走したのを見届ける。


「よしっ! 撤退だ!」


大量の傀儡やゴーレムを作りだしたがそれも、残らず分隊長らが討伐してくれたおかげで、エネルギーは満タン。


ウィルは玄関に厳重に鍵を閉め、暖炉に取って返す。


薪を大量にぶち込んで『愚者の燈(イグニス・ファトス)』を移して火をつける。


廊下に隠れていたふいご頭を呼び出して、火の世話をさせ、ウィルはロフトへ駆け上がる。


目立たないように雑多な杖に紛れて置いておいた操縦桿の杖を魔方陣の上に突き立てる。


瞬時に展開される操縦席。


          ⁂   ⁂   ⁂


敗走する分隊長らの後方で、沈みかけのファフロツキーズが徐々に振動し始める。


振動はやがて波となって分隊長らの乗るボートを揺るがす。


「撤退だ! 総員即時にこの場を離れる!」


分隊長の指揮に従って、急いでボートを漕ぐ近衛兵たち。


グリフィン隊の皆も翼を展開しボートを押している。


ファフロツキーズは一度完全に水の中に潜り切り、勢いをつけてトビウオの如く水上に跳ね上がる。


そしてそのまま水しぶきを上げながら空へ空へと泳いでいく。


天高く昇るファフロツキーズを見て、


「おのれ、二度も取り逃がすとは!」


悪態をつく分隊長。


          ⁂   ⁂   ⁂


ウィルはファフロツキーズをある程度の高さまで上昇させたところでブレーキレバーを引いてその場で停止。

サイドブレーキを入れて、たったか船底へ移動。


下腹部のハッチを開く。


          ⁂   ⁂   ⁂


中空で、太陽をさえぎって不気味に停止するファフロツキーズ。


普段なら逃げられると分かればすぐに飛び上がって雲海の中に身を隠すのに。


一団がしばらく頭上を見上げていると、ファフロツキーズの下腹部のハッチが開き、なにやら黒い塊が落ちてくる。


「爆弾だ!」


副隊長が叫び、反射的に全員が湖に飛び込む。


アルベルトはボートに置き去り。


グリフィン隊だけは爆弾の投下を阻止しようと急上昇して爆弾にとりつく。


が、落ちて来たのは爆弾ではなく、一枚の扉だった。


不法投棄か? 


グリフィン達が拍子抜けしていると、扉が開き、ウイリアム・ウィルオウウィスプの顔がにゅっと出てくる。


そして右左をキョロキョロ見回して、ここがまだ空中であり、それはグリフィン達が扉を掴んで落下をさまたげているからだというのを知ると、


「何をしとる、早く降ろさんか」


と怒る。


てっきり爆撃かと思ったグリフィン達は表紙抜けして、だまって指示に従いそのままゆっくり湖まで扉を下ろす。


湖では、爆撃に備えて水中深くまで潜った近衛兵たちだったが、やがて息が続かず湖面に顔を出す。


そして水中から顔を出した分隊長の目の前に扉が運ばれてきて、「爆弾」と人騒がせな事を言った副隊長をこづく分隊長。


再び扉が開きウィルが顔を出す。


ぷかぷか水面に無様に浮かぶ捕縛隊員を鼻で笑い、ボートの上で伸びているパンツ一丁のアルベルトにバスローブを一枚投げつける。


扉の枠の中でしゃがんで分隊長を見据え、


「もう吾輩を追ってくるんじゃないぞ。吾輩は姫など誘拐しとらんのだからな。それに吾輩にかかっている罪も全部誤解じゃ。ワシは無実だ。分かったら吾輩の邪魔はせんように。んじゃ」


と言ってバタンッ扉を閉める。


「おい待てっ!」


分隊長は急いでその扉を開けたが、その先には何もなく、向こうの山岳の景色が映っているいるだけ。ドア枠にぶら下がってむくれる分隊長。


          ⁂   ⁂   ⁂


頭上では、ファフロツキーズがすいーっと雲の中に消えていくところだった。





次回、〈最終話『捲土重来、起死回生。呉越同舟の大団円ッ!』〉に続く。

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