8.魔王を狙うキーザス
森の奥深く。
キーザス達冒険者パーティが、倒れた巨大な樹木の根元にいた。キーザスは盛り上がった土の上で根に絡まっている石棺を調べていて、刻まれている古代文字を熱心に書き写している。何かの手掛かりになると思っているのだろう。
その下では、オボルコボルが残っている足跡などを計測器を用いて観察していた。フレアともう一人の傭兵らしき男は、ただそれを見守っていた。
「キーザス」
と、しばらく観察をし続けていたオボルコボルが顔を上げて言う。
「その石棺から出て来た人物は、小さな体格をしているようです。女である可能性が高い」
「ほぉ」と、それにキーザス。
「足跡はもう一つあったろ? そっちはどうだ?」
「男ですね。地面の沈み具合からいって、何かしら装備を身に付けていると見た方が良い。つまり、冒険者です」
そのオボルコボルの説明に、「早い話が、誰か冒険者に先を越されたって訳か」とキーザスは苛立たしげに言う。
「そいつを追おう。多分、近くの村か街にいるはずだ」
その言葉にオボルコボルは驚く。
「魔王は女だったのですよ? まだ探すのですか?」
「女だろうがなんだろうが復活した魔王だってんなら関係ねーよ。教会はそんな条件は出していないからな。必ずオレが退治して、金と名声を手にしてみせる!」
「いや、ちょっと待ってよ」と、フレアがそれを聞いて口を挟んだ。
「そもそも既に先を越されているのでしょう? ならもう手遅れじゃない。まさか獲物を横取りするつもりでいるの?」
肩を竦めてキーザスは返す。
「手遅れじゃないだろう? まだ誰かが魔王を捕らえたとか退治したとか教会は発表していないんだからよ。
多分、魔王を見つけた冒険者は、女だったから魔王じゃないと判断したのだろうよ。奴隷として売るつもりなのか何なのかは分からないが。
なら、交渉して手に入れれば…… いや、相手は魔王だ。四の五の言わずに倒しちまえば良い。危険な魔王がいたから、人民の安全の為に真っ先に退治したって言えば言い訳は通るだろうよ。被害者が出てからじゃ遅いんだからな」
そのキーザスの説明にフレアは顔をしかめた。賛同できる意見ではない。もっとも反対しても、キーザスが素直に頷くような男でない事を彼女は知っていた。溜息をつく。隣にいた傭兵もどうやら呆れているようだった。顔をしかめている。
「よぉ、ロメオ!
お前、キーザスに負けたんだってな」
酒場で飲んでいると、突然僕ははそう話しかけられた。ダンデルという名の冒険者仲間の一人だ。思わず睨んでしまう。すると彼は「おいおい。そう怖い顔をするなよ。冗談だって」と続けた。
「あいつのことだ。どうせ何か卑怯な手段を使ったんだろう? 自慢げに言いふらしていたけどさ」
それを聞くと、僕はビールを一口だけ飲んだ。
どうやら奴が僕に真っ当な手段で勝ったと思っている人間は少ないらしい。やっぱり普段からの信頼が大切なんだ。
「あいつ、最近、変な事を言っているみたいだしな。なんでか、異人種の女を見かけたら教えてくれってよ。確か、あいつ、魔王を退治するって息巻いてたよな? なんで女なんか探しているんだ?」
僕はそれを聞いて目を大きくした。
「その話、本当か?」
「本当だよ。
あっ 俺もなんか注文するわ。このつまみ少し貰って良いか?」
僕の返事を聞く前に、ダンデルはつまみ勝手に食べ始めた。
「異人種の女って言えば、お前も異人種の女を連れているって聞いたぞ。まぁ、安心しろ。誰もキーザスには伝えていないから、あいつに絡まれる事はないよ。お前とあいつが喧嘩しているって、あいつの自慢の所為で広まっているし、お前とあいつだったら、皆、お前の味方をするしな」
そこでダンデルはウエイトレスに声をかけた。
「俺にもビールちょうだい」
彼の注文が終わると、「一応、連れて来ておいて良かった」と僕は言った。
まず間違いなく、キーザスはあの森の中の石棺を見つけたんだ。それで痕跡から魔王は女だと考えたのだろう。
「連れて来たって誰を?」
「だから、その異人種の女だよ。今はちょっと花を摘みに行っているが」
エルーなら気にしないと思うが(そもそも言葉が通じないし)、なんとなく下品な言葉を使うのは憚られたので、上品な言葉を使ってしまった。
そう言った僕をダンデルは珍しい物でも見るかのような目つきで見つめた。それから僕の背後に顔を向け、目を大きく見開くと惚けたような表情になった。
「………おい。お前が連れている異人種の女って彼女か?」
見ると、エルーがお手洗いから戻って来ている。
「ああ、そうだよ」とそれに僕。
今日のエルーは、僕が買った白い服を身に纏っていた。褐色の彼女の肌との対比で、とてもよく似合うと思ったからだ。思った通りにとてもよく似合っていた。
ダンデルは必死な形相で言う。
「彼女を売ってくれ! 多少高くても買うぞ!」
「売らないよ。彼女は奴隷じゃない」
「なんだよ、ケチ臭いことを言うなよ」
「ケチとかそういう話じゃないよ。そもそも彼女は僕の所有物じゃないんだ」
それを聞くと彼は「そうか……」と呟き、エルーに寄っていって彼女の手を両手で握って「美しい」と声をかけた。
「おい! 何やってるんだ?」とそれに僕は抗議する。
「なんだよ? お前のじゃないのなら、誰を選ぶかは彼女の自由だろう?」
手を握られたエルーは、キョトンとした顔を見せていたが、直ぐに状況を察したらしく、彼の手を振りほどくようにして放すと僕の傍に寄って来た。そして、「ロメオ」と一言。僕の肩を掴んで寄り添うようにする。
僕を選ぶという意味だろう。
ダンデルは悔しそうな顔を見せながら、僕の目の前の席に座った。
「なんだよ? いつの間にお前はそんなに女にモテるようになったんだ?」
「フン! 彼女は男を見る目があるんだよ」
エルーはつまみを一口食べると、ジュースを飲んだ。酒も少し飲ませてみたのだけど、口には合わなかったようだ。酒の味が良くなったのはかなり経ってからだというし、彼女の時代にはなかったのかもしれない。少しずつ慣れてもらえば良い。
美味しそうにつまみを食べる彼女を見ながら僕は考える。
キーザスが彼女を探しているというのなら、絡まれる前にさっさとここを離れた方が良さそうだ。あいつは執念深いから面倒くさい。
そこでダンデルが言った。
「そう言えば、ガットラットが助っ人を欲しがっているみたいだぜ。手紙がギルドに届いたってさ」
「ガットラットが? 冒険者を再びやり始めたのか?」
「違うよ。あいつ、ノーゼットって北西の方の村で、今は警護団の隊長をやっているんだそうだ。なんでもその村の近くに熊の化け物が出るんだとよ。それで退治する為に人を集めているらしい」
「ガットラットが手こずっているっていうのなら相当だな、その熊」
「ああ、何でも群れているらしい。熊の群れなんて聞いた事がない。身体が馬鹿でかい上に魔法耐性も高いのだとか。知恵も働く。あいつが狩りに出かけると、村が襲われるから下手に離れられないんだそうだ」
ガットラットは僕の師匠とも呼べる存在で、しかも大恩人でもある。困っているのなら是非とも助けたい。
それにキーザスから逃れる為にこの近くを離れる良い口実にもなる。
「行ってみるか。久しぶりに、ガットラットの顔も見てみたいし」
そう言うと、「おお! 行ってくれるか」とダンデルは明るい声で言った。
「俺もあいつには助けられているからな、気になってたんだ。既にオファーを受けちまってるもんだから行けなかったが」
「オファー? 良かったじゃないか」
「ああ、なんでも北の方の森で、クー・シーや狼を放す計画があるそうなんだ。その警護役だよ」
僕はそれに驚いた。
「はあ? クー・シーと狼を放すって? なんでそんな事をやるんだ?」
クー・シーも狼も滅多に人に慣れない。それどころか、人や家畜を襲う危険性があるから、僕ら冒険者がモンスターとして長い間退治し続けて来たんだ。それを自ら放すなんてどうかしているとしか言いようがない。
「それがな。どうも、北の森で鹿が増え過ぎているらしいんだよ。人間が狩るんじゃ、追いつかないくらいに増えているんだと。
まぁ、野生の動物は牧場でと殺するのとは訳が違うからな。殺すのにも殺した後も手間がかかる。だから、クー・シーや狼を放して、鹿を殺してもらおうってアイデアが出たらしいんだ」
僕はその説明を受けてもまだ信じられなかった。
「いや、でも、それにしたって……」
「まぁ、信じられないのも無理はない。何しろ、俺だってまだ信じられないんだから。それに、不安を抱いている人も多い。ま、だからこそ俺らが警護に雇われたんだがな」
それからダンデルはビールを飲みつつ、しみじみ言った。
「俺らはさ、モンスターは人間の敵だって言って散々狩って来ただろう? でも、人間の敵だからって自然の敵とは限らなかったんだな。だからさ、殺しちまったら自然のバランスが崩れておかしな事になるんだ。その所為で鹿が増え過ぎて森が弱っていった……
それで再びクー・シーや狼を放してバランスを回復させて、森を元気にしようって事なんだろうな、この話はよ。
ただ、そうだとすると、俺らがやって来た冒険者稼業ってのは一体何だったんだ? って気分にはなるわな」
僕はその彼の話を聞いて、ガットラットがかつて似たような事を言っていた事を思い出していた。
なんとなく、エルーを見てみた。
エルーは無邪気にジュースを美味しそうに飲んでいた。
その彼女の様子に、僕は少しだけ救われた気がした。
狼を放して、森林を回復させる試みは現実に行われています。