7.最大級の愛情表現
図書館を出ると、僕らは料理店で食事を取った。魚をバターで炒めた定食。この国の料理が、エルーの口に合うか不安だったけれど、美味しそうに全て平らげた。偏食はほとんどないようだ。昨晩の宿の肉料理も平気だったし、食事面が多少は不安だったのだけれど、これなら問題はなさそうだ。
2千年前の人間である彼女が、この今の世の中に適応できるか正直僕は心配していたのだが、今のところ大きな問題もなく彼女は楽しそうにしている。
彼女は明るく元気だが、察しが良いからか、静かにしておくべき場面ではちゃんと大人しくしているし、凶暴性もないし、突飛な行動に出る事もない。
ただ一点だけ、僕は彼女に関して非常にまずいと思っていることがあった。
彼女は非常に魅力的だ。彼女の健康的な美しさは、身体の元気を取り戻す度にどんどん増していっている。仮に伝説上の生物である仔猫の可愛さを100だとした場合の比率は、覚醒した直後は150ほどだったが、今は300はあるだろう。
その魅力に抗い続けられる自信が僕にはない。
森にいる間は、彼女はまだ衰弱していたし、僕も疲れていたし、彼女は僕にまだそこまで慣れていた訳でもなかったし、そもそもそんな雰囲気にはならなかったから、特に心配はいらなかった。
村に着いて宿に一泊した時も、実はかなり我慢していたのだけど、お互いにまだ疲れが残っていたから、特に無理はしなくてもそんな事にはならないで済んだ。
がしかし、今日は違う。二人とも、もう疲れはすっかり取れている。しかも、彼女の暮らしていた社会がそうだったのか、それとも彼女自身の性格なのか、彼女はスキンシップが多めな性質であるらしい。
つまり、僕の身体に気軽に触れて来るのだ。歩いていると自然に手を繋いだり、足に触れたり、顔に触れたり。
ただでさえ魅力的な彼女に、こんな事をされてしまっては、僕の情欲が反応しないはずがない。
正直、この短い間で、既に何度か理性が吹き飛びそうになってしまった。
もちろん、その一線だけは超えてはならないと僕は肝に銘じていた。彼女は魔族…… かどうかは分からないけど、少なくともアスタリスク教からはそう思われている一族の生き残りなのだ。
昼の間、外を散歩して、彼女に村の様々な所を見せた。この社会に少しでも慣れてもらいたかったからだ。彼女は無邪気にそれを喜んでいた。
服屋では彼女が着られそうな服を何着か買った。彼女はそのプレゼントに感激したようで抱きついて来る。
優しい温もり。柔らかい身体。頼りない骨格。胸の感触。
僕もそんな彼女の反応が嬉しかったし楽しかった。それで気が付いた。これは、もしかしたら、デートになるのじゃないか? と。
ずっと冒険者稼業をやっていた僕には、女性と二人きりで楽しく過ごすような経験があまりなかった。だから免疫が少ないんだ。勘弁して欲しい。
……夕方頃に宿に戻った。自分の理性を保つ為には、部屋を分けた方が良いのだろうけど、エルーを一人切りにはできない。色々な意味で。昨晩と同じ様に、同じ部屋にした。昨晩は彼女はベッドに少しはしゃいだくらいで、そのままあっさりと眠ってくれた。疲れていたのだろう。だが今晩は違う。
宿で夕食を食べて、部屋で二人きりになる。
僕はランプの灯りを消して就寝しようとしたのだけど、その前にエルーは僕のベッドに入って来た。
いつものエルーとは少し違っていて、緊張しているように思えた。仄かに無邪気な表情を残しているが、その態度からは情欲を帯びた大人の色香が感じられた。
僕の胸に両手を当て、甘えるように顔を擦りつけて来る。
僕は理性が壊れそうになるのを感じながら、そんな彼女の両手を取ると、「やめるんだ、エルー。君とはそういう事はできない」と言った。
もちろん彼女に言葉が通じるはずがない。彼女は首を傾げると、どういう意味なのか分からないけど「ナレタ、アユ」と声を発した。抱きついて来る。
「やめるんだ!」
僕はそう言って彼女の両手を掴む。彼女に僕の拒絶の意思は通じなかったようだった。なまめかしい表情で、そのまましだれかかって来ようとする。
普段は直ぐに周囲の雰囲気を察する彼女が何故か僕の意図を察してくれない。どうしてなのかちょっと悩んで、僕がそういう行為を期待をしている事を見抜かれているからじゃないかと思い至る。
僕が手を放すと、彼女は今度は僕にキスをしようとして来た。
“このままではダメだ。絶対に、僕の理性はもたない!”
――魔族と契る訳にはいかないんだ!
「本当にやめるんだ、エルー!」
そう怒鳴ると、僕は獲物を捕らえる用の縄を取り出しそれで素早くエルーを縛った。それはむしろ僕自身を戒める為の行為だったのかもしれない。縛られたエルーは、大きく目を見開いた。驚いている。罪悪感を誤魔化す為に、僕は声を上げた。
「君は僕と会ってまだ数日しか経っていないんだぞ? それなのに、もう僕と肉体関係を結ぼうとするのか?!
なら、君は魔王ではないかもしれないが淫魔だ! 淫魔なんかと契る気はない!」
言葉の意味が通じているはずはない。
ただ、それでも自分が罵倒され、そして僕が怒っている事は充分に彼女に通じたらしかった。
怯えている。
見る間に彼女の両眼に涙が溜まる。
「ソエラ…… ソエラ…」
そして、そう繰り返し始めた。恐らく、必死に謝っている。
ただ、どうして僕が怒っているのかは理解ができないようだった。酷くショックを受けた顔をしている。
そのうちに彼女の瞳から涙がこぼれ落ちた。それは頬を伝ってベッドにポトリと落ちて染みをつくる。
「ソエラ…」
そのエルーの涙を見て、僕は激しく後悔をした。
改めて考えてみるまでもなく、彼女はこの世界でたった一人の古代の人間なのだ。現代の人達とは言葉も通じない。しきたりやルールも分からない。そのまるで違う社会の中で唯一頼れるのは僕だけ。
その僕から見捨てられるかもしれないと、彼女は激しく怯えているんだろう。可哀そうな立場の彼女に不安を与えてしまった。
彼女は自分を護ってくれている僕に、最大級の愛情表現で応えようとしただけだ。多分、僕に拒絶されるなんて夢にも思っていなかったのだろう。
目を瞑る。
彼女の必死に謝る声が聞こえて来る。
「ソエラ…… ソエラ…」
……もしも、僕に生じた想いがそれだけだったなら、エルーの涙をぬぐって、優しく抱きしめるくらいで済んでいただろう。
父親か兄のような気持ちを彼女に向けていただけで終わっていた。
が、しかし、その時の僕に芽吹いた感情はそれだけではなかったのだった。
正直に告白しよう。
童顔のエルーが、縄で縛られたまま、涙目で何度も繰り返し許しを請う姿に、僕は背徳的な嗜虐心を刺激されて黒い情念を掻き立てられていたのだ。
そして、彼女を愛しく思う気持ちとそれは混ざり合い、その全ては性欲に結びついて爆発しようとしていた。
……と言うか、ぶっちゃけ、ここ数年間、女性関係に関しては、禁欲的な生活をし続けて来たんだ。こんなに可愛い女の子が目の前で誘って来ているのに耐えられる男なんているはずがないだろうが!
ぬあぁぁぁぁ!
気が付くと、僕は彼女に襲いかかっていた。
行為が終わった後、爆発させた性欲がようやく治まった僕は、縄で縛られたままの彼女に無理な姿勢を強いていた事に気が付いた。腕がつらそうな角度に曲がっている。
「ごめん! 直ぐにほどくから」
そう謝ると、僕は縄をほどいて彼女の腕に回復魔法をかける。それを見て、少し涙ぐんでいた彼女は「アエラアエ」とほっとしたような顔で言った。
多分、“気にしないで”と言っている。
その後、僕らは同じベッドで抱き合いながら眠ったのだけど、僕は大いに心配していた。いや、エルーと一線を越えてしまった事を心配した訳じゃない。下手したらアスタリスク教と敵対する事になりかねない、とんでもない事になってしまったとは思っているけど、後悔はしてない。
僕はエルーを怯えさせてしまった事を心配していたのだ。
もしかしたら、僕に対する恐怖を植え付けてしまったのじゃないか?
ただ、彼女は次の日、そんな素振りを少しも見せず、相変わらず僕に対して愛情を示してくれた。
それに僕は安心をしたのだけど、同時に何故だろう?と不思議にも思っていた。が、その晩にどうして彼女が僕に怯えていないのかその理由が分かった。
なまめかしい顔で彼女が僕を見ている。また僕を誘っているらしい…… そして、その彼女の両手には、昨晩の縄が乗せられてあったのだった。
「違うんだ。エルー…… 僕は別にそういう趣味がある訳じゃなくってね…」
どうも、彼女は僕に変な趣味があると誤解をしているようだった。この誤解を解くのは少しばかり大変そうだ。
……まぁ、完全に誤解とも言い切れないのだけど。