5.復活した魔王?
盛り上がった土の上にあるので石棺は根に覆われているとはいえ不安定だった。バランスが崩れて傾く。その拍子に石棺の蓋が開いた。目の錯覚かもしれないが、根が動いて蓋を開けたようにも思えた。
僕は顕わになった石棺の中を息を止めて凝視した。
影になっている所為でよく見えなかったが、何者かがいる。魔王なのだろう。予想していたよりもかなり華奢だ。或いは超長期間の仮死状態の所為ですっかりと瘦せ細ってしまったのかもしれない。
僕は剣を抜いて構えた。
石棺が傾いているからだろう。やがて石棺の中の魔王は前のめりで倒れて来た。チャンスだ、と僕は思う。まだ奴は仮死状態から目覚めてはいないのだ。今のうちに倒してしまおう。僕は剣を振りかぶって突進をした。
突進しながら、僕は前のめりで倒れ来た魔王に剣を合わせようと斬りかかる。
が、その途中で、僕は信じられない魔王の姿に目を大きく見開いたのだった。
何故なら、魔王はどう見ても20歳前後の女の子の姿をしていたからだ。僕は慌てて剣を放し、代わりにその女の子を両腕で抱きとめる。放した剣は近くの大木の根にまで飛んでぶつかり、軽い金属音を響かせて地面に落ちた。
抱きとめた彼女の身体は柔らかかった。温かい。意識を集中すると、彼女の心臓の音が感じ取れた。僕はその音に安心をした。生きている。しかしそれから直ぐに僕は自身を諫めた。
“いや、何を安心しているんだ、僕は?”
自分の感情に戸惑いを覚えていた。
――いくら女の子の姿をしていようと、相手は魔王であるかもしれないのに。
「うう… う…」
そこで彼女は気が付いたようだった。僕は肩を持って彼女との距離を離す。その魔王であるかもしれない女の子の肌は褐色をしていた。顔の造形は彫りがやや深くて、目を瞑っていても童顔だと分かる。明らかに僕らとは人種が異なっていた。背は僕よりも10センチほど低い。髪は肩の高さくらいまで伸びていた。髪の毛が伸びていないという事は、完全な仮死状態だったのだろう。爪も伸びてはいなかった。服も不思議な事に朽ちていない。あの樹木の力だろうか? 彼女はエキゾチックな民族衣装のようなものを身に纏っていた。
もし仮に彼女が魔王であるのなら、ここで退治しておくべきであるはずだ。力を取り戻したら暴れるかもしれない。
だが僕は迷っていた。どう見ても彼女はか弱い女性にしか思えなかったからだ。
もっとも、それでも“魔王かもしれない”というリスクの高さを考えるのなら、殺しておくべきなのだろうが……。少し離れた位置に転がる剣を見た。取りに行くべきか? いや、素手でも簡単に殺せそうだ。首を絞めれば……
僕は彼女をじっと見つめた。彼女の瞳がゆっくりと開いた。深く澄んだ青色をしていた。まだ意識は朦朧としているようで、寝ぼけているのか、僕を見て薄っすらと笑う。その笑顔に僕は目を奪われてしまう。
“なんだこの娘? 異様に可愛いぞ”
仮に伝説上の生物である仔猫の可愛さを100だとするのなら150はあるだろう。
それからゆっくりと彼女は口を開いた。
「ウレ…… アナラテオ」
本当にそう発音したのかは分からなかったがそのように聞こえた。他の国の言語の発音を正確に聞き取るのは難しい。耳慣れない発音も入っているのかもしれない。
ただ、これは勘だけど、きっと彼女は僕が何者かと訊いているのだと思う。
「ごめん…… 君の言葉は分からないんだ」
そう僕が言うと彼女は首を傾げた。弱々しい動作だ。やはり仮死状態から目覚めたばかりで衰弱しているのだろう。
僕は彼女が自身の力で身体を支えられるのを確かめてから、リュックの中にある水を取り出した。蓋を開けて、彼女に渡してみると意図を察したらしく喉を鳴らして飲み始めた。
やはり、渇いていたのだ。夢中になって飲んでいる。
それからレーションも少し渡してみると、軽く匂いをかいで食糧だと理解したらしく、それも彼女は美味しそうに食べた。
「ラレラ、ターレラ」
食べ終えるとそう言った。多分、これはお礼の言葉だ。にっこりと笑う。その無邪気な笑顔を見て僕は思う。
“いかん…… アホほど可愛い!”
もしかしたら、彼女には魅了か何かの力でもあるのだろうか? それが魔王としての能力?
だとすれば、魔王というよりは淫魔か何かに近いけど。
それから彼女は周囲を見渡すと、倒れかけている巨大な樹木の根に近付いて行った。寂しそうな顔で大きな根を撫でる。長い間、その樹が自分を護ってくれていた事を知っているのかもしれない。遂に寿命を迎えたその樹を慈しんでいるのだ。
彼女から邪悪さは少しも感じられない。何故か、僕を警戒するような素振りもない。ただ、それら全ては僕を油断させる為の演技である可能性もある。
僕は少し悩むと、魔王が復活する事を記した石碑の写しを彼女に見せてみる方法を思い付いた。
仮に彼女が魔王だったとするのなら、態度を豹変させるだろう。演技を続けるのだとしても何かしら反応はあるはずだ。注意深く観察をして、それを見抜けば良い。
僕は剣を拾ってから、まだ根の近くで感傷に浸っている様子の彼女に近づいて行った。彼女は僕が石碑の写しを取り出すのを見て、不思議そうな表情を浮かべる。しかし、石碑の写しを見せると明らかに反応があり、じっと見つめ始めた。熱心に読んでいるように思える。
書かれている文字が読めるのだろう。ならば魔王自身でないにしても、眷属の一人か、少なくとも同じ部族ではあるはずだ。
僕は剣を握りしめて臨戦態勢を執る。
――さぁ、どう出る?
攻撃を仕掛けて来るか、誤魔化すか。
ところが読み終えると、彼女は感動した表情を浮かべて口を押え、それから太陽のように明るい顔を僕に向けて来るのだった。
そして、何ら僕を警戒する様子をせずに僕の手を両手で握りしめると上下に動かす。ブンブン、と。文化が違うので何とも言えないが、友好を示しているようにしか思えない。しかも、彼女はとても喜んでいた。
“なんだ、この反応? どうして喜ぶんだ?”
「ウクラ、ネオ、ラーテ。エルー」
それから自分を手で示しながら彼女はそう言った。雰囲気でしか分からないが、恐らくは自分の名前を言っている。自己紹介だ。
「エルー?」と尋ねると、嬉しそうな顔を浮かべて数度頷く。
それを受けて、僕は「ロメオ」と名乗った。「ロメオ」と彼女は僕の名前を復唱する。それから少し間をおいて嬉しそうに再び「ロメオ」と言った。
まるで、僕の名前を心に刻み込もうとしているかのようだった。
天真爛漫。一言で表現するのなら、エルーはそういう女の子だった。少し一緒に森を歩いているだけで僕はそう感じた。
長い仮死状態から目覚めたばかりだからか、外の空気を吸うのが楽しくて仕方ないらしく、嬉しそうな顔で様々なものに彼女は触れていた。2千年前の彼女の民族は森で暮らす民だったのか、食べられる野草や動物に詳しいらしく、見つける度に口に入れていた。ただ、何かの幼虫まで食べてしまったのには多少引いてしまったけれど。
まぁ、昆虫は、今でも地方によっては貴重なたんぱく源だ。それほど異常ではないだろう。
僕は取り敢えず、彼女を森の近くの村にまで連れていく事に決めた。はっきり言って、彼女が何かしら邪悪な存在には思えない。森の中に放ってはおけない。森で生きる知識を持っているのだとしても、森の中で一人で生き残れるとは流石に思えないし、それに、魔王を狙う冒険者に見つかりでもしたら殺されてしまう。
……もっとも、彼女を見て魔王だと思う人間がそんなにいるとは思えないが。
ただ、奴隷として売られてしまうくらいなら充分に有り得そうだ。
彼女の話す言葉は少しも分からなかったが、僕は彼女と一緒にいるだけで明るく和やかな気持ちになる事ができた。不思議な子だ。
森の途中でモンスターの一角ウサギが襲って来たので狩ったのだが、その時も彼女は率先して血抜きなどの様々な処置を手伝ってくれ、料理に添える為か、野草なんかを取って来てくれたりもした。夜中、直ぐに食べられる部位を調理したのだが、その時彼女は感謝の祈りを捧げていた。仕草から判断するに、森に感謝をしているのだろう。
自然と共に生きる人々には、このような習慣が普通に観られる。アスタリスク教では神に対して感謝をするが……
僕はその時、その彼女の行為を馬鹿にしている自分に気が付いた。野蛮な民族の愚かな迷信だと思ったのだ。しかしその後で、真摯に祈りを捧げる彼女の姿に心を打たれて、直ぐに反省をした。
そしてガットラットが語ってくれたステラーカイギュウの話を思い出したのだった。
僕らの国の人々は、自然に感謝をせず、“自然界の全ての生物を支配し、従わせよ”という神の言葉を信じ、そしてステラーカイギュウを狩り尽くして絶滅させてしまった。もし、自然に感謝する習慣があったのなら、そんな事にはなっていなかったのじゃないか?
――果たして、本当に野蛮なのはどちらなのだろう? 僕らの方がよっぽど野蛮であるようにも思える。
もし、僕らが自然に感謝をする文化を持っていたら、今でもステラーカイギュウは生き残っていたかもしれない。そして、僕らはまだその美味しい肉を味わう事ができたのだ。
そう思った僕は、祈りを終え、嬉しそうに料理を食べ始めた彼女を見て、尊敬の念すら覚えた。覚えたのだけど……
寝る前だ。
彼女が火の近くで、何かを地面に描いているのが見えた。
何の絵を描いているのだろう? と不思議に思って覗き、僕は戦慄してしまった。
雄山羊のような角に、人の上半身、そして山羊のような下半身を持つ異形の存在を彼女が描いていたからだ。しかも、描き終えた後で、彼女はその絵に祈っていた。
悪魔、バフォメット。
僕はそれを思い出した。
少し違ってはいるが、その絵はそれにとてもよく似ていたのだ……