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12.彼女を絶対に失いたくない!

 ロメオがトーボを探しに出かけてからしばらくが経つと、エルーが宿の中から出て来て村の中を彷徨い始めた。

 ガットラットがそんな彼女の姿を見かけ、「どうしたんだい、お嬢ちゃん?」と声をかける。すると彼女は、

 「ロメオ、アレナウレオ?」

 と返した。とても不安そうにしていて、今にも泣きそうな様子だった。言葉の意味はまるで分からなかったが、それでガットラットは察する。

 「あ~ そうか。ロメオが心配で外に出て来たのか。まいったな。そんな顔はしないでくれよ。なんて言えば通じるんだ?」

 頭を掻きながら、彼は彼女に自分達の言葉が理解できるのかと訝りながらも口を開いた。

 「ロメオなら大丈夫だよ。逃げに徹するのなら、まずやられる心配はない。だから安心して宿で待っていればいい」

 すると「アレナ」とだけ返して彼女は宿に戻っていった。それを見てガットラットは「分かってくれた…… のかな?」とそう呟いた。

 だが、エルーは実は少しも分かってはいなかったのだった。

 宿の部屋で爆弾をいくつか持つと、彼女はそのまま村の外を目指してしまったのだ。もちろん、ロメオを探しに。意識を集中することで、どうやら彼女にはロメオの大体の位置が分かるらしかった。

 

 トーボをさらっただろう熊の足跡は、マロムの実の森の外に向っていた。僕は周囲を警戒しながら、慎重に足を進める。

 熊達が何処かで待ち伏せをしている可能性はかなり高い。ただ、熊は巨体だから奇襲はし難いし、隠れるポイントが絞られるから警戒して進むのは比較的容易だ。僕には対応できる自信があった。

 マロムの実の森を抜けると、足跡は山の頂を大きく迂回するようなルートを見せた。熊の足跡は一頭分しかなかったが、もちろん、これはフェイクだろう。

 やがて足跡は坂道を上り始めた。それを追いかけながら考える。

 恐らく、熊達は僕らの戦力を確実に削ぐ為に人間が一人でいるところを複数で襲う気でいるのだろう。つまり、僕ら人間が執っているのと同じ作戦を考えている。そして、熊達が僕ら人間が子供を大切にする事を知っているのなら、トーボを殺さなかった理由にも合点がいく。

 一頭だけだと思わせて油断させ、トーボを使って何処かに僕を誘い込み、確実に仕留めるつもりなのだと考えるべきだ。

 坂道の途中で僕は熊の足跡に違和感を覚えた。足跡が深い気がする。二回踏んだように思える箇所もある。

 ――バックトラックだ。

 と、それで僕は判断する。

 動物には敵の追跡から逃れる為に、自分の足跡を踏みながら後退する技を持つ者がいる。それをバックトラックと言うのだ。

 どうやらこの山の化け熊達にもバックトラックができるらしい。

 ただし、連中の場合は逃げる為に使っている訳じゃなさそうだが。

 “面白い”

 僕はにやりと笑った。

 記憶している頭の中の地図が正しければ、この先は崖になっているはずだった。多分この足跡はそこまで続いている。そこで熊達は僕を仕留めるつもりでいるのだろう。

 ならば、それを逆手にとってやる!

 その時、僕は熊達との頭脳戦を楽しんでいた。知能の高いモンスターはそれなりにいるが、それでもこんな機会は滅多にない。

 やがて予想していた通りに崖が見えて来た。僕はそこで風の魔法のロールを、さりげなく根にひっかかるように地面に転がしておいた。多分、近くに熊達がいる。

 そのまま足を進めるとやがて断崖絶壁の崖に辿り着いた。思っていたよりもずっと険しく、尖った岩が凶悪に露出していた。熊達がここを選んだ理由が分かった。これなら崖を下って逃げられるとは普通は考えないだろう。落ちたら助からない。即死だ。

 だが、だからこそ、僕にとっても都合が良いのだけど。

 熊の足跡は崖の手前で消えていた。それから少し待つと大きな何かが背後から迫って来る気配がする。振り返るまでもない。熊だ。二頭いる。

 “よっし! 読み通りだ!”

 僕は念を込めながら、急いで振り返る。見ると、大きなサイズの二頭の熊が僕に迫って来ていた。

 “今だ!”

 僕はそこで道の途中に転がしておいた風の魔法のロールを発動させた。二頭の熊達の背後から鋭く強力な風が襲う。

 この山の化け熊達には魔法耐性があるらしいが、それでも背後からの奇襲で、しかも自分達の駆ける力を利用されたなら魔法の影響を抑えるのは不可能だろう。

 熊達は風に圧されて加速した自分達の駆ける勢いを殺し切れず、そのまま崖に転落していった。自らの大きな質量が仇になって破壊力が増す。まず助からない。もし仮に生きていたとしても、大怪我を負っているだろう。戦力外だ。

 ただ、僕に作戦の成功を喜んでいる暇はなさそうだった。まだ目の前には真っ黒い巨大な熊がいたからだ。さっきの二頭よりも一回りは大きい。レッドカブトが群れのボスだとするのなら、こいつはナンバー2といったところだろうか。

 まだ魔法の罠がないかと、ナンバー2は警戒しているようだった。僕はその間で身体強化魔法を使って、柔軟性と強靭な耐久性を自らに付与する。次に風の魔法を練った。リュックに入っている爆弾を使っても良いが、まだ伏兵がいる可能性を考えて取っておいた。もしこいつが思った以上に手強かったら使えば良いのだ。

 ナンバー2は、それから横に移動し始めた。どうやら僕が歩いた場所を避けるつもりでいるらしい。僕が通っていない場所なら、罠は仕掛けられないと考えたようだ。やはり頭が良い。

 ただ僕は、その間を利用して今度は爆裂の魔法を練った。僕の真正面から斜め横まで移動すると、即座にナンバー2は突進をして来た。それに合わせて僕は爆裂の魔法を放つ。命中したが、多少怯ませられたくらいで構わずにナンバー2は突っ込んで来た。

 どうやら俊敏に攻撃を躱すタイプではなく、重さと耐久力に物を言わせて強引に攻めるのを持ち味にしているらしい。シンプルだが、それだけに厄介だ。しかも突進速度は速い。

 僕は“ならば!”と練っておいた風の魔法を地表すれすれに放った。風は熊の前脚にヒットしナンバー2はつんのめる。足払いの要領だ。僕はそこに合わせて剣で斬撃を放った。

 斬撃に熊の体重と突進力が加われば、いくら耐久力が高いと言っても一溜りもないだろうと思って。

 が、完全にヒットしたと思ったのだが、僕の剣は何か硬い物に阻まれてしまったのだった。

 見ると、ナンバー2は牙で僕の斬撃を受け止めていた。ド根性だ。

 「んなっ! アホな!」

 前脚で攻撃をして来る。僕は慌てて崖の方に飛び退いてそれを躱す。ナンバー2はそれで僕が落ちると思っただろうが、もちろんそんな馬鹿な真似はしない。僕は風の魔法を使って空中でジャンプすると崖の上に戻る。これも僕の技の一つだ。

 熊の顔でもナンバー2がそれに驚いているのが分かった。ただ直ぐに冷静さを取り戻すと、闘争心をたぎらせて僕を睨みつけて来る。

 どうやら彼は僕を“面白い相手だ”と思っているようだった。

 次に僕は風の魔法を放つ。ナンバー2は崖の際にいるからあわよくば落ちてくれやしないかと思ってやってみたのだがその程度では少し揺らいだくらいで余裕で耐え抜かれてしまった。これは中々厄介な相手だ。

 僕はそれで爆弾を使う事を考えた。もったいぶっている程甘くはないだろう。少し距離を取ると、リュックの中から爆弾を取り出そうとした。すると、ナンバー2はその隙を見逃さなかった。突進して来る。

 僕は風の魔法でそれを躱す。熊だけど、猪突猛進で、ナンバー2はそのまま森の中に突進していった。お陰で距離を取れたので、落ち着いて爆弾を取り出せた。ついでに足場の良さそうな場所に移動もした。

 ナンバー2は耐久力と突進力は凄まじいが、器用さはまるでない。僕が体勢を崩さなければ簡単に爆弾は当たるだろう。ならば、足場は安定していた方が良い。そう判断したのだ。

 僕は爆弾を当てようと身構えたのだが、ナンバー2は中々森の中から出て来なかった。“どうしたのだろう?”と思っていると、突然すぐ脇の繁みの中から現れた。

 ここに来て不意討ち。流石、ナンバー2。中々に侮れない。

 繰り出された彼の前脚による攻撃を僕は完全には躱し切れなかった。掠ってしまう。掠っただけなのに、身体が錐もみ状に飛んでいった。だが、普段から風の魔法を高速移動に活用している僕にはそれほど効かなかった。そのまま回転で力を吸収して着地する。ダメージはほとんどない。もっとも、身体強化していなければ危なかったかもしれないけど。

 再びナンバー2が突進して来たので、僕は大きく飛び退いて距離を取って躱した。距離を取る事でタイミングを取り易くし、確実に爆弾で仕留めようと考えたのだ。次に突進して来た時が奴の最期だ。

 が、そこで僕は視界の隅にとんでもないものを見つけてしまったのだった。

 ナンバー2よりも更に巨体。黒い身体に赤い頭を持った化け熊、レッドカブトが少し離れた所にいたのだ。

 ただそれだけならば、僕は意識をナンバー2に集中できていただろう。しかし、その手前にはなんと何故かエルーの姿もあったのだった。

 僕は思わず叫んでしまう。

 「エルー! なんで、ここにいるんだ?」

 レッドカブトは悠然と彼女を見据え、近付いて行く。

 僕は堪らずにナンバー2を無視して駆け出していた。彼女に逃げるように言ってももう間に合わないだろう。

 「エルー! 爆弾を投げるんだ! 持って来ているんだろう?」

 だが彼女は僕の声に反応しつつも動こうとはしなかった。竦んでいる訳じゃない。何かを見ている。彼女の視線の先を追って僕は気が付いた。

 トーボ!

 レッドカブトはトーボを摘まみ上げるようにして片手に持っていたのだ。

 そのままではトーボを爆破に巻き込んでしまうから、彼女は爆弾を投げられないでいるのだろう。多分、レッドカブトは爆弾対策にトーボを盾にして彼女に近づいたのだ。

 まずい! このままじゃ、エルーが殺されてしまう!

 風の魔法で僕はスピードを加速させた。それを見たからか、レッドカブトはエルーに数歩近付くと片手を振り上げた。彼女を攻撃しようとしている。

 守らなければ!

 だが、どう考えても距離があり過ぎた。このままでは絶対に間に合わない。集中した僕の目には、その光景は酷くゆっくりと流れていた。

 僕の手にはナンバー2の為に用意した爆弾があった。これを投げれば、彼女を助けられるかもしれない。

 だがその場合、トーボを確実に犠牲にする事になる。

 他の手段はないか?

 自分へのダメージを恐れずに最大級の風の魔法を使って移動しても、まだ間に合いそうにはなかった。

 どうする? このままじゃ、本当に彼女は助からないぞ?

 

 嫌だ嫌だ嫌だ!

 彼女を絶対に失いたくない!

 

 その時、後ろからナンバー2が僕に向って突進して来ているのに気が付いた。もうすぐ近くにいる。瞬間、僕の中で何かが繋がった。

 ――そして、

 ほぼ無意識に、僕はナンバー2に向って爆弾を投げていたのだった。爆弾が爆発する。至近距離だった為、僕もその衝撃を受けた。爆風に吹き飛ばされる。だが僕は、その衝撃を利用した。レッドカブトに向けて、突っ込んでいく。

 普通の人間にはできなかっただろう。今まで攻撃用の風魔法を移動手段として使い続けて来た僕だからこそできる荒技だ。

 爆風に風の魔法を乗せ、更に加速させる。そして同時に風の魔法で僕は方向を調整していた。無我夢中だった。エルーを守りたい一心で、自然と身体が動いたような感覚。

 レッドカブトにとって、僕のその自らを砲弾とするかのような攻撃は完全に想定外のようだった。まるで反応できていない。

 無理もない。

 僕自身ですら、咄嗟にこんな事ができたのが信じられないくらいなのだから。

 気付くと、僕の剣はレッドカブトの喉元に深く突き刺さっていた。勢いはそれでも治まらず、突き抜くような勢いでそのまま奴を倒していた。あまりの衝撃に僕の視界は白くなかって意識が飛んだ。が、どうやら一瞬の事だったらしく、慌てて飛び退くとまだレッドカブトの息はあった。

 口からは、血が流れていた。

 レッドカブトは僕を憎々しげに見つめ、身を起こして前脚を振り上げようとしたが、力尽きたのかそのまま脱力した。

 恐らく、後少しでこいつは絶命するだろう。近くにはトーボが転がっていた。意識は失っているようだが無事なようだ。

 エルーが近付いて、トーボを抱き上げた。

 後ろを見ると、ナンバー2も倒れていた。どうやら爆破で倒せたようだ。自分の分の爆弾は火薬量を抑えなかったのだけど、どうやら正解だったようだ。

 僕は絶命しかかっているレッドカブトに近付くとこう語りかけた。

 「お前がどんな目的で人間を襲っていたのかは分からないが、もし自然を破壊する者を退治したいと思っていたのなら安心してくれ。

 信じてはくれないかもしれないが、村に住むガットラットは、これからは自然の生命力を弱らせないようにすると言っていた。彼は頼りになる男だ。きっと実現してくれる」

 それを聞くと、レッドカブトは少しだけ笑ったように思えた。気の所為かもしれないけれど。そしてそのまま目を閉じた。

 それから、僕はトーボを介抱しているエルーの所にまで行くと、腰に手を当てて怒りの声を上げた。

 

 「エルー! なんで来たんだ? 後少しで殺されるところだったんだぞ? 僕がどれだけ心配したと思っている?!」

 

 僕は彼女は謝って来るだろうと思っていた。ところが彼女はそんな僕に対して、なんと謝るどころか怒りの感情を向けたのだった。

 「ロメオ、カナレオタ、メイフー!」

 僕は戸惑いを覚える。言葉の意味は分からないが口調も表情もきつい。意味が通じていないと悟ったのか彼女は次にこう言った。

 「シンパイ、アタシも!」

 心配? 僕を心配していたってことか? そりゃ、分かるけど……

 どうやら彼女に謝る気はないようだった。

 彼女が僕に逆らうのも、こんなに怒るのも初めての事だった。

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