11.魅力的なマロムの実
僕らがノーゼット村に着いてから三日ほどが過ぎた。村では櫓を立てて外を見張っているのだが熊達は一向に姿を見せない。
もしも単独ないしは少数で熊が現れたなら、僕は退治するつもりでいたのだ。
ガットラットと他の冒険者達が村を守ってくれているから、陽動の可能性はない。安心して熊を退治できるだろう。
多分、それを分かっているから熊達は姿を見せないのだ。村の人が言っていた通り、僕の戦闘能力を見たレッドカブトは、僕を警戒しているのかもしれない。
僕は軽く村境を散策していた。村の境は簡単な柵があるくらいで防御力はまったくない。これで見晴らしが良くなかったら、簡単に熊達に攻め込まれてしまっていただろう。村の外には、白い岩肌がいくつも見えていた。木々が点々と生え、その遠くは森になっている。もし熊達がいるとするのなら、身を隠せるあの森の中だ。ただ距離があるから警戒していれば直ぐに攻められる危険はないだろう。
やはり熊の気配はなかった。糞や足跡も見つからない。しばらく歩くと、トーボの姿が見えた。こっちに駆け寄って話しかけて来る。
「ねえ、熊は出た?」
僕は彼が現れた事に驚いてしまった。
「こんな所にまで来たら駄目だよ。もしも熊が現れたらどうするの?」
ところが彼はそんな僕の小言を無視して、「ねえ、熊は出たのぉ?」と危機感がまったく感じられないあどけない様子で尋ねて来るのだった。
「いや、影すらないけど」
「ならさ、もう熊はどっか他の所に行っちゃたのじゃないの?」
「なんでそう思うの?」
「だって、お兄さん、とっても強いのでしょう? 敵わないと思って逃げたのだよ」
言い終えると媚びるような表情で、トーボは僕をじっと見つめて来た。多分、僕が同意するのを期待している。僕が同意して“安全だ”と言えば、マロムの実を取りに行けると思っているのだろう。
「いや、僕はそうは思わないな」
と、だから僕は返した。
「この村を襲っている熊はとても賢い。だから、こちらが油断するのを辛抱強く待っているのだと思うよ」
それを聞くと、恨めしそうな目で彼は僕を見つめた。どうやらよほどマロムの実を食べたいらしい。
そこで不意に甘い匂いが風に乗って漂って来た。「マロムの実の匂いだ」と彼は言う。口から涎を垂らしている。
ここまで甘い匂いが届くなんて、よほどたくさん生えているのだろうか。きっととても甘い実なのだろう。風の方向から、マロムの実が生っている場所が大体予想できた。
多分、熊達もその実を食べて栄養にしているに違いない。
そう思った僕は、脅しになると思って、
「ガットラットも言っていたけど、これだけいい匂いをさせているのなら、絶対に熊達はマロムの実を食べているぞ。近付いちゃ危ない」
とトーボに言ってみた。ところが、それを聞くと彼は目を大きく開いてこう返すのだった。
「それって、熊達にマロムの実をぜんぶ食べられちゃうってこと?」
……しまった。逆効果だ。まずい発言をしてしまったかもしれない。
僕はガットラット達の所へ戻ると、トーボの様子を皆に伝えた。
「気を付けた方が良い。あの子、今にもマロムの実を取りに森に行きそうだったよ」
「うん。分かっている」と村人の一人が頷く。
「これだけいい匂いが漂って来ているしな。甘い匂いをさせるのはマロムの実の特性なんだが、小さな子供にとってはこれに耐えるのは拷問みたいなもんだよ」
別の一人が言う。
「可哀想だが、しばらく閉じ込めておこう。他の子も一緒なら、気もまぎれるだろう」
皆は「それがいい」と頷き合っていた。ところが、それから閉じ込める為にトーボを探したのだが、いくら探しても彼は見つからないのだった。
「まさか」と女性が言った。
「あの子、閉じ込めらるのを察して逃げ出したんじゃ……」
どうやらその女性はトーボのお母さんだったらしい。
「いや、でも、ニーヤさん。さっき決めたばかりなのに」
ニーヤという名のようだ。
「いいや、あの子は頭は悪いくせに妙に勘は鋭いんだよ。閉じ込められたら、マロムの実を食べられなくなるかもって慌てて森に行ったのかもしれないねぇ…… 食い意地が張っているから」
「確かに、命の危険があっても甘いもんを食べに行きそうだな、あの子は……」
なんか、散々な言われようだ。
僕はそのやり取りを聞いて青くなった。もしかしたら、彼がマロムの実を取りに行ったのは、僕の発言の所為かもしれないと思ったのだ。
「仕方ない。僕が連れて帰ってきますよ」
だからという訳でもないのだけど、そう提案した。
「いや、でも、あんただって危ないだろう?」
ニーヤさんが申し訳なさそうに言うのに「大丈夫です。僕なら、逃げるのに集中すれば問題ありません」と僕は返す。
ガットラットがそれを聞いてカカッと笑う。
「こいつは逃げ足が昔から特に速いんですよ。お陰で、風の魔法を使った移動方法を編み出したくらいで」
「いつまでも、昔の話をしないでよ」とそれに僕は抗議した。
実は風の魔法を応用した移動技は、まだ実力が不足していた頃に、モンスターから逃げ出す手段として風の魔法を使ったのが始まりだったりする。
僕はそれから村の外に出るのなら準備が必要だと考えて宿に戻った。爆弾を少しと風の魔法と回復の魔法のロールを何本かをリュックに入れる。ロールってのは、念を込めれば自動的に魔法が発動するアイテムだ。少々離れていても念じれば反応してくれる。
宿の部屋で寛いでいたエルーが、そんな僕に「ロメオ?」と話しかけて来た。何をしているのかと聞いているのだろう。
「ちょっと子供を探しに行って来る。ほら、あのトーボっていう可愛い男の子だよ。マロムの実を取りに行っちゃったみたいで、いなくなっちゃったんだ」
言葉が通じているのかいないのか、ちょっと彼女は驚いた顔をしていた。眉をひそめて、心配そうな顔を見せる。僕はリュックの中身を見せながら言った。
「戦わないから、大丈夫だよ。備えもしてあるし」
彼女は僕を止めたがっていたように思えたけど、トーボを見捨てる訳にはいかない。
「できるだけ早く戻るから」
と言って、僕は急いで出発した。トーボが危ない。早くしないと手遅れになってしまうかもしれない。
村に滞在している三日の間で、僕は村の周辺の地図を頭に叩き込んでいおいた。地の利で勝る熊達に少しでも対抗する為だ。その記憶の中の地図と甘い匂いのお陰で、マロムの実が自生する森に迷うことなく真っすぐに進めた。
近付けば近づくほど、甘い匂いが濃くなっていく。少々、息苦しさを感じる程だった。やがて、丸い堅そうな殻に包まれた薄黄土色の実がたくさん生った森に入った。マロムの実だろう。そこはまるで果樹園のようだった。この山の生き物達にとってもマロムの実は貴重な栄養源であるらしく、たくさんの鳥やリスなどがその殻を破って実を必死に食べている。
マロムの実は直径6センチほどで、一つの木にたくさん生っていた。僕も一つもぎ取って、殻を剥いて食べてみる。果物というよりは穀物のような食感だったが、蜜がたっぷりと含まれていて、時折舌に感じる糖分が固まってできたジャリジャリとした舌ざわりと共に感じる甘味が、高級なデザートのようで堪らなかった。
確かにトーボが夢中になるのも分かる。
僕はエルーや村へのお土産に何個かマロムの実をリュックに入れると、小さなトーボでも登れそうな低めの木を探した。
すると、ちょうど頃合いの木がある。近寄ってみて足跡を探すと、思った通りに小さな足跡があった。間違いなく彼はこの木に登ってマロムの実を食べたのだ。マロムの実がもがれた痕もある。それから視線を地面に移して僕は戦慄した。
“熊の足跡だ!”
40から50センチ程もある大きな熊の足跡が、そこには残されていたのだ。
よく見ると、枝が変な角度に曲がっていた。葉も千切れている。木に登っている最中に熊に襲われたトーボが必死に抵抗したのだろう。
慎重に周囲を探したが、血痕も肉片も何も見つからなかった。多分、トーボは生きている。熊達にどんな目的があるのかは分からないが、生きたままさらわれたんだ。
僕はトーボをさらっただろう熊の足跡を追う事に決めた。
急げば、まだ助かるかもしれない。
待ってろ、トーボ。




