10.ノーゼット村の熊
村で用意してもらった宿でしばらく休むと、僕らは会議に召集された。敵である熊達と村の状況について教えてくれるらしい。もちろん、僕らの紹介と僕の戦闘能力についての説明も兼ねているのだろう。
少し広めの集会場のような家があり、そこに村人達が集まっている。中は薄暗かった。木材と石材が組み合わさったこの村独特の雰囲気の建物は味があって好きだけど、今はもう少しくらい明るい雰囲気の方が良いと僕は思った。
「ここを開拓していた頃は、あんな化け熊なんかいなかったんだ」
僕が自分とエルーの紹介を済ませると暗い表情で若い男がそう言った。
「それが突然、十頭ほども群れて現れやがった。多分、レッドカブトはこの辺りの山々から仲間を集めていやがったんだ。俺達を倒す為に」
女性が口を開く。
「初めは家畜でした。何頭もやられて。次に人が…… 頭の良い熊です。きっと、少しずつ攻撃してこの村の人間達にどれくらい抵抗ができるか確かめていたのでしょう」
聞くと、子供も含めて既に十数人も殺されているらしい。ガットラットがいなければ、全滅させられていたかもしれない。
化け熊達が、明確に村の人間達に敵意があると悟ると、ガットラットはかつて親交のあった冒険者ギルドに助けを求めた。ただ、ここは辺境である上に危険の高さに対して報酬が見合っていない。強力な冒険者の助っ人はあまり期待できなかった。
「そんなに懐に余裕がある訳じゃないんでな、俺達も」
頭を掻きながらガットラットはそう言った。どうも彼が言うとあまり深刻そうに聞こえない。
ただし、それでも彼に恩があったり、仲が良かったりしたかつての仲間は助けに来てくれたのだそうだ。
彼はそれから僕も知っている冒険者の名を三人挙げた。今は外で衛兵の役割をしてくれているらしい。
「連中が来てくれたし、武器も持って来てくれたもんだから、随分と戦況は良くなったんだ。何頭か熊を倒せたしな。しかし……」
そこで熊達は、より慎重に村を襲うようになったのだそうだ。戦闘力の高い人間がいる間は村を襲わず、隙を突いて襲って来る。しかも、麓からこの村にまで続く山道で待ち伏せをするようにもなった。“助けを来させてはいけない”とどうやら学習したらしい。
そして、村の出入りを狙われるから、当然、物資の流入も減る。蓄えはそれなりにあるし、完全に物資が入って来ない訳ではないが、準兵糧攻めのような状態に村は陥っていて、徐々に疲弊して来ているのだそうだ。
「熊を相手にしているようには思えませんね」
僕がそう言うと皆は黙った。
まるで人との戦争だ。
しばらくの静寂の間の後、集まった中で一番高齢だろう老人が不意に「やっぱり、この山に人の住む場所なんざ、作っちゃいけなかったんだ。山の神が怒ってるんだよ」と暗い顔で言った。
それを聞くと若い男が「また、その話か爺さん」と呆れた顔で言った。
僕が説明を求めてその老人を見ると、彼は口を開いた。
「この山は本来は人は入っちゃいけない事になっていたんだよ。神聖な山だってな。それがマロムの実がたくさん生るからって人が入り始めて、牧畜にも適しているってんで家畜も入れて、少しずつ村になっていったんだ。
ただ、その所為で元々の山の環境をかなり変えちまっているし実際に山の生命力も弱っちまっている。山が怒るのも無理はねぇ。人間はこの山にとっちゃ邪魔者なんだ」
言い終えると項垂れる。
元々暗い雰囲気だったこともあって、その彼の言葉と態度に皆は引きずられるようにして落ち込んでしまった。“間違っているのは熊ではなく、自分達の方だ”とでも思っているのかもしれない。「村を捨てよう」と言い出す者がいても不思議ではなかった。
ところが、そこで突然エルーがその老人に近付いていったのだ。老人は訝しげに彼女を見つめたが、彼女は構わずに彼の手を取って優しく包み込むように握った。
老人は目を丸くする。
「これは……?」
僕が説明する。
「彼女は僕らの言葉をまだあまりよく理解できていません。だからあなたの話の内容は分かっていないはずです。多分、あなたが落ち込んでいるのを見て、元気付けようとしているのだと思いますよ」
それを聞くと彼は「おお」と言った。エルーはにっこりと笑う。彼の瞳が涙で滲み、少しだけこぼれた。
多分、彼はエルーを美しいと感じている。それは僕も同じで、もしかしたらここにいる他の皆も同じなのかもしれない。
そうさ。
人間だって自分勝手なだけじゃないんだ。捨てたもんじゃないはずだ。エルーを見ればそれが分かる。
そう思った。
もちろん、それだって人間側が決めた勝手な判断なのだろうけど。
そこでガットラットが口を開いた。
「まぁ、あれだ。確かに人間はこの山にとっちゃ侵入者で自然を破壊するモンスターなのかもしれない。
だが、それでも大人しく退治されてやる訳にはいかないんだ。こっちにも守るべきものがある。
それに、そう悲観する必要もない。確かに今までは人間は自然の生命力を奪って来た。だが、これからもそうだとは限らない。自然の一員とは言わないが、いても害にならないくらいの存在にはなってみせるさ。あの熊どもは信じないだろうし納得もしないだろうがな」
彼がそう言うのを聞くと、皆は元気を取り戻したようだった。笑顔になって、「ああ、その通りだ」と口々に言った。
それから彼は皆に僕の戦闘能力を説明した。
かつて彼がリーダーを務めていたS級冒険者パーティで、僕が実力者の一人であったこと、この村までの道中で化け熊を2頭を撃退し、そのうち一頭は倒してしまったかもしれないこと、風の魔法を使った独自の移動技が得意で攻撃力も高いこと。
「ガットラット達が村を守ってくれているのなら、その間で僕が熊を狩るってのはどうですかね?」
ガットラットが説明を終えると僕はそう提案してみた。
しかし、村人達は「やめておいた方が良い」と口々に言う。一人が詳しく説明をしてくれた。
「あんたの戦闘能力が高いのは分かった。しかし、あんたはここは初めてだ。地の利は向こうにある。俺らが数頭の熊を倒した後、レッドカブトはかなり慎重になってるんだ。しかも、道中であんたはレッドカブトに戦っているのを見られているのだろう? なら、きっとあいつは何か対策を立てているぞ」
ガットラットがそれに頷く。
「そうだな。下手に動かない方が良い。見張りを徹底して、単独で行動する熊を見たら皆で倒して少しずつ削っていくってのが一番堅実だ」
村人達もガットラットもそう言うのなら、大人しく従っておいた方が良いだろう。僕は「分かりました」とそれに返した。
ところが、そこで高い声が「ねえねえ」と響いて来たのだった。
見ると、小さな男の子がいる。
いかにも無邪気そうな可愛い男の子だった。人懐っこい感じだ。
「そんなに強い人が来てくれたのなら、マロムの実を取りに行って良い? 守ってもらえるんでしょう?」
その男の子が言うのを聞くと、ガットラットは大きく頭を振った。
「いいや、駄目だ。トーボ、話を聞いていなかったのか? このお兄ちゃんがいても熊達は危ない。
それに、熊達もマロムの実を食べに来るかもしれないし、他の獣だって食べに来るかもしれない。危険だ」
トーボというらしいその男の子は残念そうな顔を見せた。
「むー」
いかにも不満そうだ。
「マロムの実って、さっき言ってた?」
「ああ、この山にたくさん自生しているんだよ。いつもこの時季に生るんだ。甘い味がしてな。売る以外にも村で食べている。それを毎年村の子供達は楽しみにしているのだが、今年は熊の所為でほとんど食べていない」
トーボはガットラットの説明に切なそうな顔を見せる。よっぽど好きなのだろう。
それを聞いて、僕は“その実をエルーにも食べさせてあげたいなぁ”と、そんな呑気な事を考えた。




