1.キーザスという男
小説。小さな説。
これは、”個人的な説”といったような意味です。
ビッグホーンという名の巨大羊が、僕の生まれた地方には生息している。この羊のオスはその名の通りに巨大な角を持っていて、繁殖期が近づくと、互いの角をぶつけ合ってメスを奪い合う。
勝った方が“優秀なオス”と判断されて、メスを獲得できるという訳だ。
本当にそれが“優秀なオス”の判断方法として適切かどうかは別問題にして、どうしてもメスが欲しいオス達は勝つ為に必死に角をぶつけ合う。その所為で時には怪我を負う場合もあるし、それが死に繋がる場合すらもある。つまりは命懸けだ。
これはオスの本能だと言ってしまって良いと思う。
前述した通り、ビッグホーンのオスは角が著しく発達している訳だが、それはこの羊がハーレム制を取っているからだと言われている。ビッグホーンに限らず、ハーレム制の動物のオスは体が大きくなる傾向にある。もちろんそれは、それだけメスを獲得する競争が苛烈であるからだろう。群れの中でたった一匹しかメスを得られない。つまりは子孫を残せない。その為に、性淘汰が働いて体が大きくなるように進化するのだ。
そして、人間のオス……、男は女よりも体が大きい。だから人間はかつてはハーレム制だったのではないか? と言われている。今でもハーレム制を認めている社会が多いのは、その頃の名残なのかもしれない。
男がプライドに固執することが多いのは、恐らくはそんな事情があるからなのだろう。メスを獲得しようとする動物の本能。その衝動に突き動かされている。
もっとも、時折例外もあるが、人間は今では一夫一妻制だ。人間は男も互いに協力し合って社会を運営できるように進化した。少し考えれば簡単に分かるが、その方が遥かにメリットが大きいからだろう。
その為、プライドを持つのと同時に、それをコントロールし、協調する能力も人間は発達させて来た。未熟な子供の頃は、プライドを抑え切れずにトラブルを起こすこともままあるが、成長すると共にそれも少なくなり、問題なく社会生活を送れるようになるのが一般的だ。
――が、時にはそうじゃない奴もいる。
充分に歳を重ねても自身の高いプライドを制御できず、自分が一番でなければ我慢できなくて、誰かをライバルと見做せば打ち倒して(それが仮にそいつの一方的な思い込みだったとしても)群れから追い出そうとする。
キーザスという名の僕の所属していた冒険者パーティのリーダーは、簡単に言ってしまえばそんな厄介な奴だった。
年齢は僕よりも少し下で、背も少し低い。体格にはあまり恵まれておらず、いかにも性格が悪そうな外見をしている。だが、リーダーという立場だからか、それともそんな事は一切関係ないのか、基本的に威張っている。
正直、どうやって今まで生きて来たのか、どんな人生を送ったらこいつみたいな人間になるのか、僕は不思議で仕方がなかった。
「ロメオ! もう許せねぇ! 誰が助けろっつたよ? お前、オレのことを馬鹿にしてんだろう?!」
ミッション後に集まった酒場で、酔っ払ったキーザスがそう僕に向って怒鳴っている。
はっきり言ってそれは言いがかりだった。何しろ僕はミッションの途中でピンチに陥ったキーザスを救ってやっただけなのだから。馬鹿にする意図なんてあるはずがない。太った中年おやじのオボルコボルは、そんなキーザスを呆れた目で見ていたが何も言わない。魔法剣士のフレアにいたっては、関わりたくないと言わんばかりに距離を取っている。
助けてくれそうにもない。
まぁ、これはいつもの事なのだが。
この冒険者パーティは、それほど親密な関係ではない。それぞれ出自はバラバラで、オボルコボルは知らないが、僕もフレアも金で雇われている身だ。
だから、僕はリーダーのキーザスに絡まれて大いに迷惑していたのだが、「考え過ぎだって」と宥めるくらいしかできなかった。僕が金で雇われていなかったなら、一発ぶん殴って説教くらいはしていたかもしれない。
店員は僕らが戦闘プロ集団の冒険者だと分かっているからか、そんな傍迷惑な客であるキーザスに何も文句を言わなかった。怒鳴り声に辟易したのか、他の客が何人か外に出て行ってしまった。店に損害を与えてしまっている。
……これはいけない。
「よく思い出してみろよ、キーザス。僕はお前を助けただけだって。後少しで、お前はブラックドックに首を喰いちぎられていたんだぞ?」
それで、そう説得しようとしたのだが、キーザスは聞く耳を持たなかった。本当に面倒くさい奴だ……
――それは、ある村からのブラックドック討伐の依頼だった。
近くの森にブラックドックの群れが棲みついて人や家畜を襲うので、退治して欲しいという依頼を僕らは請けたのだ。
言われた森の奥にまで入ると、好戦的なブラックドックの群れは直ぐに僕らのパーティーに襲いかかって来た。その時、キーザスはリーダーである威厳を示そうとして功を焦ったのか、群れの中に踏み込み過ぎてしまっていた。囲まれてしまう。一匹ずつなら大した相手ではないが、群れになると話は別だ。このモンスターはチームワークには長けている。
前方にいるブラックドックがフェイントをかけて隙をつくると、背後にいる別の一匹がキーザスに襲いかかった。奴はそれに見事にひっかかってしまった。体勢を崩し、背後の気配に気が付いた時にはもう手遅れだ。振り返った奴の形相は恐怖に歪んでいた。普通ならそのままブラックドックに首を噛みつかれてお終いだろう。
しかし、幸い僕はその動きを警戒していた。
予め練っておいた風の魔法を後方に放って一気に加速すると、背後から奴を襲おうとしていたブラックドックを剣で薙ぎ倒し、そのまキーザスの襟を掴むと即座に爆竹をばら撒いてブラックドック達を怯ませ、その場から奴を引っ張って脱出した。
ブラックドック達は逃げる僕らを追って来たが、そこに張ってあった罠にかかって一網打尽にされた。オボルコボルが網の罠を張って待ち構えていたのだ。
この中年おやじは直接の戦闘ではほどほどの実力しかないが、アイテムを使うのは妙に巧い。トラップは得意技の一つだ。
網で捕えられたブラックドック達は、その場で直ぐにフレアに強力な炎の魔法で焼き殺された。少しでも連中にチャンスを与えれば、網を食い破って襲いかかって来ていただろうから、これは仕方がない。
……そもそも、僕らはこいつらの討伐をしていたのだから、いずれ殺さなくてはならないのだし。
それから僕らはミッションのクリアを祝って飲み屋に行ったのだが、始終、キーザスは機嫌が悪かった。そして酔いが回って来ると僕に文句を言い始めたという訳だ。
「ロメオ、お前、余計な真似をしやがって。助けなんかいらなかったんだ。オレだけで、あの程度のブラックドックの群れくらい皆殺しに出来たんだよ!」
酒が入れば入る程、ロメオの悪口は聞くに堪えないものになっていった。
自分の作戦を見抜けなかった僕は間抜けだとか、このパーティにはいらないだとか、フレアも僕を嫌っているだとか。
「なぁ、フレア。そうだろう?」
僕への悪態の合間に、奴はまるでリズムを取るかのようにフレアに向って同意を求めたりもしていた。彼女は「ええ、そうね」と聞いてもいないだろうに生返事を返す。奴は「へへ、どうだ」なんて言って、子供っぽいとも嫌味っぽいとも思える顔で笑ったりしていた。
これは単なる勘だが、キーザスはフレアに気があるのじゃないか。フレアは淡白な性格をしているが、見た目は悪くないししっかり者で頼りにもなる。どこか甘えた雰囲気のあるキーザスは姉のような彼女に惹かれているのかもしれない。
キーザスが妙に僕に突っかかって来るのにはそんな一因もあるのだろう。彼女を取られまいとしているのだ。
もっとも、フレアの方は僕らとはただ単に金で繋がっている契約だけの関係だと思っているだろうが。彼女は隣のテーブルで酒を飲みつつ料理をつついていた。酩酊状態の奴を見もしない。
そのうち、完全にキーザスは酔いつぶれてしまった。
「やれ」と呟いてから、オボルコボルがそんな奴の傍にやって来て外套をかけた。風邪を引かないように労わっているのだろう。
このオボルコボルという中年おやじは、寡黙で何を考えているのか分からず、普段は太っている割には深い皺の顔を微動だにさせずに冷めた無表情の目で僕らを見ているのだが、時折このようにキーザスの保護者のような態度を執る。いや、それどころかリーダーとしてのキーザスの立場を支えているのは実質的にはこの男だ。実は僕らを雇っているのはキーザスではなくこいつなのだ。しかも、キーザスはその事を知らない。何故か僕らは口止めをされている。
正直、一体、この二人がどういう関係なのかよく分からない。
酔って寝ているキーザスを背負うと、オボルコボルは「ま、明日になれば忘れているでしょうから、お気になさらず」と僕を見て言った。その言葉には“お疲れ様”という意味もあったのだろう。
僕は手を上げて“分かっている”と合図を送ってそれに返した。
僕らはそれから宿屋に戻った。
はっきり言って疲れた。
今回はいつも以上にキーザスは僕に絡んで来た。
だが、オボルコボルの言った通り、明日になれば奴はどうせ今晩の事を忘れているだろう。
僕はそう思っていた。
――ところがだ。その予想に反して、奴は僕に喧嘩を売ったことを忘れてはいなかったのだった。
「勝負しろ! ロメオ! オレがこのパーティで実力ナンバーワンだってことを教えてやる!」
次の日の朝、キーザスは僕に剣の切っ先を向けつつそう言って来た。
おいおい…… と、僕は思った。