元地上最強、滾る
護衛の冒険者どもは倒したゴブリンの解体に勤しんでいる。随分と派手に殺したが故に辺りに血が飛び散っており、その処理をしなければ血の匂いに誘われた他の魔物がやってくる可能性が高い。それに今回の契約では倒した魔物の売却代金は<黄金の風>の総取りらしいので彼らとして小遣い稼ぎの場面を逃したくないのだろう。
他の魔物を避けたいのであればここを動けばいい話ではあるが、馬が怯えて動かぬ。さらに言えばこれより先に休める場所があるかは不明だ。休息は取れる時にしっかりと取っておくのが旅の鉄則だ。
そんなわけでしばらくここを動くことはないだろう。で、あれば多少抜け出しても問題あるまい。初めて魔物と遭遇したが気配が読めぬわけではなかった。それならば今のこの体と剣では斬れぬ相手を避けることは容易い。目的の場所まではここからそう遠くない。ならば行くしかあるまい。
俺は馬車の上から飛び降りると気配を消し森の中へと駆け出した。前世ではアマゾンの熱帯雨林や富士の樹海など様々な山岳地帯での戦闘も経験している。この程度の森ならば可愛いほうだ。
森の中を走る俺を狙って蛇だの狼だのが飛び出してくるがそれを一刀の元に斬り伏せ走る。もしかしたら魔物の類いだったかもしれんが片手間に斬れる雑魚など数のうちには入らぬ。
10分ほど走っただろうか。近くに川が流れる岩場にたどり着いた。ここだ。この辺りから強い気配を感じた。
ここまでくると近くに寄りすぎで辺り一帯をその強い気配が支配しているので逆に特定できない。気配の主は俺がここにくるまでにどこかに行ってしまったようだ。残念。まあいい、すぐに戻ってくるだろう。
俺は崖に目を向ける。もちろん最初から気がついてたが、岩でできた崖には無数の拳打の跡があった。なるほど、何者かがここで鍛錬を行なっていたようだ。
「いい。実にいい。型もなくただ闇雲に打ちつけてこの威力。中国拳法の天才と呼ばれた男も生きる武神と呼ばれた空手家もその武を使っても同じことができるかどうか。クハハハハ、滾る、実に滾る。さぁ、ここの主よ!早く俺の前に姿を表せ!」
もはや抑え斬れなくなった闘志を解き放つ。俺の気迫が大気を震わせ木を揺らす。
さあ、出てこい。俺はここにいるぞ!
すると川の方からずしりずしりと重い足音が響いてきた。姿は見えないがそれでもはっきりと分かるほどの存在感。この身を刺す闘気。来たぞ、ここの主が!
足音の主の姿がようやく見えた。
「カカカ、鬼か!こりゃ面白い!一度でいいから斬ってみたかったんだ!」
そう、現れたのは鬼だ。日本の昔話にあるような赤鬼や青鬼ではなく、肌の色は真っ黒だ。そして鬼のツノというよりは悪魔と言った方が近いような捩れたツノが2本生えている。
この魔物、鬼と言ったが実際はオーガと呼ばれる種類のようだ。しかしイリスの話ではオーガの肌はゴブリン同様に緑系統だったはずだが・・・まぁいい、肌の色で斬る斬らないが決まるわけではない。
すでにオーガは俺の存在に気がついているはずだが悠然と歩いてくる。ならばこちらも悠然と観察させてもらおうか。
オーガの体長は約3メートル。5歳にしてはかなり大柄である俺の倍近い。その背丈に見合うほど、全身は先ほどのゴブリンが子供に見えるぐらい発達した筋肉で覆われており、しかも生きる過程でついたものではなく鍛錬の末に身についた戦いのための筋肉だ。
黒いオーガは悠然と俺の前まで歩を進め、数歩離れたところで立ち止まり俺を見下ろした。ふむ、先ほどのゴブリンとは違って多少は理性があるようだ。目が獣のそれではない。しかし俺に敵意がないわけではない。先程から身を焦すような激しい怒りをひしひしと感じる。
野生動物にあるように縄張りに侵入した愚か者への怒りか。それとも挑発されたことに対する怒りか。どちらにせよやる気というわけだ。
しばしその場で見つめ合う。これは目を逸らした方が負けだ。
そして不意に奴の右足が霞んで消えた。筋肉の微動でそれを察知していた俺は首を僅かに傾けて蹴りを躱す。速い、が、それだけだ。なんの技術もないただの力技だ。
黒いオーガは初撃を躱されたことに驚いたのか僅かに目を見開いた。こいつはここらでは一番強い気配を放っていた。この辺りの強者なのだろう。ゴブリン程度しかいないのであればあの蹴りで一撃で屠れるだろう。故に躱されたことなどないのかもしれない。
その一瞬の硬直を見逃すほどお人好しではない。上体を一気に低くして地面を蹴る。この身長差でさらに身を低くすれば反射的に足が出るはずだ。腕での攻撃は届きづらい。ましてや数歩しかないこの距離、確実に当てるなら蹴りしかありえない。
案の定黒いオーガは先程蹴り上げた足をそのまま下ろすというシンプルな選択肢を取らざるを得なかった。そしてそれは先読みするまでもなく予想済み。振り下ろされる速度は速いが、俺が駆け抜ける方が速い。
開いた股下を駆け抜け背後に回る。そのついでに軸足を斬りつけるも弾かれた。俺が駆け抜けるのと同時に黒いオーガの踵落としが地面に炸裂して大地を割る。余波に巻き込まれないように飛び上がりながら背中を斬りつける。
「ふむ、やはり硬い。あれでもかすり傷か」
飛び上がりの勢いまで使って斬ったにも関わらず帰ってきた手応えはゴムでも斬っているかのような鈍い手応え。そのまま肩を踏み台にして距離を取る。剣を見てもうっすらと血が滲んでいるに過ぎない。やはり先ほどの攻撃では薄皮を斬るに留まったか。
「グルルル・・・」
初めてオーガの声を聞いたな。かすり傷とはいえ手傷を負わされたことで俺への警戒心を高めたらしい。先ほどみたいに不用意に俺の間合いに入らず自分だけの間合いを確保し、さらには戦闘態勢まで取っている。
「おいおい、たった一度、しかもかすり傷だろぉ?何をそんなに警戒してんだよ〜」
言葉が通じるとは思わぬが一応挑発をしてみる。危機意識が強いのは野生で生きるには必要不可欠ではあるがこれではつまらん。野生の強者たるもの多少の手傷は負わせた方を褒めるくらいの気概が欲しい。それでいてなおこちらを見下すほど傲慢であってほしい。構えなど取らず力尽くでねじ伏せるぐらいの覇気を見せて欲しい。
仕方ない。こちらから仕掛けるか。俺はゆるりと歩を進め、無造作に黒いオーガの間合いに入った。その瞬間飛んでくる拳。それをゆるりと躱して出された腕を斬りつける。今度は深く斬れたようだ。
「久々ゆえに1度目は斬り損ねたがもう思い出した。」
「ガアアアア!」
流石に深傷を負わされたことで怒ったか大きく吠えると持てる力を全て解放するかのように猛然と連撃を繰り出してきた。
「はっ、ハハっ!これだ!これだ!俺が求めていたのは!」
俺はその場に足を止めて繰り出される四肢の連撃を避けて躱して斬りつける。こちらは剣一本。向こうは四肢4本で手数が圧倒的に違うがそれでも追いつきなおかつ反撃できるのは黒いオーガの攻撃が単調がゆえ。型も何もないただまっすぐ打ち出すだけならどれだけ速かろうとどれだけ強かろうと躱せる、斬れる。
オーガが攻撃を繰り出すたびにオーガにだけ傷が増えるというオーガからすれば不可思議な現象が起こる。次第に威力も弱まってきたので俺は攻撃を捌きながらゆっくりと前進する。
「・・・!!」
ゆっくりと近づいてくる俺に恐怖を覚えたのか先ほどまでより一層密度の濃い連撃を繰り出してくるオーガ。それでもなお先読みができる俺には届かない。
「剣技・遍象突点」
俺の出した剣技によってオーガの拳がぴたりと鋒で止められた。遍象突点はあらゆる攻撃を鋒の一点で受け止める見切りの技。極めればたとえ豆腐だろうと鉄球だろうと止められる。相手を傷つけずに止める情けの技。武に身を置くものとしてはこれ以上ないほどの実力差を見せつけられる技だ。
「グググ・・・」
まさか自分の拳を、しかもこんな小さく矮小な生き物に止められるとは思ってもいなかったのだろう。黒いオーガは驚きに染まった目で俺を見た。
そして、自らの敗北を悟るとだらりと全身の力を抜き、地面にへたりこんだ。その目からはすでに闘志は消えており、死を受けている目をしていた。
「・・・ふむ、さてどうしたものか」
これが前世であればなんの躊躇いもなく殺していた所ではあるが、なかなかどうしてこのオーガの素質は前世でもそうそうお目にかかることはできないほどの逸材といってもいいだろう。ここで殺すにはいささか惜しい。
さらにこの世界は魔術が支配している世界だ。俺のように魔術ではなく武に生きるものは極端に少なく俺と対等に渡り合える奴がいるかどうか怪しい。
「いないのであれば、作り上げるのも一興か?」
不意にそう思ってしまった。少々暴れて血を見たが故に昂っていた感情が落ち着いたのだろう。しかし、改めて思ってみても悪い案ではない。敵がいないのであれば自ら作り上げるまで。ましてや魔術の世界。俺には魔術が使えぬが他の生き物はあまねく使えるはずだ。地球の武とこの世界の魔。2つが融合しトンデモナイ化け物が生まれるやもしれん。
考えるだけでゾクゾクしてくる。で、あれば早速行動するまでだ。
「いいか、1度しか見せぬゆえにしかとその目と脳に焼き付けろ」
俺は剣を構えて集中する。思い浮かべるは前世で幾度も戦った生きる武神と呼ばれた空手界の頂点。武道が尊ばれた現代においてなおその牙を研ぎ続けた武術空手の頂点の男だ。
病は気からという言葉にもあるように人間の想像力は人体に影響を及ぼすことができる。科学が発達した地球においてもイメージトレーニングは非常に重要なファクターの1つとなっている。
だから俺はそれを鍛えに鍛えた。イメージトレーニングで相手を鮮明に想像出来れば出来るほど強くなれる。本人と戦わずして幾度となく戦うことができる。まさに至上の鍛錬法。
そして鍛え上げられたイメージは他者にも伝播する。これは俺の血を最も濃く引いていた我が息子が得意としていた鍛錬法。奴はこの方法で想像上の相手と血みどろの戦闘を繰り広げ最終的に俺に牙を届かせるまでに成長した。
こればかりは奴の方が上手だったが、ここは魔術のある世界だ。
「時にイリス、物魔術は別として理魔術はどのようにして使う?」
「理魔術の習得は最初は詠唱から始めます。正しい詠唱を行うことで魔力を魔術へと変化させるのです。鍛錬を積むうちに次第に魔術が焼き付き詠唱を省略しても発動できるようになります。そしてさらに鍛錬を積むことで詠唱を一切行わずとも魔術を発動出来る様になります。」
なるほど。やはりよくある小説のように魔術はイメージが重要というわけだ。詠唱はそのイメージを補うためのいわば補助輪。幾度となく魔術を繰り返せば嫌でもその魔術のイメージが身に付く。だから鍛錬を積めば無詠唱での魔術行使が可能になるわけだ。
「魔力は増えるのか?」
「はい、増えます。これはよく知られていることですが、魔力は使えば使うほどその量が増大します。特に魔力枯渇を繰り返せば繰り返すほどその増大量は多くなることが判明しています。」
「最後だ、魔力の回復手段は?」
「それはいくつか種類があります。一般的なのは2つです。1つがポーション等の魔法薬を使用すること。もう1つが自然回復です。その他の手段としては魔力の譲渡や奪取などがありますが一般的ではありません。ちなみにですが魔力の自然回復は街中よりも森林等自然の中で行う方が早いことが判明しています。これは街中では人々が魔術を恒常的に行使する一方、自然の中には魔力の密度が濃いからと考えられています。」
このイリスの説明を聞いてはっきりした。この世界の魔力は”意思伝達物質”だ。無詠唱とはすなわち自分の意思の実現に他ならない。また魔力が増大することを考えば魂は器と見て間違い。器は鍛えれば鍛えるほど大きくなるらしい。そして魔力の回復方法は外部から魔力を取り込むこと。つまりこの世界の大気には意思を明確に伝えることができる物質が溢れかえっていることになる。
俺の体内に魔力はないが、そもそも魔術がない地球でも他の人間にまで自身のイメージを伝播させることはできることは我が息子が証明している。ならばこの世界でも同じことができるに違いない。
じっくりとイメージを練り上げている間、黒いオーガは微動だにせず俺を見つめている。いや、俺の発する空気に飲まれている。
「・・・見えた」
5分ほどだろうか、俺の目の前には稀代の空手家が確かに存在していた。
「・・・っ!!」
黒いオーガにもはっきりと見えたのだろう。息を呑む音が微かに聞こえてきた。そしてそれは合図となった。