準々決勝(コクガ)
闘技場の空気はもはや最悪を通り越して絶望感が支配していた。そこかしこで啜り泣く声や怨嗟の叫びが聞こえてくる。
それは観客だけに止まらず天覧席で見物していた王侯貴族や周辺諸国の人間ですら同じ空気を漂わせていた。
「よもや、よもやエリファスが試合に負け、あまつさえ死んでしまうとは・・・」
皇帝の呻くような呟きに答えられる人間はどこにも存在していなかった。エリファスと言えば言わずと知れた英雄。近隣諸国のみに止まらずこの大陸に名を轟かせる帝国の誇る最強の魔術師だった。
それが魔術も使わず剣などといった化石となった旧時代の遺物を使う劣等種に、かすり傷を負わせるのが精一杯。命を賭けた大魔術も服を消し飛ばす程度で終わってしまった。
もはや最強と謳われた帝国が誇る魔術師の影はどこにもない。Sランク冒険者は1人死亡、もう1人は絶対の防壁を破壊され自信と誇りを木っ端微塵に砕かれた。宮廷魔術師は魔術師長含めてそうそうに全滅。さらに帝国を代表する騎士も”皇帝の盾”はその身と盾を砕かれた、重力を操る貴族出身の騎士はそれを遥かに上回る大質量に押しつぶされた、そして最強の魔術師、帝国の牙はたった今、目の前で死んだ。侯爵家からはエリファス以外にも同世代最強の2人が出場していたが次期当主の方はすでにシェラートにより再起不能に近いほど壊された。
これで帝国から推薦枠で出場しているのは侯爵家の次兄だけとなった。ここまでくると悪い予感が嫌でも頭を過ぎる。
周囲からはもはやこの大会を継続している場合ではないという声も多く聞こえてくる。皇帝の心も揺れていた。しかし、続けようが止めようが批判が出ることは間違いない。これまで拡大政策を取り続け覇王として君臨していた皇帝は自身の誇る駒を立て続けに失ったことで保守的になっていた。
それゆえに大会を中止する決断を選択することが出来なかった。こうしている間にも準々決勝第2試合、コクガ対帝国推薦者の最後の砦、セシルとの戦いが始まろうとしていた。
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イ「それにしてもシェラート様、一体どのような手段でエリファスのあの爆炎を逃れたのですか?」
控室に戻ったシェラートにイリスが聞く。ここにはシェラートが連れてきたハイロイド組のメンバー全てが集結していた。ここに集った全ての人間があの衝撃の最後を目撃しており、その詳細を聞こうとここに集まっている。
シェ「別に大したことはしてねぇよ。ちょっと筋肉に力を入れて気で身を守っただけだ」
シェラートの返事に今度はウーに視線が集まる。
ウ「む?こうして見られたところで爺にはなんとも言えんよ。そりゃあ儂の気功法はこれまでと一線を画す力だ。だけどな、それを教えてくれたのはシェラートなんだぞ?」
テ「つまり、ウー先生に気功を教えたシェラートさんなら【気功法】がなくても気功を使える。そういうわけですか」
ジ「バカか。気なんて誰でも使えんだよ。ウーやシェラートのはそのレベルが段違いってだけで」
シェ「ジンテーゼの言う通りだ。大体気なんて言うのは文字通り気の在り方、つまり精神状態に左右される。代表的なのが殺気だ。」
ル「気が太ぇやつは喧嘩も強ぇ」
どうやらルシフェルには気を見る目があるようだ。まぁ、散々ハイロイドの裏社会でドンパチやってたんだ。そりゃあ喧嘩相手を見る目くらい養えるだろう。
シェ「どうやら次の試合ではコクガの本気が見れそうだ」
シェラートの声に皆の視線が闘技場へ戻る。すでにコクガは入場しており目を瞑って集中している。コクガの今の状態を示すのならば凪であろう。
ウ「ほっ」
テ「うーん」
ル「・・・」
ジ「ほう」
コクガの入場より遅れること数分、セシルが現れた。セシルは荒れていた。まぁ、あれだけのことがあったんだ。まだ若いセシルが荒れない方がおかしい。感情の整理が出来ず心は嵐の大海原のように荒れ狂っている。
準々決勝第2試合、開始。
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セシルは荒れに荒れていた。
無理もない。国の英雄にして帝国最強の魔術師、侯爵家現当主にしてセシルの父親でもあり魔術師として畏れ憧れていたエリファス・レヴィ・ドニゴールの死をはっきりと目の前で目撃した。
シェラートの過去は伏せられてはいるがセシルは知っていた。劣等種として捨てられた自身の弟のシェラートであることを。
その劣等種に対してエリファスは英雄譚に出てきた装備を全て砕かれ、覚醒してさえも通用しなかった。そして極め付けは命と引き換えに放った魔術でもシェラートには傷1つついていなかった。
ずっと、高い目標として追いかけてきたその背中が突如と消えた。自身が到底叶わぬと思っていた父親。セシルの中で最強として君臨し続けていた男の敗北と死。絶望と喪失感で気が狂いそうだった。
そしてその死は他ならない劣等種の弟によって齎された。つまり到底叶わぬと思っていた父親をかすり傷1つで殺したシェラートは劣等種でありながらセシルよりも遥かに、エリファスなどとは比較にならないほど差があることを突きつけられた。プライドが砕け散った。天才と呼ばれているが劣等種の影すら踏めないほど弱い自分が憎かった。
さらに彼の兄、ルーソンもシェラート相手に大敗北を喫した。幸い大会の魔術師の懸命の治療によって一命は取り止め、四肢もなんとか元通りになるそうだ。だが復帰するまでには時間がかかることは間違いない。家族を奪い、家族を傷つけたシェラートが憎い。怒りに支配された。
セシルは帝国からの推薦された本戦メンバーの最後の1人。自らは戦わぬくせにとっくに地に落ちた威信だのなんだのと騒ぎ立てるだけの貴族たち。期待が重圧となってのしかかった。
怒り、悲しみ、絶望、憎悪、嫌悪、重圧、憤怒、嫉妬。
負の感情に心が散り散りに砕け散った。もはや今のセシルには感情の制御が出来ていない。顔の半分で泣きながらもう半分は怒りと憎悪に燃え上がっている。
「今の俺は暴れないとどうにかなりそうなんでね、悪いが、一瞬で殺す。お前も、シェラートも」
セシルの言葉が終わるのと同時に開始の合図が掛かった。
「うおおおおおおお!【半人半竜】」
雄叫びとともにセシルが天才と称された秘魔術を発動した。秘魔術の発動とともにセシルの四肢が鱗の覆われてゆく。四肢は腕や太ももだけに止まらずその先端まで竜のそれへと変貌した。人間にはないはずの尾も生えている。そして口元までが竜鱗で覆われたところで変化が止まった。
「この竜鱗は本物の竜と同等だ。つまり今の姿のこの俺に魔術は通じない。そして竜の鱗はそれそのものが魔術の発動媒体となる。つまり、今の姿の俺の魔術の威力は通常時の数千倍だ。この俺が魔術を放てばこうなる。火球」
火球は少しでも戦闘系の理魔術をかじった人間なら誰でも使える極めて初歩の魔術だ。大きさは人によって多少違うが、大体直径1〜2メートルほど。しかしセシルの使った火球はその10倍はあろうかという大きさ。そして込められている熱も火球とは比較にならないほどだ。
「黒牙流ー廻し受けー流水の型」
対するコクガだが、両腕がうっすらと青く光ったかとあっさりと強化された火球を受け流した。
「な!?」
自慢の攻撃を受け流されたのがショックだったのかセシルは声をあげた。天才と持て囃されているが経験は浅いようだ。
コクガは基本的に1対1ならば後の先を取る戦い方を得意としている。相手との実力が相当離れていれば自ら動くこともあるが、流石にセシル相手ではまだ動かないだろう。
受けの構えのままその場に止まるコクガを見てセシルは余裕を取り戻した。
「さっきはなんらかの手を使って防いだみたいだが、そう何度も防げまい!今度はこれでどうだ!旋風波!」
火球の次は巨大な竜巻がコクガを飲み込まんと迫る。もちろんその内側は無数の風の刃が飛び交っており飲み込まれれば一瞬で木っ端微塵になるだろう。
「黒牙流ー真空掌」
コクガの身体能力と魔力で手のひらを打ち付け真空波を引き起こす技。一回戦の時はただそれだけだったが、今は少し違う。コクガの手のひらが緑色に光っている。
鼓膜を打ち破るような激しい音が響き渡り、セシルの竜巻を掻き消した。
「クソが!九龍水龍波!」
2つ目を防がれたセシルが放ったのは理魔術の中でも上位に位置する広範囲殲滅魔術の1つ水龍波を竜人化したことで強力なり、九つの頭を持つようになったのだろう。9体の水龍は闘技場を破壊しながらコクガへと迫る
「黒牙流ー土龍蹴衝」
コクガの足が黄色く光り闘技場の地面ごと蹴りを放つ。大量の土砂を含んだ蹴りの衝撃波が次々と水龍を撃破し、最後の1匹は音速を超えた大きめの土片が頭を貫き消滅した。
「くそおおおお!終焉の隕石!」
お次は土属性の広範囲殲滅理魔術か。随分と多芸だ。イリスの話ではこの魔術は1つの巨大な隕石を降らせる魔術だったはずだが飛来してくる隕石の数は1つではないな。
それを見たコクガが受けの姿勢から構えを変えた。右腕を弓引いている。
「黒牙流ー昇竜火拳」
コクガの拳が天に向かって放たれた。それは魔の森の深部にある大瀑布をも逆流させたコクガの気を込めた一撃。たかだか岩ごときがいくら来ようが粉砕できないわけがない。
「くそ!くそ!くそ!くそ!くそ!くそ!」
セシルは自慢の魔術が何1つ通用しないことに恐怖を覚えたのかもはや体裁など考えずやたらめったらに魔術を乱打した。
コクガはそれを1つ1つ丁寧に受け流し、迎撃し、そして潰しながらゆっくりとセシルに向かって歩き始めた。
シェ「もうコクガが動いたか。確かにこれ以上は期待できそうもないがな」
テ「あー、そうですね。シェラートさんとコクガさん、向こうではほぼ毎日イリスさんの魔術受けてましたもんね。」
ウ「ははは、イリスの嬢ちゃんと比べるってのは酷な話だぜ。あの小僧もあの若さにしてはやる方だけどよ、嬢ちゃんの方が遥かに格上よ。」
「くそ!来るな!来るな!来るな!」
セシルの今の肉体は魔術耐性が極めて高く、通常の魔術師には存在する無傷圏がない。とにかく足止めしようとやたらめったらに魔術を打ち込むセシルだがそれでもコクガの歩みを止めることはできなかった。
「くっ!うおおおおおおお!」
ついにコクガの間合いまで近づいたところでセシルが魔術を止めてやけくそのように殴りかかってきた。魔力が切れたのか魔術ではもはやどうにもならないと悟ったのか。
セシルの秘魔術で上昇したのは魔術の能力だけではない。竜の力をその身に宿したと言っても過言ではなく、身体能力も桁違いに上昇している。
ただ、残念なのはいくら身体能力が高かろうとセシルは武術に関しては素人以下。コクガに殴りかかったのも街中の喧嘩自慢たちが放つのとそう変わらないテレフォンパンチ。速くて強いがそれだけである。
コクガはパンチを廻し受けで完全に弾き飛ばした。これでセシルの顔面と胴体は完全にガラ空きとなった。
「黒牙流ー流星連打」
一呼吸のうちにガラ空きになった胴体に無数の連打が叩き込まれた。極めて堅固なはずの竜の鱗がコクガの連打であっさりと砕け散った。
セシルの身を守る鱗を全て打ち砕いたコクガは露出した腹部を蹴り上げた。衝撃でセシルの体が浮き上がる。落ちてくるセシルの顎をアッパーで再びかち上げる。すでに意識はなさそうだが、止めとばかりに飛び上がったコクガによる膝蹴りが顔面に突き刺さりセシルは鈍い音を立てて闘技場に落下した。
地面に横たわるセシルはピクリとも動かない。かろうじて息はしているようだがこれ以上の試合続行は不可能だろう。
「そこまで!勝者、コクガ!」
これでコクガも準決勝進出だ。




