英雄と修羅
魔の森で狩る魔物の中には死に瀕した際、闘気が爆発的に跳ね上がるヤツがいる。手負の獣は厄介とかいうレベルではない。燃え尽きそうな命を削り文字通り全身全霊をかけてこちらを殺しにくる。
「灯滅せんとして光を増す」という言葉がある。物事が滅びに近づくほどその輝きを増すという意味だ。
この世界には魔術というものが存在する。魔術は肉体には依存しない。魔術は精神と魂で放つものだ。肉体は単なる通路にすぎない。極論をいえば頭と心臓さえあればそれ以外の部位は不要だ。
ある狼の魔物は牙を捥がれ片目を失い、四つ足には少なくないダメージを受け、もはや助かる見込みはないほどの夥しい血を流していた。
俺に嬲る趣味はないので楽にしてやろうと近づいた。体を地面に横たえもはや虫の息だと思っていた。しかし残った目は死んでいなかった。
突如として狼の空気が変わった。虫の息のはずの狼にこの俺が近づくことを躊躇わせるほどの威圧を感じ取っている。初めて遭遇する事態に俺は近づくのを止め、剣を構えた。
結論からいえばこの選択は正解だった。その狼は俺の胸ぐらいの大きさだった。横たわっていたはずの狼が飛び上がり、一回転して着地した時には倍以上の体躯へと変貌を遂げていた。
それまでダメージを負っていたはずの肉体は回復し、身体能力、防御、野性、回復力、どれをとっても格段に跳ね上がっていた。
幾度となく切り刻んだがついに殺し切ることは出来なかった。俺が勝ったのは時間切れ。糸がぷつりと切れたように停止するとサラサラと形を残さず風に溶けていった。
それから数多の魔物を狩る中で何度も同じような経験をした。そして俺は結論づけた。”ある一定の強さと意志を持った生物は死の間際、死を乗り越えんと魂は輝きを放つ”と。
俺はこの世界でも我が武を知らしめるために地上最強の生物を目指す。そのための踏み台としてまずはエリファスが一番手頃だった。帝国の牙、そして英雄、この2つの異名を持つ魔術師を武で倒せば少なくともこの国と周辺国には名が轟くはずだ。
名をあげるのならば相手を完膚なきまでに叩きのめす必要がある。相手に言い訳の余地すら残してはダメだ。相手に本気を出させた上でそれを真正面から打ち破り格の違いを明らかにする。これが一番手っ取り早い方法だ。それを公衆の面前で突きつける。これ以上ないほどインパクトを与えるだろう。
エリファスの活躍を記した英雄譚の最終章にこんな記述があった。
「瀕死の英雄。だがしかし、民の声援をその背に受け、覚醒す。全身から溢れ出す黄金の炎、一瞬にして巨悪犇く大地を更地とす。」
瀕死と覚醒。この2つの単語で理解した。エリファスは過去に対峙した魔物のように魂を削って戦ったことがある。
つまり、エリファスの本気はそこにある。ならば俺はその本気を引き出して叩きのめさねばならない。だからこそ執拗に煽った。
実際、エリファスは全力を出していたことは間違いあるまい。観衆の目の前で英雄としての戦いが求められていた。生半可な戦いは許されていなかった。しかし俺のことを殺すと宣い抑え切れない殺気をその身に宿していても、それでもなお命を魂を全身全霊を賭けてまで俺を殺そうとしてこなかった。
エリファスは本気ではなかった。だから壊した。まず肉体を。そして過去の栄光を。最後に心を。そこまでやってようやく出てきた。エリファスの本気。
英雄譚では黄金の炎とあったが今のエリファスから溢れ出ているのは漆黒の炎。精神状況が影響していることは間違いなさそうではあるがそんなことはどうでもいい。これでようやく本気のエリファスと殺り合える。
決して油断していたわけではない。しかし、最初の一撃は俺の予想を遥かに上回るものだった。俺としては十分に避けたはずだが想像以上の熱量に熱だけではない我が身を焦がそうとする黒い炎。そのせいで久方ぶりにまともな傷を負った。
そして今の攻撃は魔術ではない。明らかに武術だった。普段使っていないからか荒削りな部分はあったがそれを補うほどの速さがあった。これは見てから交わすのは難しいほどの速度だ。前世の我が息子を彷彿とさせるほど早い。
「面白い。ならばこのシェラートと覚醒した英雄、エリファス、どちらが速いか比べてみようじゃないか」
俺の言葉に答えてかは知らぬがエリファスは続け様に拳を繰り出してきた。
それに答えるように俺も剣を振るう。
剣と拳が霞む速度で繰り出され激突の度に発生する衝撃波が闘技場を揺らしてゆく。こちらからはあまり仕掛けずにエリファスの繰り出す拳を撃ち落とすことを目的として剣を振るう。
この黒炎の正体が掴めないからだ。この手の黒だの闇だのの能力は総じて面倒なのが多い。代表的なところだと異常状態ランダム付与のデバフや腐食、さらにはHPMPの減少あたりだろう。
しかし、俺の肉体は毒など効かぬ。そして最初に掠った時からしばらく経過しているが体力に異常は見られない。何度も打ち合っているが武器も無事だ。そして俺には魔力はない。
短期決戦ならば問題ない。そう結論づけた俺は攻撃に転じる。
剣技ー剛剣術ー遍象突点
エリファスの拳を鋒で完全に受け止める。エリファスの体は黒炎が鎧のようになっており、この程度では傷を与えられない。
「程度は知れた。今度はこちらの番だ。」
エリファスが繰り出してきた拳を上回る速度と重さで剣を振るう。エリファスの身を守る黒炎は一撃で削ることはできないが僅かずつ削ることは可能であるようだ。
斬る斬る斬る斬る斬る斬る。
俺が振るう剣の前に抵抗など無意味。ましてやエリファスは素人に毛が生えた程度の実力しかない。どう足掻いても黒炎をひたすらに削られるだけだ。
エリファスを覆っていた黒炎が半分ぐらいになったところでさらに畳みかける。剣に対応するのは諦め急所を守るだけになっていた両腕を蹴り上げる。黒炎に守られ亭はいたがガードを急所に集めていたために薄くなっていたのだろう。腕の骨を砕く感触がした。
腕を強く蹴り上げられたことでガラ空きになった顔面に渾身の突きを放つ。
剣技ー剛剣術ー神穿
巨大な岩山をも貫き破壊するほど威力を込めた突き。貫けずとも衝撃だけで全力で守りを固めたウーを失神まで持っていくほどの破壊力がある。
いかに黒炎で身を守ろうともそう簡単に防げる代物ではない。吹き飛びはしなかったが体勢は大きく崩れている。そして上半身を守っていた黒炎も衝撃で消し飛ばされたようだ。
腕は折れ、身を守る黒炎も吹き飛んだ。もはやここからエリファスに勝機はない。これ以上長引かせても底はなさそうだ。一思いにここで散らせてやろう。
歩法ー瞬迅
後ろに大きくのけぞっているエリファスの側面に回り込む。そして無防備なその首に剣を振り下ろした。
飛び散る鮮血。聞こえてくる悲鳴。側から見ればシェラートの剣がエリファスの首を落としたかのように見えた。
しかし俺はその手に残る感触に猛烈な違和感を覚えていた。前世でも今世でも幾度となく首を落としてきたが手に返ってきたのは骨を斬る感覚ではない。何か硬いものに阻まれた感触だ。
その違和感の一瞬の隙をついてエリファスは俺から距離を取った。やはり殺しきれなかったか。しかし深傷は負っているようで、手で押さえているが血が止めどなく溢れてきている。
「くくく、感謝するぞシェラート。貴様がこの私を追い詰めたおかげで更なる力を得ることができた。これで貴様を葬れる。」
ここにきて初めてエリファスが口を開いた。そして最初の覚醒など比較にならないほど凄まじい黒炎が爆発的に巻き起こった。
その黒炎を纏ったまま、エリファスは突撃してきた。
「ようやく口を開いたかと思えば多少出力は上がったにせよ所詮はバカの1つ覚えか」
速度は確かに速くなっているが直線の動きなどもはや見切っている。そして一点を穿つだけならばどれほど黒炎が分厚かろうが貫ける。これ以上はもういい。十分だ。
再び神穿をエリファスの心臓目掛けて放つ。俺の剣は一切の抵抗無くエリファスの胸に吸い込まれた。
背中を突き抜ける剣。今度こそ英雄の確実な死を目の前に闘技場から悲鳴が上がる。
しかし、それで終わりではなかった。まずいくら神穿とはいえあの黒炎を易々と貫けるとは思っていない。それが俺の腕には一切の抵抗が感じられなかった。罠だと悟った時に時すでに遅し。
心臓を貫いたはずのエリファスががっちりと俺のことを掴んでいた。
「貴様は危険だシェラート。魔術を廃れたはずの武術で上回る貴様は必ずやこの国の、世界の害となろう。ここで貴様はこの命を賭してでも必ず殺す。そのために力は他ならぬ貴様によって引き出された!」
火事場の馬鹿力であろうか。魔術師にしては鍛えているであろうエリファスだが俺よりも遥かに細い。しかしその細い体のどこにこんな力が秘められていたのかと思うほど力強く振り解けない。
エリファスは剣を体に貫通させ、俺を掴んだまま上空へと飛び上がった。
「冥土の土産に脳裏に刻め!この私が命と引き換えに放つ最終魔術!【星々の終焉】!」
闘技場の遥か上空でエリファスが命を代償に魔術を放った。その熱量は甚だ尋常ではなく、一瞬で周囲数キロを更地と化した。
エリファスはもちろんのことその爆心地にいたシェラートも当然助かる見込みない。かろうじて爆発の余波から2人の出場者によって守られていた観客の誰もがそう思っていた。
爆炎が吹き飛ばされるまでは。
闘技場の遥か上空、エリファスが命と引き換えに使った魔術の中心にシェラートは無傷で現れた。そしてエリファスの姿はどこにも見ることは出来なかった。
流石のシェラートもあれほどの爆発から衣服まで守ることは出来なかったようだ。上半身の服が見事に焼失し、その鍛え上げられた肉体を惜しげもなく晒している。
シェラートはそのまま地面に着地すると審判に何かを放り投げた。
突如として投げられたそれを慌てながらもなんとか落とさずにキャッチすることに成功。
「こ・・・これは!?」
審判の手の中にはペンダントがあった。それは貴族家当主に代々継承される貴族の証。貴族家当主はそのペンダントをいかなる時も必ず身につけている。そのペンダントは魔道具で皇帝が当主と認めた人間のイニシャルが家紋と共に刻まれているという。
そして刻まれたイニシャルはその人物が死ぬと自動的に消滅する。
審判が受け取ったペンダントにはドニゴール家の家紋こそあれど刻まれているはずのイニシャルはどこにも存在していなかった。
それ即ち、この国の英雄にして帝国の牙の異名を持つ当代最強の魔術師、エリファス・レヴィ・ドニゴールが死んだことを意味していた。
「しょ、勝者・・・シェラート」
絶望に震えた声でシェラートの勝利を審判が宣言した。
シェラート、準決勝進出決定!




