誕生日会
不意に意識が戻った。
(・・・俺が落ちるなんて何年ぶりだ?)
常に戦いの中に身を置いてきた男は完全に眠ることなどありえなかった。師を殺して以降睡眠時ですら意識のどこかは覚醒しており何が起きてもすぐに反応できるようになっていた。
地上最強の生物と呼ばれるようになってからはもはや眠ろうが女を抱いていようが酒を飲んでいようが常に戦闘態勢をとっており、ますます意識を失うなどありえなかった。
ふと男は気がついた。
(意識があるか。死んだと思ったが一命を取り留めたか?)
(・・・いや、それはない。あれの刃は確実に俺の心の臓を貫いていた。いくら俺といえども心臓を潰されては死ぬ以外あるまい。ましてや今の医療技術ではあの状態から俺の命を繋ぐことなど不可能だ)
親子での殺し合いの場である。当然人様に見せられるような代物ではない。そうなると場所は限られてくる。現代社会では人目のつかない場所など山の中ぐらいしかなく、そのような場所の近くに高度医療を実現できる場所などない。
仮に男の息子の後ろ盾となっている金持ちどもの手先が潜んでいようとも少なくとも男が気配を探れる範囲にはいなかった。それほど離れていたのなら治療は確実に間に合わない。
(理由を考えても仕方あるまい。今はまず現状把握をするべきか)
暗闇の中で思考していた男は目を開け起きあがろうとした。しかし体が動かなかった。いや、正確にいえば動くことには動くが男の感覚からすれば非常に緩やかでひ弱で頼りなかった。まるで赤子のようだ。
幸い目を開けることは難なくできた。
(・・・知らない天井だ)
「▲☆=¥!>♂×&◎♯£」
呟いたつもりが男の口から出てきたのは意味不明な音の羅列だった。少なくとも言語ではない。まるで言葉を知らない赤子が音を発したようだ。
原因はわからないが身動きは取れず声も上げられぬ。せめてあたりの情報だけでもと顔を横に向けると木でできた柵が目に入った。
その柵の向こうには木製の扉がある。その扉が音を立てぬようにゆっくりと開かれ、扉の向こうから1人の女が現れた。金髪碧眼の女だ。それもとびきり極上の女だ。海外に行っても滅多にお目にかかれる代物ではない。それと美しさ以外の特徴が1つ。その女はなぜか侍女服を着ていたのだ。
「おや?お目覚めでしたか?シェラート様」
女は鈴の転がるような声で言った。そしてそのままこちらへ歩みを進めるとひょいと男を抱き上げた。男の顔と女の顔が近づく。そしてその美しい瞳に映る自分の姿を見た男はようやく確信した。
赤子へ転生したのだと。
転生。元々は仏教の輪廻転生だったはずではあるが、今はライトノベル等で散々目にすることになったのでかなり馴染みが深い。男もまさか自分が転生を経験するとは思っていなかった。
転生、あるいは転移には多種多様なパターンがあるが今回は赤子への転生+最初から前世の記憶付きである。ある意味ではかなり恵まれた方ではないだろうか。
時代背景や技術レベルがどの程度か、いや、そもそも同じ地球に転移したのかすらも不明ではあるが少なくとも男の生まれた家は侍女を、しかもかなり見た目のいい者を雇い、赤子に一室を与えられるほど裕福な家のようである。
「特に泣いてはいませんが・・・健康そうで何よりです。」
女は男の下半身へと目を向けた。そして再び男を寝台へ寝かせると近くにあった棚の中から何かを取り出し、徐に男のズボンへと手をかけ一気に引きずり下ろした。
(・・・何も言うまい)
元地上最強の男、下の世話をされる。それもとびきりの美人に。
赤子の姿となってしまっては男になす術もない。大人しく世話をされるだけだ。現実を目の当たりにすると心が死ぬので努めて意識を逸らす。
(そういえばシェラートと呼ばれていたな。それが俺の名前か。前世では修羅とも呼ばれた俺がシェラートとは笑わせる。)
(この手の転生には神など人ならざるものが関わってくることもある。例えば魔王を倒せなどだ。しかしそんな接触はなかった。あれば斬ってみたかったが。と言うことは今生の俺には使命などないか。何かに指図されるのは最も嫌うところ。いわゆるチートはないがそれでいい。)
(ではこの世界で何を目的に生きるのか・・・言わずと知れたこと、最強を目指すそれだけだ。幸い赤子への転生。前世よりは鍛錬に時間を費やせる。今から鍛えれば例え血が違っていてもそれなりになれるだろう)
「さぁ、シェラート様、ご飯ですよ」
シェラートの思考を割くような侍女の声。意識を声のした方に向ければそこには胸を曝け出した侍女の姿が。
(ふむ、侍女と思ったが乳母であったか。なかなかどうして、これはこれで良いものではある)
元地上最強の男でもこうなってしまえば形なしである。
(とりあえず体が赤子である以上はできることも少ない。癪ではあるが身動きができるようになるまでは身を委ねるとしよう)
意識を取り戻していこうシェラートは人目があるときは赤子として振る舞った。別段難しいことではない。体の欲求に素直に応えるだけだ。そして皆が寝静まった夜中にだけ体を動かすことにした。
5ヶ月もすればシェラートは掴まり立ちぐらいはできるようになっていた。大人の意識があり鍛錬も行なっているのであれば当たり前だ。本当は掴まり立ち程度ならもう少し早くできるようになっていたがあまりに早すぎて化け物扱いされてはいささか都合が悪い。情報収集のために歩き回りたかったが自重した結果だ。
もちろん夜は5ヶ月ですでに歩行ができるようになっていた。歩けるようになればできる鍛錬は増える。前世では剣で地上最強になったが剣だけではない。剣だけに限らず中国拳法、空手、柔道、ボクシング、合気道等々。東西問わずありとあらゆる武術を血肉とした。
極めて幼少より鍛錬しているのもあるが、この体、実に良い。成長してみなければはっきりとはわからぬがポテンシャルは前世の血にも負けず劣らずだと思う。前世ではこんな幼少から鍛え上げてはいなかったゆえにどこまで伸びるか楽しみだ。
そして俺が意識を取りも戻してから大体1年が経過した。
体の方は順調だ。やはり思った通りこの体は優秀だ。すくすくと育ち、肉体も戦闘のそれに向けて順調に仕上がっている。
この1年でいくつかわかった事がある。まず日本ほど明瞭ではないが四季があった。雨もよく降った。少なくともこの地域の植生は豊かだと思う。
それからこの家のことだ。ちなみにだが俺は未だに今生の親の顔を知らない。と言うのもこの1年、この部屋を出入りしたのはあの侍女兼乳母、名前をイリスと言う。彼女だけだ。俺は外も知らない。普通かどうかは分からぬが赤子を外の世界に1年も連れ出さないものなのか。
親の顔は知らぬが家のことはいくつかわかった。イリスが聞かせてくれた。生後1年に親の話をしても分からぬとは思うが、俺は少しでも情報を欲したがゆえに歩き始めるのと同時に言葉も話し始めた。
転生の特典かどうかは知らぬが自然と言葉は使えた。日本語のようで日本語ではない言語だったがあまり興味はない。聞ける話せるだけで今は十分だ。
イリスは早々に歩き、早々に話した俺を他とは違うと認めたのだろう。家の話をしてくれた。最も、このイリスも只人ではない気配を感じるため何か感じ取ったやもしれぬが。
この家はインペリウム帝国とやらのドニゴール侯爵家というらしい。その侯爵家の3男であるようだ。親の顔を見ない理由としてはこの国では生後1年の生存率が低いらしく、生後1年は親は子供の顔を見ることがないそうだ。もっとも貴族にのみ伝わる風習らしいが。親の情が移らないようにするためと考えれば妥当かもしれん。また外に出さないのも不用意に死ぬ要因を排除するためだった。
親の話など心底どうでもいい。貴族であろうがなんであろうが道具に成り下がるつもりなどない。もし俺の道を阻むのであれば切り捨てるのみ。むしろ切り捨てれば国が動くであろう。それを喰うのも良いやもしれん。
それからもう1つ重要なこと、それはこの世界には魔法が存在するようだ。きっかけはやはりイリス。彼女は家事に魔法を使っていた。時折得体の知れぬものに身を包まれたかと思うと体の不快感が消えていたからな。薄々魔法とは思っていたがイリスの口より聞いてその存在をはっきりと認識できた。
前世では魔法はそれこそ御伽噺だ。前世では火・水・大地・風を数多を斬ってきた俺の剣、魔法となっても通じるのか否か。いや、通じなくとも斬ってみせよう。必ず。
「シェラート様は先日1歳となりました。それでようやく貴族の習慣が終わり、旦那様、奥様にお会いすることが出来るようになりました。本来であれば1歳の誕生日当日にお会いになれればよかったのですが、お忙しかったようで・・・」
「無理もあるまい。侯爵家だ。何かと忙しいであろう。ましてや俺は3男。上に2人いる以上は予備の予備に過ぎん。我が子とはいえ優先度が低くなるのは道理だろう」
口調が1歳のそれではないが今更幼児言葉など使っていられぬ。天才と持て囃されるか気味悪がられて放逐されるか、どちらかだろう。
「とても1歳の言葉とは思えませんね。」
「そう言われてもなイリス。あいにく俺は他の1歳児など知らぬ。」
「・・・そうでしたね。」
「俺が普通か否かなど些細なことはどうでも良い。それより話の続きだ」
「はい、かしこまりました。」
今日の夜、ついに感動の両親との対面となるわけではあるがその前に予備知識として家の話をイリスから聞いているところであった。
「ドニゴール家は貴族の中でも古い家の1つです。初代は今から15代前、当時の世界情勢は3つの大国と無数の小国が絶えず争いを続ける戦乱の最中。今のインペリウム帝国も当時はまだ小国の1つでした。」
「それが今や帝国となって大国の1つとなったか。初代は武功でもあげたか?」
「ご明察通りです。初代は当時は一介の兵士に過ぎませんでしたが突如として魔術師の才能に目覚めました。今となっては魔術師の存在はごくごく当たり前になりましたが当時は稀代の才。たった1人いるだけで戦況が覆るとされた存在でした。
初代はその力を存分に振るい、今のインペリウム帝国の礎を築きました。その功績を当時の王より認められ一介の兵士にしては最高とも言える名誉である貴族位のしかも王の血族を除いた最高位である侯爵家とドニゴールの家名を賜りました。
それ以来ドニゴールの血族には必ずと言って良いほど魔術師が誕生しています。その誰もが魔術師として優秀な力を持っていました。戦いに優れる者、補助に優れる者、生産に優れる者と様々でしたが。
現在のように魔術師が広く庶民まで誕生するようになっていてもその血ゆえでしょうか、常に一騎当千、国の中心となる魔術師を輩出しています。」
「なるほど、魔に生きた家系というわけか。」
「その通りです。そして現当主、エリファス・レヴィ・ドニゴール侯爵は歴代でも類を見ないほど強力な魔術師としてこの国の軍事の頂点に君臨されております。その伴侶として選ばれたのはキャロル様です。キャロル様もエリファス様には及びませんが同じく非常に高い実力を持った魔術師です。そしてそのご両親から先にお生まれになった2人の兄、1人の姉共にご両親の血を色濃く受け継ぎ、すでに各世代最強の魔術師として台頭しております。」
「ますます俺の存在価値がないな。長兄が継ぐと仮定しても次男も優秀で替えは効く。姉も同じく優秀でこの血ならば嫁に行くのではなく婿を貰う、あるいは首輪のために王族から声がかかる可能性も十分にあり得るか。」
「そんなことおっしゃらないで下さい。」
ふむ、否定せずか。これがラノベであれば才能がない、あるいは認知できない主人公は追放なり放逐なりされるのがお決まりではあるが・・・はてさて。
そもそも地球には魔術と呼べる代物はなかった。あっても手品がせいぜいだ。転移ではなく転生で血には恵まれているようではあるが、俺は魔術が使えるのだろうか?
そんなことを考えていたらいつの間にか大きな扉の前に来ていた。
「さぁ、シェラート様。中で皆様お待ちです。」
イリスが扉を開けるとそこは食堂となっており、入り口から見て正面の上座に男が1人、右側に若い、前世での20代ぐらいと俺の息子ほどの年齢の男が2人、左側に妙齢の女と中学生ぐらいの女が1人座っている。
それからホール内には執事服の老年の男。それから侍女長と思われる同じく老年の女、それから給仕のためであろう侍女服の女が数人。それから料理人が2人か。
「親でありながら初めましてというのは何度言っても慣れないものだが。初めましてだ、シェラート。君が1年を無事生き抜くことができてほっとしているよ。そして誕生日おめでとう、シェラート。」
「「「「おめでとう!」」」」
当主であるエリファスの歓迎の言葉に重ねるように他の4人からも歓迎の意が込められた言葉が俺に注がれる。
しかしエリファスは言葉とは裏腹に一瞬だけ失望したような目をしたのは見逃しはしなかった。
(ふむ、大方俺の噂でも聞いて期待していたのだろうが当てが外れたのだろう。その当てが何か今のところ不明だが)
失望した目を見せたのはほんの一瞬でそれ以降は本当に俺という新しい家族が増えたことを歓迎するかのような雰囲気だった。
食事は和やかに進んだ。正直こいつらの話など微塵も興味はないが確か家の話や領地の話、下の兄と姉が通っている王都にある学園の話などをしていたような気がする。
そんな話を聞き流しつつ食事に舌鼓を打つ。前世では食事は数少ない楽しみの1つだった。良い闘争のためには良い食事をということで人一倍食事は気を使い、金も有り余っていた故に最高級なものを常に食っていた。
普段は味気ない食事ばかりであったが、今日は違った。俺の誕生会という特別な日ゆえかそれとも侯爵家の人間はいつもこのような食事をしているのか不明ではあるが、舌が肥えていると自覚している俺からしてもなかなか美味であった。
さて、つまらぬ話に時間を割くのも無駄だ。いずれ俺の敵となりうるかもしれぬ奴らが集結しているのだ。じっくりと観察させてもらうとしよう。
まずドニゴール家当主、エリファス・レヴィ・ドニゴール。一騎当千の魔術師にして歴代でも最強との呼び声高い男か。見た目は華奢な優男である。この男が本当に一騎当千、この国随一の戦力を持っているとは到底思えん。どちらかといえば軍人ではなく内勤の方が向いていると風貌だ。しかし、武でなく魔術なのだ。前世の知識が正しければ魔術師は固定砲台でもよいのだ。それこそ肉体など必要とせず、軍行に耐えられるだけの体力があれば十分か。つまり、魔術師を相手にする時はその肉体で強弱を判断できないということだ。
この男もパッと見た感じでは強弱は判断できないが、リラックスして食事をしているように見えるが常に周囲を警戒している。それに俺を見た時に一瞬だけ垣間見えたあの目。優男な見た目とは反して冷酷さも持っているようだ。
こいつの魔術が如何程かは知らぬが気の配り方だけ見てもそこそこ出来る軍人なのだろう。喰うのが楽しみだ。
次にドニゴール家当主夫人、アマーリエ・ゾフィー・ドニゴール。イリスの話では彼女も優秀な魔術師だという。ただし彼女からはエリファスほど血の匂いを感じない。食事中の姿勢を見る限り体幹はしっかりとしているのでひ弱な印象は受けぬが、それでも戦慣れしてないのか?
そういえば魔術師と一口に言っても戦闘系、補助系、回復系、生産系、研究系と様々ジャンルは分かれるであろう。もしかしたらアマーリエはエリファスのようにゴリゴリの戦闘系ではないのかも知れぬ。
で、あれば喰う価値があるかどうか微妙なところだが敵対するようであれば女とて容赦はしない。俺がエリファスを喰う時がくれば自然と敵対するであろう。
次がドニゴール家長兄、ルーソン・ドニゴール。齢は二十歳そこそこだろうがはっきり言って父親であるエリファスの二番煎じのような男だ。おそらく歴代でも最強と謳われる父親に憧れを抱き近づこうとした結果、似たような雰囲気になったのだろう。成長すればエリファス二世となるか、はたまた別の方向に化けるかは不明だが現時点では喰う価値もない。
次がドニゴール家次兄、セシル・ドニゴール。齢は15かそこらだろう。前世での俺の息子とそう変わらない歳だろう。あいつは俺の血を色濃く受け継いでいたが故にあの歳で俺と渡り合うほどに完成されてはいたが・・・
どうやらこいつは少々頭が良くないようだ。エリファスやルーソンと比べると野蛮な印象だ。それに比例するかのようにガタイも2人より遥かにいい。とはいえ趣味で筋トレをしていた前世の人間程度だ。とてもではないが武に生きる人間とは思えん。獣性でも秘めていれば話は別だが、今の俺にはそこまで見抜く力はない。ガタイだけで全てが決まるわけではないが、少なくとも兄ルーソンよりは将来が楽しみだ。
次がドニゴール家長女、パトリシア・ドニゴール。パトリシアはどちらかといえば母親似のようだ。いい女になりそうな影は見えるがアマーリエ同様に戦闘系メインではなさそうだ。その証拠に線が細く肌も白い。食事中に見える手のひらは苦労を知らぬように滑らかだ。女としての価値は高いかも知れぬが戦うものとしては微妙だ。まぁ、敵対するのであればつまみ食いぐらいはしてもいいだろう。
ドニゴール家の子供たちは世代最強としての君臨しているらしい。魔術の腕は見た目ではわからぬが故に今の目算も大きくずれる可能性は十分にある。誰かしら嫌がらせをしてくるやつでもいれば実力を確かめてやれるものだが、はてさて。
ドニゴールの人間以外では執事服を着ている男が気になる。名前はロノウェと言うらしい。あの立ち居振る舞いの隙のなさを見る限りそれなりに出来る人間のようだ。足の運びを見ても音がしないような歩き方だ。このような歩法を習得している人間は裏か暗殺に携わる人間だけだ。そしてそいつは常に俺を警戒しているようだ。
1歳児の何を警戒しているのだと笑えばいいのか、それとも確信はなくとも俺を警戒するその警戒心の高さを褒めればいいのか微妙なところだな。
そんなに熱い視線を俺に向けてくるので1つ試したくなった。思わずといった風を装い、手に持った肉切り用のナイフを地面に落とした。その時に確認したがロノウェは確かにエリファスのそばにいた。俺とは大きなテーブルを挟んだ向かい側だ。
俺は無知を装い、テーブルの下に落ちたナイフを取ろうと身を屈めて全員の視線から外れた。実によくある光景だ。幼な子が食器を落としたので取りに潜るというのは。
だというのにロノウェは気がついたら俺の背後にいた。ふむ、俺が気配も何も感じ取れずか。この体に馴染んでいないとはいえ、軌跡すら感じて取れないのは異常だ。これも魔術の効果か?
無言でナイフを差し出してきたロノウェに礼を言ったが、ピクリとも表情は動かなかった。なかなか質のいい人間を囲っているものだ。今日見た中では一番美味そうだ。この体が成長すればぜひ喰ってやろう。
ドニゴール家の分析をしつつ、毒にも薬にもならぬ無駄話に時間を割きつつも食事は進んだ。ついにデザートになった際に俺は一瞬ではあるが濃密な殺気を撒いてみた。
食事中に思いついたほんの戯れだ。今の俺の目がどれほど正確であるか、この世界の軍人や世代最強なる奴らがどれほどか見極めるために。
俺が発した殺気はほんの一瞬。並の実力者では気づかないレベルだ。ちょうど俺が口に物を入れるその瞬間、もっとも殺気とは程遠い瞬間にそれを放った。
ガタッと椅子を強く蹴り上げて立ち上がったのは・・・ほう、意外にもパトリシアか。真っ青な顔をしてあたりを見渡している。その様子を不思議そうに眺めているのがルーソンだ。やはりこいつはダメだ。
セシルはセシルで何か感じ取りはしたが、それが何かわかっていないのか首筋を掻いたりしてあたりを気にしている。まずまずか。
アマーリエは臨戦体制だ。立ち上がって、あたりを見渡しながら何かを小声で唱えている。もしかするとあれは詠唱なるものかもしれん。イリスが長ったらしい詠唱をしているのは聞いたことないが、魔術を使うには詠唱が必要になることもあろう。このような時でも即座に行動できるか。確かに優秀な魔術師なのかもしれん。
そして当主であるエリファスは微動だにせずそのまま食事を続けている。ただ、一瞬ではあったが目が細められたので気づいていないということはなさそうだ。それでも何事もなかったかのように食事を続けているとなると脅威と看做さなかったか。それだけ自信があるということか。
エリファスの様子を見たアマーリエとパトリシアも落ち着きを取り戻し席に座った。流石は当主、最強の男ってわけか。
殺気は無作為にばら撒いたのでもちろんイリスにも、それからロノウェにも感じてれたはずだ。イリスは殺気を感じた瞬間に髪が一瞬逆立つようにふわりと浮いた。やはりイリスも実力者か。なぜこんなところでこれほどの女が侍女の真似事をしているのか。
俺が一番反応が見たかったのはロノウェだ。奴は殺気の出所を完全に俺と決めつけたようだ。執事服で隠れているために見た目は全く変わっていないが重心が変わっている。それに手の平を隠した。袖口にしまったあった暗器の類を出したのだろう。
俺とロノウェの間に妙な緊張感が走るが気にせず俺はデザートを食べ続ける。なかなかこれも美味だな。ここの料理人、腕はいいらしい。
そのまま何事もなく食事会は終了した。殺気を放って以降は会話がなくなったが。
「さて、この食事会を持ってシェラートも正式にドニゴール家の一員となったわけだ。シェラートにはまだ早いとは思うがドニゴール家、ひいては貴族にはそれなりの責務がある。これから成人を迎える15歳まではじっくりと勉強してほしい。無論、家だけではなくルーソン、パトリシアも通い、セシルも通っている学園という選択肢もある。とりあえず学園に通えるようになる10歳までは領地の1つであるバイロイトという街で過ごすといい。シェラートにはいい刺激になると思うよ」
バイロイト・・・聞いたことない街だな。イリスの話にも出てこなかった。10歳までは地方で過ごせか。これはあの時見せた失望の目と何か関係あるのか?
「ふむ、当主がそういうのであればそうしよう」
これにて今生での俺の最初で最後の誕生日会が終わりを告げた。