9話 あんな男、大っ嫌い
窓から射込む夕影にあてられて、シンの重いまぶたがひらく。
「……よく寝たぜ」
背筋を伸ばしながら、壁時計に目を向けた。
針は19時を刺している。
部室はシン以外は誰もいない。
「あいつら帰ったのか」
それなら、俺も帰っていいだろうと判断したシンは、廊下に出ると、制服姿の見覚えのある二人組が、肩を並べて一冊のカタログを読んでいた。
「特定魔法特化型マジックギアが、次々と発売されてるわ。欲しいわ……」
「マジックギアを変えると、魔法が変わるの?」
「あたりまえじゃない」
祐乃のさりげない疑問。
好きなスポーツを語りたい欲求が押し寄せ、愛那の目の色が変わっていく。スイッチが入ってしまったのだ。
「開発初期と近年のマジックギアを見比べるとね、違いが一目瞭然なの。まずは、重量ね。2030年頃の、世に送り出されて間もないマジックギアは、重さでいうと約3Kgあったの。でも、2040年現在のマジックギアは500gまで軽量化されたわ。それと知ってる? 昔のマジックギアなんて、大き過ぎるうえに、デザインも不格好だったから、世間からはタイヤ呼ばわりされて、バカにされてたの。開発者の血も滲む努力があったからこそ、マジックギアの小型化が進んだのでしょうね。それと――魔法の属性の種類――あまり知られてないけど――魔法がスポーツとして、世間に認知されるまでの企業努力――スタジアムの声援――」
「んー。難しいことわかんない」
長々と一方的にマジックギアの歴史を語る愛那(多少脱線している)の聞き手は、首をかしげて、頬に一差し指をあてる。
いくら熱弁されても、祐乃の頭には入ってないようだ。
まだまだ語り続ける愛那が持っていたカタログが、ふと、手を離れる。
「失礼。借りるぜ」
一応断りながら、シンは借りた?カタログをぺらぺらと捲る。
「ちょっと、返しなさいよ!」
「『2040年のマジックギアは、魔力の容量を向上させて多くの魔法を使えるようにします』だと? うたい文句だけは、完璧なカタログだな」
「戦略が広がるのよ。いいことじゃない」
「はいはい。そうだな」
シンは、ぶっきらぼうにあしらうと、愛那の手元にカタログを投げる。
「お前達、まだ校内にいたか」
偶然、部室前の廊下を通りかかった瑠偉が、意外そうな顔で目を見開いた。
「下校時間は過ぎている。さっさと帰れ」
勿論、この言葉は生徒に向けたものだ。
しかし――
「マジ? そんじゃ、俺はここで失礼しまーす! ヒャッホー!」
シンは脇目も逸らさず、慌ただしく廊下を走っていく。
小さくなっていくシンの背中に頭痛を覚えたのか、瑠偉が頭をかかえた。
「あの男は……。まだ活動報告書を提出していないというのに……。後で捕まえよう」
瑠偉の表情には力がない。
長時間の仕事も相まって、顔から疲れが滲み出ている。それでも彼女は、担任であり、大人である。
息を吐いて、教師の顔を繕うと、愛那と祐乃に語りかける。
「部活は楽しいか?」
「うん、とっても楽しい! 爆魔法がドカーンなんだよ! 爽快で、楽しい!」
「楽しむのは良いことだ。ただ、爆発音に苦情が出ている。以後、気を付けてくれ」
「むー、迷惑なら仕方ないかー」
祐乃は、頬を膨らませる。不服ではあるが、納得はしているようだ。
「菅原は――聞くまでも、なさそうか」
愛那の長い前髪が、瞳を隠す。
目元で表情はうかがえない。ただし、唇は苦々しげにゆがんでいる。
「……わかるなら、なんとかしてください」
ビリッ――愛那の抑えきれない感情が、カタログの表紙を裂いた。