4話 お金が欲しい
「つまらねえ試合だ」
カーテンの閉め切られた薄暗い部屋で、テレビを観ていた男――二宮シンは、ため息を吐いた。
「つまらん男が何を抜かす? 穀潰しニート野郎」
突如、背後に何者かの気配が現れる。
二宮家は、都内の一軒家で、二人暮らし。
誰の声かはすぐにわかった。
「勝手に俺の部屋に入るなよ。ノックくらいしろ」
シンは頭を掻き、気だるげに振り返る。
「何回もした。ノックに気付かなかったのは、そっちだろう」
さらりと悪態をつくスーツ姿の女性――二宮瑠偉。
二宮シンの姉である。
外見は、二十歳代半ば程度。
しかし、実年齢はシンより一回り上の31。
出るところは強調され、スーツの胸部は伸びている。
「勝手に入ってきて、何用だよ。姉貴?」
「穀潰しニート野郎に、言いたいことがある」
「穀潰しニート野郎って……。大学受験に失敗して、一年ちょい自堕落人生を送ってるだけなのに、その言いぐさは、酷くね?」
「自覚があるぶん、なおのことタチが悪いな!」
「そんなに褒めるなよ、照れちまう」
「さっきのは軽蔑だ、称賛ではない!」
親指立て、決め顔のシン。
瑠偉は、頭痛がしたのか頭をかかえる。
「怒りすぎだぜ、姉貴。シワが寄って老けるぜ」
「ぶっ殺すぞ! 誰のせいだと思っている!?」
激怒する瑠偉を余所に、シンはちらりとカレンダーを見る。
「そうだ、姉貴。金くれよ。今日は給料日だから金持ってるだろ?」
ブチッ
聞こえてはならない音と共に、瑠偉の瞳から光が消える。
「……待ってろ。包丁を持ってくる」
「待て待て! 目がマジだぞ!」
「寄生虫は、殺処分する」
「わるかった、わるかった! 俺がわるかった!」
二宮瑠偉は、基本的に冗談を嫌う女だ。
命の危険があると察したシンは、自分の非を認めて鮮やかな土下座を繰り返す。
弟の惨めな姿に呆れたのか、瑠偉の怒りは、あっという間に鎮火した。
「さっきのテレビの試合で活躍していた男は、北里息吹と言ったか? たしか、高校時代の友人だろ? 立派にプロをやっているみたいじゃないか」
「……説教かよ」
シンは、嫌そうに顔を歪めると、次は耳を塞いで、開き直ったような態度を取る。
「あー、ヤダヤダ。みーんな冷たい視線で俺を見てくるから、肩身が狭くなる。エンジョイなニートライフを送らせろよ」
「上っ面のふざけた意見は聞いてない。大学受験に失敗してからいうもの、就活はしない、再受験の勉学にも励まない。一年を無駄にして、何がしたいんだ?」
「何もしたくないから、ニートやってんだぜ」
「清々しいクズっぷりだな。呆れた、心底呆れたよ」
瑠偉は腕を組むと、本日何度目かわからないため息を吐いた。
「そんで話を戻すけどよ、姉貴。金くれ」
「何に使うか言ってみろ。事と次第によって貸してやる」
「貸すじゃなくて、くれよ。返すなんてメンド―じゃん」
「コ・ロ・ス・ゾ」
瑠偉の殺意を感じたシンは、背筋をピンと伸ばし、正座した。
「購入したい物がございまして」
「言ってみろ。就活用のスーツか? 再受験に備えた参考書か?」
「そんなガラクタを欲しがるわけないじゃん。ニート舐めてんの?」
瑠偉の腹の底から、怒りがこみ上げたとき――
ふと、一年前の出来事を思い出した。
「去年も、この時期に金を欲しがってたな」
「さ、さあ? なんのことかな?」
ぴゅーぴゅー
シンは、誤魔化すようにヘタクソな口笛を吹く。
わざとらしいシンの態度を見た瑠偉の口角が、ニンマリとあがる。
「金が欲しいなら、協力してやろう。ほらっ」
一枚の紙を受け取ったシンは、面倒そうに読み上げる。
「部活指導員の求人だと。姉貴が教員してる学校に、マジッカ―部があったのかよ。そんで、これがどうしたんだ?」
「シンは、マジッカ―が得意だろ? バイトでの採用になるが、部活指導員の給料は、そこそこ高いぞ」
「――は?」
瑠偉の言い分に思考が追いつかず、シンは凍ったかのように数秒間、動きが止まる。
「まさか、俺に働けってのか! それに部活指導員って、つまりコーチだろ! そんなの教員の仕事だ! 外部の人間に中学生を任せるとか、トラブルの元だぞ!」
シンの真っ当な意見に、瑠偉は頭を抱えつつも、疲弊した目で、語り始めた。
「常日頃、教員は、仕事に追われて時間がない。さすがに、部活顧問まで引き受けるのは、時間、体力、精神的に不可能なんだ」
「学校は、ブラック職場で有名だもんな。人員足りないから、外部の人間を雇って、部活指導員にしようってことか?」
「正解だ。報酬として、私が推薦状を書いてやろう。よろこべ、シン。来週には、穀潰しニート野郎を卒業だ」
満足そうな笑みを浮かべる瑠偉。
ただ、シンが黙って従うはずもなく、だだをこね始めた。
「嫌だ、嫌だ! 働くなんて、絶対嫌だ! あんなスポーツするなんて、馬鹿らしい! 気力ナッシング!」
「期限までに、金が欲しいのだろう」
だだをこねていた、シンの動きが、嘘のようにピタリと止まった。
「それにな、シン。私もずっと、おまえを養えるわけじゃない。結婚して、家を出て行ったら、どうするつもりだ?」
「大丈夫だ。姉貴の性格で、結婚はできな――」
ドンッ!
鳩尾に拳が叩き込まれ、シンは悶絶して、床をのたうちまわる。
「ギョアアアアアアアアアアアアアア!」
「19の弟に生活費を入れろとまでは言わん! ただし、ニートだけは認めん! その程度の当たり前もできないなら、弟でも家から追い出すぞ!」
「辞めたスポーツを強要させて働かせるなんて、横暴だ! それに住むところを無くしたら、死んじまうぜ!」
「知らん! 物乞いでもすればいいだろ!」
「そんなあああああああああああああああ!!」
かくして、1年程続いた、二宮シンのニートライフは幕を閉じるのであった。