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第35話「そういえば、君は…」


 早朝。

 駅のホーム。


 人は、誰もいない。

 爽やかな風が吹いて、私の頬を優しく撫でていく。


 どうやら、私は。自分でも思っている以上に、性格が悪いらしい。

 こうやって、自分にされたことを、そのまま仕返ししないと気が済まないなんて。まるで子供か、性根が歪んでいるとしか思えない。


「さぁ、どこからでもかかってこい」


 改札口の前で、腕を組んで立つ。

 服装は、いつもの白いワンピースのような制服。ただし、今日はピンクのロングカーディガンを羽織って、いつもはしないお洒落を決め込んでいる。足先の編み込みのブーツから、可愛い髪留めをした毛先まで。臨戦態勢と言っても過言ではない気合で、私はここに立っている。


 しばらくすると。学園駅のロータリーに、一台の高級車が入ってくる。


 見たことのある車だ。

 あの車は、窓が全て防弾使用で、後部座席の座り心地も最高なことも知っている。

 高級車は、いつかの時と同じように安全運転で改札口前に止まると、後部座席から一人の男子生徒が姿を見せる。


 彼は、私のことを見ると、驚いたように立ち尽くす。

 だけど、すぐに微笑みを浮かべて、先ほどまでより軽い足取りで近づいてくる。その表情からは、喜びというより、呆れの色が強かった。


「おはよう、ミーシャ。今日の学校はどうしたの?」


「おはよう、王子様。学校はサボったの。憎たらしい奴を見送らなきゃいけないからね」


 私の挨拶に、クリスは観念したように肩をすくめる。

 平日の学園前の駅には、誰もいない。


 私と、クリスだけだ。


「よくわかったね。僕が乗る列車の時刻まで」


「わかるわけないでしょ。だから、始発の時間から、ずっと待ち伏せていたわよ」


 私はね、あんたほど優秀じゃないのよ。と悪態をついても、クリスは愛おしそうに笑うだけだった。……これが、最後だとわかっているから。


「それで? 国に帰るの?」


「あぁ。犯罪に加担していた学園に、僕がいたことが知られたら、とてもよくないらしい。祖国の安定は、王室の威厳で保っているから」


「何とかならないの? クリスの王子様パワーを使って」


 私の食い下がるような問いかけに、彼は少し迷ったように首を振る。


「残念だけど、君が思っているより。僕には権限がないんだ。王室の判断には従わなくてはいけない。国と、民のために」


 その言葉に、クリスが背負っているものを垣間見た。

 個人の幸せではなく、国の幸福を願う。それを覚悟して、生きている男の姿だった。


「それに、僕も納得したことなんだ。今日限りで、オリヴィア学園を退学する。退学届けは、もう学園側に提出したし。友人たちへの挨拶も済ませた」


「そう。寂しくなるわね」


「ははっ、ミーシャがそんなことを言ってくれるなんて。夢にも思わなかったよ」


「……言うに、決まっているでしょ」


 あぁ、ダメだ。

 上を向いていないと、零れちゃいそうだ。


 列車の汽笛が、遠くから聞こえてくる。

 首都行きのディーゼル列車だ。前回、この列車に乗った時は、クリスと二人だった。


 でも、今日は。


 彼だけが、ここから去っていく。


「あ、あの、……ミーシャ。僕の話を聞いてくれるかい?」


「どうぞ、ご自由に」


 視線を空に向けたまま、そっと彼の声に耳を澄ませる。

 私たちを見下ろしている空は、憎たらしいほどの晴天だった。


「……君との学園生活は、本当に満ち足りたものだった。何もかもが新鮮で、いろんなことを教えてもらえた。僕の足りない部分を、君が補って。君が抜けているところを、僕が助けて。初めてだったよ。ずっと一緒にいたい。こんな人と生涯を添い遂げたい。そう思える女性と出会えたのは」


 恥ずかしがることもなく、照れることもなく。

 クリスは真摯に、言葉を積み重ねる。

 そんな彼の一生懸命な視線を、私は真っすぐに受け止める。


「僕が、この学園に来た理由は二つあるんだ。ひとつは、祖国では廃れてしまった貴族階級の学び舎に通うこと。そして、もうひとつが。……恥ずかしながら、お嫁さん探しだ」


 そこまで言って、初めて。

 クリスは恥ずかしがるように、視線をそらした。

 頬が、少しだけ赤くなっている。


「国王陛下と王室からの提案でね。周辺各国との繋がりが浅い我が祖国にとって、人生のパートナーは他国の貴族の淑女が望ましい。そんなことを言われていた。我ながら情けないと思っているよ」


 うん、知ってた。

 数日前の夜に、クリスの護衛をしている二人の男を訪ねて。……というか、クリスのことを世間にバラすぞと脅して、色んな事情を聞いていた。


 だけど、まさか。この学園に来た理由が、花嫁探しだったなんて。


「ふーん。それにしちゃ、女に手を出している噂もなかったけど」


「当たり前だろう? いくら国王陛下の提案であっても、こんな簡単に人生の伴侶を決めるわけがないじゃないか」


 はははっ、とクリスが軽快に笑う。

 その声は、誰もいない駅のホームに静かに響いた。


「でも、君が現れた」


 どきっ、と私の鼓動が大きくなる。


「君との出会いは、僕にとっての宝物だった。たった一人の女の子との出会いが、こんなにも幸せで満ち足りたものになるなんてね」


「……さすがに、美化しすぎじゃない? 私、初対面のクリスの首を絞めて、傘を奪っていった女よ」


 瞼の裏に思い浮かぶ、雨の日の駅と、クリスの傘。

 確かに、その出会いは。……私にとっても宝物だった。


「ははっ、確かに。君の言う通りだ」


 プーッ、と首都行きの列車がホームに停まる。


 もう、時間はない。

 私は目を開いて、自分の言うべき言葉を探す。


 でも、だけど。

 声にならなくて。

 声にすると、涙まで一緒に溢れそうで。

 何もできず、ただ手を強く握ることしかできな―


「ミリツィア・コルレオーネさん。僕は、あなたのことを愛しています。どうか、僕の妃になっていただきませんか」


 唐突に差し込む、強い光のように。

 私の凍えていた心が。

 ゆっくりと、溶かされていく。


「……クリス」


 私の手が、彼へと伸びる。


 彼の手を掴み、一緒に列車に乗ろう。そうすれば、ずっと。クリスと一緒にいることができる。それは、まるで。おとぎ話のシンデレラのようで―


「……悪いわね、クリス。あんたはいい男だけど、こればっかりは了承できないわ」


「……そっか」


 差し出されていたクリスの手が下ろされる。

 なんとなく、そんな気がしたよ。と、クリスは微笑む。


 だけど、すぐに。

 わしわしと頭をかいて、彼は口をへの字に曲げた。


「あー、もう! 本当に人生って、うまくいかないもんだな!」


「ほんと。私もそう思うよ」


 心から彼に共感して、唇をぐっと噛みしめる。

 私が本当に、普通の女の子だったら。こんな苦しみを知らなくて済んだのかな。庶民の生まれで、場違いな貴族学校に通う平凡な女の子が、王子様の手を取って幸せになる。それだけの話なのに。


 私の肩には、余計な荷物を背負いすぎている。既に、戸籍上は死んでいる女の子。莫大な遺産の相続権と、そこから生まれる醜い人間の争い。そして、旧王族の血筋を受け継ぐもの。生きていることを知られたら、今度こそ―


 あぁ、本当に。

 神様って、ロクな奴じゃないな。


「……殿下ーっ。列車が出ちまいますぜ!」


 クリスを乗せてきた高級車の運転席と助手席から、もはや顔なじみになった黒服二人が手を振っている。


 これが、本当に。

 最後の言葉だ。


「じゃあね、クリス。達者でね」


「うん。ミーシャも。また会おう」


 そう言って、クリスは。

 颯爽と駅のホームへと向かう。

 その姿はどこまでも格好良くて、未練がましく思っている自分が、本当に小さく見えて。


「あっ、そうだ」


 クリスが旅行鞄を片手に、こちらに振り返る。

 そして、彼が滅多に浮かべない意地悪そうな顔を浮かべていた。


「そういえば、ミーシャってさ。僕のこと好きだったんだね」


「当たり前じゃない。自慢じゃないけど、最初に出会った時から、一目惚れだったわよ」


 雨の日。

 傘を差しだす、初めて出会った男の子。

 その男の子との過ごす日々は。

 本当に、本当に。

 大切だった。


「……っ」


 プワーッ、と間抜けな汽笛を鳴らして。

 首都行きの列車は走りだした。


 私だけ取り残された駅のホームで。

 ようやく、下を向いて。

 我慢していた感情の蓋を開ける。


 とめどない涙が。

 ずっと、流れて。

 止まらなかった。


 ……あぁ。雨が降ればいいのに。


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