第34話「素敵な、その日の終わりに」
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「おいおい、なんかスゲー音がしなかったか!?」
獅子寮のリビングでは、遅めの夕食の準備が始まっていた。
簡易キッチンに立っているのは、赤毛で女の子みたいな体格のリズベットと、白衣を着たまま眠そうにしているドク。くじ引きで勝ったジョニーは、優雅に見ていたカラーテレビから目を離して、外の様子を見ている。
「そうだね。何か崩れたような、……はい、ドク」
「うむ」
じゃがいもの皮をむいて、それをドクが食べやすい大きさに切っていく。
「ちょっと様子を見てくるかな。クリスもトムも帰ってこないし」
「クリス君は、今日は帰ってこないんじゃない? なんか、大事な用事があるみたいだったし。……はい、ドク」
「うむ」
「あっ、もうちょっと小さく切って。火が通るのに時間がかかっちゃうから」
「……うむ」
ドクが眠そうにあくびをしながら、言われたとおりにジャガイモと一口サイズに切っていく。昨夜から、ほとんど寝ていない彼は、何でもいいから食べて、早く寝たい。というのが本音だった。
「じゃあよ、トムはどうしたんだ? 何で、まだ帰ってこないんだよ。ウチの厨房担当だろう?」
「こらっ、トム君のことを使用人みたいに言ったらダメでしょ。料理だって、ろくなもの作れないくせに」
「だって、アイツの飯がうま過ぎるんだもん。だから、トムが帰ってくるまで待っていたのに、結局、帰ってこないじゃねーか」
あー、ハラ減ったぜ。とジョニーがぼやいていると、獅子寮の玄関がガチャリと開いた。
「……lo siento。帰ってくるのが遅れた」
大男のトムが、窮屈そうに玄関をくぐる。
くしゃくしゃに乱れた髪に隠れた、小動物みたいな目が、キッチンに立っている友人の二人を見る。
「……夕食には、少し遅いと思うが。どうしたんだ? 皆、夕食はまだなのか?」
「夕食はまだなのか、って。おめーを待っていたんだろうが!?」
「そうだね。トム君の料理は、どれも美味しいから」
「……ボクは、食べられたらなんでもいいけど」
「ははぁん。じゃあ、ドクは生焼けのジャガイモでも食って、そのまま腹を壊してしまえ。俺は、トム料理長が作った極上のディナーを楽しむからよ」
「……前言撤回。この日焼け野郎のジョニーが。何もしていないお前にこそ、この芽の残った毒入りジャガイモが相応しい。ほら、口を開けろ。何分で嘔吐・下痢を発症するのか測ってやる」
「ちょ、ちょっと、やめなさいよ、二人とも」
ドタバタ、ドカバコ。
掴み合いの乱闘になる寸前、大男のトムがジョニーとドクを引き離す。
そして、睨みあう二人の間に。少し大きな紙袋を差し出す。
「……店の売れ残りを貰ってきた。冷めてはいるが、味は俺が保証しよう。夕食の準備ができるまで、それでも摘まんでいていくれ」
トムがそう言うと、飢えた獣のように二人が紙袋に群がる。
そのまま揚げドーナツを奪い合いながら貪ると、ようやく少しだけ静かになった。
「……後は、俺が引き継ごう。クレンメも、ゆっくり待っていてくれ」
「うん、ありがとうね。トム君」
にこっ、と女性らしい笑みを浮かべるクレンメに、トムは無言で頷く。
それから。
トン、トン、トン、と規則正しい包丁の音が、獅子寮のリビングに響いた。
いつもと変わらない穏やかな時間だった。
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「ねぇ。ミィちゃん、帰ってきた?」
学園の敷地のギリギリに立っている女子寮の小鳥寮で、カナはおかわりのパンを齧りながら聞く。
「ミィちゃん? ……あぁ、ミーシャさんね。まだ、帰ってきてないわよ」
「そんなことよりも、聞いた!? さっきの凄い音。なんか礼拝堂が崩れ落ちたらしいわよ」
「うそーっ! って、だいぶ古い建物だったしね。そろそろ限界だったんじゃない?」
「学園に近いところの寮は大変だろうね。まぁ、あたしたちには関係ないか! 敷地の僻地だし! 入居希望者が変わり者ばかりの変人寮だし!」
「よけいなこと言わないの。あんたは黙ってテレビを直しなさい。このままだと、この寮だけ、生活水準が中世に戻るわよ」
「嫌だー。トイレだけは、水洗を完備してー」
キャッキャ、と喧嘩しながらも仲の良い寮生たち。
そんな彼女たちを、ポカンとした顔で見ながら、カナは問う。
「礼拝堂が壊れちゃったって、怪我人はいなかったの?」
その質問に、一瞬だけ静寂となる。
彼女たちはお互いの顔を見ながら、誰か知ってる、と交互に尋ねあう。
「大丈夫だったみたいよ。運悪く、紅茶愛好会の会長が中にいたらしいんだけど、なんとか外に逃げ出せたんだって」
でも、そのショックで気絶しちゃって、学園の車で首都の病院にまで運んでいくらしいよ。と、状況を知っている寮生が答える。
「他に、誰かいなかったの?」
「え? 他に?」
うーん、と考え込む。
そして、自信なさげに言った。
「はっきりとはわからないんだけどね。その会長さんを助けたのは、別の生徒がいたらしの。背の高い男子と、髪の長い女子が。……暗かったし、見間違えかもよ」
「ふーん、そうなんだ」
そう言って、カナは一人で最後まで食べている夕食の続きをする。
……よかったね、ミィちゃん。
心の中で、そう呟いて。
カナは満足そうに、パンに齧りつく。
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首都の病院にて。
救急患者を受け入れる裏口で、ばたばたと騒がしくなっていた。貴族学校で倒れた女生徒を連れてきた学園の車が、安全運転でロータリーに入ってきたころ。
暗い病室で、一人の少女が目を覚ます。
頭には包帯をぐるぐると巻いてあるが、それ以外の怪我はない。
壁のハンガーに掛かっているのは、オリヴィア学園の制服。病室の表札には、ドーナ・ローズマリーと書かれた部屋は、この瞬間まで静寂に包まれていた。
そして、目を覚ました彼女は。
自分がまだ生きていることに。
安堵したように、静かに涙を流していた。
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初めて出会った時のことを、覚えているかい?
クリスの問いかけに、私は視線だけ彼に向ける。月明かりの下で、彼はいつものように優しく笑っていた。
「覚えているかって、ついこの間のことじゃない。雨の日、駅のホームで。あなたは私に傘を貸してくれたわね」
「貸した、っていうか。あれは君に奪われたと言った方が正しいんじゃないかい?」
「ふん。男だったらね、女の言い分を立てなさいよ」
まさか、今更になって、あの時のお礼をされてもらおうか。なんて言わないよな? 今夜、寮には誰もいないんだ。なんて誘われたらどうしよう。断れるかな、私?
「……ありがとうね、クリス」
「ミーシャ?」
「あなたを見ていると安心する。悪意にまみれた人間ばかりの学園で、あなたの生き方は、私を救ってくれた。心から信じてもいい人が、すぐ傍にいる。それが、とても嬉しい」
そっと、彼の指先に触れる。
その体温を感じるだけで、私の強張った心がほぐされていくような気がする。
……このまま、全てを彼に委ねたくなるほどに。
「クリス。本当に、ありがとう。あなたに出会えて本当によかった」
「……ミーシャ」
彼が、私の手を握り。
そっと、指を絡めていく。
「……っ」
どきっ、と心臓の音が高鳴る。
恥ずかしくて、顔を上げられなくなる。
「……クリス、あのね」
私は、必死に。
想いを言葉にしようとする。
だけど、彼の手が頬を撫でてきて。
指で、顎を上に向かされる。
そんな声すら、口からでなくなってしまって。
「……」
「……っ」
そっと、唇が離れる。
たぶん、顔が真っ赤になっている。そんな私に。
彼は、優しく問いかけた。
「君のことが好きだ。僕と一緒に、ガリオン公国に来てくれないか?」




