第7話「私の名前は、ミーシャ・コルレオーネ。ただの女の子ですよ?」
「ですが、僕はまだあなたの名前を聞いていませんので」
「えぇ、そうでしょうね。私も自己紹介をするつもりはありませんから」
さっきの会話から、自分と同じ学年であることがわかっても、あえて敬語で距離感を作る。自分を脅そうとする極悪人に、誰が自分から自己紹介なんてするものか。
「……そもそも」
ふぅ、と一息ついたところで、私は自分の思っていることを王子様に突き付ける。
「こんな朝早くに食堂に来て、この席をまっすぐ目指すくらいだから、前もって誰かに聞いていたのでしょう? どうせ、私の名前や学園での評判も知っているくせに」
ぎろっ、となるべく威圧的に見えるように睨みつける。
すると王子様は意外というように顔を緩める。
「……お察しの通りです」
「やっぱり」
「僕の友人に教えてもらいました。この学園に、黒髪の女の子はいないかって」
「それで、私だと?」
「えぇ。この国で黒髪は珍しいですから」
にこっ、と微笑む。
ふん、バカめ。そんなキラキラ笑顔で落とせるのは、頭の中がお花畑なお嬢様だけなんだよ。お前らとは違って、こっちはな。いろんな苦労を重ねてきたんだ。庶民、舐めんな!
「それと、いろいろな噂も。上級生に反論して謹慎処分を受けたとか、本当は魔女で嫌いな人間を呪うとか」
「それだけじゃないでしょ。首都の暗黒街のマフィアと通じているとか、そのコネで入学したとか、庶民で学費が払えないから夜の街で稼いでいるとか」
「……えぇ、まぁ」
王子様が辛そうな顔で言葉を濁す。
どうして、こいつが悲しんでいるんだ? 逆の立場だったら、私なら大いに笑ってやるのに。
「まぁ、どうぞご自由に解釈してください。汚れた女を思ってもらって結構です。どうせ、私の声など学園内では意味をもたないですから」
「いや、僕はそう思わない」
黄金の瞳が、こちらを捕らえる。
「学園の誰かがそう言ったとしても、僕は信じない。少なくとも君が違うと言う限りは、僕は君のことを信じる」
「はぁ? なんでそうなるのよ?」
私は本気で首を傾げる。
昨日、今日で知った人間に、なんでここまで言えるのか。そんなことを考えていると、王子様が柔らかい視線を向ける。
「君のことに興味があるから。それじゃダメかな?」
「説明になっていないわよ」
ばっさりと切り捨てると、なぜか王子様は楽しそうに笑う。
「そう、その反応さ。君はとても賢い。誰かが甘い言葉をかけても、その言葉の真意を考える冷静な判断力を持っている」
優雅にティーカップを手に取り、音を立てず口に運ぶ。
「そんな人間が、噂になるような悪事をするわけがない。僕はそう思っている」
「それは私に喧嘩を売っているの?」
「さぁ。どうだろうな」
カップをソーサーに戻して、王子様がこちらを見る。
その余裕に満ちた笑み、いちいち腹立たしい。性格が悪い上に、頭の回転も速いとは。少なくとも私よりずっと頭がいい。
うん。ますます気に入らない。
「ですが、話してみてよくわかりました。君は僕が思っている以上に、なんていうか、……愉快な人のようだ」
「いいから、さっさと消えなさい。もう食べ終わったでしょ」
右手に持ったナイフをちらつかせながら、一生懸命に威嚇する。
今度は外さないぞ、というメッセージを込めて睨むと、学園の王子様は肩をすくめて席を立つ。
「えぇ、お邪魔しました。同じ学年でも、この学園では顔を合わせることが少ないですから。よかったら、また話し相手になってください」
ブロンドの髪をなびかせて、颯爽と去っていく。
手にしているのが学食のトレイなのに、どうしてか気品すら漂わせている。そんな後姿を見ながら、カナがうっとりとしている。
「わぁ~、ミィちゃん。すごいね、クリス君。まるで本物の王子様みたいだったねぇ」
「こっちは無駄に疲れたわよ」
はぁ、とため息をつきながら、二人して王子様の背中を見つめる。
その姿を見ているのは二人だけではなく、少し早めの朝食を食べに来た女学生の視線を、自然と集めていた。
ただの資産家の息子が、どうしてあそこまで注目を集められるものなのか。これがカリスマというものか。いや、たぶん違う。彼に漂っている雰囲気は、資産家の子供とか、そういうものではなく―
なんて、どうでもいいことを考えていた時だった。
ふと、王子様がトレイの返却場所で止まった。
何事かと思っていると、勢い良く振り返り、猛然と歩き出した。向かう先は、私たちの元へ。その顔は少し恥ずかしいのか、ちょっとだけ赤くなっていた。
「……わ、忘れていた」
「な、なによ?」
予想以上の勢いに、私も少しばかり気押される。
まさか、昨日の傘がどうの言うわけじゃないよね。そう思っていると、まったく予期していなかった質問が飛んできた。
「……な、名前を」
「は?」
息を整えながら、恥ずかしさを紛らわすように口元に手を当てて。彼は問う。
「名前を、教えてほしい。ちゃんと、君の口から」
なにを言うかと思えば、今更そんなことを。
そんなに必死になって聞くことか? 颯爽と去っていった姿が台無しじゃないか。
やっぱり、違うな。
こいつはただの馬鹿だ。
「……ぷっ、何を言い出だすかと思えば」
そう思うと。ちょっとだけ、おかしく思えて。
気が付いたときには、少しだけ彼に心を許してしまっていた。
「ミーシャよ。私の名前は、ミリツィア・コルレオーネ。仲の良い人からは、ミーシャって呼ばれているわ」
「……ミーシャ」
心に刻むように、王子様は私の名前を口にする。
「良い名前だね」
「いいわよ、お世辞なんて」
どうせ『偽名』だし。
学園を卒業したら、違う名前になっているかもしれないし。
「それじゃ、ミーシャ。僕はクリストファー・スミス。クリスと呼んでくれると嬉しいな
「あっ、そう。またね、学園の王子様」
笑いながら手を振る。
今度こそ王子様が去っていく。
ふぅ、と息をつくと、友人がにっこりとした笑みを向けていた。
「カナ。なんで、そんなに嬉しそうなのよ」
「えぇ~、そんなことないよぉ~」
にまにまと笑いながら、生暖かい視線を向けられる。
「でもね。自分から『ミーシャ』って紹介してるの、初めて見たなって」
「そ、そう?」
「うん。それに最初は二人との敬語だったのに、最後のほうは普通に話せていたし。きっと、二人は相性がいいんだね」
「……そんなんじゃないわよ」
冗談じゃない。
私があんな男に心を許すわけがない。だけど、少しだけ恥ずかしくなって、ティーカップを傾けて表情を隠す。
そんな私のことを、友人のカナは嬉しそうに見ていた。
その時だった。
食堂にいた他の女生徒から、妬ましい視線を集めていることに気が付いた。
「なに、あいつ。私たちの王子様と仲良くしちゃって」
「あれよ。噂の黒髪のドブ女よ」
「庶民のくせに。さっさと学園から消えてくれませんかしら!」
「ちょっと、聞こえるわよ。あいつに手を出したら呪われるって噂知らないの?」
ひそひそと嫉妬めいた会話が聞こえてくるが、気にしないことにする。
まぁ、学園で一緒になることも滅多にないだろうし。今回限りの出会いだろうな。そう割り切りながら、今日のスケジュールを思い返す。今日の午後から、新しい選択授業が始まる。教室を確認しておかないと。
……だけど、この時の私は。
……まるで、わかっていなかった。
学園の王子様との再会は、予想以上に早いものになることを。
そう、例えば。
その日の選択授業とか…
・次話更新は、9/20(月)の20時です。感想お待ちしています! よかったら見てやってください!
・あと、作中に出てきたセリフ。「どうせ偽名だし。」はもちろん伏線です(笑)