第28話「汝の罪を改め給え。」
「っ!? この魔法は!?」
一瞬にして、クレア・フォン・マゼッドの顔色が変わる。
悪霊は死者の魂。
この世には存在しないもの。故に、誰にも触れることはできず、魔法をもって対抗するしかない。彼女にとって予想外だったのは、ミーシャの放った魔法の性質であった。
霊や悪霊は、年月や負の感情を吸って強くなる。
この学園は、負の感情が常に渦巻いている。
中世から始まる教育という名の拷問、戦時中の強制徴兵を経て、現在は貴族と平民の違いからくる不平等な生活。人間の悪意が、常に付きまとっていた。
力が強すぎる悪霊は、呼び出した本人も危険になることがある。
それを承知で呼び出したというのに、……たった一発。ミーシャの放つ魔法が、悪霊を退けてしまった。いや、これはただの魔法じゃない。名門貴族に受け継がれている、火や水を操る魔法でもなければ、戦時中に重宝された人を傷つける魔法でもない。
……なんだ、この魔法は!?
自身が、この国でごく少数しか扱えない希少な魔法の持ち主であるが故に、クレア・フォン・マゼッドは更に混乱させる。
こんな魔法、聞いたこともない。
図書館棟の奥にある禁書指定されている、この国の魔法を網羅した登録魔術書にも、該当するものはなかった。物質を崩壊させる『崩壊魔法』、霊や悪霊を退けるための『浄化魔法』、触れた相手を死ぬ至らしめる『死の魔法』とも違う。
……これは。
……この魔法は。
「悪いけど! 手加減なんかしてあげないんだから!」
ミーシャの威勢のいい声が響く。
彼女の銃のカタチをした手の指先から、再び魔法が放たれる。
もはや神々しさすら感じさせる魔法の輝きは、クレア・フォン・マゼッドの傍にいた悪霊へと直撃する。拷問道具である鉄の鎖を握りしめたまま、悪霊は苦しみながら消えていく。ユルシテ、ユルシテ、と誰かに許しを乞うように
苦しむ?
すでに死んだはずの悪霊が?
その事実が、クレア・フォン・マゼッドの背筋を凍らせる。
まずい。この魔法は、危険だ。そんな危機感だけが、汚泥のように心に積もっていく。
「っ! やりなさい!」
クレア・フォン・マゼッドが最後に残った悪霊に命令を出す。
両手に包丁を持った悪霊が、おぞましい声で叫びながらミーシャへと迫る。
だが、彼女は。
先ほどまでと同じような卓越した運動神経で、悪霊の攻撃をかわしていく。
そうだ。
当たり前のように見過ごしていたが、どうして彼女はあんなにも身軽なんだ? 運動の成績は悪いのではなかったのか? まるで、悪霊の先の行動が読めているように、軽々と二本の包丁を躱しては、当然のように悪霊の背後を取る。
そして、その背中に銃口を向けて。
「主よ、彼に永遠の安らぎを与え給え」
一瞬で、悪霊を消し飛ばしてしまった。
頭を抱えて苦しむ亡霊が、擦れた声で悲鳴を上げる。
その光景は、まるで絹の布が、空中でほつれていくように。とても美しかった。
「そ、そんなはずは―」
クレアはうろたえながら、迫ってくるミーシャに怯える。
慌てて後ろに下がろうとするも、足をもつらせて尻もちをつく。がくがくと震えだす指先を見て、ようやく。自分が恐怖していることを理解した。
「こんなこと、あっていはずがない! 死霊たちよ、あの女を八つ裂きにしなさい!」
彼女の足元に赤い魔法陣が輝いて、いくつもの怨霊たちが姿を見せる。
その数は、先ほどまでに比ではない。
十体、二十体、というおびただしい数の悪霊たちが、奇声を上げて襲い掛かる。
だが、その直後。
「ほらほらっ、ちゃっちゃと片付けるわよ!」
ミーシャから放たれた魔法の銃弾が、怨霊たちを次々と倒していく。
襲い掛かる霊たちの攻撃を躱しつつ、凶悪な笑みを浮かべて、行儀悪くスカートを翻しながら。怨霊たちの数を着実に減らしていく。
そして、最後の一体。
中世の甲冑の霊が、ミーシャへと剣を振り下ろして。それを、彼女がダンスを踊るように華麗に躱しつつ、その甲冑の頭を狙って。魔法の銃弾を撃ち放つ。
ォ、ォォオ!
最後の怨霊が消えて、再び。礼拝堂は二人だけとなった。
「あり、えない」
クレア・フォン・マゼッドは愕然とした表情で膝をつく。
目の前で何が起きていたのか。
しっかり見ていたはずなのに、まったく理解できなかった。
ただ、ひとつ。
言えることがあるとすれば。
彼女の、……ミーシャ・コルレオーネの魔法が常軌を逸していることだけだ。あれは人が扱っていいものではない。悪霊を倒すための魔法とか、誰かを苦しめるための魔法とか、そんな単純なものではない。
「どうする? まだ、やる?」
気が付けば、クレア・フォン・マゼッドの目の前に、ミーシャが立っていた。
右手は銃のカタチをしたままだが、その指先は地面に向けられている。
彼女の顔を見上げると、その表情は。
戦う前と同じ、自信に満ち溢れた。素敵な笑顔だった。
「ふ、うふふ。驚きすぎて、声の出し方を忘れてしまいそうです」
「そう? 私の魔法なんて、そこらへんにありふれているものだけど」
「ご冗談でしょう? 私は、この国の魔法を全て記載された、禁書の登録魔術書を見たことがあります。その中に、貴女の魔法は存在していません。近代に発見された新種でもない。まるで貴女の魔法は。かつて、この国の王族が受け継いでいたという『罪を赦す魔法』のように―」
クレア・フォン・マゼッドは何かに気が付いた。
ミーシャの瞳が、わずかに左右で色が違うことに。
歴史の授業で、首都の大学教授が言っていた。滅亡した王家は、左右の瞳の色が異なっていたという。それこそが、
確か、禁書にも記されていた。
王族が滅びる原因となった『罪を赦す魔法』。それを受け継ぐものは、左右で瞳の色が違っていた。……かつての王族の血筋なんて、もう滅びたはずないのに―
「……ミーシャさん。貴女は、いったい―」
「はいはい、そこまで。やる気がないなら、宣言通り、顔面に二発パンチをブチかますけど。それとも、私の魔法をその体で受けてみる? あんまりオススメしないけど」
にやり、と素敵な笑みを浮かべる。
その姿を前にして、ようやくクレア・フォン・マゼッドは悟った。
この少女は。
危険とか、優秀とか。そんなもので測れる存在じゃない。敬い、頭を垂れて、許しを求める。人々の上に立つべき御方だ。
「……罰を。貴女の手で、私に罰を与えてください」
クレア・フォン・マゼッドは床に手をついて、深く頭を下げた。
それまでの敵意や狂気など、もはやどこにもなく。降参したように、ただ罰を受けるのを待っている。
「良い度胸ね。……最後に聞かせて。ドーナ先輩は、どうして屋上から飛び降りたの?」
「あぁ、そうですね」
クレアはわずかに表情を曇らせた後、思い出すように目を細めた。
「……悪意は、ありませんでした。でも、あの日。屋上の温室で。彼女は私に言いました。もうこんなこと止めたい。ちゃんと学長に話そうって。彼女は首都の貧困街にまで足を運んで、その解決策を探していたそうです。でも、上手くは行かなかったようですね」
顔を上げて、憂いに満ちた表情を浮かべる。
「夕陽が綺麗でした。その夕陽に向かって、彼女は落ちていったのです。寂しそうな表情に、園芸部のジョウロを持って。……私は、彼女を止められなかった」
「……そう」
やっぱり。ドーナ先輩は自分から屋上から落ちたのか。
この学園の闇を、誰かに知ってもらいたくて。
地面に膝をつき、罰を受けることを待っているクレア。そんな彼女に、ミーシャは右手をかざす。
銃のカタチをした手を、クレア・フォン・マゼッドの後頭部へと向ける。
そして、撃鉄を起こして。
心の引き金に指をかける。
「汝の罪を改め給え。『魔女裁判(アヴェ・マリア』」
指先の銃口から放たれた魔法の銃弾が、頭を垂れる少女へと撃ち抜いたー




