第26話「このどうしようもない、舞台のエンドロールを」
静寂の礼拝堂に、白いスカートが音もなく揺れる。
淑女たれ、といわんばかりの白いワンピースの制服。
膝頭はおろか、脚のほとんどを隠してしまうこの制服を、私は気に入っていました。身にまとっているだけで、気品が溢れてくる。優しい風を受けて、そっとスカートの裾を抑えるだけで、高貴な人間であると自覚できた。
それなのに、なぜだろうか。
目の前の彼女は、気品の欠片もない態度だというのに。この制服が彼女のために作られている、そんな錯覚を覚えるほど、自然体に着こなしていた。
本物とは、こういうことを指すのだろう。と、クレアは心から感心した。
「こんばんは、ミリツィアさん。親しみを込めて、ミーシャさんと呼んでも?」
「別に構わないわよ。明日の朝には、顔面をボコボコになったあんたが、学園からいなくなってるはずだから」
にやり、と彼女が笑う。
あぁ、なんて素敵な笑顔だろう。
自信に満ち溢れて、一握りの躊躇もない。
不安も後悔もないのだろう。あぁ、本当に。この子と、もっと仲良くなりたかったです。
私、クリア・フォン・マゼッドは、体の奥から込み上げてくる高揚感を抑えながら、彼女との会話を楽しむ。
「それで? ミーシャさんは、私に何を求めているのですか?」
「その前に、確認を。クレア・フォン・マゼッド。どうして、ドーナ先輩を巻き込んだ?」
「ドーナ? ……あぁ、園芸部の部長さんでしたね。ふふっ、温室のある屋上から転落した、お馬鹿な人」
そういえば、そんな名前でしたね。興味のなくなった人間の名前は、どうにも覚えていられない。昔からの悪い癖です。
「あ? お馬鹿、ですって?」
「うふふ。だって、そうでしょう? 夕暮れとはいえ、まだ明るい時間だというのに、屋上から足を滑らせるなんて。不注意にもほどがあると思いません?」
「……そこまでにしておきなさい。自分から巻き込んでおいて、無関係を装う気なのか? はんっ、当事者のくせに呆れてモノも言えないわ」
「ふふっ、そうね。あの方には感謝していますわ。温室のハーブ。今年はどうしてか生育が不調でしてね。詳しく知っている人の話を聞きたかったのですよ」
「それで、ドーナ先輩に目をつけたわけね?」
「えぇ。彼女のことは入学した時から知っていましたから。西部のカアシ出身の地方貴族。そんな人間が、この学園でなんて呼ばれているか知っていますか? ……『麻薬の成り上がり』、ですよ」
思い出すと、なんて懐かしいのでしょう。
成績も優秀。眉目秀麗。可愛らしく愛嬌もあって、いつだってお友達に囲まれて。
そんなあの子を、虐めて、虐めて、虐めて。一人っきりになるまで虐め続けて。たった一人で花壇の手入れをしている姿を見るだけで、私は幸せな気持ちになれた。
「……腐っているわね。あんたも、この学園も」
「否定しません。それに、この学園は最初から腐っていましたわよ。私だって、入学したときは世間知らずのお嬢様でしたから。……大人の人間が、あそこまで腐っているとは、思いもしなかったけど」
「学長のハゲのことね。金遣いが荒く、生徒にまで手を出しているって噂は、本当だったのか」
「えぇ。私の実家の会社が傾いているのを知って、声をかけてきたんです。俺のいうことを聞けば、学費を免除してやるって」
あれは、いつのことだったでしょうか。
実家からの電話で、実家の会社がつぶれてしまうかもしれない、と母が緊張した声で電話をしてきた。
もしかしたら、学園を転校しなくてはいけないかもしれない。そう言われて、私は頭の中が真っ白になりました。勉強は大変だったけど、友達もできて楽しかったから。なにより、憧れだった紅茶愛好会で、気品溢れる先輩たちとの時間は、本当に幸せだった。
それが、一瞬にして揺らぐことになるなんて。
どうしたらいいのか。と、悩んでいた私に、声をかけてきたのが、学長のハーゲン・ヴィ・ドラクロワだった。
学長は、私にこう言った。
『俺の言うことを聞けば、学費を免除してやる。なぁに、簡単なことさ。新しく増設される温室で、ハーブを育ててくれればいい』と。
それこそが、私の転落の第一歩だった。
「最初は、何の植物かわからなかったけどね。私は言われたとおりに、温室でハーブの苗を育てました。これさえすれば、私は学園にいられるのだと。実家の事業も、次第に回復して何も慌てることはなくなりました。そんな時、学長はこう言ったのです。……『これは違法薬物の原料だ。こんなものを育てていたなんて知られたら、ご家族は悲しむだろうな。だが、俺には関係のない話だ。俺の知らないところで、お前が勝手に育てていた。もし、この件が世間に漏れたら、お前を退学処分とする』とね」
「……下衆が」
ミリツィアさんは、嫌悪した顔で舌打ちをする。
事件が公になっても、生徒が勝手にしたことで自分は知らなかった、と責任逃れをするつもりだったのだ。あの男の私利私欲のために。
「えぇ、そうですね。それについては同感です。……ですが、その時に私の何かが壊れてしまった。信じていた大人に裏切られて、他人がこんなにも悪意に満ちているなんて。友達や他の生徒たちは、あんなにも幸せそうなのに、なんで自分だけはこんな目に合わなくてはいけないのか、って」
思えば、その頃だろうか。
他人に幸せを見ていると、イライラするようになったのは。
学園に出入りしている業者が苗を持ってきて、言われるがまま温室でハーブを育てて。学長がガラの悪い男たちから、大量の札束を受け取って。放課後に気まぐれで学長室に呼ばれたり、夜のホテル街に連れていかれたり。日に日に、私の心はすり減っていった。
「だから、私は。怪物になることを選んだ。他人を不幸にする怪物にね」
初めにしたのは、幸せそうな人間を虐めることだ。
あのドーナさんを虐め始めたのも、その頃だ。紅茶愛好会の噂好きを利用して、あらぬ噂を巻き散らした。それでも思い通りにならない人間には、直接、手を下した。地下倉庫に閉じ込めたり、ロッカーに動物の死体を入れたり。
そして、私は。
温室で育てているハーブに手を出した。
大人がやっていることを、私が真似して何が悪い。そんな屁理屈をこねながら、お茶会に招いた生徒たちの紅茶に、そのハーブを混入させた。
不思議と、私の淹れる紅茶は人気だった。
元気が出る、幸せになれる、そんな評判が広がった。友達も増えた。紅茶愛好会の会員は、もっと増えた。私のことを毛嫌いしていた人間も、すぐに仲良くなった。
やがて、紅茶愛好会は異様な雰囲気に包まれていった。会話の内容が噛み合わず、幻聴や幻覚、手足の震えが止まらない人間が出てきた。中には、急に攻撃的になったり、私のことを神様のように慕う下級生まで出てきた。
……あぁ、なんて馬鹿な人たちなのでしょう。
自分たちが何を口にしているのか、考えもせずに。
「……昔、絵本に出てきた言葉がある。怪物は、怪物として生まれてくるのではない。人間の悪意が、人を怪物に変えてしまうんだ、と」
ミーシャさんが、呆れと怒りを混ぜたような複雑な顔で言った。
「うふふ、そうですわね。学長さえいなければ、まともな学園生活を送っていたかもしれません」
「だからといって、お前がやったことが許されるわけじゃない」
「えぇ。私には罰が必要でしょう。他人の人生を狂わせてしまった、その罰が」
……あぁ、もう我慢できない。
気持ちいいのが止まらない。どくどくと心臓が鼓動するたびに、体が興奮を求めている。
だから、私は。
始まりの合図として、彼女にこう告げる。
「ですが、私に罰を与えるのが、貴女である必要がありません。私を止めたければ、戦うしかありませんよ?」
敵意を、ミリツィアさんに向ける。
壊したい、壊したい、壊したい。私の中で蠢く、もっとも強い感情を彼女にぶつける。
今までの生徒は、これだけで情けない顔で逃げようとしていた。それじゃ、つまらない。命を。命を賭けたやり取りが、私はしたいのだ。
だって、私の人生なんて。
もう、これっぽっちの価値もないのだから!
「いいわ。相手になってあげる。その無駄に整った美顔を、思いっきりぶん殴ってやるわ」
彼女は逃げなかった。
震えもせず、怯えもせず。真っすぐ私のことを睨み返す。
……あぁ、なんて素敵な人。
私は自分の興奮に身を任せて、全身の神経を集中させる。自分の指を犬歯で噛み、じわりと血を滲ませる。ぽたり、ぽたり、と血が滴り、……足元に真っ赤な光が浮き出てくる。
円形の幾何学模様。
赤い魔法陣に立ち、高らかに私の魔法を行使した。
「其の先祖よ。憎しみ果たせず朽ちた亡霊よ。今ここに、その怨念を晴らせ。『悪霊の誘い(ワンダー・スナッチ)』っ!」
死霊たちが、私の背後にまとわりつく。
これが、私の魔法。悪意を持った霊を呼び出して、他人を傷つける。
怪物の自分に相応しい、最低の魔法だ。
「さぁ、始めましょう。このどうしようもない、舞台のエンドロールを」




