第15話「Rules of Mafia(裏社会の流儀)②」
「そうか。ふーむ、僕は山よりも、海のほうが好きだなぁ」
「馬鹿なこと言ってないで、逃げる方法を考えなさい。このままだと追いつかれるわよ!」
はぁ、はぁ!
どうしてコイツは、こうも余裕なんだろうか。くそぅ、日ごろの運動不足が身に染みる。
「そうだね。じゃあ、彼らから逃げるから―」
ふわっ、と私の体が浮いた。
え? えっ!? と混乱していると、ばふっと何かに受け止められる。細いながらも筋肉質な腕に、思った以上に厚い胸板。
ちょっと、これ! クリスに抱きかかえられているの!?
「は、離しなさいよ!」
「ごめん、無理。彼らに追いつかれてしまう」
顔がいつもより近い。視線を外さないといけないのに、なぜか彼の顔から目が離せない。顔が熱くなって、胸の鼓動がばくばく鳴っている。
「ちょっと、マジで勘弁して! これ以上、アンタに惚れちゃったらどうするの!? ちゃんと責任を取ってもらうからね!?」
「いいから、しっかり掴まってて」
私をお姫様抱っこしたクリスは、軽快な足取りで貧困街の路地を駆けていく。たぶん、私の全力疾走よりも早い。私がすることと言えば、駅への道順を指示しながら、こっそりと彼の体温を堪能するくらいだけ。うーむ、役得と言っていいのだろうか?
「次、右に曲がって。そしたら、貧困街のストリートに出る」
「了解。だったら、そのまま朝に通った時の道を戻って、平民街に出たほうがいいね」
頭の良い男は、会話がスムーズで助かる。
恐らく、クリスの頭の中には、この辺りの地図が出来上がっているのだろう。私は背後のほうを見て、追ってくる連中を数える。
「追っ手は二人、いんや、三人! このまま逃がしてくれる様子なんてないけど」
「わかった。もっと飛ばすよ。揺れるから、しっかり捕まっていてくれ」
そう言うと、クリスの走るスピードがさらに上がった。
驚いて指を指す人や、慌てて道の端に逃げる猫など。周囲の光景がどんどん流れていく。
「おー、早い早い」
「はぁ、はぁ。さすがに、このペースはきついね」
それで、どこに行けばいい? というクリスの問いに、私は貴族街にある首都の中央駅を挙げる。
「このまま平民街を突っ切って! 貴族街なら警官が二十四時間体制でパトロールしてるから」
「大丈夫なのかい? 警官のほとんどは、賄賂を貰っているって」
「観光名所のど真ん中で、誘拐を見過ごす警官はいないわよ。……げっ!?」
このまま逃げ切れるか、と思っていた、その矢先。
別の追手が、路地から姿を現していた。
場所は、すでに平民街のストリートに入っている。普通のマフィアなら、そろそろ手を引く頃合いなのに。こいつら、恐ろしく馬鹿なのか、執念深いのか。きっと、その両方だろう。
「クリス! 右から来てる!」
「えっ!?」
わずかに、クリスの反応が遅れる。
コートを着た巨漢の男が、大木のような腕を伸ばす。その腕にクリスが捕まり、がくんっと体制を崩す。
「しまった! ミーシャっ!」
「ちっ!」
私は宙に放り投げられながらも、忌々しく舌打ちをする。
そのまま空中で姿勢を整えると、片手と両足を地面へと向ける。ざざっ、と石畳の上を滑らせて着地。同時に、空いている右手を追手に向ける。
こんなことなら、護身用の銃でも持ってきていればよかった。そう後悔しながらも、魔法を発動させるため意識を集中させる。
「ミーシャ、逃げて!」
「できるわけないでしょ!」
巨漢の追手に掴まれているクリス。
だが、彼も足手まといではない。
するり、と巨漢の腕からすり抜けると、逆に相手の腕の関節を捻じ曲げる。
「うがっ!?」
「はっ!」
予期せぬ抵抗に戸惑う追手。
クリスの倍以上の体重がありそうな巨漢に、クリスは腹部に一発、顎に一発。鋭い一撃を加えて、トドメと言わんばかりに回し蹴りを放った。
巨漢の体は、そのまま道端へと転がっていく。
「すまないが。先に手を出してきたのは、あなたたちだ。これは正当防衛だと裁判所で主張させてもらいます」
すでに目を回している巨漢に、クリスは颯爽と言い放つ。
その鮮やかな戦い方に、呆然としながらも右手を下ろす。魔法を使う間でもなかった。こいつ、私よりも強いんじゃない?
「大丈夫かい、ミーシャ?」
「えぇ。それより」
立ち止まっていたのは、一分にも満たない時間だ。だけど、それだけの時間があれば、追ってが追い付くには十分なようで。
「囲まれたわね」
「うむ、どうしようか」
私たち二人を、追手の男たちが取り囲んでいた。その数、四人。クリスが強いのはわかったけど、この人数差は、さすがに分が悪いか。
周囲を見渡しても、私たちを助けてくれそうなものは何もない。さすがに、誰かが警察を呼んでくれてはいるだろうけど、あまり当てにならないか。朝も通った平民街のストリート。キッシュが美味しい喫茶店を通り過ぎて、ギターを弾いていた女の子はもういない。その代わりに、通りに並んでいる屋台では、店員がジュージューと何かを焼いて―
「ここは僕が引き受けるから、ミーシャは逃げ、……え? あの店員って」
そう呟いたのは、隣のクリス。
信じられない、というように目を丸くさせている。
すると、屋台の店員が。こちらの騒動に気が付いたのか、ゆっくりとした動作で私たちを見た。正確に言えば、私の隣にいるクリスを見た。
……へへっ、観念しな。
……男は要らねぇ。女は置いていきな。一晩中、可愛がってやるぜ。
追手の男たちが獲物を前によだれを垂らしている。すると、屋台の店員がのっそりとストリートへと歩みだす。それにしても、小さな屋台だな。店員が屈まないと屋根がぶつかって、……んん?
なんか、縮尺がおかしくないか?
周囲の人間が小さく見える。
建物が小さく見える。
ぐへへ、と汚い声を出している追手の男たちの背後に立ち、彼らとの対格差がまじまじと見て取れた。
……それじゃ、事務所のほうに来てもらおうか。
そう言って、手を伸ばす追手の男。
そんな彼の腕を、店員の男は背中越しに掴んだ。
「Disculpe。彼は、オレの友人です。手荒な真似は止めてください」
へ? とマヌケ面になった追手は、ようやく自分の背後に立つ男を見た。
大男だった。
身長は二メートルくらいあるだろうか? 全身、日に焼けている。春先だろういうのに、上半身は半袖のTシャツだけだ。そこから見える腕は、ゴリゴリと表現してもいいくらいに筋肉質であった。もじゃもじゃの髪の下には、動物のような綺麗な目が見える。
「トム!? なんで、君がここに!?」
クリスは驚きに隠せない様子で、自分と同じ寮の友人に声をかけていた。
その瞬間にも、暴漢のひとりは。
奇声を上げながら、大砲の弾のように投げ飛ばされていた。




