第10話「貧困街から愛を込めて②」
「薄気味悪い男だったね」
「あんなもんよ、貧困街の連中なんて」
変に絡まれなかっただけマシよ、と警戒していたクリスをなだめる。
すると、今度は。私のことを見ると、少しだけ悲しそうな顔になった。どうしたんだ、こいつ。と首を傾げると、彼は力なく声を絞り出す。
「さっきの話だけど。その、この貧困街の出身だって」
「あー、それ。本当の話よ。9歳の時だったかな。産みの親っていう最低の人間に、そこの公園に捨てられてね。冬だったから、とても寒かったわ。冷たい風が肌を刺すようだった。少しでも寒くないようにって、ベンチの下にもぐっては、神様に祈っていたわ。それこそ、餓死する直前までね。どうか私を助けてください、ってね」
私は努めて明るく話そうとしたが、クリスはどんどん神妙な顔になっていく。むぅ、やはり話すべきではなかったか。
「僕は、……君のことを何も知らないんだな。そう思うと、少し落ち込みたくなる」
「何よ。そんなことを気にしてたの?」
私は彼の前に立って、覗き込むように背伸びをする。
「話したくない過去なんて誰にだってあるけど、私はアンタを信用している。だから、ここに連れてきた。もし、クリスが私を信用してくれるなら、今度はアンタが私を故郷に案内しなさい。それでいい?」
だから元気出して、と励ますように声をかける。
すると、さっきまで自信なさそうな顔だったのが、少しずついつもの精悍な顔つきになっていく。ふん、現金な奴だ。
「……そうだね。今度は、僕がミーシャを案内するよ。夏のガリオン公国は、とても綺麗なんだ」
「はいはい、楽しみにしているわよ」
クリスにそう伝えて、私は店の扉に手をかける。
カラン、カラン。と錆びついたドアベルが鳴った。
埃っぽい匂い。
思わず口を塞ぎたくなるような異臭が漂っている。
うっ、とクリスは顔をしかめていた。その姿を笑ってやりたいところだが、私も似たような顔をしているから人のことは言えない。……ったく、こいつと一緒にいるようになって、上流階級の生活に引き込まれてるのかもしれない。
「……カール、いる? ミーシャよ」
店内は、一見すると喫茶店のようだった。カウンター席とテーブル席があって、カウンターの後ろには紅茶が入っていた大きな缶が並べられている。だが、随分と長い間。触られていなかったのか、分厚い埃が溜まっていた。
「……留守かな。誰もいないようだけど」
「そんなはずないわよ」
私は見慣れた店内をズカズカと入っていく。
埃だらけのカウンターに、用途不明の道具たち。レジスターは故障して動かないことは知っているが、それでも留守番すらいないとは。
「カールなら、いないぜ」
突然、背後から声がした。
店内のテーブル席。割れた窓ガラスから差し込む太陽に、その男は隠れることもなく堂々と座っていた。行儀悪くテーブルに足を乗せて、安物の煙草を灰皿に突き刺す。
「珍しい客人だな。こんなところで、どうしたんだ?」
「げっ、なんであんたがここにいるの!?」
私は顔をしかめながら、その男を見る。
この街で、一番会いたくない人物だった。
二十代半ばと思われる風貌に、警官と思われる制服。だが、だらしなく着崩されている。制帽はマフィアとの喧嘩で踏みつぶされたとかで、被っているところは見たことはない。本来は胸元に着けているはずの警官バッチは半分に割れていた。
そして首には。金槌の入れ墨が施されていた。
「ミーシャ。君の知り合いかい?」
クリスが再び警戒しながら問う。
私は少し悩んだ後、観念したように答える。
「この男は警官よ。名前は、ゼノ・スレッジハンマー。この貧困街でサボっている不良警官ね」
「おいおい、誤解を生む説明をやめろ。また補導されたいのか? この町はお前らみたいな学生のたまり場じゃないんだぞ」
やれやれ、と肩をすくめる。
一見すると覇気のない若い警官に見えるが、どうしてか。その瞳の奥には揺らがない信念のようなものが潜んでいるように感じた。
「たまり場? ということは、私たち以外にもオリヴィア学園の生徒が来たの?」
私の指摘に、しまった、という顔を浮かべた。
「……お前らには関係のないことだろう。ガキは引っ込んでな」
「悪いけど、こっちも引けないのよ。学園で起きた事件は知ってる?」
「事故だろ。表向きはな」
ゼノ警官は胸元から煙草を取り出そうとする。だが、私たちがいることに気がついて、仕方なくポケットに戻した。学生の前だから煙草を吸うのを躊躇したのかもしれない。
「警察だって馬鹿じゃない。お前らの学園で起きたことなんて、当然ながら知っている。女子学生が屋上から転落したんだろう」
「なんだ、知っているんじゃない。その様子だと、警察は捜査する気はないようね」
「当たり前だろう? 貴族学校の敷地内ってだけで、いろんな配慮が必要になる。政治的な配慮って奴だけどな」
ふぅ、と男はため息をつく。
「それに、被害届さえ出されていない。その時点で、事故として処理される。それだけの話さ」
「その学生の家族は、警察に届け出さないの?」
「さぁな。少なくとも、現場の警官には知らされていない。どこかで揉み潰されたんだろう。お前だって、知っているはずだぜ。この国では、賄賂を貰っていない警察官を探すほうが難しいんだ」
この国の格言を教えてやろう。『警官を見たら、信じるな』だ。
そういって、ゼノ警官は愉快そうに肩を揺らす。




