第34話「夕暮れの美術館に、ナイフの刃は踊る」
「はぁ、はぁ! 冗談じゃないって!」
私は息が切れるほど走りながら、二階へと続く螺旋階段を駆け上がる。
この屋敷はデザイン重視で、実用性などまるでない。短い廊下や、唐突に現れる化粧室。何を考えて当時の権力者がこの屋敷を作ったのかは知らないが、今はそれがありがたかった。
あいつの視界に入ってしまったら、それだけで終わりだ。
追いつかれてはいないか。
身を隠しながら、そっと向こう側を窺うが―
ひゅん、ひゅん、ひゅん。
甲高い風切音を響かせては、美術館の壁を切り刻んでいく。まるで、ナイフで切りつけたような傷跡だ。キャリーがナイフを振るうたびに、廊下の傷跡がどんどん増えていく。
……その彼女の足元には、青白く光る『魔法陣』が広がっていた。
「うふふ、どこに逃げるつもりですか? そんなに走っていたら、手元が狂ってしまうじゃありませんか」
階下から聞こえてくるキャリーの声。
それから逃げるように、私は絵画の飾られた廊下を駆け抜ける。
「いやいや、よく考えておくべきだった! どうやって鶏さんの首を切り落としたのかを!」
じわり、と冷や汗を額にかきながら、自分のロッカーの惨状を思い出す。
鋭利な刃物で切られたような鶏の首。あんなの、決して女の手で切り落とせるものではない。何か特別な方法があったはずだ。……それこそが。
「……あいつの魔法、ってわけね」
つい忘れていたが、この学園で魔法を使える人間は少なくない。ただ、普通の学園生活では使う必要がないだけだ。そういう私も同類だ。
「にしても、随分とおっかない魔法ね」
あの女の魔法を見て、思わず悪態をつく。
ナイフを振るえば、風が刃となって飛んでくる。威力はそれほど強くはなさそうだけど、人間を解体する分には問題ないだろう。
マズいなぁ。
誰にも見られないようにと美術館に呼び込んだけど、それが裏目に出たか。
とりあえず手近な部屋に逃げ込んでは、壁に背を預けながら汗を拭く。
そこはガラス工芸が展示してある部屋だった。
夕陽に反射したガラス製のカップや食器が、規則正しく並んでいる。ガラス製のシャンデリアが天井から吊るされている。
「さて、どうするかな。距離を詰めれば、私のほうが有利だと思うんだけど」
当初の予定では、拳で語り合ってフルボッコにするつもりだったが、こうなってしまったら話は別だ。あんな魔法が使える相手に近づいたら、鶏さんと同じような運命をたどるに違いない。
……それは困る。
傷跡は残るだろうし、まだ傷モノにはなりたくない。どこかに嫁に行く予定なんてないけど、一応は女の子ですから。
「うふ、うふふ。どこに隠れても無駄ですよ」
カツッ、カツッ、とゆっくりとした足音が近づいてくる。
くそ。飛び道具なんて卑怯だぞ。こちらも武器か何かを用意しておけばよかった。そんなことを後悔しながらも、彼女の足音で距離を測る。
「でも、あなたは運がいいですね。ちゃんと顔を狙ったのに、髪にしか当たらなかったなんて。ですが、ご安心を。もう外すことはないので」
つまり、最初から顔面を狙ってきていたのか。
おのれ外道。
顔を狙うなんて、女の風上にも置けんな。
「……、……」
ちらり、と部屋の中を見渡す。
壁際の棚に、整然と並べられたガラス細工。透き通るような花瓶から、色鮮やかなガラスを使われた食器など。
最も目を引くのが、純ガラス製のシャンデリアだろう。
重量感たっぷりのガラス製の燭台に、いつくもの電球と配線が繋がれている。見た目の印象通り、かなり重いだろう。いくつもの金具で固定され状態でぶら下がっている。
あれが落ちてきたら。
そうだな。とても痛いだろう。
「ねぇ、キャリー。やっぱり、ちょっと話をしない。女同士、腹を割ってさ?」
「お断りします。この後、私はお姉さまがたのお世話をしなくてはいけないので」
ちっ、時間稼ぎは失敗か。
私は足音がしないように注意しながら、キャリーが部屋の中に入ってくるタイミングを見計らう。こうなったら、奴が入ってきた隙をついて、一気に畳みかけるしかない。
「うふふ、大丈夫ですよ。命まで取りはしません。ちょっと顔に切り傷をつけるだけですから。ふふっ、永遠に消えない傷をね」
「……それのどこか大丈夫なのよ」
顔は女の命、という言葉を知らないのか。
まぁ、正気を失ったモンスターと会話を試みるほど、私は冒険心に溢れていないので現実的な解決策を模索することにした。
相手は、何人もの生徒を傷つけてきた異常者だ。
だが、喧嘩においては素人だ。それも、魔法使い同士の喧嘩など初めての経験だろう。その点は私のほうが有利だ。
「今まで、そうやって。あんたの魔法で他の人間を傷つけてきたの?」
掃除道具が入っているロッカーを開けて、掃き掃除用のモップを取り出す。くるくると先端を回して、拭く部分を取って棒状の武器に変える。
「うふふ。えぇ、その通りです。紅茶愛好会の誘いを断った頭のおかしい連中。陰でクレア会長の悪口を言っていたクソ女たち。そいつら全員、二度と人前に出られないようにしてやりました」
あははっ、と狂ったような笑い声が響く。
「最高でしたよ! 貴族の名家の女たちが、顔に傷をつけられて泣き出すんです! もう、学園に通えない! 社交界にも出られないって! その中には、傷が原因で婚約破棄までされた女もいたらしいですけど。うふふ、おかしいですよねぇ。……お前らみたいな豚女に、生きる価値なんかないのに!」
よし。即席の武器ができた。
こいつでぶん殴れば、あれも静かになるだろう。
なんか、あの女がトチ狂ったようなことを言っているようだけど。相手は感情に溺れたモンスターだ。内容に気にするだけ無駄だ。
夕陽を睨む。
展示用の棚の裏に隠れて、飛び出すタイミングを読む。
「うふふっ! だから、ミリツィア・コルレオーネ。あなたは本当に許せない。紅茶愛好会の品位を汚しただけじゃなくて、クレア会長の顔に泥まで塗った! あなただけは念入りに、このナイフで切り刻んでやりましょう」
キィィと扉を開けて、キャリーが部屋の中に入ってくる。
そして、私が隠れている棚を通り過ぎると、無防備になっている背中が見えた、
その瞬間。私は絨毯の敷き詰められた床を蹴った。
「……あんた。自分の顔を鏡で見てみなさい。ナイフで切り刻まれたみたいに醜いから」
風が吹き、夕陽に雲がかかる。
辺りがわずかに暗くなり、箒を握った私が突進していく。
「っ!?」
彼女が驚いて振り返る。
だけど、私のほうが早い。間合いに入り、必殺の一撃を振りぬく。
「油断したわね! 保健室のベッドが、お前を呼んでるぜ!」」
私が狙うのはもちろん。
……こいつの顔面に決まっている。




