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第33話「ママが言っていた。喧嘩をするときは、顔面にグーパンチよ」

「えっと、名前はなんだっけ?」


「……キャリー・ブラウンです」


 躊躇しながらも、下級生の女の子は名前を名乗る。


 本名かどうかはわからないが、素直に答えるあたりが素人だ。名前を名乗れるのは、自分に正当性があると信じている人間だ。やはり、そのタイプの人間か。


「その様子だと、貴族ではないようね。使用人かメイドか。奉公先の貴族様が、学園に通う子供の面倒を見させるために、一緒に通わせている召使い、ってとこかしら」


「っ!?」


 私の推測に、キャリーはわかりやすく動揺する。


 この反応は、逆に新鮮だ。

 クリスといい、カナといい。勘のいい友人に囲まれていると、言葉遊びで驚いてくれることが少なくて嫌になる。


『紅茶愛好会』に所属する高等部一年生のキャリー・ブラウン。


 彼女のことなんて、ほとんど知らない。

 クリスとお茶会に行った時、入り口の扉係をしていたくらい。怒らせることもしていないし、会話すらしていない。


「それで、私の何の恨みが? 飼育小屋の鶏を何匹も切り刻んで。まだ食べごろには早かったのに」


「そんなことより、謝罪を」


「謝罪?」


「えぇ、そうです。あんなことをしておいて、知らないと言い切るのですか!?」


「ああ~。私のロッカーに入ってた大量の鶏の死骸を、紅茶愛好会の中庭にぶちまけたこと? 大変だったのよ。あなたへの脅迫のメッセージカードも添えないといけなかったし」


 ふふっ、と肩で笑う。

 そんな私のことを、キャリーは憎しみを込めた目を睨む。


「あなたは狂っています。聖域である礼拝堂の中庭に、あんなことをするなんて。神への冒涜ですよ」


「おあいにく、無神教者でね。ずっと前に神様を信じることはやめたの」


 なにせ。

 餓死する直前まで祈ってたけど。結局、神様は助けてくれなかったから。


「それに、あなたが怒っていることは、そんなことじゃないでしょう?」


 実際のところ、この女も。

 神様への冒涜なんてどうでもいいに違いない。


 彼女が信仰するものは、たったひとつ。

 まったく、そんなものに心まで捧げてしまえるものなのか。人間というものは。


「紅茶愛好会のアフタヌーンティー。そこで、私がやったことが許せないだけでしょう?」


「……」


 礼拝堂の中庭で出された『幸せの紅茶』。

 その紅茶をクリスに飲ませないために、私は彼のティーカップを叩き割った。

 それはテーブルマナーどころか、人としての品格さえ疑われないものだが。……ここまで目の敵にされることだろうか?


 いや、この女にとっては。

 万死に値する行為だったに違いない。


「ミリィア・コルレオーネ。あなたは紅茶愛好会の歴史を知っていますか?」


 視線を落として、表情を隠して。

 キャリーは喋りだす。


「400年です。文献資料だけでも、中世の時代から存在していたことが確認されています。その歴史の中で、何度も高名な人たちが会談に使いました。中には、大きな戦争を回避するために催されたことさえありました」


 その言葉には、疑うことを知らない妄信めいた何ががあった。


「私たちオリヴィア学園の生徒は、そんな歴史を引き継がなくてはいけません。清廉で潔癖。お姉さまたちのように、美しい歴史を積み上げる義務があるのです」


 彼女の手に持っているナイフが、夕陽に反射する。


「それを、あなたは汚した。私たちの歴史を。お姉さまたちが積み上げてきたものを。そんな人間は、……この学園から排除しなきてはいけません」


 ははぁ、なるほど。

 そうやって教え込まれてきたのか。


「私はいつも考えています。名誉ある紅茶愛好会のために何ができるのか。お姉さまたちのために何を捧げられるのか。自分で考えて、自分で行動しているのです」


 こちらを見る、その目は。

 どこか感情が抜け落ちた禍々しいものへと変わっていた。


「よく、わかったわ」


 私は盛大にため息をつきたくなる。


 自分の考えだぁ?

 自分で行動しているだと?


 ふん、ばかばかしい。

 自分の価値観まで見失って、他者のために行動するとは。そういうのはなぁ、奉仕じゃなくて、盲信っていうんだよ。


「その様子だと、私が初めてってわけじゃないみたいね。これまで、何人の生徒を学園から追い出してきたの?」


「さぁ、覚えていませんね。この学園の生徒じゃなくなったら、生きている価値もありませんから」


 たぶん、4人か5人くらいじゃないでしょうか?

 そう告げる彼女の顔には、確かに笑っていた。どこか歪んだ、不穏な笑みを。


「あっそ。それだけ聞ければ十分よ」


 ぐるぐると肩を回す。

 よかった。クリスを巻き込まなくて。こんな頭の悪い女の相手は、同じくらい性根が腐っている自分にこそ相応しい。


 争いは嫌いだ。

 勝っても、自分の欲しいものは手に入らないから。


 人の感情は嫌いだ。

 他人からの悪意を前にすると、足がすくみそうになるから。


 喧嘩は、もっと嫌いだ。

 なんでこんなことをしたのか、ちゃんと説明しても大人たちは理解してくれないし。


『――いいね、ミーシャちゃん? 喧嘩をするときは、誰にも気づかれないようにすること。狙うのは顔面よ。二度と、こっちに歯向かえないように徹底的に叩き潰すの。わかった?』


 ……うん、わかったよ。ママ。

 この学園に入学するときに、念を押すように言い聞かされた言葉に、私は何度も頷く。


 目には、目を。

 無礼者には、無礼を。


 他人からの悪意には、……そうだな。

 暴力をもって応えようじゃないか。


「さぁ、来なさい。お気に入りだったポーチを血まみれにした恨み、ここで晴らしてやる―」


 拳を握って、、キャリーと向かいあう。


 その時だった。

 彼女の手にしているナイフが振るわれる。


 ひゅう、と肌を撫でるような、わずかな風が吹いて。


「……え?」


 私の結んでいた髪が。

 はらりと切り落とされていた。

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