第31話「僕が、そんなに諦めのいい男に見えたかい? と、彼は静かに笑ってみせる」
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「どうして僕に声をかけてくれなかったんだい!?」
「だから。今、声をかけているでしょ」
「そうだね。全部、君がひとりで片づけを終えた後でね。またミーシャが何かのトラブルに巻き込まれている、という話も友人のトムから聞いたんだぞ!」
いつになく、クリスは感情をむき出しにしている。
怒るような、叱りつけるような。いや、その感情が心配から始まっていることを考えると、助けになりたいという言葉は本気だったのだろう。
そんな彼のことを、私は他人事のように見ていた。
「あまり大声を出さないで。周りから変な目で見られているわよ」
「ぐっ」
まるで話を聞こうとしない私に、その端正な顔は苛立ちに歪む。だが、それでも相向かいの席に座って、口を閉じるくらいは冷静らしい。
夕陽が傾きだした、放課後の学生食堂。
私たちのことを遠巻きにちらちらと見ている生徒はいるものの、悪意や敵意のようなものは感じない。どうしたんだろう、痴話げんかかな、と不安そうに見守っている。
「……そんなに、僕は信用できないだろうか」
はぁ、とクリスは自信のないようなため息をつく。
その姿に、私の心がぐらりと揺れるが、あらかじめ何と言うか決めていたので、なんとかその言葉を捻りだす。
「クリス、逆よ。あなたほど信頼できる人間はいないわ」
「だったら、少しは僕を頼ってくれてもいいじゃないか」
今度は、行儀悪く頬杖をついて、口を曲げて不貞腐れる。そんなクリスを、もうしばらく見ていたいと思ったが、残念ながら時間まであまりない。
手早く話をまとめよう、と私は話を進める。
「クリス。……クリストファー・スミス。あなたの気持ちは本当に嬉しい。あなただったら、もっといい女を捕まえることも難しくないのに、なんで私なんかに目をつけたのか。そこはよくわからないけど」
自分で言っておいて、なんか虚しくなってくる。
「あなたは良い人だ。だからこそ、言わせて。……これ以上、私にかかわらないで。私の事情に首を突っ込まないで」
「ミーシャ?」
クリスは目を細めながら首を傾げる。
その言葉の真意が、どこにあるのか。単なる拒絶の言葉でないことを理解しているのだろう。これだから、頭のいいイケメンは嫌いなんだ。
「君は、どんな事情を抱えているんだい? それを知らないうちは納得できないな」
「そこは詮索しないで」
別に学園で個人的な情報を探られようと、隠すようなことは何もないけど。何せ、その情報の全てが虚偽で彩られたものだから。嘘の個人情報に羞恥などあるわけもない。
……それに、明日には。私は学園からいなくなっているかもしれないし。
「本当はね、クリスに助けてと言えればいいんだけど」
「なぜ、そう言ってくれないんだい?」
真意を探る瞳は、どこまで優しさで溢れていた。
「大切にしたいから。クリスとの時間を。あなたが傷つくところは見たくないし、傷つけたくもない」
だから、私も本音で語る。
「きっと、この学園生活で最高の思い出になるでしょうね。王子様みたいな友人ができて、こうやって一緒にコーヒーを飲めたことが」
「君が望むなら、もっと大きな思い出を残すことができる。そして、学園を卒業した後も、2人で仲良くアルバムを見返せる日が、きっと来る」
「そう。でも、残念ね。私はこれ以上の幸せを望まない」
ちらり、と食堂の時計を見る。
そろそろ私も準備しないと。あちらさんを待たせると、計画が台無しだ。
「……ミーシャ。君が思っているほど、僕はヤワじゃない。君には想像もできないほどの大きな力を、僕は持っているんだよ」
「……うん、知ってる」
だからよ、クリス。
だから、あなたに甘えられないの。
これがどうでもいい平凡な人間であれば、余計な気遣いもなく巻き込んでいただろうか。その人が傷つき、絶望する顔を見ながら「だから言ったでしょ」と笑うことができただろうか。
いや、残念だけど。私はそこまでの悪人にはなれない。これまで様々な人の悪意にさらされてきたけど、その根幹はどうしようない善人なんだろう。
そんな自分に呆れつつも、なぜかちょっとだけ誇らしい。
「……時間ね」
がたっ、とテーブル席から立ち上がる。
まだ半分以上は残っているコーヒーカップを手に取ると、最後の言葉を交わす。
「ありがとう、クリス。こんな私と一緒にいてくれて。……さようなら」
カップを片付けて、私は一人で食堂から出ていく。
クリスのことは振り返らない。
だから、そんな彼が。
何かを企むように、優しそうな笑みを浮かべていること、私は気づかなかった。
「……ミーシャ。僕が、そんなに諦めのいい男に見えたかい? 君が大切だと言ってくれた時間は、僕にとっても掛けがえのない時間だったんだよ」
クリスは、ミーシャがちらちらと気にしていた時計をじっと見る。
時間はあまりない。今日、ミーシャは行動を起こす。恐らく夕暮れまでに。それまでの限られた時間に、自分になにができるか?
学園の最優秀生徒。
オリヴィア学園の『五人の獅子』に数えられる秀才が、その頭脳を本気で回転させる。そして、優雅な所作で立ち上がると、学園の事務局を目指して早歩きを始める。
職員に気づかれることなく、外部に電話できる場所は、ここしかなかった。
「――僕だ。大至急で悪いが、人手を寄越してくれ。……そうだな。王室警護官を2人。腕が立つ者がいい。確か、ペペとナポリが郊外で休暇中だったね。あの2人には悪いが、招集をかけてくれ。もしかしたら、我が国の未来の妃を救えるかもしれない」




