第29話「クリストファー・スミスは、彼女を部屋に持ち帰りたい」
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「へぇ、それで? どんな了見で私の前に姿を現したわけ?」
図書館棟と職員棟の隙間。
周りの目を気にしたミーシャが、クリスの袖を掴んでここに引きずり込むと、脅すように壁に手をついた。壁ドンだった。
彼女としては、威圧感たっぷりに睨んでいるつもりなんだろうけど、身長差があるせいで、甘えるように抱き着いているようにしか見えない。
その証拠に。二人の姿を見かけた学園の生徒のほとんどが、こちらに生暖かい視線を送っていた。
「……きゃあ、朝から熱愛ですわよ」
「……あの二人って、噂になっているカップルよね? 男性のほうは学園の王子様ですけど、女性のほうは誰でしょうか?」
「……わからないけど、ダダ者じゃないって話ですって」
「……あの王子様を相手に、素晴らしいダンスを披露したとか。もしかしたら、身分を偽っている、どこかのご令嬢かも」
ひそひそと囁く声が聞こえて、ミーシャがそちらを睨む。
今まであったら、その剣幕に押されて逃げていく生徒がほとんどであったが、今や色恋沙汰の注目を集めつつある彼女に睨まれたところで、行儀のよい礼が返ってくるだけ。なかには、微笑ましそうに笑いながら、手を振ってくる上級生までいた。
ぐぬぬ、納得できん。と、ミーシャは悔しそうに頬を染める。
「み、ミーシャ。落ち着いてくれ。僕は君に謝りに来たんだ」
「黙りなさい。あんたとこれ以上の会話をするかどうかは、私の質問に答えてからよ」
クリスを挟むように壁に両手をついているので、姿勢的にも辛いのだろう。つま先立ちで喋りながらも、手がぷるぷると震えていた。
「答えなさい、クリストファー・スミス! なんで、あんなことをした!? あんな、あんな……」
ダンスの授業のことを思い出しているのだろう。
彼女の頬がどんどん赤く染まっていく。その様子が、あまりにも可愛いかったので、なんだか抱きしめたいという欲望が沸いてきてしまう。
だけど、そんなことをしたら。今度こそ、絶交は確実だろう。そう思い直して、クリスは冷静に話し出す。
「ミーシャ。僕は嘘をつかないと約束する。神に誓って、我が祖国に誓って。だから、話を聞いてくれないかい?」
「ふ、ふぅん。別にいいけど。そんな真剣な眼差しを向けたところで、私は簡単に堕とせないわよ!」
そう言って、壁に押し付けていた手をのけた。
そして、落ち着かないように視線をそらしながら、くるくると自分の髪をいじっている。
でも、なぜか体を離すことはなく。彼女の体温が感じられる距離感に、クリスも内心は穏やかではなかった。
……あぁ、このまま自分の部屋に持ち帰りたい。
「ミーシャ。僕は考えていた。どうやったら、君を守れるのか。ボディーガードのように、ずっと傍にいることも考えたけど、それでは根本的な解決にならない。君に対する悪質な噂がある限り、何度でも標的にされてしまうだろう」
そこまで言って、クリスは息を整える。
「だから、僕と君が友達である。そのことが学園が広まれば、君を守ることに繋がる。そう思ったんだ」
「それで? 勢い余ってキスまでしてしまったと。馬鹿なの? 死ぬの?」
「……返す言葉もございません」
言い訳もできず、じんわりと額に汗を浮かばせる。
それでも、これだけは伝えたい。僕自身も、本気で君を助けると誓おう。クリスが冗談も通じないような顔つきで言った。
そこまで聞いて、ミーシャは少しだけ複雑そうな顔を浮かべた。
「まぁ、いいわ。あれから嫌がらせは受けてないし。……変な勘違いされるくらい、別にいいわよ」
「いいのか!?」
驚愕。それまで澄ました表情だったクリスが、初めて生の感情を表に出した。そんな彼を見て、今度こそミーシャは不機嫌な顔になる。
「なに!? なんか文句があるの?」
「いや、ないけどさ。正直、すんなりと話を聞いてもらえるとは思っていなかったから」
「はんっ。首を絞められたり、投げ飛ばされると思ったわけ?」
「実際に体験しているからね。初めて出会ったときに」
クリスが首に手を当てながら笑うと、ミーシャは再び複雑そうな顔になる。怒りたいけど、怒れない。そんな感じの顔だった。
「いいわ。あんたの言いたいことはよくわかった。……でもね、ひとつだけ確認しとくことがあるの」
そう言って、ミーシャは酷く冷たい目を向ける。
そんな彼女の視線に。
やはりか、とクリスは身構える。
「私は人を簡単には信じられない。正しいこと、ってのは、その人の都合や立場によって変わるから。だから、確認させて」
僕は彼女を傷つけてしまった。
罪には罰を。例え、どんなことを言われようとも。僕は受け止めなくてはいけない。
誠実な心を持って謝るんだ。寮の友人も言っていた。心を込めて謝れば、きっと相手にも通じると。決心を固めるんだ!
「……クリスが、……私のことを好き。とかないよね?」
「あの時は、本当に申し訳なかった! 君があまりにも可愛くて、自分を抑えられなかったんだ。正直、今だって抱きしめたくてたまらない。それくらい君のことを愛しているんだ! だけど、安心してくれ。僕の鋼の精神をもって、二度と君に許可なく触れないと誓うと約束を、……って、どうしたんだい? ミーシャ、顔が真っ赤じゃないか?」
恥ずかしそうに両手で顔を隠しては、ふるふると小さな肩が震えている。
感情を爆発させないように我慢しているようだけど、その原因が理解できなかった。
「……あ、うん。わかりました。もう、理解しました」
「なんで敬語? え、えーと。許してもらえたと考えていいのかい?」
「許すも、なにも。……もう、別に。どうでもいい、っていうか」
とうとう顔を隠したまま、クリスに背中を向けてしまった。
「ただし! 誰かいるところではダメだからね! 抱きしめたり、キスもなし! わかった!?」
「りょ、了解した。人がいるところでは、抱きしめたり、キスをしない」
背中を向けたままのミーシャ。
そんな彼女に、ちょっとだけ意地悪な質問をしてみたくなる。そろそろ授業が始まる時間なので、生徒の姿も見当たらないことだし。
「ちなみに、今なら他人の目を気にしなくてもよさそうだけど、……君にキスをしてもいいのかい?」
「それは、ダメ!」
即答。
わかり切っていた返答に、クリスは肩をすくめる。
しかし、その後のミーシャの返事は。彼にも予期せぬことだった。
「だって、今ここでキスされたら。……顔が真っ赤になって、授業に出られなくなっちゃうじゃない」
振り返り、指の隙間から見えた彼女の顔は。
恋する乙女のように、その瞳を潤ませていた。
やばい、今すぐ部屋に持ち帰りたい。クリスの鋼の精神は、早くも音を立てて崩壊しつつあった……




