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第28話「ドーナ先輩と、屋上のハーブと、不穏な朝」


――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 



 その翌日。

 早朝の学園にクリスの姿があった。


 頬に白いガーゼを張ってもらい、ダンス授業の時にミーシャに殴られた痕を隠していた。


 清々しい空気で満ちている朝の学園に、生徒の姿はひとりもいない。学生食堂のほうから、朝食の準備をしている音と。時折、学園の敷地ないに入ってくる工事用のトラックくらい。

 あとは、納品業者だろうか。

 紅茶メーカーのロゴが描かれた軽トラックが、クリスの目の前を通り過ぎていく。


 こんな早朝から、彼が何をしているかというと。

 理由は、ただひとつ。


 ミーシャと会うためだった。

 あの日以来、自分のことを避けているらしく、探してもなかなか会うことができなかった。


 同じ授業に顔を出しても、遅刻ギリギリで教室に入ってきては、授業が終わる直前には姿を消していた。食堂にも、あの喫茶店にも、美術館裏の小さな公園にも。どこにもいない。

 ならば、と下宿先の寮から登校してくるところを捕まえればいい。そう思って、まだ誰も登校していない時間から、こうやって学園の校門付近で待ち構えている。


「……やっぱり、怒っているのかな?」


 はぁ、とため息をはく。

 自分の考えが至らなかった。もっと、慎重に事を運べばよかった。時間を巻き戻せるなら、もう一度やり直したい。


 だが、あの時の高揚感を前にして、自分は耐えられるのか?


 ダンスの授業の時。

 練習とはいえ、クリスは本気で踊っていた。どんどん自分についてくる彼女との踊りが楽しくて、ペースを上げて、スッテプも複雑にさせて。

 幼少期のころに叩き込まれたダンスの技術をすべて吐き出しても、とうとう彼女を突き放すことはできなかった。


 これほどの緊張感と高揚感。

 久しく感じていなかった。そして、踊り終わったときのミーシャの表情といったら、普段にはない純粋さと妖艶さが入り混じった美しさがあり。


 だから、だろうか。

 彼女が欲しい。


 その欲望のままに、友人のジョニーと話していた内容を思い出してしまった。この女が欲しい、と思ったら、キスで落とせ、と。


 愚かにも、そして愚直にも。

 その感情に身を流してしまったわけだが。


「……はぁ。僕は取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか」


 レンガ造りの花壇に腰かけて、人知れず頭を悩ませる。


 気が付くと、ぽつぽつと生徒の姿を見かけるようになった。

 授業が始まるにはまだ早いので、部活動か、早めの朝食か。眠そうな顔をした生徒たちが、遠くを歩いていくのが見える。


「おや? あの人は?」


 クリスがその女生徒に気が付くと、向こうもこちらに気が付いて、辺りを気にするように小さく手を振った。


「おはようさん、クリス君。今日も男前やね?」


「おはようございます、ドーナ先輩」


 上級生のドーナ先輩が、小走りでこちらに近寄ってきた。園芸部の手伝い以来なので、およそ二週間ぶりであった。その手には、園芸部のジョウロが握られている。


「こんな朝早い登校なんて知りませんでした。園芸部の活動ですか?」


「え? ……ん、まぁ。そんなところや」


 少し歯切れの悪い返事が返ってくる。

 よく見ると、ドーナ先輩の顔色が悪かった。朝のせいか血色がわるく、やや頬がやつれているように見える。


「大丈夫ですか? なんだか体調が悪いようですが」


「そ、そう? あは、あはは。ちょっと寝不足かもしれへんな」


 そう言って、無理して笑ってみせる。


「今日は休んだ方が良いのでは? 教員には、僕から言っておきますよ?」


「ええよ、大丈夫。これから『温室のハーブ』の様子を見に行かんといけんし。……それに、うまくやってるから」


「ハーブ? そういえば、紅茶メーカーのロゴが入った業者のトラックが、学園に入ってきましたね。あれは、紅茶愛好会のもので?」


「っ!?」


 その時のドーナ先輩の反応は、違和感の覚えるものだった。

 以前、一緒に花壇の整備していた時とは違う。何かに怯えている様子だった。


「ドーナ先輩?」


「だ、大丈夫。なんでもあらへん。ほな、ウチは行くわ。クリス君と長話していると変な噂をされて、ミーシャちゃんに怒られてしまうしな」


 それだか早口で言うと、学園に向けて歩きだす。

 そのドーナ先輩の後ろ姿は、やはりどこか危ない足取りであった。


 クリスは再びレンガ造りの花壇に腰を下ろすと、ミーシャが登校してくるのをじっと待つ。彼女の姿が見えたのは、その数分後であった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 先輩、アレに気付いて脅されたかして、協力させらてしまっているか。
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