第19話「『幸せの紅茶』とハーブ」
おいおいおい。
おいおいおいおいおいおい。
おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいっ!
「……、……っ!」
私は静かに、ティーカップをソーサーに戻す。
紅茶には口をつけていない。
いや、つけられるわけがない!
頭を殴られたような既視感。私は、これを知っている。ざわりと背筋が凍り付き、両足が恐怖で震えだす。
まさか。そんなこと。
あるはずがない!
ここは貴族学校だぞ。それなのに、こんなものが。
なんで、部活の愛好会なんかで!?
「では、マゼッド会長は首都で購入した紅茶を、業者に納品してもらっているのですね」
「そうです。早朝に業者のトラックがいらしてます。紅茶だけでなく、温室のハーブの苗なんかもお願いしていますよ」
隣の席では、何も気が付いていないクリスが会話を楽しんでいる。
……この馬鹿クリスッ!
私は口の中がカラカラになるのを覚えながら、必死に頭を回す。
どうする? どうすればいい?
周囲のお花畑のような会話を聞き流しながら考える。だが、私みたいな平凡な女では天才的な閃きなど当然なく。やがて、クリスも喉が渇いたのか、ティーカップへと手が伸びた。
「それにしても、良い香りですね。さすが歴史ある紅茶愛好会ですね」
「うふふ、お褒めいただき、ありがとうございます。これは愛好会に受け継がれている、特別なブレンドティーですの」
「あっ、もしかして。あなた方が育てている『ハーブ』も、この紅茶に?」
「さぁ、どうでしょうね。飲んでみればわかるかもしれませんよ?」
悪意の感じられない笑みを、グレタ・フォン・マゼッド会長が浮かべている。
「それは楽しみですね。では、いただきます」
クリスがティーカップを持ち上げて、口元へと運ぶ。
くそっ、もう時間がない。
平穏と平和を愛する女である自分が、まさかこんなことをするはめになるなんて。
馬鹿クリス!
この借りは、高くつくからな!
「……ッ!」
クリスが紅茶を口に含む、その寸前。
私は、彼の持っているティーカップを。
テーブルへと叩き落とした。
「きゃああぁぁぁぁ!」
パリンッ、とカップが割れる音が中庭に響く。
悲鳴を上げたのは、ケーキスタンドを用意していた同級生の女子だった。
それ以外の人間は、何があったのか驚いてこちらを見ているが、肩で息をしながら振り下ろした手を構えている私を見れば、何をしたのかすぐにわかるだろう。
「……いったい、どういうつもりだい?」
冷静さを保ったままのクリスが、私のことを見上げる。
一瞬だけ、何かを咎めるような目だったが。私の様子を見て、すぐにいつもの穏やかな瞳に変わった。むー、気にくわない。まるで心の中を見られている気分だ。
「あ、あなた! 何をしているのですか!?」
先ほど悲鳴を上げた同級生の女子が、怒り狂った剣幕で私に詰め寄る。
「ここをどこだと思っているのですか!? 紅茶愛好会の聖域とも呼べる、学園の中庭でしてよ! あのような振る舞い、断じて許されません!」
生の感情は嫌いだ。
特に、こうやって大声を上げる人間は。私は逃げ出したくなる気持ちを抑えつつ、なるべく平然を装って答える。
「すみません。彼の手に虫がいたもので」
「虫!? そんなことで、カップを叩き落としたのですか!?」
「危険な毒虫ですよ。私、庶民だからわかるんです。刺されたら、赤く腫れて、肌に傷跡が残ってしまいますよ」
嘘だけどね。
夏場でもないのに、そんな毒虫が沸くわけがないだろう。そんな私の言葉を真に受けた女子たちが、オロオロと不安がっている。ふん、いい気味だ。
……問題は。
こちらをじっと見ているクレア・フォン・マセッド会長だ。
「会長さんも、すみませんでした。せっかくのお茶会なのに」
「いいえ、気にしませんわ。虫がいたのでは、仕方ありませんもの」
にこり、と微笑みを絶やさない。
私がクリスのカップを割った時だって、わずかに目を開いただけ。声を上げるどころか、驚いている様子もない。
この女。相当にヤバいぞ。
「では、新しい紅茶を用意させましょうか」
「いいえ、結構です。せっかくのお茶会なのですから、『幸せの紅茶』は会長さんたちだけで楽しんでください」
「そんなことは言わずに。おいしいケーキもありますよ」
「本当に、お構いなく!」
ぐるり、と自分の周りを見渡す。
十数人くらいの紅茶愛好会の面々が、まるで非難するような目つきで、私のことを囲んで睨んでいる。
あぁ、怖い。
足が震えそうだ。
元々、臆病者でビビりなのに、なんでこんなことをしたかなぁ。
心がどんどん萎縮していくのを感じながら、次の言葉を探す。すると、隣で座っていたクリスが、私のことを庇うように立ち上がった。
「すみません。どうやら、私たちは。あなたがたの客人としては礼儀が欠けていたようです。ここは出直してくるので、よろしければまた誘ってください」
紳士的、かつ相手が拒否できない感じで。
お姫様を守る騎士のように、クリスが周囲の視線から私を守る。そして、くるりと振り返っては、優しく微笑んでみせた。
何があっても、僕だけは君の味方だ。
そんなことすら言ってしまいそうな雰囲気に、私はガラにもなく胸が締め付けられる。あー、ダメだな。他人に頼ってはいけないのに。この男には、すがってしまいそうになる。
「そうですか。残念ですが、またいらしてください。今度は、もっと美味しい紅茶をご用意させてもらいますので」
制服のスカートの裾をつまみ、グレタ・フォン・マセッド会長は恭しく礼儀をする。
その顔は笑っているのか、もう私にはわからない。
周囲の取り巻きのほうが、まだわかりやすい。
怒り、憎しみ、憎悪、嫌悪。人を簡単に傷つけられる感情が、私のことを追い立ててくる。……クリスがいなかったら、その場で倒れていたかも。
「……礼は言わないわよ」
「……とにかく、ここを出よう。話はそれからだ」
王子様に例えられるような精悍な顔つきで、私の手を引いていく。
紅茶愛好会。
そして、礼拝堂の中庭。
きっと私は二度と、ここを訪れることはないだろう。お茶会を続けている女子たちの会話が聞こえる。その先に礼拝堂へと続く扉には、下級生の女の子が門番のように立っていた。
……許さない。
その下級生の瞳は、憎しみに燃えて。私はそれからも逃げださずにはいられなかった。
「うふふ。アメリアさんったら、また面白いことを」
「あははっ。わたくしはネアですよ。……あら、どうしてかしら。目の前がぐるぐる回っていますわ?」
「ふふふっ、おかしいですわ。右手の震えが止まりませんの」




