第11話「獅子寮の静かな朝。学園の王子様は、不治の病にかかったようです」
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世界歴1955年。6月10日。
週末の朝。
学園の王子様。クリストファー・スミスこと、クリスは頭を悩ませていた。
病院に行くべきだろうか。
この学園内にも、診療所規模の医療設備が完備されている。短期の入院すら可能で、医学系の授業を受けている生徒にとっては、大事な臨地実習場所でもある。この間なんか、新鮮な死体が手に入ったとかで、医師志望の学生に人体解剖の授業が行われていた。
いや、そんなことよりも自分だ。
ここのところ体調が優れない。熱があるわけでもないが、頭痛や吐き気なんかもない。ただ、ひたすら息苦しいのだ。
そして、その症状が出てくるときは。決まって『彼女』の顔を思い出してしまう。
「……これは問題だ」
クリスはベッドに腰かけたまま、低い声で唸る。
彼が生活している寮家は、5人ほどの生徒が活用している小規模なもので、珍しく個室が宛がわれている。どうせ『国の人間』が余計な世話を焼いたのだろう。
余計なことを、と学園に編入してきたときは思ったが、今だけは感謝したい。こんな姿、友人であっても見せたくない。
「しかし、自分で解決するのも限界か」
正体不明の病。
もしかしたら、厄介な疾患かもしれない。いや、僕も馬鹿ではない。これは簡単な問題ではない。診察も処方箋も無意味だ。
なぜなら―
「これは、心の病だ」
まったく、笑えるではないか。
自分が思うに、これは心の弱さが招いた原因だ。
生まれた国を離れて、寂しさでも覚えたのか。それでも、なぜ彼女のことが思い出されるのか。まったくもって心当たりがなかった。
「……誰かに、相談してみるか」
それで病院を薦められたら、素直に行くとしよう。もはや、短期の入院すら覚悟する。
さて、誰がいるかな。
クリスは自分の部屋を出て、一階のラウンジに続く階段を下りていく。
この寮のラウンジは、決して広いものではない。合い向かいのソファーに、新品のカラーテレビ。でも、放送されているのが、ほとんど白黒映像なので、あまり意味がない。電話はなく、連絡手段は緊急時用の無線機のみ。あとは、簡易キッチンがあるだけ。
トムは料理修行のため、週末は首都に行っている。リズベッドは朝から経済学の教授に会いに行っているし、ドクは昨夜遅くまで医学書を開いていたのを見たから、まだ寝ていることだろう。
ということは、この男しかいないか。
「よぉ、色男。なんだ、その顔は? せっかくのイケメンが台無しだぜ」
この学園で一番の友人。
ジョニーが、優雅にソファーに座っていた。
異国の血を引く浅黒い肌に、色素の薄い髪色。それだけでも、どこかエキゾチックな印象を与えるのに、その顔立ちは女性を虜にするほど魅力的であった。
「ジョニーだけか」
「さっきまで、トムはいたぜ。今日は屋台で、揚げドーナツについて教わってくるんだと。まったく、休日だっていうのに。ここの寮の連中は向上心が高くていけねぇ」
そう言って、ソファーにもたれかかりながら、手に持った新聞に目を落とす。今日の見出しは『違法薬物が蔓延する社会』『大貴族の遺産相続の争い』『マフィアの抗争激化』だった。
この学園の寮は、少数の生徒で生活しているので、どうしてもその寮の特色ができてしまう。学業を優先にする生徒が集まったり、むしろ体を動かすことが好きな生徒が集まったり。基本的には、真面目な貴族のご子息が多いので、非行や犯罪に手を染める人間は少ない、……はずだ。
その中でも、この獅子寮は特別だった。
特別に優秀な生徒がだけが入居できる男子寮。普段の学業に加えて、将来的に自分が何をやりたいのか。何者になりたいのかを考えて、そのために行動を起こしている者ばかりだ。
「それで、ジョニーはまったりと休日を過ごしているのか?」
「芸術家にとって、休暇は大事なんだよ。インスピレーションが凝り固まっちまうからな」
分厚い本から目を離して、口端を緩める。
ジョニーは音楽家を目指している。
この学園の成績もトップを維持しながらも、高名な音楽講師を呼んでもらって腕を磨いているのだ。専門はヴァイオリン。ただし、ピアノも優雅に弾くし、この間はアルトサックスでジャズを演奏していた。
「むしろ、こっちが聞きたいぜ。なぁ、クリス。休日はいつもランニングで汗を流しているお前が、一番の寝坊とはな」
「ドクがいるだろう?」
「あいつは別だ。太陽が沈んでいても、自分が起きている時間が昼間だ。この間なんか、寝不足で目の下にクマを作ってるくせに、どこか体の具合が悪くないか、とか聞かれたぜ。まずは、てめぇの顔を見ろってな」
「ふっ、ドクらしいな」
「まぁな。あいつは、この寮で一番の努力家だ。医者になることは実家から反対されているし、ここで成績を残すしかないんだろう」
「それは、君も同じだろう。ジョニー」
クリスは簡易キッチンに立って、電気コンロのスイッチを入れる。
「音楽なんかやめて、親の事業を継ぐように。そう言われていると話してくれたのは、君自身だったはずだ」
「……だな」
あまり直視したくない現実を突きつけられても、ジョニーは軽く肩をすくめて笑う。
正直、この余裕が羨ましい。自分にはない。僕なんて、自分の責務や責任をまっとうするのが精一杯で、こんなゆとりのある態度を取れるだろうか。
「まぁ、俺のことなんてどうでもいいんだよ。それよりも、お前だ。なんだ? 悩み事か?」
「……どうして、そう思う?」
あまり素直に話しても面白くないので、二人分の紅茶を用意しながら、背中越しに答える。
「顔に書いてあるぜ。悩み事を抱えています。誰か、相談に乗ってくれませんか、ってな」
「そんなにわかりやすいかな、僕は?」
お湯を注いで、紅茶の葉っぱがポットの中で泳ぐ。
それをティーカップに注いで、ラウンジへと持っていく。自分の分と、ジョニーの分を。
「いんや、俺じゃなかったら見逃してたね。そもそも、お前はいろいろと抱え込みすぎだ。話していろよ? たまには友人を頼って」
ジョニーは礼も言わず、紅茶に口をつける。
それに対して、クリスも何も言わない。どう話すべきか考えながら、自分も紅茶で唇を湿らせる。ゆったりとした、この距離感が心地いい。
「……どう話したものか。少し、説明しにくいのだけど」
「ふむふむ、なんだ?」
興味津々なジョニーに、クリスは真顔で言った。
「僕は、病気かもしれない。それも重度の心の病だ」
「……は?」
紅茶を持ったまま固まる友人。
「もしかしたら、入院が必要かもしれない。でも、そうなる前に、こうして君には話しておきたい。そう思ったんだ」
「ちょ、ちょっと、待てよ! 心の病? お前が?」
わかりやすく動揺する僕の友人、ジョニー・ライデン。
「ありえねぇだろう! 最優秀生徒の首席として、この学園での頂点に立っているお前が!? 学園の王子様を呼ばれ、この俺様がライバルと認めたお前が、心の病だと!?」
「……僕は、君のライバルだったのか」
思いがけないところで、友人の本心が聞けるものだ。
予想以上の反応をするジョニーは、眉間に手を当てて低く唸る。
「ま、まぁ待て。落ち着こう。そう思った根拠は何だ。なんだったら、今すぐドクの奴を起こしてくるぜ」
「その必要はないよ。とにかく僕の話を聞いてほしい」
「お、おう」
いよいよジョニーも真剣な目になる。
だからこそ、僕も本心で語ることができる。信頼できる友人だからこそ。
「症状は、少し前からなんだ。魔法学の授業を受け終わった後くらいから」
「終わった後から?」
ごくり、とジョニーが息をのむ。
「彼女の顔が、忘れられないんだ」
「……は?」
「寝ても覚めても、彼女のことが頭から離れない。笑っている顔、少し不機嫌な顔、不安を押し込めている顔、そのどれもが脳裏に焼きついている。彼女は今、何をしているだろうか? どんな事をして過ごしてるんだろうか? そんなことを考えただけで胸が苦しくなる」
「は、はぁ」
「なぁ、ジョニー。僕の最大の友人よ。これから僕はどうすればいいのだろうか。こんな症状に効く薬は、どこで処方されているのだろう」
「……お前、それは」
ジョニーが感情のない瞳で言った。
「それは、とんでもない病気だな。すまない、俺も気づいてやれなかった。まさか、お前がここまで苦しんでいたなんて」
……。
……、……。
友人の告白に、ジョニーは苦痛に顔をゆがめていた。まるで、その痛みが自分のもののように。
「いや、いいんだ。全ては僕の心の弱さが原因だから」
「そんなことはない! お前はよくやっているよ! 確かに治療が難しい難病かもしれない。それでも、俺たちは友達だぜ。もし入院になっても、絶対に見舞いに行くからな!」
「ジョニーっ!」
「クリスっ!」
がばっ、と固い握手を交わして、互いの友情を確認する。
「何があっても、僕たちは親友だ!」
「あぁ! 俺たちの友情は永遠のも―」
ジョニーが涙を浮かべながら、力強く握り返す。
その時だった。
ドタドタドタッ、と何者かが階段を勢いよく駆け下りてきて、ラウンジに飛び出してきた。
そして―
「やかましいっ、この馬鹿野郎ども! 朝っぱらから大声で叫ぶんじゃない! 外科の患者にしてやろうか!」
その手に持っていた医学事典を、ジョニーの顔面に向かって投げつけたのだ。
「ふべらっ!」
異国情緒のある美貌が、医学書によって醜く歪む。その人物を見て、クリスは慌てて声を上げた。
「ど、ドクっ!? まだ寝てたんじゃ!?」
「あん!? 寝てた? 寝てただぁ!? 昨日からずっと起きっぱなしのボクに向かって、寝てただとぉ!?」
白衣を着た小柄な少年。寝不足で、目つきだけが異様に光っている視線が、クリスを貫く。
「いい度胸じゃないか、クリストファー・スミス。外科の患者か、内科の患者か。どちらでも好きなほうを選ばせてやるよ。ちょうど経過観察していた患者が退院してしまったところなんでな」
「お、落ち着いてくれ」
「大丈夫だ、安心しろ。ボクは全てを診れる医者を目指している。その礎になれるのだから、君も本望だろう?」
「わ、悪かった! 大声出したことは謝るから、ちょっとは落ち着いてくれ!」
「ふん! 今度、騒いだら。頭をカチ割って、脳外科の患者にしてやるからな」
いったい、何をするつもりなのだろうか。
「あぁ、それとな。クリス」
少しだけ落ち着きを取り戻した医者志望の友人は、事もなげに言い放った。
「どんな名医でも、お前の症状は治せないぞ。そんなベタベタな恋の病、こちらから願い下げだ」
まったく、と悪態をつきながら、床に倒れているジョニーを跨いで医学書を拾い上げる。そして、テーブルの上に紅茶があることに気がつくと、なんの断りもなく持ち去ってしまった。
「……恋の?」
「……病?」
寮のラウンジに残された二人は。
腕を組んだまま、首を傾げていた…
・次話更新は、9/24(金)の20時です。よかったら見てやってください!
・ちなみに作中の新聞にあった記事。『違法薬物が蔓延する社会』は伏線だったりします(笑)




