プロローグ 異形
――ギャァアアアアアアアアア!!!
少しだけ遠い場所で、誰かの悲鳴が轟く。
甲高く悲痛に満ちた声は性別が判別できないほどに歪んでいる。
声は空間を残響しながら薄闇に溶けていった。
血の臭いが鼻を突く。
生臭い血臭が講義室に充満している。
口で息を吸ってさえも鼻腔に通るほど、酸素は鉄錆臭くなっていた。
それはおそらく講義室中に散らばった学生たちの亡骸のせいだろう。
バラバラに、あるいは粉々になり、今もなお流血を続けている体から発せられているものだ。
仄かに混じる脂っぽさが凄惨な遺体を思わせ、吐き気もこみあげてくる。
喉の奥の方で熱いものが逆流するのを感じて呑み込む。
しかし吐く訳にはいかない。
音をさせてはいけない。
僅かな動作にさえ気を配り、身動ぎ一つに注意した。
そうでなければ自分もまた、学生たちと同じ末路を辿るかもしれないのだ。
須藤 佳奈は講義室の長テーブルの下に蹲り、じっと息を殺して潜んだ。
自分を付け狙っている”あれ”に見つからないように。
ここにいることを悟られないように。
どうか神様、と無宗教ながらに高位の存在に祈った。
ズルズル……ズル……ズル……。
何か大きくて柔らかいものが這いずるような音が、数メートル先でずっとしている。
何かを探している動きで、決して時速2、3kmを超えない程度の速度で。
その探しているものとは佳奈のことであり、それが分かっているから彼女は巨大になった”あれ”に発見されることを恐れる。
ズルズルズル……ズルズル……。
”あれ”が今どんな姿形をしているのかは定かでない。
だがそれはきっと、とても恐ろしく禍々しくおぞましいに違いなかった。
そして認知されてしまったが最後、襲いかかってくることだけは間違いない。
捕まれば、いったいどのような残酷な方法で惨殺されるのか考えようとして、あまりに恐ろしくなり必死に思考を殺す。
「……ちゃん……どこ……えちゃぁん、どこぉ……」
あれが聞き覚えのある声を発していた。
間違えようもなく、佳奈のよく知る人物のそれだった。
そうだと信じたくもなかった。
だが長年耳に慣れ親しんだ声質は否応なく1人の顔を思い浮かばせずにはいられない。
ズル……! ズルッ……ズルズル……!
這い回る音が一際近くで聴こえた。
もう音源は2メートルと離れていなかった。
すぐ近くまで接近されたことで、佳奈は音のする方へほんの少し視線を向けてしまった。
「みぃつけた……」
ぬらぬらとテカる赤灰色の肉の塊。
イモムシのようにぶよぶよと肥満した身体が上体を起こし、背丈は3メートルを超えていた。
その巨体のてっぺんに、ポツンと小さな瘤がある。
声を発したのはその瘤だった。
瘤ではなく、人間の頭部。
紛れもない、妹の顔が取り付いていた。
面白いと思っていただけたら、☆評価、ブクマ、感想などお願いします。
応援してもらえるほどに作品の質がグッ╭( ・ㅂ・)وと上がります。