前世 2
エリックが私より一足先に十歳になった時、魔力持ちだとわかり王都の王立学校に行く事になりました。
魔力持ちは授業料免除で魔法を学べるのです。その代わり卒業後は成績に応じて国に従事する事になります。
遠い王都と離ればなれになる事はとても淋しかったですが、エリックの将来のためです。
孤児のエリックは、このままでは選べる仕事も少ないでしょう。魔法使いとして宮廷に勤める事ができるなら、平民からは大出世です。
それに私もすぐ後を追うつもりでした。
エリックの四ヶ月後に十歳になる私も、王都の商業者ギルドが経営する学校に行けるよう、父と母に頼み込んで渋々ですが了承してもらっていました。
「エリック、身体に気をつけてね。私も後からいくから!」
「うん…」
エリックは何か言いたそうでしたが、結局何も言わず行ってしまいました。
約束通り四か月後には私も王都の商業者ギルド経営の学校に入り、それから成人までの五年間真面目に学びました。
王都にはうちの商会の支店があるとはいえ、遠いロートゥスから入学させてくれたのです。動機は恋心でしたが、結果を残さなければ親不孝というものでしょう。
余談ですが、私は片恋と勉強を両立させて首席で卒業しました。
エリックとは最初の頃は週に一度か二週に一度は会えていました。
そのうち、どんどん魔法使いとしての素質を開花させていったエリックは、いくつかの新しい魔法を作り出したり、古書を解読して古の魔法を復活させたりと忙しい身になっていきました。
月に一度が二ヶ月に一度、三ヶ月に一度と会える間隔は遠くなり、とうとう卒業の年となってしまいました。エリックは王都に残ってさらに魔術を研鑽します。
ロートゥスに戻る日。
さすがにこの日はエリックも見送りに来てくれました。
「ムリしないで、身体に気をつけてね」
「うん。ジェシカも」
「ありがとう、私は大丈夫。……それより言ってなかったことがあるの」
「なに?」
十年も想っていて今更ですが、私は告白をしていなかったのです。
「初めて会った時からエリックが好きなの。エリック、私の恋人になってくれる?」
エリックは初めて見る、ポカンとした顔をしました。
私はいいかげん、この長すぎる初恋をどうにかしたかったのです。
これからは遠く離れてしまいますし、私は一人娘なので、この恋が叶わないなら……
親の決めた相手と結婚しなくてはなりません。
恋人を飛ばして先の事ですが、もしもエリックが結婚してくれるなら、エリックは魔法使いのまま、私が家を継いでやっていけばいいと計画もしていました。
そのために、入学してからコネもたくさん作ったのです。
エリックは怒ったような顔で頷きました。
これも初めて見る表情でしたが、赤くなっていたから不機嫌という訳ではなさそうです。
とにかく恋人になってくれたのです。
私はホッとして、それからとても嬉しくなりました。十年の恋が叶ったのですから。
王都とロートゥスは馬車で三週間かかります。
王都にいた頃もそう頻繁に会えていた訳ではありませんでしたが、この距離は本当になかなか会えません。
私は翌年の二月にようやく王都に来られました。王都の支店との仕事を任せてもらってきたのです。
通常なら王都が本店となるところですが、起業がロートゥスだったのと、やはり他国との貿易で盛んな商業の港町という立地でロートゥスが本店のままなのでした。
ひと月ほどの滞在中、エリックに合えたのは二日だけでした。
半年以上ぶりに会う恋人だというのに、とても淋しいと思ってしまいました。
けれど何年もかけて作り上げている魔法の大詰めだというのではしかたありません。
しかたないと思うけれど…。
哀しいと思ってしまうのは止められませんでした。
私ばかり好きなのね…。
好きなんだからしかたない。
今は忙しいけど、いつかきっとちゃんと、両想いだと思える日がくるから…。
十年以上ずっと思ってきた、諦めのような、祈り。
手紙のやりとりも、私ばかり出していてエリックからは返事は来ません。
郵便事情が悪いので、これはエリックばかりのせいではないかと思われますが。
ただ好きだという気持ちだけで支えていた心は、とても疲れていたのだと、後から気づきました。
そうしてまた一年後。
一年に一度の支店での仕事のために王都にやってきました。
事前に手紙は出してありますが、ちゃんと届いているかはわかりません。
王都に着いたのがもう夕方だったので、エリックには翌朝会いに行く事にしました。
学校に行く前で忙しいでしょうけど、こちらに来ている事と、会う予定を作ってほしい事を手短に話すだけなら大丈夫でしょうか。ダメならまた行けばいいのですし。
とにかく、一目会いたかったのです。
学生寮の近くまで来たとき、向こうから王立学校の魔法科の学生が何人かやってくるのが見えました。
魔法科の制服は見てすぐにわかります。
そして、その男女の集団の一番後ろにエリックがいる事に気づきました。
声をかけて大丈夫かしら。
道のあちら側とこちら側で少し距離がありましたから、大きな声を出さなければなりません。
迷ったのですが、エリックと目が合ったので声をかけようと、口を開いてーーーーー
私は、凍りついたように固まりました。
エリックは、スッと目をそらすと、そのまますれ違って行ったのです。
目があったわよね?
私だってわかったわよね?
……どういう事?
頭の中は怒涛のように疑問が渦巻いています。
通り過ぎたエリックを、私は振り返って見送ります。
いつも忙しかったエリック。
なかなか会える時間もなくて、それでも好きで。
私だけが特別だったロートゥスの頃とは違って、エリックには友達ができたのね。
魔法を使えて、魔法がわかって、共に学んで高め合えるような。
もう、私はいらないのね…。
グルグルと回る考えの中、そこにいきつきました。
その時私は、哀しさよりも安堵の気持ちの方が大きかった事で、気づいたのです。
もう私、待たなくていいのね…。
待ち続けた十年。
返ってこない想い。
告白をして恋人になれてからも、ずっと片恋を続けていたような二年。
ほしくてほしくて、でも最後までもらえなかった気持ち。
そんな全部を、失恋という言葉どうりに、ポイッと失くしてしまったら。
心が軽くなったのです。
失恋したというのに、私は笑顔になっていました。
笑顔のまま初恋の人を見送っていると、少し行き過ぎたエリックが、チラリと振り返りました。
エリックは私を見て、驚いた顔をしました。
恋人だと思っていた人の、あんなに驚いた顔が最後に見られたなんて!
私は声を出して笑ってしまいました。
なんだか身体まで軽くなったような気がします。
さぁ、支店に行って仕事をしようと、帰路に着きました。
学校や役所など行政のある区画と、商業施設のある区画は少し離れているので馬車を使います。
辻馬車を待つ停車場には、小さな女の子を連れたお腹の大きなお母さんがいました。
微笑ましく二人を見ながら、自分の人生設計も書き換えます。
ロートゥスにもどったら結婚をしよう。
もういい歳になっていて両親には心配をかけている。早く安心させてあげたい。孫も抱かせてあげたい…。
その前に旦那様だわ!
今度はちゃんと、愛されているとわからせてくれる人と一緒になって、幸せになりたい。
そんな風に考えていると、何か怒鳴るような声と大きな音が聞こえて
ものすごい衝撃の後、真っ暗になりました。
馬車の事故だとか、馬が突っ込んだとか聞こえます。
あぁ、事故にあったのね…。
私、死ぬのかしら。
せっかくこれから新しく人生が始まるところだったのに。
痛みもなく、ただ無性に寒いと感じました。
あの女の子の泣き声が聞こえます。
母親に痛みを訴える弱々しい声に、母親の声はありません。
お腹の大きかったあのお母さんは無事でしょうか。
神様、あの小さな命と、これから生まれてくる命を助けてください。
神様…。
私に助けられる力があったらよかったのに。
薄れゆく意識の中で最後に願ったのは、祈りのような、思いでした。