1 アリステア ①
最後の花火が夜空に消えると。
娘は自分の部屋に戻った。
カチャリと鍵をかけ。
マントを脱ぐ。
三つ編みの茶色い髪と琥珀の瞳の整った顔立ちの娘が現れる。
娘はぐるりとその船室を眺める。
狭いベッドと小さな机と椅子しかない。
それでもこの個室は三等船室ではかなりお高い。
このタイタニー号は二級船で。
乗客乗員合わせて200人ほどを乗せている。
魔石を原動力に動く。
この船の客は巡礼者や商人が多く乗り込んでいる。
護衛で騎士や冒険者が乗り込んでいることもあり。
たまにだがクラーケンが出るのだ。
船は4・5ヶ所の港を巡り、大きく円を描くようにしてヘレナ島に着く。
巡礼者はヘレナ島のセレナ神殿を目指して巡礼の旅に出るのだ。
娘もセレナ神殿に祈りを捧げるつもりだ。
無理をすれば一等船室の部屋を取れたが。
今後の生活を考えるとできるだけ出費は抑えなければならない。
ぱたりとアリステアはベッドに倒れ込んだ。
そして家族と婚約者の顔を思い出す。
こみ上げてくる嗚咽を抑える。
が……
ポタポタと涙が零れ落ち。
くたびれたシーツを濡らす。
婚約者だった男はそれは美しい人だったが……
~ 数時間前 ~
ボオォォォォ~
遠くで汽笛が鳴る。
タイタニー号が港に着いたのだ。
アリステアは急いで館を抜け出し港に向かう。
夕暮れ時だと言うのに街は活気に溢れていた。
この時期のシュスの港街は多くの船が行き来する。
タイタニー号はこのシュスの港に数時間しか留まらない。
急いで港に向かわなければ乗り遅れてしまう。
港は下船するお客と乗り込む巡礼者や商人でごった返しになっていた。
降ろされる積荷、搬入される食糧。
アリステアは一人、隣の国に向けて船に乗る。
半年に一度隣の国に向けて船が出る。
精霊祭のためだ。
聖女を助けた精霊のいた島がヘレナ島で、聖女が生まれ育った場所でもある。
聖女と精霊達に感謝を捧げる祭り。
巡礼者は生きているうちに一度はヘレナ島のセレナ神殿に巡礼したいと願う。
多くの人ごみの中にアリステアは紛れ込む。
質素な巡礼服に身を包んだアリステアは妹と元婚約者の婚約発表に詰めかけた貴族の馬車とすれ違ったが。
誰もアリステアの事に気がつかない。
無理もない、ただの巡礼者と思われているのだろう。
汚れてはいないが明らかにお下がりの巡礼者のマント。
その下から覗くワンピースは平民の物で。
斜めに掛けられた巡礼者用の鞄もかなりくたびれている。
どっからどう見ても貧乏な巡礼者だ。
平凡な容姿。貴族なのに威厳も品も無い。
アリステアはため息をついた。
美しいストロベリーブロンドに赤い瞳。
月の女神の様だと噂される妹。
美しい妹に比べたら私の容姿は地味で平凡だ。
だから……
彼も妹に魅かれたのだろう。
今日は家出にはもってこいの日。
父も母も妹も弟も元婚約者も私の事など気にも留めない。
今日は大切な婚約発表がある日だから……
家族は浮かれている。
どっちにしろ1週間後、私を辺境の修道院に送るつもりなのだから。
彼らの中で、私の存在はすでに無いのだろう。
いえ……
昔から私は幽霊のような存在だった。
両親と妹と弟がお出かけするのを指をくわえて見ていた。
私は体が弱いと言うことになっている。
外に出してもらった事は無い。
父と弟以外で異性の知り合いは婚約者だけだった。
いえ……元婚約者ね。
婚約者(彼)だけは、私だけに与えられた人だった。
でも……
銀髪で銀色の瞳のあの人は……
いつだって切なげに妹を見ていた。
月に2・3度訪ねてきてくれて。
三人だけのお茶会。
(護衛騎士やメイドは側に控えていたんだけれど……)
なぜかいつも妹が彼の横にいたわ。
楽しそうに私の婚約者とお喋りする妹。
嫉妬で心が黒く塗りつぶされる。
貴方は何て欲張りなの‼
お父様の愛も、お母様の愛も、弟の愛も、みんなみんな持っているじゃないの‼
これ以上私から奪わないで‼
……
いけない……
いけない……
心まで醜くなってはいけない。
茶色い髪で琥珀色の瞳の私は平凡な顔をしている。
人ごみに紛れたら見つからないモブ顔だ。
私は何度も何度も自分に言い聞かせた。
人を惹きつける外見だけでは直ぐに飽きられる。
お洒落よりも知性を磨くべきよと……
婚約者にふさわしいレディにならなくてはと。
一生懸命勉強した。
家庭教師の先生も褒めてくださった。
先生達はみんな女性で、家庭教師として自立していた。
羨ましいと思った。
先生達は自分の仕事に誇りを持っていた。
ああ……
私も先生達のように誇り高く生きれたら。
妹に醜い嫉妬を持たずに済んだだろうか?
婚約者はデビュタント用にと、ドレスとアクセサリーをくださった。
平民の成人は15歳だが。
貴族の成人は16歳だ。
婚約者の瞳と同じ銀色のドレス。
首飾りは妹の瞳と同じ赤いルビー。
この国のデビュタントは婚約者がいない場合は白いドレスだ。
婚約者がいる者は、婚約者から婚約者が纏う色のドレスを贈られる。
アクセサリーは自分の色だ。
私が送られたドレスの色は婚約者(エイデン様)の瞳の色。
首飾りは私ではなく妹の色だった。
誰を思って作られた物か、すぐに分かった。
一度も身につける事の無かったドレスと首飾り。
それらは売られ。
私の旅費になったから、完全に無駄と言う訳では無かったわね。
私にメイドと護衛騎士が付けられたのは13歳の時だった。
エイデン様のお父様がわざわざ私の為にやとってくださったの。
メイドの名前はエラ・ミエド。
黒髪で緑の瞳だったわ。バーグ侯爵家に16歳の時から仕えていたという。
この国ではエラと言う名も、ミエドと言う姓もありふれた名だが。
エラはそつなく仕事をこなす人で。
男爵家の5女で礼儀作法に厳しかった。
護衛騎士の名はアデソン・ミエド。
彼は侯爵家の3男で私より5歳年上だ。
騎士もメイドも何処かよそよそしくって……
監視されてる様で、心から馴染め無かった。
今にして思えば。
あれは……
憐れみの目だったのだろうか?
二人はこうなる事が分かっていたのかも知れない。
二人は私が15歳になった時、妹に仕えるようになった。
「お前とエイデン殿との婚約は解消された」
その日は私の誕生日だった。
久しぶりに父の書斎に呼ばれてそう告げられた。
「その代わりエイデン殿の新たな婚約者はソフィアになった」
顔から血が引いた。
ガクガクと手と足は震え、私はお父様に尋ねた。
「理由を……理由を教えてください……」
私はエイデン様の妻にふさわしくなるために努力した。
勉強もマナーも刺繡もダンスもピアノも……
一杯一杯頑張った。
努力が足りなかったのだろうか?
「お前の知る所ではない」
冷たい父の声。
確かに貴族の結婚は政略結婚がほとんどで。
恋愛結婚などほとんどない。
「話は終わった。小屋に帰ると良い」
そう……私だけ館から離れた庭師が住んでいた小屋に住んでいる。
物心ついた時には私は小屋にいた。
乳母が私を育ててくれたが……
乳母も気がつけばいなくなり。
乳母を探して裏庭の小川にさしかかった時。
洗濯女のお喋りを聞いてしまった。
私は草むらに隠れる。
呼ばれもしないのに館に行った時、両親にこっぴどく叱られたのだ。
下女達に見つかったらまた、お母様に叩かれる。
「リリー婆さん首になったんだって?」
「ああ。小屋に住んでいた人だよね」
「何をやらかしたの?」
入って来たばかりの洗濯女が尋ねる。
「何でもお嬢様を小屋に住まわせるのはあんまりだと。抗議したらしいよ」
「えっ? あの子婆さんの孫じゃなかったの?」
「あたしもそう思っていたんだけれど、どうやら奥様がお産みになられた実子らしいよ」
「実の子なのに虐げるの?」
「ああそれは……」
お喋りな洗濯女が口を開きかけた時。
「シーツを洗うのにいつまでかかっているの‼」
メイド長が三人を怒鳴る。
三人は慌ててバケツにシーツを突っ込むと洗濯を干す場所に駆けていった。
メイド長は私がコッソリ覗いていたことに気付かないようだ。
「全く。リリーも余計なことを言って。奥様の八つ当たりを食うのはこっちなのに……」
そうブツブツ呟くと館の方に帰って行った。
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2020/2/25 『小説家になろう』 どんC
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タイタニ―号の航路を付け加えました。