小学校の校歌なんて「凄いぞ僕らの山・川」がほとんど
奈良県と大阪府の県境に聳える山、二上山。今でこそ『二つの山頂』の意味で、「にじょうざん」と呼ばれるが嘗ては『それぞれ雄岳と雌岳に宿る神』つまり、男女二人の神様として「ふたかみやま」と呼ばれていたという。奈良県側の大和の民達からは「天の二上」(あまのふたかみ)や、西側にあることから「日没の山」とも呼ばれていたそうだが。
真相は分かっておらず、荒ぶる魂によって境界の守りとする為とも、単に嘗て太陽の沈む西側に死者の世界があったと信じられていたからとも言われるが、二上山には大津皇子が眠っていらっしゃる。
二上山は、讃岐岩が良く採ることが出来て特産品になっており、二上山は死火山の為、大阪側には太子温泉がある。飛鳥時代以前は、正しく日本の中心地であったからこの山の近くには日本最古の菅道もある。
これは、そんな二上山の雌岳にある祠に刻まれたもう誰も知らない、知ることの出来ないもう一神の神蛇大王の話である。
「りゅーさん!りゅーさん! 」
そう興奮気味に走る少女は都。歳は十七、八ぐらいだろうか。巫女装束を身に纏っているが特に何処かの社の巫女ではない。神に仕えるといった点では同じであるが。
「どうかしたのか?都」
読んでいた巻物から目を離して答える男性に決まった呼び名は無いが、都がりゅーさんとしか呼ばないのでここ十数年はりゅーさんである。
「遂に完成したよ!この……風鈴が! 」
都が仰々しくりゅーさんの前に出したのは、讃岐石で作られた風鈴だった。
「今回のは音色重視の自信作ゥ! 」
と踏ん反り返る都に対してりゅーさんはクスリと笑うと
「じゃあ風通しの良い所にでも吊るか」
「えー。そこは、早速聞いてみるか。とか言うんじゃないのー?」
りゅーさんのマネ(?)をしながら都は抗議する。
「こーゆーのは、ふとした瞬間に聞こえてくるから良いの。都の自信作なら尚更一番いい音で聞いたい」
都は自分のなら。と、事も無げに言うりゅーさんに顔を若干赤くしつつ
「それなら良いのだ」
と言いながら都は、既に背を向けて歩き出しているりゅーさんを追いかける。
何様のつもりだ。お子様だ! 都様だ! ……夕餉の支度を始めろ。食べている最中に良い音が聞こえるかもな。はぁい。
—―その日の二上山は騒がしかった。
「最近多いねぇ……。りゅーさん何も悪い事してないのに」
竹箒に顎を載せながら都がぼやく。
「毎日怠惰に過ごすのは十二分に悪い事じゃあないか? 」
その言葉にりゅーさんが反応するが
「社会から一度も施しを受けた事も無いのに社会の為に働く必要はないでしょう?対価も無しに神サマが動く訳ないのは私でも分かるよ」
「この状況を見るに、都『でも』じゃなくて都『だから』分かる事なのかもな」
そもそも自分を神だと思っているのは都だけだろうがな。とりゅーさんは独り言つ。
「んじゃあ、追い払って来るわ」
「ん。行ってらっしゃい」
都に片手を挙げることで応えて、りゅーさんは巨大な穴に飛降りた。
数分後、激しい轟音と共にりゅーさんの討伐対が二上山を駆け下りていった。
その日のもう斜陽も消えようかという時間にりゅーさんは都の下に戻ってきた。当然、いつも通り直ぐに帰ってくると思っていた都は怒り心頭に発していた。そんな都を華麗にスルーし、りゅーさんは釣ってきた魚を焼き始める。いつも通りである。
都は自身に降りかかる強力な圧によって目が覚めた。否、強制的に意識を覚醒させられた。と言った方が正しいだろう。本能が、敵わないと、逃げるべきだと訴えてくる。何からなのかは、分からない。しかし、逃げなければソレから逃れなければ、
――――殺される――――
けれども、体は痙攣を起こし自由に動かせず、過呼吸になっていて真面に息も出来ない状態だ。自分が何に対して怯えているのか分からない事も恐怖を増長させていく。何の前兆もなく、いきなり都の背中にナニカが当たる。都は悲鳴を上げることも出来ない。
「――大丈夫か。都」
その声を聞いた瞬間、体にかかっていた圧が消え、体中の力が抜ける。
「りゅ。りゅりゅ、りゅー、さん……」
原因不明の圧が消えたからといって、恐怖は消えない。寧ろ時間を増すごとに強くなっていく。
「大丈夫だ。大丈夫」
りゅーさんの声を聞いていると、だんだん落ち着いていくのが分かる。りゅーさんが何か力を使ったのだろう。と都は考えた。恐らくは都にかかっていた圧も。
「立てるか? 」
りゅーさんの問いに都はふるふると首を振ることで返事を返す。
「腰、抜けちゃったみたい……」
「分かった」
と言って、りゅーさんは都を横抱きする。所詮お姫様抱っこ、と言うやつである。
りゅーさんは外に出ると、都をそっと下ろし、本来の姿へと変える。巨大な巨大な大蛇である。りゅーさんは、その黄色い蛇特有の眼で都を見つめ、口を開く。都は、何の躊躇いもなくそこに入る。りゅーさんは口を閉じ、大穴へと入っていく。
「ここまで来れば彼奴の知覚範囲外だろう」
油断は出来んがな。と、りゅーさんは都を安心させる為なのか、普段より少し大きな声で言い切った。その事に気が付いた都は、思わず頬が緩んだ。
「ところでりゅーさん、今何が起こっているの? 」
「大妖怪が空に現れた。アレに勝る者はそうは居ない」
「りゅーさんは気付いていたの?」
「いいや。恐らく隠り世の類を移動して来たのだろう。当然現れた」
都に危険が及ぶ事は極力避けたいしな。と続ける。
「そろそろ、その服をどうにかしないとな」
都の巫女装束はりゅーさんの口に入った時に付着したりゅーさんの唾液でいっぱいだった。
「えー。これ何だかりゅーさんに染められているみたいで好きなんだけど」
と都が言うと、りゅーさんは馬鹿野郎。と都にデコピンをする。
「野郎じゃないですぅー。歴とした女の子ですー! 」
「はぁ、いいから立て」
「仕方がないなぁ……」
りゅーさんは、渋々といった様子で立ち上がった都の肩に手を掛ける。すると、都の巫女装束が仄かに光り始めた。上部から徐々に光の粒子となって大気中に消えていくのと同時に、新しい巫女装束が顔を覗かしていく。あっという間で長い時間の神技が終わる。
「そういえば、此処はどの辺りなの? 暖かい地下みたいだけど」
「この山は火山だからな。暖かい場所なんてちょっと探したら、直ぐに見つかるさ」
「でも、この空間は自然に出来た場所じゃないでしょ? 大きすぎるよ」
「まぁ、な。ここは力で空間を固定しているからな。都がやってくる前までここに引き籠って居たんだ」
「……なにそれ。やっぱりあの時もりゅーさんは何も悪い事してい
なかったんじゃない! 」
「お前には「待った! 」な、なんだ? 」
「私はこれで良かったの。りゅーさんにあえたから。もしも、あの時に戻って贄の話が無かったとしても周りの大人達を焚きつけて、ぜっっっったいに戻って来てやるんだから! 」
「その時は都のせいで、また冤罪被害に遭うんだが? 」
「私がりゅーさんの下に来れない事に比べたら些細な事よ」
りゅーさんが笑いながら問うと、都は些細な事だ。と胸に手を当てながら言い切る。軈て二人は笑い始めた。
「さて、じゃあツケの清算をしてもらう為に行ってくる」
「ツケ? 」
「最近麓を騒がしていたのは、大妖怪サマの下の下級妖怪共の仕業だったみたいだからな」
「やっぱり謂れの無い罪で叩かれるのは嫌? 」
「どちらかと言うと、表立って助けた方が評価変わるかな。って打算だな。山を、都との生活を騒がせずに過ごしたいからな」
「……もしかして、その大妖怪を退治するのって余裕? 」
「姿を見せなければ、な。ただ、姿を見せるなら力の準備の隙が無いだろうからなぁ。それに、恐怖の時間が長ければ長いほど有難みが増すだろうから、蛇らしくゆっくりと狡猾に仕留めさせてもらうとするよ」
りゅーさんは悪そうな笑みを顔に浮かばせて言った。
山頂に戻ってくると、麓の町が燃えているのが良く見えた。例の大妖怪は未だ上空にいる。空から落ちている黒ゴマに見えるモノは、何も力が感じられない空間から現出している事と感じる妖気から大妖怪の手駒達だろうと推測できた。
「じゃあ、殲滅? 討滅? 始めるかね」
りゅーさんは本来の姿に戻ると全長の四分の一ほどを起こした。すると麓の人間達の騒ぎが激しくなるのが分かった。そして、妖怪達も驚きを隠せずにいた。ただ大妖怪だけを除いて。知っていながらこの町を襲う。それほどこの町の破壊が重要なのか、此方へ対しての宣戦布告の代わりなのか。りゅーさんはそれを判断する術を持ち得ていないので取り敢えず蹂躙を始めようとすると、隣の雄岳でりゅーさんが居竦むほどの神力が発せられる。りゅーさんが嫌な予感を感じていると、何者かがりゅーさんの身体を猛スピードで駆け上がってくる。その者は、りゅーさんの頭蓋を踏み台にして跳び、目の前にやって来た。
目の前で宙に浮いている少女にりゅーさんは珍しくドスの効いた声で話しかける。
「おい。豊布ゥ……。なに勝手に都の体を使っているんだ? 」
「だって、あんなに面白そうなコトやっているのに参加しない選択肢が私の中に存在するはずが無いじゃない! でも、刀身であの場に出るのは恰好が悪いじゃない? そこら辺の人間は私の力に耐えられずに死んでしまうし。その点、この子は幼い頃から多少毛色が違うとはいえアナタの神力を直ぐ側で浴び続けているし、服として身に纏っていたから私が入って死ぬことは無い。完璧じゃない! 」
どこが完璧なのかりゅーさんには分からなかったが、
相手が一度決めるとそう止まらない事を、身をもって学んでいるので、説得して都の体から追い出すよりも妖怪達をサッと片付けた方が結果的には都の体への負担が小さいだろうと考えた。
「はぁ。分かった。じゃあ上のを頼めるか? 」
「モチロン! 私の使い方分かってるね。」
「これだけ一緒にいるとな」
もしも、下の手駒達の相手を頼んでも喜んで引き受けてくれるだろうが、その場合は戦闘が終わっても都の体を返して貰えない可能性がある。彼女は無意識に強敵を求めているので、本人には理由が分からないが心にモヤモヤしたモノが残るのだという。
そんな状態で都の体からこの神が出て行くとは到底思わなかった。
りゅーさんが山を下り、豊布都霊神が空を翔ようとした時、町の一番高い建物を上限に幾何学模様が描かれた黄色い透明な膜が張られた。
「こいつは……」
「土地神サマ。だね……」
普段あまり関わりがなく、ドライな性格をしている者からの思わぬ援護に戸惑う二神。しかし、ある物は遠慮なしに使ってしまえ精神の二神は、気を取り直して韋駄天もかくやとばかりに飛び出した。
りゅーさんは、現出した直後の下級妖怪を喰らい、身体を唸らせ中級、上級妖怪も潰していく。幸いにも下級妖怪最強とうたわれるアレがいなかった様で想像よりかは楽に殲滅が進んでいた。
問題は、豊布都霊神の方。豊布都霊神。またの名を武雷神。
その名は全国に知れ渡り、信仰がものを言う神力はトップクラスだ。一瞬にしてここら一帯を焦土と化すのは余裕だろう。しかし、刀身のまま参戦していたなら未だしも、人間の体を
借りている今その力を引き出そうとするだけで、この体は壊れるだろう。しかし、目の前にいる相手に体の安全を第一に考えていたら勝てないだろう。そこで武雷神は思い切って一厘にも満たないが、力を引き出す。それがこの体の限界一歩手前だと感じたから。ほんの少しとはいえ、力を取り戻した武雷神の発する神力は跳ね上がり、羽衣のようなものが現れる。手に携えるは自分自身、武雷神だ。武具の神は力の一部を使って、その力に値する自身の複製を顕現させるが、武雷神の様に、勝手に羽衣等が出てくるのは稀である。りゅーさんの怒号が聞こえるが気にしない方向で。
武雷神が力を引き出した事に直ぐに気付いたりゅーさんは、
武雷神に叫び、より動きが荒れ、正に町人達が言っていた魔物に近くなっていた。
が、当の本人達は、初めこそ恐れ、絶望したものの、自分達を守る様に表れた膜は妖怪の侵入を防ぎ、既に中にいた妖怪を外に追い出すもの。という事に気付き、自分達が魔物と恐れ、襲ったのにも関わらず、身を挺して自分達を守ってくれている。
と考えた町人達は最大限の敬意を込めてりゅーさんのことをこう呼んだ。
竜王。
―――――神蛇大王――――――
と。