エピローグ
ネビウスの逮捕から一ヵ月が経った。
しかし、全てはそれで終わったわけではなくて。
平穏を取り戻した俺たちに訪れたのは、また新たな戦いの日々だった。
「亜衣さん! ブレンド二つ、三番テーブルです!」
喫茶店『ブレイク』の店内に、元気な声が響き渡る。
メイド服を改造したような制服を身にまとったスタッフたちが、店内をあちこち駆けまわっている。
「わかったわ。悠里、五番テーブルのオーダー取りに行ける?」
「待った。そこは俺が行くから、悠里はケーキの仕上げに専念してくれ」
「了解です!」
「風真、六番テーブル行ける?」
「行けないから三番にブレンドを出したあと頼む!」
「氷魚、ご新規様を待ち席に案内したあとに、二番テーブルの片付けを頼む!」
「一番テーブル、風真君お願い!」
「わかった!」
ブレイクのリニューアルオープンからしばらく経つが、来店客は日に日に増していた。
つまりは、亜衣のコーヒーが大当たりしたわけである。
「ようやく営業終了ね」
十七時。閉店時間を迎えた俺たちは、ようやく激務から解放される。
少女たちは全員バテバテの状態で、店内のソファーに座ってくたびれている。
そんな彼女たちをねぎらうのが、今では閉店後の俺の仕事となっていた。
本来なら俺も一緒に疲れるほど働きたいのだが、毎日義足を壊してしまったら、一週間経たないうちに店は倒産してしまう。結果、労働時間が制限されてしまっているのだ。
「……風真君、そろそろ聞いてもいい頃だと思うのだけれど」
ウエイトレス姿の氷魚が、テーブルに突っ伏しながらギロリと俺を睨んだ。
「私が普通に手伝わされるのはどうしてかしら」
「そんなの、毎日店に来る方が悪いだろ」
恨みがましく言われたところで、自己責任なんだから仕方がない。
そりゃ、正直、最初は気を遣っていた。
それでも、懲りずにいつも来て手伝ってくれるから、気が付けば普通に従業員扱いしてしまっている。
「まあ、ここにいると色々と情報が手に入りそうだからいいんだけどね」
元ボディーガードの俺。
全国最大規模の警備会社の悠里。
元殺し屋の亜衣。
確かに、氷魚にとってはこれ以上の情報源は願ってもない話だろう。
ギブ&テイクがちょうどいいバランスになっているじゃないかと勝手に思っている。
「はい。お疲れー」
フラフラになりながらも、亜衣がコーヒーをトレイに乗せて現れる。
誰が頼んだわけでもないのだが、閉店後にコーヒーを淹れるのは自然と亜衣の役割になっていた。
まあ、一番美味しく淹れられるのは亜衣だし、本人も自分のコーヒーを飲んでもらえるのが嬉しそうなので、これもまた適材適所なんだろう。
さっそく、淹れたてのコーヒーを飲んでみる。
「あれ、このコーヒーって……」
俺の反応は期待通りだったようだ。亜衣は、誇らしげに微笑んだ。
「そ。あのときのコーヒーよ」
つまりは、初対面の時に飲ませてもらったコーヒーのことである。
「俺が一目惚れした味だな」
「…………」
「…………」
「…………」
刹那。それまでの談笑ムードに、沈黙が訪れる。空気が一気に冷え込んだといってもいい。
何故か、俺に向けて三人の少女の視線が鋭く突き刺さる。
あれ? 地雷踏んだ?
「……その一言が大騒ぎを引き起こしたってことを、いい加減に自覚しなさい」
当然のごとく、氷魚に叱られる。ごめんなさい。
俺は最初から言ってたつもりだったんだけどな。
一体、どうして俺が亜衣のことを好きになったと判断されてしまったのか。
日本語って、本当に難しいよね。
「あの、亜衣さん。ブレンド用のコーヒー豆が少なくなってきたんですけど、空いているときにお願いできます?」
悠里は、リニューアル後はスイーツの調理と兼任で在庫管理を担当していた。
疲れている亜衣に対して、時間の空いているときでいいと言えるのは、悠里の優しい性格が成せる業だった。
「オッケー。後で買いに行ってくるわ。どうせ風真もついてくるしね」
しかし、それも亜衣の一言で様子が一変する。
「むー。どうして先輩を連れてく必要があるんですか?」
「風真は私との先約があるんだけど」
続けて口を開いたのは、氷魚だった。あれ? でも、先約なんてあったっけ?
「ごめんごめん。他にもいっぱい買い物あるから、荷物持ちが必要なの」
「いっぱいって、コーヒー豆だけじゃないのか?」
「何言ってんの。今日からここに住むんだから、色々と必要でしょ?」
「……は?」
何言ってんのはこっちのセリフだ。
そんなの初耳だから。
「だって、ずっとホテル暮らしなんてお金がかかってしょうがないじゃない」
「いやいやいやいや、だったら近くでアパートなりマンションなり借りればいいだろ?」
「私、戸籍ないんだけど」
そういやそうでした。それじゃあ借りられないよね。
でも、そんなの絶対に反対意見出るだろ。
「ダメですダメです! 性欲先輩と一緒に住むなんて危険すぎます!」
「そんなの風真君に手を出してくれって言っているようなものよ!?」
反対してくるのはわかってたけど、こいつら言いたい放題だな。
「何言ってんのよ。約束したじゃない」
えー。
胸に手を当てて考えてみるが、全くもって心当たりがない。
「ずっと守ってくれるんでしょ? 私のボディーガードさん」
どうやら。
俺たちの賑やかな日常は、まだまだ始まったばかりのようだった。