第5話
私には病気がある。
風邪のような病ではない。普段、日常生活を送る上においては全く問題がないのだから。
その病気は、仕事中に必ず訪れる。
仕事中になると、頭の中で歌が聞こえるのだ。
鼓膜を震わして届く通常の歌ではなく、脳裏から響くように伝わってくる歌。
そのメロディーを友達に訊いてみると、どうやらそれは賛美歌のようだった。
タイトルは『いつくしみ深き』というそうだ。
私は生まれてから一度も教会に行ったことがない。正確には、行った記憶がない。
物心ついたとき、私は暗い昏い地下の底にいた。
もしかすると。
記憶を失う前に聞いたときのものが断片として残っているのかもしれない。
それにしても、よりにもよって賛美歌だとは笑わせてくれる。
自分を信じるものしか救わない神様よりも、弾詰まり(ジャム)を起こさない拳銃の方がよっぽど信じられた。
私は銃を撃つ。賛美歌をBGMにして、銃を撃つ。
一発。二発。三発と。あ、動かないでよ弾がもったいないから。そんな感じで四発目。
気が付けば、歌のことを教えてくれた友達は死んでいて。
最初は他にもいっぱいいた友達も死んでいて。
気が付けば、私はひとりぼっちになっていた。
その友達を殺していたのが私だったということに気づいたのは、しばらく経ってからのことだった。
外に抜け出してから出会った人はとても親切な人で。
何も持っていなかった私に新しい拳銃を与えてくれた。
そして私はまた人を殺した。
だけど、ある日、親切な人は死んでしまった。
また一人ぼっちになった私は、また新しい人に拾われた。
ソイツは前の人とは違ってとてもとても厳しい人で。
私に温かいご飯と愛情を与えてくれた。
後から教えてもらったけど。
ソイツも私と同じように不思議な病気を持っていて、もう長くは生きられないとのことだった。
ソイツは言った。
死ぬまでの間に、人として当たり前のことを教えてやると。
それから、学校で習うような勉強から、一般常識や社会常識を教わった。
本当につまらない時間だったけど、唯一、家庭科と称したコーヒーの勉強だけは面白かった覚えがある。
長いような短いような時間が過ぎた後、ソイツにもついに終わりのときがきた。
ソイツは最後に言った。
もしも困ったら、自分の息子を――藤堂風真を頼れと。
また一人になった私は、とりあえず藤堂風真を探すことにする。
でも、広い世界の中でたった一人の人間を探すことはとても難しくて。
諦めた末、私はもう一つやるべきことを思い出した。
私はもう一度拳銃を手に取った。賛美歌をBGMに、人を殺し始めた。
友達の仇を討つために。
殺し続けた甲斐があって、ようやく私は友達の仇を見つけることができた。
もう少しで全てが終わる。
そう思っていた矢先だった。
私は、ついに出会ってしまうことになる。
―――――藤堂風真という、変なボディーガードに。
◇
都心にある、高層ビルの屋上。
風が強く吹き荒れる中、その男は一人ふてぶてしく立っていた。
漆黒の髪に、黒い瞳。全身を覆うのは黒のコート。闇に溶け込むような姿は、記憶の中の映像と重なる。
私は、男へとゆっくり歩み寄る。頭の中には、いつものように賛美歌が鳴っていた。
「久方ぶりだな。AI」
「ええ。そっちも元気そうで何よりだわ」
まずは、軽い挨拶から。
男はただならぬ威圧を発しているが、恐怖心はない。あるいは、もう麻痺してしまっているのか。
そいつの声を聞けば聞くほどに、私の中にある意思はより強く固まってくれた。
「ようやく会えたわね。前世の恋人にでも会ったような気分よ」
「ずいぶんと洒落た言い回しを覚えたものだ。何の用だ、と聞く必要はないんだろうな」
「そうね。私があんたにある用件なんて、ただ一つしかないもの」
男に向けて、ベレッタを突き付ける。
「さようなら、ネビウス」
トリガーを引く。
一発、二発。
闇に火花を散らして放たれた銃弾は、ネビウスがまとうコートの中に吸い込まれる。
ドサリ。
音を立てて、ネビウスが崩れ去った。そんな、いとも簡単な作業。
一歩ずつ、倒れたネビウスへと近づく。
そして、それは目の前まで来たところで起き上がった。
「――まさか、あの程度で死んだとは思ってないだろうな!?」
黒いコートを翻しながら、ネビウスは闇に舞う。
「そんなこと、わかったわよ!」
隠しナイフを片手に、私は叫ぶ。
だって、賛美歌はまだ鳴りやんでいない!
ネビウスのコートが防弾性能を持っていることは知っている。銃弾で決着をつけるつもりは、最初からなかった。ナイフで切り刻まれるのが、あんたにはふさわしい。
ついに、ネビウスが動く。
右手にはナイフ。左手にはマシンピストル。
マシンピストルでばら撒かれる銃弾を、私は駆けながらかわす。
逃げ続ける。
避け続ける。
そうやって、マガジンの弾が切れた頃に私は攻勢に移る。
右手には隠しナイフ。左手にはベレッタ。
牽制の一発で、一気に距離を詰め、武器を持つ手をナイフで狙う。
それが避けられたら、動いた先へと銃撃を放つ。
ネビウスがマシンピストルの弾倉を変えると、私は再び逃げに徹する。
その繰り返し。
「ふん。よく調べているものだ」
ネビウスの戦法を知り尽くしたゆえの戦法は、ぶっつけ本番ながらも通用しているようだった。
私たちは殺し屋であり、訓練した動きは戦いに重きを置いていない。
決定打にはかけるが、こうやって相手のミスを誘うしかなかった。
「だが、こういうのはどうかな?」
……え?
背後から気配を感じて、咄嗟に避ける。
それは、予測外の方向からの銃撃。
黒い髪。漆黒のコート。唯一違うところは、顔にかけられた仮面。
二人目のネビウスが、そこに存在していた。
あれは、まさか。
「俺のコードネームの意味を知っているだろう? 歪んだ連鎖。あれが、次の後継者だ」
後継者の動きは、ネビウスと類似していた。
ナイフにマシンピストルと武装も同じ。後継者に選ばれるにふさわしい模倣ぶりだった。
さすがに、これは無理かな。
判断は早い方がいい。
私は、生きることを諦めた。
戦法を捨て、ネビウスがいる方向へと直進に駆け抜ける。
せめて、あいつだけ殺せればいい。
「あああああああああっ!!」
喉が引き裂けそうなほどの叫びをあげて、ナイフ片手に突進する。
その間、ベレッタが弾切れするまで撃ち続ける。
「……あまりにも醜すぎるな」
タタン、と視線の先でネビウスのマシンピストルが火を放つ。
それは、私の足に命中したらしく、バランスを崩した身体は勢いをそのままにコンクリートの地面へと転がった。
「――くっ!」
起き上がろうとするが、焼けるように痛む足が邪魔をして立ち上がれない。
それでもとベレッタをネビウスに向けて撃ち放つが、一発撃ったところで弾倉は空になってしまう。
「さよならだAI。A計画は失敗したが、お前はなかなか楽しめる玩具だったよ」
マシンピストルの銃口が、私に向けられた。
もはや、避けることはできない。
どうやら、人を殺めて生きてきた私にも、終わりのときが来たようだった。
不意に、藤堂風真のことが頭に思い浮かんだ。
あいつは、足を犠牲にしてまでも生き残った。
ということは、足に傷を負っても戦い続けたということではないのだろうか。
「……まだ、終わりじゃない――!」
私は立ち上がる。足を引きずりながら、醜くも起き上がる。。
「あいつが立ち上がったんだったら、私も立ち上がって見せる!」
だって。
あいつに出来たことが、私には出来ないなんて。
そんなの。
ちょっとムカつくじゃない?
「――いや、俺は立ち上がってないから。応援が間に合っただけだし」
そこへ訪れたのは、私の頑張り損を告げる男の声だった。
◇
悠里のスマホのGPSを頼りに現場に辿り着いてみれば、そこはちょうど盛り上がっている最中だった。
ネビウスと思われるコートの男がいて、その足元でふらついているのは亜衣で、よく探してみたらコートの男がもうひとり。
これはあれか。どっちかが偽物のパターンか。まさか、一般人が仮面に操られているファンタジーな展開じゃないだろうな。
まあ、何はともあれ。
亜衣のピンチにはかろうじて間に合ったようだった。
「――いや、俺は立ち上がってないから。応援が間に合っただけだし」
一応、事実の訂正は先にしておいた。
「藤堂風真……どうして……」
亜衣は、今にも崩れ落ちそうな体を膝立ちになりながらも支えている。
「いいから。死にそうになってたんだから横になってろって」
「イヤ」
「あ?」
俺の優しさは、きっぱりと断られてしまう。
「あんたの助けなんて、死んでも受けたくないわ」
なんだこいつ、見た目よりも元気じゃねえか。
「お前に惚れたって言ったろ。ここは素直に俺に助けられとけ」
「……あの、一応、私もいるんですけど」
俺の傍らでつまらそうにしているのは悠里だった。何やら、ずっと「いいなー、私も助けられたいなー」とぶつぶつ呟いている。
「悪いが、今のお前はオマケだ。いいから黙って仮面のコピーっぽいやつを片付けてこい」
「……先輩。明日も良いニンジン仕入れておきますね」
悠里は腰からブラックジャックナイフを引き抜くと、何やら聞き捨てならないことを言い残して俺から離れる。
どうか冗談でありますように。
一抹の不安を抱えながら、俺は本命へと対峙する。
「……貴様らは何者だ」
突然の闖入者に、ネビウスは戸惑っているようだった。そうできゃ、こっちとしても面白くはない。
「藤堂風真。ただの元ボディーガードだよ」
「ボディーガードだと?」
ネビウスは鼻で笑う。なんだかとても小物っぽい仕草だった。
「ボディーガードごときが、殺し屋の俺に勝てるとでも?」
なるほど。それはもっともな意見だった。
何故なら、ボディーガードは戦う人間じゃない。対象を護ることに存在価値のある人間だ。こちらから人を傷つけることがなければ、もちろん人を殺したことだってない。
だが、
それはあくまでも普通のボディーガードの話だ。
「せんぱーい、こっちは片付きましたよー」
「……え?」
亜衣が驚きの声をあげる。ネビウスもまた、声には出していないが目を大きく見開いていた。
悠里、早すぎ。
こっちはまだ会話の途中だよ。
仕方ないので、こっちもさっさと片付けることにする。
「ま。世の中にはいるんだよ。ボディーガードの中にも、護衛対象の危険を予測して事前に排除する奴がさ」
言いながら、愛用している拳銃グロック19を構える。
さあ、久しぶりにいきますか。
ネビウスを補足して、走り出す。
「――思い出した」
ネビウスはマシンピストルを撃ち放ち、俺の進行を妨害する。だが、それに当たるほど愚かではない。銃口の向きから着弾位置を予測して、その方向を避ける。
「―――思い出したぞ!」
既に、ネビウスは俺の射程範囲にあった。しかし、まだ撃たない。グロックに装弾されている特殊ゴム弾は、殺傷能力が低い代わりに威力も低い。おそらく防弾性能があるコートに向けて撃つのは、弾と時間の無駄だった。
「――貴様、『危険排除』の藤堂か!?」
ネビウスのナイフが闇にきらめき、中空に剣閃が走る。それをしゃがんでかわすと、ネビウスの腹部をコートの上から右足で蹴り飛ばす。
金属製の義足キック。いとも簡単に、ネビウスは体勢を崩した。がら空きの頭部に、グロックの照準を合わせる。
「正解。昔の話だけどな」
俺は、グロックの引き金を引いた。
◇
「先輩、救急車を二台確保できました。まもなく到着するそうです」
戦いが終わって。
俺たちはそのままビルの屋上で休憩していた。
「了解。悠里は救急隊員を下で待っていてくれ」
ネビウスと仮面の男は、屋上の隅で気絶してぶっ倒れている。氷魚に連絡は既にいっているから、救急車とパトカー、どちらが先につくかといった状況となっている。
俺と亜衣のふたりは、ちょうどよい壁のくぼみに並んで腰かけていた。
「二台?」
救急車の数を聞いて、亜衣が不思議な顔をする。
「これ、見りゃあわかるだろ?」
自身の右足を指さす。そこにある義足は、ぷすぷすと白い煙をたなびかせていた。中の回線がショートしているとこういうことになる。
「日常生活を送るだけならいいんだけどさ。本気で動くとすぐ壊れちまうんだ。んで、一回壊れると最初から作り直さなきゃいけないっていう面倒な代物だよ」
その代わり、通常の義足とは違い、いざというときに俺の思い通りに動かせるというメリットはある。それでも、一回本気で動くと必ず壊れてしまうため、ここぞというときにしか使えないというのが難点だ。使いきりのインスタント義足と俺は陰ながら呼んでいる。
「今回は私が助けてもらっちゃったんだし、弁償するわ」
「んー……そう言われてもな」
「何よ、その含みのある言い方。ムカつくわね」
「弁償っていっても……一〇〇〇万だぜ?」
「……は?」
「一〇〇〇万円」
目を丸くさせている亜衣に向けて、もう一度繰り返す。ペソでもユーロでもジンバブエドルでもなく、一〇〇〇万円。田舎だったら普通に家が買える金額である。
「…………そりゃ、引退もするわね」
わかってもらえて何より。
とはいえ、このまま亜衣の好意を無下にするのはもったいない気がした。
「そうだ。弁償しなくていいから、頼みがあるんだけど」
「まさか、今度こそ私の体が欲しいとかいうわけ?」
それは、初対面のときにも言われたセリフだった。
あのときはまだお互い知り合って間もないからスルーしたが、今回は状況が違った。
「実はそうなんだ」
「――ふぇっ!?」
今度こそは。ここぞとばかりに畳みかける。
「一目惚れしたって言ったろ。本気でお前が欲しいんだ」
「なっなっなっなっ」
暗闇の中だから見えないが、亜衣が赤面して慌てている様子は明らかだった。感触は悪くない。ここで、とどめの一撃を放つ。
「一生のお願いだ!」
「そ、そんなのいきなり言われても困るんだから! ひ、卑怯よ!」
卑怯なのは百も承知。
恩を売ったこの機会でなければ、これ以上のタイミングはやってこない。
考え込むようにして黙ってしまった亜衣の返事を待つ。
しばしの沈黙の後、亜衣が、ぽつりと言う。
「……ずっと、私を守ってくれる?」
よし。性交、もとい成功だ。
「もちろんだ。ずっと俺の店にいてくれる限り、大事にするよ」
「…………ん? 店?」
「ああ! お前のコーヒーがあれば、喫茶店も昔みたいに繁盛すると思うんだよ」
「…………え? え?」
「じゃ、ケガが治ったらすぐに店に来てくれよな」
「えっと、もしかして……一目惚れって言うのは私のコーヒーのことだったりする?」
「何言ってんだよ。ずっとそう言ってただろ……」
あれ?
亜衣さん?
どうしてベレッタなんて構えてるんですか?
もう戦いは終りましたよ?
「紛らわしい言い方するなああああ!!!」