第4話
なんとなく、目が覚める。
見慣れた天井から察するに、どうやらここは喫茶店の自室のようだ。
いつのまに、家に戻って来たんだ?
夕方、氷魚と話してことまでは覚えている。それからの記憶が全くなかった。
ベッドから起き上がる。
枕元にあるテーブルには、二枚のメモ帳があった。
『お先に失礼します。 PS.先輩のばか』
一枚目は、かわいらしい丸文字。これは悠里のものに違いない。
『目が覚めたら安静にすること』
二枚目は、達筆な楷書体。初めて見るが、これは氷魚の文字だろうか。
安静? なんで俺が……?
「…………あ」
そこで、思い出す。
そうだ。いつものアレがきて、俺は倒れたんだった。
どうやら、俺の知らないところでみんなに迷惑をかけてしまったようだった。
これはまた、明日になったら怒られるんだろうな。
自身の未熟さに反省しながら、階段を下りて喫茶スペースに出る。
「おはよう。コーヒー、飲む?」
そこには、意外な人物が存在していた。
まだ時計を確認していないからわからないが、日付が変わっていなければ、昨日、俺が告白した少女。
小さな明かりの下。ブレザー姿の亜衣が、カウンターでコーヒーを淹れていた。
「あ、ああ。それじゃあ、一杯頼む」
何故。ここに亜衣がいるのか。
よくわからないが、とりあえずカウンター席に座ることにした。
しばらくして、俺の手元にコーヒーの注がれたカップが置かれる。
コーヒー豆は店においてあるものを使ったのだろうが、そこから漂う香りは俺が淹れたものとは大違いだった。
「ねえ。藤堂風真は、どうしてボディーガードをやってたの?」
不意に、亜衣が会話を切り出す。
昨日のことを蒸し返されると思っていたから、少し予想外である。
ボディーガードをやっていた理由、か。
周りには、悠里も氷魚もいない。
だったら、話してしまうのもアリかもしれないな。
「……俺の母さんは、俺の目の前で死んだんだ」
今もあの日のことは忘れない。
喫茶店で使う材料の買い物中に、母さんは通り魔に刺された。
犯人は、薬物中毒者。そう時間もかからず逮捕されたものの、薬物の後遺症により、留置場の中でそいつはあっさり死んだ。
「一日で、事故や事件で命を失ってしまう人の数を知ってるか?」
「……そんなの知らないわよ」
「約一〇〇〇人。俺たちがこうしている間も、世界中のどこかで人が死んでいるわけだ」
コーヒーに口をつける。
亜衣のコーヒーは、言うまでもなく一年前に飲んだものと味は違ったが、美味しいことに変わりはなかった。むしろ、淹れたてだから一年前より美味しい気がした。
「正直、俺は誰にも死んでほしくはないけど、全ての人間を救えるほど俺は偉くもないし強くない。それでも、せめて俺の目の前にいる人くらいは救いたい。だから俺は、ボディーガードになった」
「その理想を、私が邪魔しちゃったってわけね」
ぽつりと、亜衣が呟く。
「邪魔したわけじゃないだろ」
「だって、私がいなかったら藤堂風真は足を失わずに済んで――」
「あのさ、なんか勘違いしてるだろ」
「その言い方、ムカつくんだけど」
亜衣は頬を膨らませてみせるが、そこに怖さは全く感じられなかった。
「あのとき、俺はお前も守りたかったんだよ。その結果、お前も生きてて俺も死ななかった。万々歳じゃないか。いったいどこにお前が恨む理由があるんだ?」
「何で、私なんかを――」
「理由? 俺の目の前にいたからだけど」
はっきりと告げる。むしろ、それ以外のなにものでもない。
「……それだけ?」
「ああ。それだけだ。悪いか?」
「……変なやつ」
亜衣は聞こえないように言ったつもりかもしれないが、静かな店内では俺の耳に確かに届いていた。
変なやつで悪かったな。
「ところで、私のことはどこまで知ってるの? ある程度は調べたんでしょ?」
「一応、調べたけどさ。よくわからなかった。知り合いの警察関係者も似たような感じだったよ」
「そりゃ、そうでしょうね。本来の呼び方が違うんだもの」
「呼び方?」
「正しくは、AIじゃなくて、AI。A計画の最初の被検体」
「A計画?」
全く知らないな。
殺し屋の裏事情はそれなりに知っているつもりだったが、人づてにすら聞いたことがなかった。
「十年前に頭が良すぎてイカれた奴がいてね、アリスのような殺し屋を量産しようとしたのよ」
そこで、ようやく聞き覚えのある単語が出てくる。
「伝説の殺し屋アリスか」
「そう。でも、失敗したの」
「そうだよな。胸とかAどころかDはあるし」
ブレザーの胸部は、確かな隆起を成していた。立派なおっぱいである。
もちろん当然のように、睨まれる。
「元々、デタラメな計画だったんだから、成功するはずがなかったのよ。計画のために孤児があちこちから集められたけど、生き残ったのは結局私だけだった」
なるほど。そういうことか。
亜衣からの話を聞いて、俺の頭の中でようやく繋がりが見えた。
「その計画をしたやつってのが、『ネビウス』か」
「……やっぱ知ってたのね。そ。しばらく消息不明だったけど、やっと顔を出した。私の名前が知られるようになれば、向こうは必ず動くと思ったけどね。望まない人殺しはたくさんやったし大変だったわ。でも、ようやく、みんなの仇がとれるのよ」
亜衣は語り終える。
抱えているものを吐き出したかのように、大きくため息をついた。
しかし、それも束の間。再び俺の方を向き直る。
「そういえば、この前のあれは何なのよ?」
「あれ?」
「ほら。昨日の。私にひ、ひと、ひととと――」
亜衣は、何やら言葉を詰まらせている。新種の生物かお前は。
「ああ、お前に一目惚れしたってやつか」
「――っ! そんなにはっきり言わないでよ! こっちが恥ずかしくなるじゃない!」
「そういうのははっきり言うもんだろ。俺はお前に惚れたんだ」
そうそう気持ちが変わるものではない。今一度、俺はきっぱりと宣言する。
「うるさいうるさいうりゃしゃ―――」
あ、噛んだ。
「……ごめんなさい」
少し言いよどんで、亜衣は、真剣な面持ちを見せる。
「私は、藤堂風真の気持ちには答えられない」
どうしてだよ?
そう、問おうとしたとき、急に視界がぐらりと揺れる。
おかしい。あれほど寝たばかりなのに、どうしてまた眠くなる。
もしかして。
コーヒーに何か入れられたんだろうか。
「さよなら。もう、私のことは忘れてちょうだい」
遠くなる意識の中。
亜衣の、寂しげな声だけが耳に残った。
◇
ピー、ピー、ピー……
どこか遠くで、電子音が聞こえる。
俺のスマホの着信音だということはわかったが、どうしても目が覚めない。
なんだよ、もう。眠いんだから勘弁してくれ。
用があるならまた後でかけなおしてくれ。
「何を呑気に寝てるんですか、先輩!」
スパーンと軽やかな響きがひとつ。聞き慣れた声と共に、たたき起こされる。
「……何だよ、悠里。朝のご奉仕の時間にはまだ早いぜ?」
無理やり目を開けると、俺の目の前にはハリセンを片手に持った後輩の姿があった。
「まだ朝でもないしご奉仕なんかしたこともありません! もしご奉仕がご希望なら今度婚姻届けを提出していただければお受けしますが、今はそれどころじゃありません!」
珍しく悠里の口数が多い。機嫌が悪いわけではなく、何やら慌てているようだ。
「早く電話に出てください! 朝倉さんからです!」
「……氷魚から? お前、いつから氷魚と知り合いになったんだよ」
「いいから早く!」
一体、なんだってんだ。
まだ体は完全に起きていない。俺は無理矢理に腕を動かして、スマホの受信ボタンをスライドする。
「はい。もしもし」
『風真君? AIはそこにいる?』
「AI?……ああ、亜衣のことか。亜衣ならさっき――――」
――――俺に薬を盛ってどこかへ消えた。
ここでようやく、事態を飲み込むことができた。
「おい。AIに何かあったのか?」
『たぶん、ネビウスのところに行ったんだと思う』
「ネビウスのところ?」
『警察にメールが届いたの。今までにAIが行った全ての犯行の証拠と依頼人のデータの添付付きで』
「なんだよ。それ。それじゃあ、まるで――」
まるで、遺書みたいじゃないか。
『風真君、AIの居場所に心当たりはある?』
「そんなのあるわけないだろ」
まだ数えるほどしか会ったことがないのに、わかるはずがない。そんなことを聞いてしまうあたり、どうやら氷魚も冷静さを失っているようだった。
「AIの居場所でしたらわかりますよ」
その声は、傍らから。
悠里が、自分のスマホを掲げて見せていた。
「万が一のために、発信機を取り付けておきました」
どうやって悠里が亜衣に取り付けたかは気になるところだが、今はそんなことを気にしている状況でじゃない。
「さすが悠里! よし、俺にAIの居場所を教えてくれ!」
「何でですか?」
しかし俺の要求は、冷たい声に阻まれる。
「先輩、自分のこと、わかってますか? 夕方、倒れたばかりなんですよ?」
「そんなことわかってるけど、このまま放っておけるわけがないだろ!」
「どうして放っておけないんですか。まだお互いのことをそんなに知らない、ほとんど無関係の人間ですよ? それに、AIは先輩が足を失った原因のひとつなのに――」
「そんなの、好きになったんだから仕方ないだろっ!」
激昂。
俺は、生まれて初めて悠里に怒声を浴びせていた。
悠里と互いの顔を見つめあう。いつも、俺の隣で浮かべているような穏やかな表情はそこにはない。
そうして見つめあって、どれほどの時間が経っただろうか。
「――――あははっ」
急に、悠里は笑いをこぼす。
それはまるで、にらめっこの敗者のように。
「あーあ、ふられちゃいました。はい、どうぞ」
今までのやり取りは一体なんだったのか。悠里は、俺にスマホをあっさり手渡した。
「……どういうことだ?」
風真さんには意味がよくわかりません。
「先輩には内緒です」
そうやって笑ってみせる悠里は、俺のよく知っている後輩のものだった。
『……解決した?』
耳に当てたままだったスマホから、氷魚の呆れ交じりの声。おそらく、こちらの会話はずっと聞こえていたのだろう。
「ああ。何の問題もない。亜衣のことは、俺に任せてくれ」
『了解。言っても無駄だとは思うけど、くれぐれも無茶はしないでね』
そりゃ無駄に決まってる。何故なら、これから無茶をしにいくつもりなんだから。
スマホの通話を切る。やるべきことが決まった今、あとは行動にうつすのみだった。
「さあ、行きましょう」
当然のように、悠里が同行を申し出る。
無論、断るつもりはなかった。
俺は、悠里が差し伸べた手を強く握りしめた。




