第2話
喫茶店『ブレイク』における夕方の十七時前。今日も今日とて来店客はゼロ。いつもなら世界中の愛と平和と、店の怪しい経営状況について悩んでいるところなのだが。
今日の俺は違った。中高校生にありがちな、異性関係の悩みである。
「なんで思いが届かなかったんだろうな」
店の奥のテーブルで頬杖をつきながらため息ひとつ。
昨日、告白を果たした俺への返答は「とりあえず出ていけ」の一言。
一年越しの思いは見事に玉砕していた。
「何でしょうね。私には先輩の考えていることがわからないしわかりたくもないので、相談に乗ることは出来ません。それでもどうしてもアドバイスが欲しいというなら、本を読んで女心というものを学んでみてはいかがでしょうか?」
「……なんかお前、機嫌悪くない?」
長年の付き合いということもあり、そういった異変にはすぐ気が付いてしまう。今日一日視線を合わせて来ない上に、喋りが長い。夕食の準備中だから忙しいというわけでもなさそうだった。
「気のせいじゃないですか? はい。ご飯出来ましたよ」
俺の目の前に、皿が置かれる。
「……つかぬ事を聞くけど、俺の唯一嫌いな食べ物知ってる?」
「はい。ニンジンですよね」
「じゃあ、俺の皿の上に乗っているこれは何だろう」
「『採れたてキャロットの自然風味』です」
「ただの丸ごとのニンジンじゃねえか!?」
「嫌いな食べ物にチャレンジしていただくのもアリかと思いまして」
「いきなりチャレンジ!?」
言いたいことはわからないでもない。確かに、アレルギーがあるわけでもなくただ単に味が嫌いなだけなんだけどさ。
でも、そういうのは他の料理に混ぜるとか段階的にチャレンジするものじゃないのか?
これ生じゃん。煮ても焼いても無ければ皮すら剥いてないじゃん。自然風味どころかナチュラル過ぎるから。
「俺はウサギじゃないだけど」
「性欲が強いところはウサギにそっくりだと思います」
「え? ウサギってそうなの?」
っていうか、いつから俺は性欲が強いキャラになった。
「……目の前で他の人に告白された私の身にもなってください」
「あの、言っていることの意味がよくわからないんですが」
「性欲先輩には説明したくありません」
「いや、性欲先輩とかもうただの悪口だからな」
途端、入り口の方でカランとベルが鳴る。誰かが店に入ってきたようだ。
「はい! いらっしゃいませ!」
今まで能面のような表情をしていたが悠里は、ドアが開いた途端、営業スマイルを全開にして元気な声をあげる。こういうところは、女はつくづく怖いと思う。
昨日はボスのオッサンがやってきたが、今日の来訪者はオッサンとはとても似つかぬ細身の女性だった。
肩まで伸びた黒髪に、黒のセットアップスーツ。OLか就職活動中の学生のような姿をしているが、身にまとっている空気は周りをどこかピリピリとさせる。
悠里が、女性へと笑顔で歩み寄る。
「広告ですか? 新聞ですか? 保険ですか? 宗教ですか? 健康器具ですか?」
さすがは悠里。うちの喫茶店に毎日働いているだけあって、既にお客ではないと決めつけていた。今までやってきた業者を次々と口にする。
「あ、いや、勧誘ではなくて……」
「久しぶりだな。氷魚」
女性が俺を見つけるより早く声をかける。悠里の予想通り、彼女は来店客ではなかった。
「あら残念。元気そうね」
朝倉氷魚は、テーブル席に座る俺に視線を合わせるとくすりと微笑む。
「……お知り合いですか?」
俺と氷魚のやり取りを前にして、悠里は怪訝な顔をする。
「あー、こちらは朝倉氷魚といって、なんといえばいいのかな」
朝倉氷魚という人物を語ろうとすると、実は説明が難しい。初対面ともなると特に難易度は高くなる。
果たして、どこから話してよいのか。どこまで話してよいのか。
氷魚の様子を見つつ、どう切り出そうか迷っていると――
「元カノよ」
――急に中性子爆弾級の発言を投げつけられる。
「違うの? それとも、そう思っていたのは私だけ?」
あの、楽しそうに誤解を招くようなことを連発するのはやめてもらえませんか?
「……性欲先輩だ」
悠里がじとーっとした目で俺を睨みつけてくる。
ほらこうなった! 予想通りだよ! ちっとも嬉しくねえよ!
「今日はどうしたんだよ。俺に何か急ぎの用か?」
誤解は後でいくらでも解く機会がある。とりあえず、悠里は放置して氷魚への対応を優先する。このままペースを奪われていると、後輩からの信頼度があっという間にマイナスまで突破してしまいそうな勢いがあった。
「ここで話すのもなんだし、少し付き合ってもらえる?」
仕草で、店の外に出るように促される。
部外者には聞かれたくない話題か。まあ、こいつが来るときは大抵はそればっかだが。
「店の営業中だから、あまり出たくはないんだけどな」
「どうせ誰もお客は来ないんだから、構わないでしょ」
「……む」
十四日間。来店客0記録更新中の今現在、反論の余地はなかった。
「ごめんなさい。少し借りていくわね」
氷魚が、悠里に視線を送る。しかし、悠里の視線は俺を睨みつけたままだった。
「あ、はい。構いませんよー。先輩なんて、いてもいなくてもあまり変わりませんしー」
ひでえなオイ。
幸か不幸か許可が出てしまったので、俺は氷魚の後に続いて店を後にする。
「……性欲先輩、女の子をとっかえひっかえ」
何やら背後で不穏な呟きが聞こえたが、スルーしておこう。
◇
連れられてやってきたのは、別の店ではなく近くに停められていた氷魚が所有する車の中。ベンツのスマート。曲線的なフォルムが愛らしい車である。
「元カノってなんだよ」
助手席から、不機嫌なオーラをわざと漂わせる。数か月ぶりの再会でこれは大人げないかもしれないが、それ以上に 夕飯もニンジンのフラグが立ってしまった現状への不満の方が大きかった。
「だって、私のことはそう気軽に明かせないもの。風真君だってどうやって紹介しようか困ってたじゃない」
「じゃあ、元カノじゃなくて普通にカノジョでも良かったんじゃないか? どうせその場限りの誤魔化しなんだからさ」
「それだと、あの一緒にいた子がちょっとかわいそうだしね。だから、一番反応が面白そうなものを選んだの」
やっぱりからかってたんかい。いや、何となく気づいてたけど。外見通りで素直な性格の悠里は、氷魚からしてみれば面白そうな玩具に見えたんだろう。
だからといって、氷魚の性格が特別に悪いわけではない。朝倉氷魚という女の子は、気に入った人物をからかうのが好きなだけである。
「あいつは何だかんだで純粋だからな。ま、そこが良いところなんだけどさ」
「……ずいぶんと大事にしてるのね」
「そりゃ、こんな俺を心配して一緒に引退してくれた後輩だしな」
そう。あくまでも後輩だ。時々、懐かれている最中に異性を感じてドキっとしてしまうこともあるが、一線を越えてしまわないように努力はしている。――一緒にシャワーは浴びたけど。
「ふーん」
何かを感じ取ったのか、氷魚の鋭い視線が刺さる。
「なんだよ」
「そういうヘタレなところが相変わらずで安心したわ」
「ケンカ売ってるのか? そうなんだな。オーケー、今すぐ外に出ようじゃないか」
車の扉に手をかけて、挑戦にのったことをアピールする。だが、氷魚は相変わらずクールなままだった。
「イヤよ。寒いもの。それにどうせ私が勝つし」
「はいはい。そうですね」
それは決して冗談ではなくて。
義足というハンデを除いても、勝てるかどうかは正直微妙だったりする。
「……ところで『AI』に会ったらしいわね」
雑談で再会を楽しんでいたのも束の間、ついに本題を切り出される。
AI。
例の事件の後で知った、相原亜衣の殺し屋としてのコードネーム。風の噂では、機械のように人を殺す様子から名付けられたらしいが、実際には誰がそう呼び出したのかさえ不明だったりする。
「AIのことはどこまで知っているの?」
「大したことはほとんど。三年前から存在が確認されているけど、年齢、国籍はもちろん、どこの組織に所属しているのかすらわからない。その割には、結構活躍してるみたいだけどな」
あえて活躍という言い回しをしたが、要は、それだけの数の人間が亜衣の手によって殺されているということになる。
「こちらがわかっているのもその程度よ。情報量が極端に少なすぎる殺し屋。付け加えるとすれば、おそらく日本人だろうというくらい。それで、一年ぶりの再会はどうだった?」
「改心して殺し屋を引退したってわけじゃなさそうだったよ。コーヒーショップは隠れ蓑のつもりだと思う」
引退してしまうと、心境にブレが生じるのか動きが鈍くなるケースの方が多い。しかし、ベレッタをつきつけたときの亜衣の動きは、一年前とほとんど同じだった。より洗練されていたといってもいい。
「まあ、そんなところでしょうね。私たちの見解も同じよ」
「すぐに逮捕しないで泳がせてるところをみると、そっちの狙いはAIじゃなくてその向こうか」
「察しが良くて助かるわ。頭の悪い人間とのビジネストークは時間の無駄だもの」
車の中とはいえ、一応は周囲を確認しているのだろう。一つ呼吸を置いて、氷魚は再び口を開く。
「『ネビウス』の名を聞いたことがあるかしら?」
「有名な殺し屋だな。俺がやりあったことはないけど、『ELE』の人間が三人犠牲にあってるよ」
メビウスではなく、ネビウス。つまりは歪んだ連鎖を意味するそれは、ある殺し屋のコードネームだ。二〇〇年以上前から世界中を暗躍しているとされているが、もちろん一人の人間がそんなに長生きできるわけがない。
世襲制の殺し屋。
自らの技術に誇りを持ち、伝統として受け継いでいるふざけた存在である。
「最近、この辺りにネビウスの動きがあるらしいの。目的は不明。そこで手がかりの一つとして挙げられているのがAIよ」
「つながりがあるってことか」
「確証はないけどね。ネビウスが現れたタイミングでAIも現れた。何かしらの意味があると信じてみたくなるでしょう?」
「まあ、その気持ちはわからなくはないけど……」
氷魚にとっては、ネビウスとAI。双方を捕らえることができる可能性の糸というわけか。
「ねえ。一つ聞いていいかしら」
「好きな女性下着メーカーならPJだよ」
「どうして、そこまでAIに執着してるの? やっぱり、足のせい?」
スルーしやがった。ドリームブラには男のドリームも詰まっているということに関して熱く語りたかったのに。
「秘密だ」
「なるほど。好きになっちゃいました、と」
「違うから! なんでそうなる!」
「別に隠さなくていいわよ。あなただって年頃の男の子なんだし」
「氷魚だってそんなに年が変わらないだろ」
「じゃあ、賭けてみる?」
「賭けるって何をだよ」
「私の年齢よ。さあ、私は風真君より年上でしょうか? 年下でしょうか?」
氷魚は、おどけた様子で俺の顔を覗き込む。
まだ、ネビウスの話は終わっていない。普段なら話を脱線させるのは俺の役目だというのに、今回は氷魚が率先して道を反らしている。こんな氷魚を見るのはひょっとしたら初めてかもしれない。
「興味ない。時間がないんだから、ネビウスの話に戻ろうぜ」
「……私のこと、知るのが怖い?」
「…………」
図星だった。
悠里と同じく、氷魚とも長い付き合いになるが、実は氷魚のことを俺はよく知らない。朝倉氷魚という名前でさえ、本当かどうかわからない。
警察組織に所属しているという俺の予想も、あくまでも予想でしかない。
怖いんだ。
氷魚を知ることが。
知ってしまうことで、何かが壊れてしまうかもしれないから。
「外したらAIに執着する理由を答えてもらうけど、もしも当てたら――」
「だから、興味はな――」
「何でも言うこと聞いてあげる」
「その言葉に二言はないな!? しっかり聞いたからな!? ちょっと待ってくれ。推理する時間が欲しい」
さあ、本気を出すときがついに来た。氷魚と交わした過去の会話を出来る限り思い出し、観察能力をフル活動。頼むぜ俺の灰色の脳細胞!
一番可能性が高いのは、年上だ。今まではそう思って接してきた。本当に警察に所属しているのなら、成人していると考えるのが通常だ。だがしかし、年下という可能性もぬぐい切れない。身長は悠里よりもやや高めくらいだが、胸の小ささは成長前のそれかもしれない。
……いや、ちょっと待てよ。何故、年上か年下の選択肢なんだ?
なるほど。人をからかう癖のある氷魚のことが。二択と思わせておいて、勝ちを取りに来るなんてことを当然のように仕掛けてきても何ら不自然ではない。
ならば、俺が答えるべき回答は一つ……!
「同い年だ!」
「はずれ」
「はずれたああああああっ!?」
やらかした! 考えすぎた! わからないなら運に任せてどちらかを答えておけば良かった!
「それじゃあ、約束通りAIに執着する理由を答えてもらえるかしら」
「……わかった」
別に執着しているわけではないけど好きな理由ならある。
はっきりと答えるのは恥ずかしいが、約束は約束だ。
「実は、あいつと作ってみたいんだよ」
「……作るって、何を?」
「こ――」
ガチャリ。
瞬間。俺の右腕に金属製の手錠がかけられる。
「一六時五十五分。現行犯で逮捕します」
それガチなやつじゃん!?
「それじゃあ、私は行くわね」
車から降りると、氷魚が車のパワーウィンドウを開けて顔を出す。
「良かったらうちで何か飲んでいかないか? コーヒーはまずいけど、ジュースとかで良ければご馳走するけど」
「遠慮しておくわ。あなたのお店まで行くと、また後輩さんにあらぬ疑いをかけられそうだし」
確かに、ありえそうな展開だった。っていうか、その原因つくったの元々は氷魚の方だけどな。
「また何か動きがあったら教えるわ。くれぐれも、あなた一人で動かないこと」
「こんな足で無茶はしないよ」
俺は、自身の右足を指さした。しかし、氷魚は笑ってくれなかった。
「そんな足でも無茶をするのが風真君だから言ってるのよ」
「いや、さすがにそこまでバカじゃ――?」
会話の途中。不意に、右足に違和感が走る。
「……どうしたの?」
あ。ヤバい。
これは、久々にアレが来たかな……。
「いや、何でもないよ。大丈夫」
まだ今なら動ける。店までも大した距離じゃない。
氷魚の車に背を向けて、歩き出そうとする。
その、刹那――。
雷が落ちたかのような衝撃が右足に走った。
「――風真君っ!?」