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二章 歌 4P

 ハットは湖に向かっている。

〝父さんはどうしてこんなに働くの?〟

 尋ねると父は突然小さな商人に岩のような拳をぶつけ、赤い顔で出ていけと怒鳴った。

 言われた通りに家を飛び出したのは当然、従順の表れではなく強い反抗心からだった。

 日が沈み切ってようやく湖に辿り着いたハットは、水筒から一口だけ飲む。ずっと前、共に来た者を真似るように。

 ハットは今まで以上に夢中になって歌を歌った。

 誰にも聞かせないようにしている歌は、心が滲み出たもの。

 我に返ったときには朝になっていた。もしかすると昼かもしれない。

 判断できないほど夢中になって歌えば喉が渇く。

 水を飲もうとしたが、喉が張りついてむせてしまう。

 もう一度、今度はゆっくりと水を飲む。そして残りは湖にあげた。

 再び歌い始め、日が暮れ、日が昇り、また沈んでもなお、ハットは歌い続けた。

 朦朧もうろうとして薄れゆく意識の中でも歌い続けるさまは、金に手を伸ばす商人よりも強い執念で何かを求めるようだった。


 次にハットが目にしたのは見慣れた天井。

 染み一つない天井はどこか物足りなく、トマトでも手元にあれば投げつけてみたくなるほど綺麗だ。

 そこまで考えてハットは思い直す。トマトがあれば食べたいし、どうせなら好きな絵でも描いたらいい。

 ではどんな絵を描くか。しばらく考え、空と同じ色に塗れば一番満足すると考えを収束させる。

「だいぶ下がったね。無茶するんじゃないよ」

 いつからそこにいたのか母の声が聞こえ、ハットは自分と同じ色の瞳の下にくまを見つける。

 手渡された水を一気に飲み干すと、母は小さく笑った。

「もし、また出ていけと言われたら、」

 言われたら、と聞き返そうとした喉に破れそうな痛みが走り、ハットは咳き込むこともできずに顔をしかめる。

「パンチしてやりな! 殴られたところを、思いっきりね!」

 豪快に笑う母の心は清々しいほど強い怒り一色で、ハットを安心させた。

 自分のために怒ってくれる人はありがたい。

 足りなきゃ二・三発に増やせばいい。そうつけ加えて部屋を出ていく姿を見れば、つい喧嘩した父の身が心配になる。

 ハットは商人の武器である口が災いを招くこともあると思いつつ、再び眠りについた。


 元気になったハットはすぐに家の外に出る。

 贅沢をしなければ懐が軽くならないのは当然で、朝食はこの町では贅沢の部類に入る。故に朝を抜くのは当たり前のことだ。

「よう、肉屋のハットじゃないか! 久しぶりだな!」

 声をかけられればハットは当然のように笑顔で応える。

 それでも大きく成長した胸のわだかまりに、もう客の呼び込みはしないことを固く決めていた。

 北西の秘密基地に着くと商人の顔を捨て、ただのハットでいられる。

 その唯一の場所で、ハットは商人の顔をしていた。

「帽子屋の肉の噂はどうなったの?」

 集う小鳥に尋ねた。すると大抵小鳥は商人が欲しがる情報をくれる。

 人肉の話は前より下火になっていたものの、父が店に立つようになってから勢いを取り戻した。

「それはどんな噂?」

 答えは商人にとって都合が悪いもの。

 町の人間はひっそり姿を消していく。貧乏な者ばかり。仕事がない者ばかり。それは帽子屋が店に並べてしまったからだと、そんな噂。

 この国では町と町の間に石壁を造り、たとえ金を積んでも越えることは許されない。

 だから人が消えてしまうことはありえない。命を落とせば死体が残り、朽ちれば骨が残る。

「その噂は……、本当のこと?」

 鳥の答えは商人を落胆させた。

 噂が単なる噂だというのは大抵の者が知ることだ。しかしその話に本当のことだとつけ足されるだけで、人は顔から笑みを消す。

 人肉の噂は笑い話の類から恐ろしい話に変質し、そうなれば次に肉にされるのは、もしや自分かもしれないと考える人も出てくる。

 商人が勇気を出して噂の出所を尋ねてみると、先ほどの落胆が小さなものだったことを知った。

 散歩屋ホーカーが言い出した。みんなはそれを信じ始めている。

 商人は敵の姿を捉える。崩れて組み直された心は、鋼で作られていた。

 それからハットが本格的に散歩屋の情報を集め出したのは、言うまでもないだろう。


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