終幕
一足先に塔へ帰った暗部の隊員たち。ホーカーとタウベは長い道のりを馬車でのんびりと進み、初めて塔の下に立ったタウベは感嘆の声を零した。
「ここが俺たちの家だ」
それは砂で造られ、入り口から中に入っても床が砂でできていて、そこらじゅうに鳥が歩いている。
やはり砂でできた階段を延々と上る。ずいぶんと遠い二階で初めて門番を見つけるタウベは、その恐ろしくやる気のない様子を見て呆気に取られた。
「ごくろうさん」
眼鏡をかけた門番は簡易な木の椅子で足を組み、ぼろぼろになった本から顔を上げる。
ホーカーたちを一瞥すると何も言わないまま背にある扉を親指で指し、また本に視線を落としてしまった。
通り抜けざまに門番を盗み見ると、腰には侵入者を排除するためのククリ。本には何も書かれていなかった。
「驚いたか?」
再び階段に足をかけながらホーカーが悪戯っぽく言うと、タウベは素直に頷く。
「一人でいいの? なんか意外」
「下に鳥がうじゃうじゃいただろ? あれがこの塔の見張りで、あいつはただ単にあそこで本を読みたいだけだ。ついでに侵入者を追い払ったりもするけど、そもそも侵入者は滅多にいない。しょっちゅう来るのも問題だけどな」
「でもあの本、何も書いてなかったよ?」
興味津々でタウベが言うと、ホーカーは愉快そうに笑った。
「秘め事インクっていう特殊なインクで書かれてるんだよ。魔術書だと思うだろ? でもあれ、恋愛小説なんだぜ」
そのインクで書かれたものを読むには専用の眼鏡が必要だ。ある町では本棚に置く本をインテリアの代わりにするのは邪道とし、タイトルと内容を見せびらかさないためにと大流行した。
階段をしばらく上り、十階でようやく目的の場所に着いたと言う。それを聞いてタウベは安心した。
「外に出たり入ったりするの、大変じゃないの?」
「ああ。俺たちはあまり階段なんか使わねぇからな」
ホーカーが親指で指した先。そこには窓があった。
まさか、塔をよじ登る? それなら階段を使ったほうがマシだ!
その疑問に答えたのは、階段を上ってきた者だった。
「なんだ。新入りか?」
「お前っ、もう少しで騙せたのに」
「ちょっとホーカー! からかわないでよ!」
「わりぃ。でもちょっと、階段があって良かったって思っただろ?」
実はホーカーが言ったことはあながち嘘でもない。ホーカーを含む面倒くさがりは窓から入るし、緊急時は他の隊員もそうする。信じられないことにそのほうが速いのだ。
不機嫌そうに頬を膨らますタウベを連れて廊下を歩き、食堂や寝室に案内する。寝室はとてつもない広さだった。
「おう! やっと帰ったか。そいつは?」
「新しい仲間だ」
タウベは呆気に取られていた。
寝室と呼ばれたそこには寝ている者に談笑している者。床には布や毛布、タオルに枕などが無数に転がり、あらゆる布団類が大量に積み上げられた山もある。
その山にダイブしたホーカーは、タウベを手招きした。
「ここが俺の寝床。お前も使っていいぞ」
誰も文句を言わないのか。毛布などの山はキングサイズのベッドを三つ並べるほどのスペースを取り、その一帯はホーカーの寝床らしい。
「ちょっと! 痛いんだけど」
「あ、いたのか。わりぃ」
ホーカーが下敷きにした辺りがもぞもぞと動き、とても長い黒髪を持った少女が這い出てきた。
「こいつはスワロー。こいつに対して嘘はつくなよ? 命取りになる」
つり目にタウベと同じ黒の瞳。その少女の簡単ながら意味深な紹介をし、二人は寝室を後にした。
「大抵任務が無いときは、一日中ここで過ごす。治療室とか談話室、図書室なんかもあるけど、ひとまず後回しだ」
先が思いやられると胸に抱きながら再び階段を一階分だけ上る。延々と上ることにならなくて良かったと、タウベは密かに安堵した。
ホーカーが立ち止まった扉。木製の扉はチークという頑丈で腐りにくい木でできた、利口者の町ではほとんど見かけなかったもの。
これ一枚だけでいくらするんだろうなどとタウベが考えていると、ホーカーは扉を三度叩く。数秒置いて重そうな扉を開けると、王族の間が広がっていた。
「ここが隊長室だ。わりと使うことが多い」
黄色と赤の織物が床に敷かれ、大きめのベッドには羽毛の詰まった布団と妙な人物が座る。一見豪華な部屋に置物の類は無く、床には様々な品質の紙が散らばっていた。
「そんでそこの置物が暗殺部隊の隊長だ」
「丁寧な紹介をありがとう。僕が隊長。みんなはスマイルって呼ぶ。よろしくね」
タウベはその奇妙な見た目にしばし言葉を失った。
目の前の人物はにこにこと笑ったまま、ホーカーが自分を紹介するまで身じろぎ一つしなかった。黒い髪の下には目が無い。いや、目に幾重もの布を巻いているのだ。
「えっと、君の名前は?」
タウベは我に返り、どう名乗るべきか考えた。そして、
「ボクはタウベ。ただのタウベだよ」
「あれ? 隊員からの報告ではハットって聞いてたけど、おかしいなぁ」
わざとらしく困った顔を見せる人物に対し、負けじと目の辺りをまっすぐ見て答える。
「ハットは肉屋の名前。だから今はタウベなんだ」
ハットは町の商人として生き、町に置いてきた。
スマイルはうんうんと嬉しそうに頷くが、本当は全然分かっていない。分からないことが彼にとっては嬉しいことなのだろう。
「さっぱり分からないけど、君はタウベっていうんだね。よろしく、タウベ」
にこりと笑うその人物に警戒する肩へと、ホーカーの手が置かれる。
「変人だし気持ちわりぃけど、スマイルはお前に危害を加えたりしない。信用しろとまで言わないけど、恐がらなくても大丈夫だぞ」
「傷つくなぁ。でもまぁ、その通り。僕はわざと君を傷つけたりしない。間違えて傷つけることなら、もしかするとあるかもしれないけどね」
恐がるな、なんて無茶だ。愉快がる心の中は色んな感情が不気味に彩る。
得体の知れない心を初めて目の当たりにしたタウベは、この目の前の人物との接し方が分からなかった。
スマイルは人を傷つけるときも殺すときも、きっと笑っているだろう。
「俺たちはこれから長話をするから、タウベは好きなことをしててくれ。塔内は自由に歩き回っていいけど、てっぺんは目指さないほうがいいぞ」
タウベは外から見上げた天を貫く塔を思い出し、間違いなく一番上には辿り着けないだろうなと考えた。
頷いて逃げるように部屋を出ていくタウベを確認すると、スマイルはやれやれとため息をついた。
「きちんと挨拶したつもりだったのに、また嫌われちゃったかな」
「第一印象が良かったこと、今まであったか?」
ホーカーの言葉をこだわりなく笑うと、彼に任せた一件の報告が始まった。
「――暗部隊員からは以上の五名が死亡。利口者の町の常駐隊員ヴァルが奴隷商人を殺害し、奴隷たちは解放された」
長い報告を聞いた隊長は暗い顔で頷き、散歩屋に労いの言葉をかけた。
「死体は塔に届いたよ。今はもう、墓場に移してしまった」
墓場。そこは塔の者だけが眠る花畑だ。鬼菊と鬼牡丹は罪人の血肉と骨だけを吸収して育つ。そんな花の種がどこから来たのか、誰一人として知らない。
もし生まれ変わるなら、花を咲かさないような人生を。散歩屋はそう願わずにはいられなかった。
「仲間を殺した人物は?」
「……逃げた」
「今、何が引っかかったのかな?」
隊長は油断ならない笑みを浮かべて問いただす。
「誰に殺されたのか分からないのは本当だ」
「タウベがやった可能性は?」
散歩屋は肩をすくめて弁明する。
「本人はやってないって言ってた。それが嘘じゃないのか嘘なのか、俺には分からねぇ」
「それもそうだ。じゃあいつも通り、アウルさんに見てもらうことにするよ。ところで、」
隊長は言葉を切って立ち上がる。窓の前に立つ姿は外を見るようだが、彼の目がその光景を映すことはない。
「ヴァルは自分の父を殺してしまったんだね。どうして代わりに始末してあげなかったんだい?」
「あいつは、復讐したいって言ってた。親子のやり取りに横槍を入れるよりいいだろ。でも、いざそのときになったら気が変わったらしい」
「というのは?」
散歩屋は隊長の横に行って外を眺める。優れた目は地平線の彼方まで細かく映した。
「肺を刺して苦しませてやろうと思ったが、やめにした。そう言ってた」
息子に眉間を貫かれた商人は利口者だったのか。それとも、愚か者だったのか。
船は湖の跡地に現れた。そこはまぎれもなく愚か者の町で、しかし商人がどちらの町に姿を隠していたのか、ついに分からずじまいになった。
散歩屋は思う。結局のところ任務は遂行され、また罪を重ねてしまったと。
「ヴァルの父さんは賢い。でも人は彼を、とんでもない愚か者として記憶するだろうね」
隊長の言葉に寂しいものを覚えるが、散歩屋の中でも商人は利口者じゃなかった。
「僕は奴隷商人のことを、賢く愚かな人だったと思うよ」
最後に締めくくり、いつも難しいことを頼んで悪いね、と言い残して部屋を出て行く。
目隠しをしたまま生活する隊長にはいったい何が見えているのだろう。
計り知れない人物を計ろうとするのはやめにして、散歩屋は別のことに思いを馳せる。
創るのは自分たちの役割ではない。
積み木を積み直す町の人間が、次こそ致命的な積み方をしなければいい、と。
今作品は本格執筆が10年前に開始された、そこそこ古い物語です。
最初に作り始めたのは20年前とさらに古いです。
しかし悲しくなるほど文章力が無かったため、修行(笑)のために一度削除しました。
以下、あとがきの続き。
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/15961/blogkey/1333713/




