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五章 旅立ちの商船 3P

 別動の隊員たちが船に到着した時。いつも通り日が昇り始める。

「後は治兵の仕事だ。任務は、終わった」

 治兵は船に乗り込むと、残った商人と奴隷たちは犠牲者として解放された。

 暗部に従う者が少なくても治兵に逆らう者はいなく、降りようとしなかった奴隷たちは重い足取りで町の暗いところに戻って行く。その後ろ姿を肉屋はやるせない思いで眺め、常駐はどうでも良さそうに一瞥する。

 船に燃料は積まれていなかった。それは魔石という魔力を封じた石の力を燃料に動く特殊なもので、代わりに薪や炭を燃やしても動かない。

 奴隷商人には最初から遠くに逃げる気などなかったのだ。

 息子に会うため。散歩屋をおびき出すため。身勝手でささやかな願いを叶えるために多くの者が走り回り、傷つけ合った。

「これからどうなるの?」

 湖を占領する船から離れたところで、タウベはホーカーに尋ねる。

「壊す役割のやつがいたら、創るやつもいる。どうにかなるさ」

 草原の国を目指して訪れた者を落胆させる材料が、この国にはいくらでも存在する。

 最たるもの、国政と塔政という奇妙なもので形成する国は常に不安定だ。

 塔政というのは、いわば国の暗い部分を司る存在。積み木を積み直すための暴力は、あくまでも積む前の一過程。その先は国が司ることであって、塔の者が行うことではない。

 この一件を重く捉え、国は小さな町にも援助の手を伸ばすだろう。


 元肉屋の妻は牢から出てきたパン屋に向かって手を振り上げたが、パンチはしなかった。

 人より遅れて日の出を迎えたクルミルクの店主は商売敵に抱きしめられ、思わず身を強張こわばらせて驚く。

「終わりだよ。終わったんだよ……!」

 耳に届いた言葉を三度ほど反芻はんすうし、パン屋はその目に涙を浮かべた。

 肉屋は肉屋を辞め、再び帽子を作り始めた。

 名の売れた店主の帽子は飛ぶように売れた、とはいかなかったが、ぼちぼちやっているらしい。

 酒場は元よりずっと騒がしくなり、暗部は拠点で祝杯を挙げる。

「お前らも酒場で飲めば」

「俺らが行ったら静まり返るぜ!」

 酒を飲まないホーカーは迷惑そうに言うが、顔はまんざらでもなさそうだ。

 船は解体され、たくましい職人と商人たちによって家具などに変えられつつある。

 貧民は国から送られてきた大量の食糧を囲み、むせび泣きながら一口ずつ噛みしめた。

 何かを得るときに対価を支払う。

 そのルールが時として無謀であることを、利口者たちはさすがに気づいたのだろう。

「なぁ、本当にこれで良かったのか?」

「いいに決まってるだろ!」

 疑問を投げかけた者に酔漢の拳が飛び、殴り合いが始まる。

 周囲がはやし立てるさまはとても利口者には見えず、へろへろのパンチを繰り出し合っていた者たちは、いつの間にか肩を組んで泣いていた。

 常駐は星の数を数えるふりをして物思いに耽り、ホーカーは石の床に大の字になって考える。

〝本当にこれで良かったのか?〟

 ホーカーが考えていること。それはハットの今後のことだった。

 長く暗部に身を置くホーカーとしては、よっぽどの理由がなければ暗部に来ないほうがいいと考える。町が正常に機能するのなら、町にいたほうがいいのだ。

 平和をこよなく愛し、平和に生きる人も愛する。そして平和を少しでも壊す人間をひどく憎んで、取り除きたいという衝動が垣間見える。それがハットの性質。

 今は平和を取り戻し、そのことを町人たちは心から喜ぶ。

 しかしそれはいつ壊れてもおかしくない、儚いものでもある。

 もし今後、また平和が脅かされるようなことがあったら――。やはりハットは手段を選ばないだろう。

 そんなことになってしまったら、絶対にまたこの町に来てやるつもりだ。たとえ他の任務があったとしても。

 ならばようやく訪れた平和の中に、ハットを置いていくほうがいい。いいに決まってる。

 平穏に相応しくない自分たちはこのまま立ち去り、塔へと帰るのだ。

 それでもホーカーの胸には一つの言葉が引っかかり続ける。

 本当に、それでいいのか?

「おい」

 いつかのように腹を踏まれ、そして踏んだのはいつかと同じように常駐だった。

「これは俺の言葉じゃないが……」

 常駐はそこで区切り、ブラウンの瞳を細めた。うだうだと考え込むホーカーを鬱陶しく思っているような、でも続きを言うのは胸糞悪いような、そんな迷いが少し続く。

「お前はもう少し自分のことを考えて、好きなようにしたほうがいい」

 身勝手な振る舞いをしてきたホーカーを散々見てきた常駐は、それだけ言うと鼻を鳴らして外に出て行った。

「好きなように……」

 立ち上がりながら呟くと、いつの間にか仲間たちが酔眼をにやにやと向けていた。

「周りにとっちゃ迷惑な話だが、お前は好き勝手にしてるほうが似合うぜ?」

 大笑いすると各々は再び杯を傾け始め、それぞれの会話に戻っていく。

 ホーカーはしばし茫然と立ち尽くした後、決心に満ちた表情で拠点の扉を押し開けたのだった。


 店看板の外された肉の家。そこに肉が並ぶことはなくなったが、別の小さな看板が二つぶら下がっている。

 肉屋の帽子。クローズ。

 夜のとばりが落ち始める薄暗い部屋の中。ハットはベッドの上で寝転んで天井を仰いだまま、一つのことを考えていた。

 この天井にトマトを投げつけたいと思ったこともあった。空の色に塗ってやりたいとも思った。

 しかし相変わらず天井は味気ないまま、恐らくこれからもペンキがこの部屋で活躍することはないだろう。なぜならもう、天井の色などどうでもいいのだ。

 明日もこの店は帽子屋として、朝になったら父がクローズをオープンにするだろう。そしたら自分も店を手伝って、もしかしたら後を継いで、それからそれから……。

 本当にそれでいいのか?

 いつからか窓枠に飛んで来なくなった小鳥。ずっと前に小鳥はある心を届けに来た。

 ついて来い。

 もし今も同じことを言われたら、自分はどうするだろう。

 訪れた平穏。いつもより笑うことが多くなった町の人。いつもより家にいる時間が短くなった母。いつもより喋らなくなった父。いつもより働かなくなった自分。

 帽子屋はあの肉屋ほど儲からないだろう。だから母は知り合いの酒場で働いているらしい。自慢の料理を真っ当な手段で役立てているのだから、それなりに楽しくやってるだろう。しかし、母はいつもより笑わなくなった。

 父はこれまでにやってしまっていたことを回想しながら、ソーセージのような指で丈夫そうな針を操る。後悔の念を、一針一針に込めるように。

 自分は今、何がしたいのだろう?

 試しに浮かべてみた疑問。帽子の宣伝をして回るとか、自分だけの秘密の場所で歌い続けるとか、船の解体を手伝いに行くとか――。

「ホーカーに会いに行こう」

 自分だけの部屋はすっかり暗くなり、呟きはその暗闇に吸い込まれる。

 そんな部屋を飛び出して下に降りると、大きな影が壁のように立ちはだかった。

「……父さん」

 父はどこに行くんだとも、どこにも行くなとも言わない。ただハットの前に、行く手を阻むように立っているだけ。

「ボク、ホーカーたちのところに行きたいんだ。追い返されるかもしれないけど」

 大きな影は乱暴にハットの頭をつかむと、その目線に合わせるように屈む。

「ボウズ。俺は自分のやりたかったことを始めた。お前の母さんもだ。もしお前だけ好きなことをできないとしたら、それは誰のせいだ?」

 誰も自分の邪魔などしなかった。

 何かを頼まれたときに引き受けたのは自分自身で、誰かのために何かをしたときも、そうすることを決めたのは自分だった。誰もハットに命令しなかった。

 何か気づいた様子のハットに対し、大きな影が微かに笑った。

「お前を殺そうとするお前なんか、ここに置いていけ」

 頭から大きな手が離れる。そこには額の部分に金属を縫い込んだ、皮の帽子があった。


 酒場から聞こえる喧騒と、喧騒から切り離されたしじまの広がる外。

 つい最近までミートホームの看板を掲げていた店には、当然クローズの看板がかかっている。

 ホーカーは悩んだ。

 この扉をノックするか、それとも以前のように窓から声をかけるか。

 堂々と入ったほうがいい。そう決めて扉を叩こうとした瞬間。

「ホーカー?」

 少し離れたところから母親を連れたハットが、なぜか旅装で現れた。

 争ったあととは思えないほど無防備に構えている。以前親しく話していたときよりも警戒心を持っていない。

「お前に話があって来た」

「ボクもそっちに行こうと思ってたんだ」

 母親は小さな背中を押しやると、明確にホーカーへと笑みを向けた。そしてそのまま軽く手を振ってどこかに行ってしまう。

 残された二人はどちらから口を開くか窺うように黙り込む。そして、

「これはお前のためとか、他の誰かのために言うわけじゃねぇ。単なる俺のわがままとして聞いてほしい」

 ホーカーは出会ったときのように、にかりと笑った。

「俺たちと一緒に来ないか?」

 初めて自らの口で伝えられたその誘いに、ハットは即答できなかった。

 ハットは平和が好きだ。そこに生きる人も好きだ。だからもし平和を壊す人がいたら、許せない。

 それを今回のことで自覚したのだ。平和を壊す人が大好きな人だったとしても、やはりまた殺そうとするだろう。

 ハットはホーカーの足に目を向ける。

「ごめんね。痛かった?」

「かなりな。まぁそのうち治るさ」

 問うと、苦笑が返ってきた。

「今もどうすれば良かったのか全然分からないんだ。ボクは心も身体もホーカーほど強くないし、利口者でもない。だから強くて賢い人になりたい」

 それ以上、賢くなってどうするんだ。そう言いたくなったが、ホーカーは続きを聞いてみることにした。

「この町から出たら、少なくとも父さんや母さん、この町の人を手にかけなくていい。だからもし仲間に入れてくれなかったら、旅に出るつもりなんだ」

 ハットはもう少し続ける。

「これを聞いてもまだ、ボクを誘ってくれる?」

 この町の人を手にかけないが、他の町では分からない。そんな者に暗部としての権利を与えるべきなのか。

「強くて賢い人間は大変だぞ?」

「どうして?」

 強くて賢い人は周囲から頼られる。ときには利用される。そして、色んなことを考えすぎる。

「お前を見たら分かる」

 ホーカーは皮肉っぽく笑った。

「それを言うなら、ホーカーを見たほうが分かるかも」

「俺は賢くねぇよ」

「ボクだってそうだよ」

 二人は真顔で見つめ合っていたが、どちらからともなく吹き出した。

 自分は賢くないからこう思うのだろうか。と、笑いながらホーカーは結論を出す。

 贔屓ひいき目で見なくとも、いざというときに止めてやれるやつがたくさんいたほうがいい。

「もう一度言う。俺たちと一緒に来い!」

 笑みを残したまま差し出される右手を、

「こっちから頼むよ!」

 小さな手が力強く握り返した。


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