四章 裏目 1P
数日間を無為に過ごしてしまったのは情報が邪魔をするからだ。
肉屋の情報は囮。それはホーカーが肉屋に手を出せないと知る誰かの工作に違いない。
誰がそんな手の込んだことをするのか。それは鳥に聞いたらすぐに分かるだろう。
ホーカーは湖で鳥を集めることにして、思えばずいぶん久しぶりに訪れると苦笑した。
毎日行かなきゃ満足できないと言ったのに自分で忘れるとは。多忙とは往々にして大事なことを過小評価させてしまう。
湖で彼は予想外のものを見つけた。人が倒れている。
急いで駆け寄ってさらに驚く。
彼が抱き起こしても友人は虚ろに霞んだ瞳を中空に向けたまま、口は小さく動き続けていた。
肌は渇き、額に手をやると通常よりかなり熱い。
「おい! しっかりしろ!」
こんなところなのに、近くで鳥が歌ってる。
ホーカーはいつも持ち歩いている塩と水を口に含み、ハットに飲ませる。苦しそうに顔を歪めるも僅か、意識がほとんどないらしい。
ある程度の水を飲ませた後、残った全ての水を首元から流して服を濡らす。これで少しは体温が下がってくれるといいが。
動かすのはまずそうだがそうも言ってられない。ホーカーが背負うとハットは完全に意識を手放したらしく、だらりと垂れる手を縛って首にかける。
神速の足が向かったのは、治安維持兵の拠点。
速く! もっと速く!
辿り着いたところで乱暴に扉を叩くと、すぐに治兵が出てきた。
治兵は嫌そうな顔をするが、背のものを見て顔色を変える。
奥から呼ばれてきた治療班が適切な処置を施しても、彼の友人は目を覚まさなかった。
「しばらくここで治療を行います。状態は安定したので、もう大丈夫かと」
自分たちのものではない拠点から追い出され、ホーカーは扉の前で座り込んだ。
ハットは仕事のことでホーカーが思う以上に悩んでいた。弱った心にとどめを刺したのは、ホーカーからの別れの言葉。
友人が期待していたことはとてもささやかなもの。
疑問に答えてもいい。一緒に考えてくれるのもいい。笑い飛ばしてもいい。
小さな友人が待っていたのは、二人だけの秘密の場所。誰もが知っているのに決して近づかない、安息の地。
ハットはそこで散歩屋と恐れられる友人と、ただ話をしたかった。油断ならないやり取りを。ときには本心を。
ホーカーは目の前の扉をぶん殴ってやりたくなったが、八つ当たりで扉を壊すのも悪いと思ったのだろう。
振り上げた拳を下して彼が向かうのは、自分たちの拠点だった。
仲間が集めた情報を拠点で整理し、夕方にほとんどの者が睡眠に入った。
ホーカーは眠れず、見張り役と話をして夜を待つ。
「お前が出かけてる間にもう二・三人捕まえたらしいが、大した情報は得られなかった。指示通り解放してやったが、なんで逃がしちまうんだ」
「ここにはわざとらしく壊れたまま放置されたり、捨てられた建物が多いと思わないか?」
なおも分からないといった様子の仲間の返答を待つ。しばらく考えて肩をすくめるのを見てようやく、ホーカーは口を開いた。
「崩れた建物をちゃんと調べてみたら、隠し通路っぽい扉が地面にあったんだ。残念ながら通路は使い物にならなくなってたけど、無事な通路があったらどこに通じてるのか調べたいと思わないか?」
それがどうして小物を解放することに繋がる。隊員は聞いてみる前ハッとし、ホーカーは頷く。
「エサだな?」
末端が何かしくじったら上に連絡する。商談に通じる無数の通路は壊されるが、そこには必ず誰かが壊すために現れるはずなのだ。
「地上で建物を見張らせてる。入っていくやつが現れたらチェックメイトだ」
「だが、どうして昨日聞き出した建物をすぐに調べないんだ?」
「そりゃあ調べたさ。だからそこにも通路があるのを知ってるし、実際に下りてみた。中は迷路みたいになってて、とてもじゃないけど目的地に行けそうになかった。あれは下手したら遭難する」
あわよくば壊しに来た者を捕えて案内させる。
失敗した場合と成功した場合にどう動くか考えを巡らせ、来たる実行の時。
それぞれが一斉に動き出したのは夜が深くなってから。
建物を見張る者が現在まで誰も連れて来ないから、ホーカーは何か失敗が起きたと予感した。
「誰も通らなかったぞ」
見張っていた隊員がつまらなそうに報告する。一日中、誰も通らないのもそれなりに不自然だ。
制止も聞かず建物に踏み込んだホーカーはそこで、よく知った顔を見つけた。
「……パン屋が地下通路を潰さなきゃならない理由は?」
「妙な通路があっては迷い込む方がいらっしゃるので、憐れな方が出る前に潰していたのです。それ以上の理由はございません」
通路は迷路になっていた。別の通路からここに来ることもできただろう。通路を見張らせるべきだったと気づいたときにはもう遅い。
通路の奥から来た女店主は、建物側から通路を破壊したのだろう。魔術で砂に戻った通路は大きな音も立てず、外で見張る者は気づけなかった。
潰していたという言い方から、彼女がいくつも通路を潰してきたことを知る。
「地下通路はどこに通じていた?」
「わたくしどもは商売人でございます。うちはパン屋ですから、パン以外のものを提供することはできません。ご容赦ください」
ホーカーは女店主を拠点に連れて行くように指示すると、残った隊員たちと共に周辺から調べていく。
外で生活する者たちは砂色の集団を恐れた目で見、決して近づかなかった。
大した収穫がないままに拠点に戻る。まだ戻らない者たちもいるが、ひとまずそれぞれが持ち帰った情報を確認する。
「怪しい動きをしていたのは物乞いどもだ。だが明確な行動をしていたやつは見つからなかった」
「こっちも同じだ。やつらを尾行してみたが、やたらとうろついてるばかりで何もしない」
撹乱。情報を大量に流したときと同じように、彼らはわざと目につくように歩き回ったのだ。
奴隷商人を庇うように、町ぐるみで動いてる。
「俺は試しに連れてきたが、こいつはどうする?」
ホーカーは紫の瞳でみすぼらしい身なりの男を見る。口が堅く、拷問したとしても無駄そうだ。
「……離してやれ」
しかし男は離されても逃げ出さず、強い眼力で見返すのは怒りが理由ではなさそうだ。
「奴隷商人のことをどう思う?」
「……?」
「お前は奴隷商人のことが嫌いか?」
先日とは違った問いに隊員たちの理解も追いつかないが、困惑しながらも男の返答を待つ。
拷問しても簡単に口を割らないような男でも、自分の考えを語るだけなら少しは口を開きやすい。
もし頑なに閉ざすなら町の強い強制力や、男が黒幕に協力的なことを表す。
そして開くとすれば、町や商人になんらかの不満を持っている。
逃げ出さないところを見れば後者の可能性が高い。
「嫌いではない」
ホーカーはわざとらしく残念そうなため息をつき、髪をかき上げた。
尋問は失敗したという演技。男が誰かに問いただされることがあっても使える、小さな武器を与えたのだ。
「あんたはもう帰っていい」
「お、おい! いいのか?」
「口が堅そうだ」
動揺する隊員たちをよそに淡々と礼を言うと、男は夜の闇に消えていった。
長いので分割しました。




