三章 噂 6P
ホーカーは拠点を離れられなくなった。
突然集まり出した情報は暗部の隊員たちを走らせ、散歩は疎かまともに眠る時間すら与えない。
〝帽子屋は怪しい商売をしてる〟
〝人肉を売ってる〟
〝いやあれは嘘だ。肉屋は悪いことなんかしていない〟
〝あんな実直な商人はいない〟
〝肉がうまい〟
〝肉屋は商売を失敗したことがある〟
〝パン屋で使ってる肉は帽子屋のものじゃない〟
〝ハットは油断ならない。散歩屋と親しげにしてた〟
〝肉屋は散歩屋を昼食に呼んだ〟
自分に対する噂以上に勢いのある肉屋の噂は、どこかわざとらしい。
ホーカーと同じことを感じた隊員たちはあれこれと理由を考え、こちらを撹乱するために誰かが情報を操作しているのではと気づく。
ひとまず集められる情報は集めておこうというホーカーの案に、苛立ちを覚える隊員は多い。しかし反対する者も代替案を出せる者もいなかった。
「今日の予定は?」
疲れて床で眠りこけるホーカーを容赦なく起こすのは常駐。
ブラウンの瞳が責めるように彼を見るのは、解決する気がないことを知るからだ。正確には解決の糸口があり終わらせる力があるのに、それを避けていると見抜いている。
「そうだなー。肉屋のことはいい。お前が調べをつけたやつを捕まえに行くか」
「あんな小物、ほっとけばいいじゃねぇか」
別の隊員が面倒そうに言うのもまた、ホーカーのやる気を疑うからだ。
奴隷商人に商品を届けている者は何人かいる。一番集めているのは肉屋だが、相変わらずホーカーはその肉屋をどう庇うか巡らせるのに必死だった。
奴隷商人の始末が任務で、必要あれば他の関係者も捕える。それはつまり、必要なければ肉屋を捕えなくてもいいことを意味する。
「小物から辿っていけば、よりでかいところに行き着くだろ?」
なおも何か言いたげな口は閉ざされ、次の言葉を待つ。
「まずは東の外れにいる男からだ。五人もいれば充分だろ」
夜遅くに仲間を送り出すと、優秀な隊員たちはすぐに男を連れてくる。
「拷問にかけるか?」
ヒッと短い悲鳴を上げた男はたしかに、少し脅せばなんとかなりそうだ。
隊員が知っていることを話すように命じるが、がたがた震える歯は言葉を紡がせない。
常駐は何気ない動作でシャープなダガーを取り出し、男の鼻にあてがう。
「平らな面になるか?」
失神してしまいそうな男を見て、ホーカーは額に手を当ててため息を一つ。
「お前は顔が恐いんだよ……」
機嫌悪くホーカーに向けられたブラウンの目はたしかに凄みがある。もちろん睨まれたくらいで怖気づくような者は暗部にいないが。
「た、助けてくれっ」
情けなく泣き出すのは演技じゃないらしい。
ダガーがしまわれるのを見て男は大きく安心するが、ホーカーはこれが常駐の策だと見抜いていた。恐怖と仮初の安堵を交互に与えるのは有効な手段だからだ。
「質問に答えればひどい扱いはしない。約束する」
男を椅子に座らせ、呼吸を整えるまで待つ。少し落ち着きを取り戻した男に常駐が舌打ちするが、ホーカーは聞こえないふりをして切り出した。
「俺たちは奴隷商人を追ってる。お前がその商売にそこまでどっぷり関わってないことはここにいる全員が知ってるし、用が済んだら解放する」
「ほ、ほとんど何も知らないんだ」
「知ってることだけでいい。話してくれ」
男は震える手に目を落とし、決心して顔を上げる。
「奴隷商人には会ったことない。間に何人もいるんだ。わ、私はその下の下、一番下っ端だ。だから何も知らないっ」
肝の小ささのわりに見上げた根性だ。
ホーカーが横目で常駐を見ると、常駐はため息交じりに首を振る。
その腰のダガーに再び手がかけられてホーカーが右手で軽く制すると、柄にかけた手を離さないまま呆れた目で彼を睨む。
「お前の仕事は? 俺たちはある程度知ってるけど、お前から聞きたい」
よくあることなのかホーカーは気にしない様子で問いを重ねた。
男の目に宿った決心は早くも揺らいだ。散歩屋の機嫌を損ねれば今度こそ鼻が無くなる。
「私は、ま、町を去りたい人にたまに声をかけていただけだ」
「声をかけたあとは?」
「……東に潰れかけた石の建物がある。わ、私が住んでいる辺りに」
「そこに連れて行くのか?」
男はがくがくと頷いた。
聞きたいことを聞いた後に約束通り解放すると、男は信じられないといった目で唯一自分を睨まなかった者を見る。
「運がいいな、お前。ホーカーがいなかったら拷問したあとに殺してたぜ」
隊員の一人が気に食わない様子で吐き捨てる。
「まぁ次はないから気をつけろ。次もこいつらを止めるほど、俺は親切じゃねぇ」
「あ、ああ」
男は虚ろに返事らしいものをした。
「あ、ちょっと待て。これ持ってけ」
ホーカーが渡した小さな袋の中身を見て、なぜこんなものをと言いたげな目を向ける。
「迷惑料だ。それだけあればもうあんな商売しなくてもいいだろ?」
崩れ落ちて拝むように礼を述べる男を適当に追い払う。
照れ隠しかそれとも本気で邪魔だったのか。どちらにしても彼の仲間たちは呆れて肩をすくめ合うのだった。
次の日の動きを入念に打ち合わせた後。多くの者が活動を始める時間に隊員たちは眠りにつく。昼に動き回る者はまだ眠れない。
ホーカーが寝る時間を割いて久しぶりに訪れたのは、肉の家。
「ホーカー! どこに行ってたの?」
「その辺をうろうろしたり、もっと遠くをうろうろしてたのさ」
それは肉屋を見逃したという意味。ハットにも伝わったらしく、くまのひどい顔は安堵の色に染まる。
ハットの話では肉屋の店主は体調が回復していないらしい。父親が心配で眠れなかったのだろうか。
ホーカーの予想は的中していたが、全てではない。
愛嬌のある瞳の下のくまは好奇心と反抗心の代償。倒れるまで働く父親への不満と湖への好奇心はハットを疲れさせ、疲れすぎた人は眠れなくなることが多い。
湖への好奇心はレイブンのことを突き止めさせ、ハットが手にする研究書にホーカーは驚く。
研究書には湖を枯らした者への怒りと、愚か者の町の様子が記される。
町の治安は非常に悪く、人が死ぬことも住む者の関心を引かなくなるほど頻繁にあったとか。
ある反逆者が精霊の力を利用して暴れた末、レイブンが町を消し去ることになった。反逆者と無法者の痕跡を消すために。
ホーカーが自分でも分からない意思に引かれて湖を訪れるのはまさに、彼がその反逆者だったからだ。
湖の跡地に貴重な水を捨ててしまうのは、それだけ精霊のことを大切に思っていたのだろう。しかし残った意思と感情は記憶を伴わず、彼には自分に何が起きているのかも理解できない。
研究書に目を通しても思い出せないのは心が受け入れを拒むから。
レイブンの記したものをハットの秘密基地に隠したのは、暗部隊長の指示で動いた誰かだろう。だがどうやらホーカーは隊長の期待に応えられなさそうだ。
ホーカーの心に共感したハットは、強い悲しみに顔を歪める。
「俺たちはもう、会わないほうがいい」
鳥の言葉を知る者は呪われた眼を持つ。ハットには人の感情が見えているのだと悟ったホーカーは、寂しい決心をする。
ハットの眉間を親指で押さえたのも、自分のせいで皴が寄るのが我慢ならなかったからだろう。度々彼に共感していては、いずれ壊れてしまう。
「次に会うときは敵か味方だ。友達として扱わねぇ」
傷が浅く済むうちに別れたほうがいい。
次にハットに会ったら友達として扱ってしまうだろうと思いつつ、湖に囚われた者は辛い別れを告げた。
ホーカーは知るべきだった。別れが友人の心にどれほど深い傷を刻んだのか。




